その265 ~百勝ステラーノ~
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「ワシの孫が兵士を殺しただと?」
魚のパイをつまみに酒を飲んでいた老人が鋭く瞳を光らせた。
それだけで広い食堂がシンと静まり返る。
大柄な老人だ。長く伸びた白いヒゲ。傷だらけの顔に太い眉。
十年も前に還暦を過ぎているとはとても思えない。
老いてますます意気軒昂。
彼こそが”七将”の最年長。百勝ステラーノこと、ロドリゴ・ステラーノその人であった。
「――ち、違います!」
報告を持って来た兵士が、慌てて首を振った。
「兵を殺害したのはマルツォ様ではありません! マルツォ様は第一発見者です! 犯人は黒ずくめのマントの男だったとの事です!」
「なんじゃい。紛らわしい言い方をしおって」
老人はそれだけで興味を失くしたのか、再び料理に手を伸ばした。
一緒に食卓を囲んでいた彼の副官達が、慌てて身を乗り出した。
「マントの男に我が軍の兵が殺されたのですぞ?! そのようにのんびりしていていいのですか?!」
「直ぐに警備の担当を呼び出しましょう!」
「構わん、構わん」
色めき立つ部下達に、ロドリゴは面倒くさそうに手を振った。
「ワシの孫が第一発見者なんじゃろうが。既にその黒マントとやらも、殺すか捕らえるかしとるじゃろう」
英雄色を好むと言うが、ロドリゴは女性方面でも昔から勇名を馳せていた。
そのため、彼の子供は数多い。
そして孫の数は更に多い。
そんな息子や孫の中には、百勝ステラーノの名に憧れ、戦場に出た者が多数いる。
幾人かは実際に武勲を立てているが、その多くは武運拙く戦場に命を散らしている。
そんな息子と孫達の中でも、ロドリゴが「コイツこそワシの跡を継ぐ者だ」と認めているのがマルツォ・ステラーノ。
次代の百勝ステラーノと目されている、期待の若武者なのである。
「例え七将でも、ワシの孫に挑まれれば苦戦するだろうよ。案外、”金杯”辺りなら、二日酔いで不覚を取るかもしれんな」
金杯カルディーラは大酒飲みで有名な七将である。
酒宴の席での飲み勝負に勝ち抜き、見事に主君の家宝、東西二槍という名槍を賜った、という逸話を持っている。
勿論、カルディーラも常に酒にだらしないわけではない。これはロドリゴの孫に対する贔屓目。親バカならぬ孫バカなのである。
「孫は本当にワシに良く似とる。無鉄砲で恐れ知らずな所など、まるで昔の自分を見とるようじゃ。そして一見、粗暴なようでも人に頼られればちゃんと応える。だからアイツの周りには自然と人が集まる。これこそただの武辺者にはない将の器。人の上に立つ者が持つ将器というヤツじゃ」
程よく酒が入っている事もあって、お爺ちゃんの孫自慢が止まらない。
ロドリゴの部下達は、「また始まった」といった感じで苦笑している。
しかし、ここで報告に来た兵士がおずおずと口を挟んだ。
「あの・・・犯人の黒マントは捕らえられておりませんが」
「はあっ?!」
気持ち良く孫の自慢をしていた所から一転。ロドリゴは目を剥いた。
「孫が犯人を取り逃がしたと言うのか?! アイツは――マルツォは何をしておったんじゃ?!」
「は、はい。マルツォ様は、この件は自分が預かるからこれ以上は調査不要。おジイ――ゴ、ゴホン!――ロドリゴ様には誤魔化しておくようにと・・・」
マルツォから「誤魔化せ」と言われて、彼も相当悩んだのだろう。
どこか疲れ果てた顔には、激しい葛藤の跡が見て取れた。
しかし彼は、結局、全てを正直に報告する事にしたようだ。
ロドリゴは怒りにワナワナと肩を震わせた。
歳をとって昔よりは落ち着いたとはいえ、元々直情的な性格なのだ。
「マルツォを呼べ! ワシが直々に問いただす!」
「は、はいっ!」
兵士は慌てて踵を返すと食堂を飛び出したのだった。
「なんだ。もうおジイにバレちまったのか」
マルツォは何ら詫びれる様子もなく、祖父の元に顔を出した。
「マルツォ! お前、兵士殺しの下手人を取り逃がしたそうじゃな?!」
「下手人って。おジイ。今時誰もそんな言葉使わないぜ」
「話を誤魔化すでない!」
マルツォはチラリと周りを見回した。
ここは大モルト軍が本陣にしているコラーロ館。その賓客用の寝室である。
寝室と言っても、ベッドがあるのは隣の部屋だ。
ここは使用人の控室も入れて三部屋もある、いわばスイートルームなのである。
「おジイ。隣の寝室には誰かいるか?」
「・・・今日はおらん」
今日はいない、という事は、いる日もある、という事だ。
マルツォは「いい齢して、何やってんだよ」と呆れた。
「俺より若い叔父さんが出来るのは勘弁して欲しいんだが・・・。まあ誰もいないなら好都合だ。変な噂が流れてウチの侍女達の風聞が悪くなったら可哀想だからな」
マルツォは居住まいを正すと、夕方に起きた出来事を説明した。
「――といった所だ。目撃者はウチの侍女達しかいねえが、アイツらが俺に嘘をつく理由はねえ。多分、間違ってはいないはずだぜ」
「亜人の兵――いや、話からすると、おそらくそいつは諜者か」
ロドリゴは眉間にしわを寄せると、長い顎ヒゲをしごいた。
