その249 ~最大の誤算~
時間は三ヶ月程前まで巻き戻る。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ここはサンキーニ王国の東、ヒッテル王国ロヴァッティ伯爵領。
伯爵の長男ドルドは、赤い髪を掻きむしり、抑えきれない怒りを爆発させていた。
「ふざけるな! 軍を動かせないとはどういう事だ!」
異様な風貌の男だ。
顔の右半分は彫りの深い凛々しい顔立ちをしているが、左半分は、ツルリとした樹脂で覆われている。
半年程前、彼はクロ子の魔法によって顔の左半分に重傷を負い、生死の境を彷徨った。
それからである。彼の心は暗い復讐心に取り付かれるようになっていた。
「大モルト軍が攻め込んでいる今こそ、サンキーニを滅ぼす絶好の好機だというものを!」
現在、サンキーニ王国は西から大モルトの侵攻を受けている。
この知らせを聞いたドルドは、すぐさま王城に使者を飛ばし、出兵を要請した。
東と西、両面からサンキーニ王国を挟み撃ちにする。その絶好のチャンスだからである。
しかし、王家は沈黙を守ったまま動かなかった。
実は大モルト軍の侵攻はヒッテル王家が頼んだものである。
東と西、両方からサンキーニ王国を挟み撃ちにする狙いだったのだ。
しかし、この策はイサロ王子の奇策によって(※実際は彼の軍師、ルベリオが発案、実行した策だったのだが)挫折。ヒッテル王国軍は撤退へと追い込まれた。
このヒッテル王国の撤退と入れ替わるように、大モルト軍の侵攻が開始された。
つまり、この時点で作戦は完全に破綻。挟撃のタイミングを失ったのである。
大モルト軍としては、要請を受けて出兵してみたものの、頼んだ相手は既に撤退していた形になる。
肩すかしもいい所である。
こうなれば大モルト軍には戦う理由が無い。適当にお茶を濁して軍を退くものと思われた。
しかし、大モルト軍の指揮官、ジェルマン・”新家”アレサンドロは、なんと八万というあり得ない大軍勢をもってサンキーニ王国に侵攻したのだ。
これは小国のサンキーニなど一蹴出来るだけの大兵力となる。
この事から分かるのは、大モルトは自分達だけでサンキーニ王国に攻め入るつもりだった――つまりは、最初からヒッテル王国の戦力をあてになどしていなかったのである。
この大軍は、ヒッテル王家にとっても寝耳に水であった。
これ程の大兵力の前にはサンキーニ王国などひとたまりもないだろう。
だがなぜ、大モルトがここまでする?
まさか、大モルトはサンキーニ王国を飲み込んだその勢いのまま、このヒッテル王国まで攻め込んで来るつもりではないだろうか?
国王は疑心暗鬼に駆られ、王城は上を下への大騒ぎになった。
王家は急いで使者を大モルトへと――今回の遠征軍を派遣した”執権”アレサンドロ家の下へと――派遣した。
これが現在の王城の状況である。
こんな状況で軍を動かすなど不可能だ。
最悪、出兵を敵対の意志と捉えられ、全面攻勢の呼び水にもなりかねない。
事実確認が終わるまでは行動を控えるしかない。
ドルドからの出兵要請が通らなかったのも、当然と言えば当然であった。
しかし、それで納得するようなドルドではなかった。
(このままではイサロ王子が! 俺の獲物が奪われてしまう!)
サンキーニ王国には、国境の隘路アマーティにおいて、彼を打ち破った隣国の第三王子イサロがいる。
そして――
(そして魔獣! ヤツだけは・・・ヤツだけは俺のこの手で八つ裂きにしてやらなければ気が済まん!)
