その261 ~パルモの地にて~
男はさっきからずっと窓の外を見ていた。
さほど広くはない庭では、庭師の中年男性が落ち葉をかき集めている。
朝夕の冷え込みが厳しくなった昨今。生垣に遮られていなければ、紅葉に彩られた美しい秋の湖畔の景色が見える事だろう。
その時、ドカドカと廊下を歩く音が近付いて来た。
足音はドアの前で止まると「コンコンコン」。分厚い木のドアがノックされた。
「入れ」
男は――ロレンソ将軍は窓の外に目を向けたまま答えた。
「失礼します! ルカ・ルーファス、只今到着致しました!」
入って来たのは、三十過ぎの長身の男。服の上からでも鍛えられたガッシリとした体の持ち主である事が分かる。
ロレンソ将軍の頼れる右腕、ルーファス隊長である。
将軍は「うむ」と答えると、ここでようやく隊長へと向き直った。
ロレンソ将軍は四十代半ば。将としては十分に脂がのっている年齢だが、現場で剣を振って戦うには、そろそろ体力の衰えが厳しい歳でもある。
そして将軍は、どちらかと言えば部下の前に立ち、前線で戦う、猛将と呼ばれるタイプの人間だった。
つまり今回の作戦は、彼のキャリアに巡って来た最大にして最後のチャンス。ある意味、後の無い作戦。
ロレンソ将軍はその事実を誰よりも良く理解していた。
ルーファス隊長はわきに抱えた紙の束を差し出した。
「今回送られて来た人員と物資のリストです。・・・それと、ご当主様から、これ以上の物資は調達出来ないと。どうやらオスティーニ商会が約束の金を出し渋っているようです」
「ちっ。オスティーニ商会も口ほどにも無い。屋敷を襲われたくらいでしり込みしおって。
所詮は金勘定しか能のない下賤な金貸しという事か。
金庫にいくら溜め込んでいても、王都が大モルト軍に踏み荒らされてしまっては意味が無い。その程度の事すら理解出来んとはな」
ロレンソ将軍は苦々しげに吐き捨てた。
彼らの当主はサバティーニ伯爵家当主、グレシス・サバティーニ。
そう。彼らはサバティーニ伯爵家の家臣。伯爵軍の部隊長とその部下なのである。
オスティーニ商会の屋敷が白昼堂々、賊の襲撃を受けてから一週間。
関係者にとって、この事件の背後で大モルト軍が糸を引いていたのは明らかで、これはサバティーニ伯爵に対する警告。ないしは、伯爵に協力する全ての者達に対しての脅しである事は疑いようもなかった。
しかし、それでも「自分達にこそ大義がある」と信じているロレンソ将軍達にとっては、今さら計画を諦めるなどあり得ない話であった。逆に手を引いたオスティーニ商会に対して「不甲斐ない」「所詮は平民」などと憤慨している程である。
「・・・不足はあるが、これ以上遅らせる事は出来ん。計画を開始するぞ」
「おおっ! ではいよいよ遂に陛下をお助けに向かうのですね!」
興奮して身を乗り出すルーファス隊長。ロレンソ将軍は「騒ぐな」と釘を刺すと声を潜めた。
「外の庭師の耳に入ったらどうする。――ヤツは大モルトが送り込んだ諜者だぞ」
「なっ! ・・・では実行に移す前に始末しておきますか?」
ルーファス隊長は咄嗟に腰の剣に手をかけた。
庭師の男は将軍達の動きを探るために、大モルト軍が送り込んで来た諜者――スパイだという。
この国の国民でありながら恥知らずにも敵国に寝返り、金で尻尾を振る男に怒気を漲らせるルーファス隊長。
しかし、ロレンソ将軍は黙って首を振った。
「いや。下手に始末してしまっては、我々が行動を開始するとわざわざ大モルト軍に教えてやる事になる。ここはギリギリまで泳がせておく。・・・それにそう怒るな。あの庭師にだってやむにやまれぬ事情があるのやもしれんのだからな」
ルーファス隊長は頭から冷水をかぶせられた気がした。
ロレンソ将軍は、庭師は大モルト軍に家族を人質に取られ、仕方なく従っている。そんな可能性もあると指摘したのだ。
(た、確かに。卑劣な大モルト軍ならあり得る話だ。流石はロレンソ様。庭師のような下々の者達の立場にまでお心を配られているとは)
やはり自分ごときとは視野の広さが違う。
ルーファス隊長は改めて上司に対しての尊敬の念を深めたのだった。
ちなみに余談だが、庭師の男は普通に金目当てで大モルト軍に協力していた。
つまりは、ロレンソ将軍の心配りは全くの的外れ。大モルト軍にとってはいい風評被害になるのだが、庭師を大モルト軍の諜者と見抜いたその洞察力は、なかなかのものと言って良いのではないだろうか。
「最初からこういう事態を想定して、兵をあちこちに分散して潜伏させていたのだ。実行は明日の深夜。火の手を合図に一気に屋敷に攻め込み、国王陛下をお救いする」
「はっ!」
大モルト軍に捕らえられた国王バルバトスは、最近の冷え込みで体調を崩し、大モルト軍の本陣となっているコラーロ館から、マサンティオ伯爵家の館へと移されている事が内通者からの知らせで分かっている。
マサンティオ伯爵はこの国の”五伯”の一角で、イサロ王子の母、第三王妃の生家でもある。
そしてイサロ王子も父親である国王バルバトスと共に、今はそちらに移っている。
つまり、ロレンソ将軍達が国王バルバトスを救出に向かうのなら、その屋敷にはイサロ王子も――今となってはこの国に残った最後の王子も――いるはずなのだが・・・
「イサロ殿下に関しては――分かっているな?」
「はっ。国王陛下を安全な場所までお連れした事を確認次第、しかるべく処理する手はずとなっております」
しかるべき処理。それはすなわち、人知れず殺害するという事だ。
国の王子を――次の国王を殺す。彼らはなぜそのような暴挙に出ようとしているのか?