「・・・信じ難い」
「いや。さっきも言ったが、侍女達は実際に兵士が殺される現場を見ている。それにチビ助――サンキーニ王国の捕虜からも、亜人は魔法を使って戦うと聞いてる。黒マントが魔法で兵士を殺したのは間違いねえよ」
「いや。魔法を使ったという話を疑った訳ではない。その黒マントの技量の高さに驚いたのじゃ」
ロドリゴは少し言葉を選んで切り出した。
「魔法を――竜を戦いに使えないかという研究は、今まで何度も行われて来た。それは知っておろうな?」
「軍記物でたまにあるな。けど、どう考えてもあれは作り話だ」
「そうじゃ。実際に軍の一部では竜を使っておるが、ワシが記憶している限り、戦術的に利用した例はない。その理由が分かるか?」
マルツォは軽く肩をすくめた。
「兵に弓を使わせた方がマシだからだろ?」
「その通りじゃ」
この世界では、魔法を使える生物として竜が知られている。
昔から竜を大量に集め、魔法を兵器として運用するという方法は何度も考えられて来た。一種のロマンである。
しかし、そのどれもが成功しなかった。
理由は簡単。竜の数を揃えるよりも、兵士を集める方が手っ取り早いからである。
そして、いかに竜の知能が高いとはいえ、所詮は動物。
いくら訓練したからと言って、戦場でちゃんと魔法を使うとは限らず、また、その魔力量もたかが知れている。
だったら補給を遅滞なく行い、兵士に弓と矢を行き渡らせた方がよっぽど戦力になる。
戦争は遊びではないのだ。
そんな不確かで当てにならない戦力に命を預けるような酔狂な指揮官など、いるはずはなかった。
「魔法というのは連続で何度も使えるような代物ではないと聞いておる。それに弓矢程の貫通力もないらしい。だったら、わざわざ竜を集めて訓練するよりも、新兵に武器を与えた方が使い物になるというものじゃ」
「そりゃあそうだ。武器より魔法の方が強いなら、俺達人間が竜を差し置いて我が物顔をしていられる訳がないんだからな」
魔法には確かに見るべき点がある。しかし、万能ではない。むしろ不完全で効率の悪い攻撃方法と言ってもいいだろう。
竜が狩りの手段に魔法を選んだのは、道具を使えるだけの器用な手を持っていなかったためである。
もし、竜が人間と同じ手を持っていれば、彼らはとっくに魔法を使わなくなっていただろう。
「だから信じ難かったんじゃ。侍女の話を信じるなら、その黒マントの亜人は僅かな時間で六人もの兵士を魔法で殺した事になる。本当にそんな事が出来ると思うか?」
「分からねえ」
マルツォは無意識のうちに愛用の槍をしごいていた。
「・・・だがな、おジイ。ヤツはただ者じゃなかった。あんな得体の知れない雰囲気を持ったヤツに、俺は今まで一度も出会った事がねえ。アイツは強いぜ、間違いなく。しかもデタラメに、だ。もし、ヤツと出会っていたのが戦場だったら、今頃俺はヤツに殺られていたかもしれねえ」
「ほう。お前にそこまで言わせる程の男か」
ロドリゴは驚きに目を見張った。
多分に身内の贔屓目があるとはいえ、マルツォは自分達”七将”に次ぐ力を持っていると考えている。
謎の黒マントは、そのマルツォに、「戦場で出会っていれば――何でもありの戦いなら――敵わないかもしれない」と言わしめる程の強者だったというのである。
(コヤツが、こと戦いにおいて、相手の力量を見誤るはずもない。これはワシの所で留めてよい話ではないようじゃ。急ぎ姫様の耳にお入れせねば)
ロドリゴは姫――ジェルマン・”新家”アレサンドロの妻、アンナベラ――の顔を思い浮かべていた。
彼は戦場での判断力や直感に関しては、他人に後れを取る気は全くしない。
しかし、政治的な判断や駆け引きに関しては、マルツォの父――今も”執権”アレサンドロの下で顎で使われている不肖の息子――にも勝てないであろう事も自覚していた。
(息子と言えば、姫に乞われて”新家”に移った時に、マルツォを一緒に連れて来たが、その事をまだ根に持っておるじゃろうか? 息子なんぞにいくら恨まれても構わんが、息子の嫁に――女に恨まれるのだけはイヤじゃのう)
マルツォは父から(あるいは母から)、何度か手紙を受け取っている様子がある。
しかし彼は返事を書くどころか、読まずに適当な場所に放り込んでいるようだ。
なぜなら彼は文盲――文字が読めないのである。
これはロドリゴの教育方針でもあった。
相手に何か伝えたい事があるなら、手紙や文章ではなく、直接会って話をするべきだ。
紙に書かれた文字だけでは、真意は伝わらない。
逆に変に心を迷わされたり、誤解を生むだけ害になる。
彼はそう言って、マルツォに読み書きを覚えさせなかった。
ちなみに算術はしっかりと教えた。軍の運営には数字が欠かせないからである。
(――と。話がそれてしまったわい。先ずは急ぎ姫様に報告せねば)
こうして、恐るべき力を持つ黒マントの亜人の存在は、大モルト軍指揮官アレサンドロの妻、アンナベラへと知らされた。
アンナベラは急遽、亜人の女王クロコパトラとの会談をセッティング。
クロコパトラの宿泊する館へと使者を送った。
思わぬ出来事をきっかけに、事態は動き始めたのだった。