そう。彼の宿敵であり、憎むべき敵、魔獣。
ドルドは手で顔に触れた。
魔獣――クロ子の最も危険な銃弾の魔法で消し飛ばされた顔の左半分。
ドルドは強い焦りと苛立ちを覚えていた。
そんな彼の元に、意外な人物からの使いのが訪れたのであった。
「カサンドレ男爵からの使いだと? 謀反人が俺に何の用だ」
ドルドは苛立ちも露わに使いの男を睨み付けた。
品の良い小太りの中年男だ。ただの使いにしては妙に風格が備わっている。
あるいは男爵家でもかなりの立場にある男かもしれない。
この部屋にいるのは男とドルドの二人だけ。
使用人はドルドの勘気を恐れて部屋から遠ざかっている。
この数日、ドルドの苛立ちは激しくなるばかりで、今では彼の両親――現当主夫妻ですら屋敷を出て離れで暮らすようになっていた。
使いの者はドルドの前で胸を張っているが、その髭は緊張で小刻みに揺れていた。
「・・・一言訂正させて頂きたい。我が主、カサンドレ様は謀反人ではございません。全ては何者かによる策謀。我々は策にはめられたのです」
「ふん。仮にそうだとしても、それが俺に何の関係がある。申し開きがしたいなら王都に出向いて王城でする事だ」
ドルドはつまらなさそうに鼻を鳴らした。
カサンドレ男爵領の反乱。
ドルドもつい先月まで討伐軍に加わっていた一件である。
もっとも、彼は国境でサンキーニ王国軍の動きがあったと知るや、即座に領地に取って返し、サンキーニ軍に襲い掛かったのだが。
ちなみにその時のサンキーニ軍は魔獣討伐軍。
指揮していたのは隣国の第二王子カルメロ。
彼はドルドの策にはまり、撤退した兵を深追いした所を討ち取られている。
使いの男はかぶりを振った。
「申し開きをしようにも、今の王城はコルヴォ派で占められております。残念ながら我らの声は陛下まで届きません。今回、カサンドレ様に謀反の嫌疑がかけられたのが何よりの証拠。コルヴォ侯爵派は我々ディアーコ伯爵派の力を削ぐ目的で、我らを陥れたのです」
「・・・さっきからゴチャゴチャ面倒臭いな。だから俺には関係ないと言っているだろうが」
ピシリ。まるで空気が音を立てて凍り付いたように感じた。
これはドルドの殺気――いや、むき出しの狂気だ。
恐怖で使いの者の顔からは血の気が引き、まるで紙のように白くなった。
「派閥とか何とか、そんなゴチャゴチャしたのを俺の所に持ち込むんじゃねえよ。イライラするんだよ。なあ? 分かるか? この俺の苛立ちが。顔の左半分がな、痛むんだよ。朝も夜も、メシの時も寝ている時も、ジクジク、ジクジク、頭の中を針で突かれたようにな、痛むんだよ。顔面をかち割って半分に出来たらどれだけ気持ち良くなるか。それを何だ? お前は派閥がどうの、嫌疑がどうの。なんで俺がそんな話を聞かされなきゃならない。なあ、お前は俺に何が言いたいんだ?」
使いの男はドルドの濁った眼でねめつけられ、表情を引きつらせた。
「ド・・・ドルド様は、武人らしく率直なお言葉を好まれるご様子。で、では単刀直入に申しましょう」
男は緊張にゴクリと喉を鳴らした。
「わ、我々の力になって頂けないでしょうか?」
「何だと?」
ドルドの目がすがめられた。
使いの男の言葉は意外な物だった。
ドルドにカサンドレ男爵側に――反乱軍の味方になって欲しいと頼んで来たのだ。
「俺は国王軍に従って、お前ら反乱軍と戦って来たんだぞ?」
「だからこそです」
男はキッパリと言い切った。
「敵として戦って来た我々は、ある意味ではこの国の誰よりもドルド様のお力を知っております。だからこそ、ドルド様のお力をお借りしたいのです。もちろん、報酬はお望みのままお支払い致します。それと少ないですが、贈答品もいくらか持って来ました。こちらはお時間を頂いたお礼でございます。是非お納め下さい」
使いの男はそう言うと深々とドルドに頭を下げた。
ドルドが最初に睨んだ通り、この中年男の家は代々カサンドレ男爵家に仕える宿老である。