今後の大モルト軍との戦いは、国王バルバトスを有するサバティーニ伯爵が中心になって行われなければならない。
彼ら以上の求心力を持つイサロ王子の存在は邪魔でしかないのだ。
そして、国王にはイサロ王子以外に男児が残されていないとはいえ、女児は――王女は全員生きている。
そしてその中の一人は、昨年、サバティーニ伯爵の息子に嫁いでいる。
そう。国王を救って、反大モルト軍の中心となるだけでは足りない。
サバティーニ伯爵の目指しているのはその先。
”戦争”の先に待っている”政争”。
彼は自分の息子と元王女の間に生まれるであろう男児を、次期の国王の座に据え、自分は国王の祖父として権勢をふるうつもりなのである。
確かに、近年のバルバトス国王の体の衰えを考えれば、これ以上の実子の誕生は望めそうにない。
ならばイサロ王子さえこの世からいなくなれば、サバティーニ伯爵の思惑通りにいく可能性は十分にあると思われた。
(そうなれば、俺もこの国の将軍位に就く訳か。ゆくゆくはルジェロ将軍に次いで”四賢侯”の一人と呼ばれるようになるのだろうな)
妄想にご満悦のロレンソ将軍。
彼は「ルジェロ将軍に次いで四賢侯」、と考えているが、実際にルジェロ将軍の次にはエーデルハルトが将軍の座に就いている。
もっとも、彼はカルメロ王子と共に、隣国ヒッテル王国との戦いの中で復讐者ドルドによって討ち取られ、既に死んでいるのだが。
そもそも、四賢侯というのは、この国を支えた四人の傑物――国王バルバトス、宰相サバティーニ、外相アンブロス、将軍ルジェロの四人の事を言うのであって、そういう立場や役職などではない。
つまりはロレンソがいくら国の大将軍になっても、彼が四賢侯と呼ばれる事はあり得ないのだ。
こうしてロレンソ将軍達は動き始めるのだが・・・
ここから時間は五日程遡る。
◇◇◇◇◇◇◇◇
王都アルタムーラの南、パルモ。
美しい自然が広がるこの地は、王都の富裕層の避暑地として知られている。らしい。
ヨーロッパで言えば、南フランスのコート・ダジュールや地中海のモナコ公国。日本で言えば軽井沢か。
競うように贅を凝らした瀟洒な館が立ち並ぶその中に、この距離からでもひときわ目立つ白亜の城がある。
周りよりも一段高い斜面にドンと建てられた、周囲を睥睨するその風格。
しかし、実はこの建物はこう見えても城ではない。
今でこそ、国王バルバトスの所有物になっているが、なんと元は伯爵家が所有していた――建築させた――別荘なのだ。
その名はコラーロ館。
現在は大モルト軍の司令部が置かれている館である。
この館を建てた先代のアルベローニ伯爵は、大変な浪費家かつ、見栄っぱりだったらしい。
伯爵はこの時の散財がたたって借金で首が回らなくなり、せっかく建てたこのコラーロ館を売りに出さなければならなくなった。
この時、館を買い取ったのが、国王バルバトスだったのだ。
そんな館も今では大モルト軍に接収され、彼らの本拠地となっている。
そして国王バルバトスは、体調を崩して奥さんの実家、マサンティオ伯爵家所有の館で療養中との事。
本来のこの館の持ち主は国王なのに。
諸行無常じゃのう。
「何と言うか、妙に不自然な村だよな」
「ああ。どう言えばいいんだろうな。妙に空々しいと言うか、全体的にどこか作り物めいていると言うか」
「それ分かるぜ。澄まして取り繕ってるって感じるよな」
いかにも”ザ・リゾート地”といった趣溢れる景観はクロコパトラ歩兵中隊の亜人達には不評のようだ。
というか、村って何だよ。せめて町と言おうぜ。
彼らは居心地悪そうにキョロキョロと辺りを見回している。
そんなクロカンの隊員達の態度に眉を顰める、ちょび髭ことガルメリーノ・ガナビーナ。
ウチの隊員達がほんまスマンこってす。
それはそうと、彼らの言っている事も分からないでもない。
実際、リゾート地は作られた町だ。
この土地に住む人達が生活していく中で自然発生的に出来た町ではなく、他の場所からドシドシ資本が投入されて、作り上げられた町である。
つまりは”土地の人達が生活する場としての町”、ではなく、”余所者が寝泊まりするために作った町”なのだ。
隊員達が「不自然」とか「空々しい」と感じるのも無理はないだろう。
ここは生活臭というものに欠けているのだ。
そんな王都のセレブ達が愛したリゾート地は、今や他国の侵略者――大モルト軍によって占拠されている。
思えばずっと私達が戦っていたのは、大モルト軍の別動隊であり、本隊ではなかった。
目の前にいるのは未知の軍団。
我々は遂に大モルト遠征軍、その本隊と接触する事になったのだ。