彼の狙いは討伐軍の主力であるドルドの引き抜き――ではない。
これは離間の計。
相手の仲を裂く事で利を得る策――敵の内部崩壊を誘う計略である。
カサンドレ男爵は複数の情報から、討伐軍の中でドルドが浮いた存在である事を知っていた。
ドルドの実家、ロヴァッティ伯爵家は国境防衛の要であり、その勇名は国内外に知られている。
そのため、討伐軍の将軍もドルドには強く命令出来ずにいた。
そしてドルドはそれをいい事に傍若無人に暴れ回った。
将軍が、ドルドが領地に戻るのをあっさり認めたのも、いい加減に彼の存在が煙たくなっていたからである。
(我らにとって幸いな事に、サンキーニ王国との戦いが始まった事で討伐軍は撤退してくれた。しかし、これはあくまでも一時的な撤退に過ぎない。いつまたコルヴォ侯爵派の貴族達が蠢動し、陛下をそそのかして討伐軍を編成するかは分からない。そうなる前に、この狂人を利用して敵に亀裂を入れる。それがご当主様の狙いだ)
そう簡単にドルドが誘いに乗ってくるはずはない。カサンドレ男爵もさすがにそこまで甘くは考えていなかった。
(しかし、それでいい。こうして私と面会しただけで、コルヴォ侯爵派貴族に疑いの種を植え付ける事が出来るのだ)
ロヴァッティ伯爵の嫡男が、カサンドレ男爵家の宿老と面会していた。更には少なくない金品を受け取っていた。
そんな噂を流すだけで十分なのである。
何も本当に裏切らせる必要などない。
コルヴォ侯爵派貴族は決して一枚岩ではないのだ。
不和の種を撒けば、勝手に疑心暗鬼に駆られてくれる。
貴族とはそういう生き物なのである。
(この男も所詮は猪武者。私をただの使いと思い、迂闊に面会してしまったのが運の尽きだったな)
先程も言ったが、ドルドはカサンドレ男爵領で散々暴れ回った。
自らの手で罪なき領民を虐殺し、衝動のままに村を焼き払った。
そこには戦術的な意味など何もない。
自分の苛立ちを紛らわす。ただそれだけの理由で、彼は無慈悲な虐殺を繰り広げた。
今やカサンドレ男爵領内で、ロヴァッティ伯爵ドルドの悪名を知らぬ者はいなかった。
(この狂人めが! 全ては己が罪の報いだ!)
男はドルドの破滅を確信し、ほの暗い復讐心を満たしていた。
だからだろう。彼は次のドルドの言葉を一瞬、理解出来なかった。
「――報酬は俺の望みのままか。ほう。そいつは面白い」
男の主人、カサンドレ男爵の最大の誤算。それはドルドという男を――彼の心に宿る狂気を見誤った事にあった。
「弱腰の国王に従うのはいい加減にうんざりしていた所だ。いいだろう。お前達に手を貸してやる。俺の望みはこの国の国王の座だ」
「なっ! 一体何をおっしゃるのですか?!」
とても正気とは思えないドルドの発言。
しかし、彼は正真正銘、本気だった。
「お待ちを! 我らに王家に対する謀叛の意思はなく、全てはコルヴォ侯爵派の貴族達による策略なのです! 王位を狙うつもりなど毛頭ございません! そのような蛮行は以ての外です!」
男は慌ててドルドに詰め寄ったが、時すでに遅し。
彼は既に男の言葉を聞いていなかった。
クロ子の魔法で負傷して以来、常にドルドを苛立たせて来た頭の痛み。
その痛みがウソのように消え去り、スッキリと晴れやかな気分になっていたのである。
どうやら大きな興奮に大量のアドレナリンが脳内を満たし、まるで麻酔にかけられたように一時的に痛みが麻痺してしまったようだ。
「この俺がこの国の王になる! そして俺自らが兵を率いてサンキーニ王国を攻め滅ぼすのだ! ははっ! いいぞ! なんで今までこんな簡単な解決方法を思い付かなかったんだろうな! ははっ! ははははっ! あーっはっはっはっは!」
ドルドは天を仰ぐと、久しぶりに大声を上げて笑ったのであった。
三大国家の一国、大モルト軍の侵攻を受けた小国、サンキーニ王国。
そしてその隣国、ヒッテル王国にも今、大きな嵐が吹き荒れようとしていた。
次回「メス豚、軟禁される」




