その248 ~サバティーニ伯爵の計画~
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ここは王都の貴族街の一角を占める大きな屋敷。
貴族の中で、ここが誰の屋敷か知らぬ者はいないであろう。
四賢侯の誉高き先代の宰相を輩出した名門、サバティーニ伯爵家の屋敷である。
深夜。一台の馬車が屋敷の裏門に到着した。裏門とはいえ、サバティーニ伯爵家の屋敷ともなれば、そこらの屋敷の正門にも匹敵する門構えとなる。
馬車は屋敷の敷地内に入ると裏口で停まった。
馬車から降り立ったのは、高価なコートに身を包んだ白髭の老人。王都の金融を牛耳る大商人。オスティーニ商会商会主、ロバロ・オスティーニであった。
ロバロ老人は応接間に通されると、屋敷の家令の到着を待っていた。
(夜に呼んだのは人目に付かないため。金策に走っていると思われると、他家に足元を見られる恐れがある――か。いつもの事だが、こんなご時世に家の見栄を重視せねばならんとは。やはり貴族というのは鼻持ちならないものだな)
ロバロ老人のオスティーニ商会の主要な商売は金貸し――今で言う銀行のようなものである。
彼はこの屋敷の家令から、「今夜、屋敷を訪れるように」と命じられていた。
ロバロ老人は、内心で屋敷の家令を蔑みながらも、それをおくびにも出さない。
はた目には、まるで自分の屋敷にいるかのように悠々とくつろいでいるようにも見えた。
そのままどのぐらいの時間、待たされただろうか。
二杯目のお茶が丁度半分近くまで減った頃。ノックもなしにガチャリとドアが開いた。
「待たせた。急な連絡があったのでな」
「なっ?! こ、これは、サバティーニ様!」
ロバロ老人は驚いて立ち上がった。
部屋に入って来たのは、彼が良く見る屋敷の家令――ではなかった。
四十がらみの大柄な男。良く鍛えられたガッチリとした体。彫りの深い男らしい顔。もみあげまで繋がった頬ひげ。
ロバロ老人はこの男性に見覚えがあった。
そう。彼こそはサバティーニ伯爵家現当主、グレシス・サバティーニその人であった。
「サバティーニ伯爵家のご当主様が私めに何のご用でございますか?」
「構わんから座れ。――なんだ、酒ではないのか」
サバティーニ伯爵はテーブルのカップの中身に目を落とすと、つまらなさそうに鼻を鳴らした。
「これからそちらのご家令様と商売の話がございますので」
「何を言う。酒を飲みながらでは商売の話が出来ないような男でもあるまい。まあいい。おい。誰か俺にも同じ物を持って来い」
使用人によってお茶のカップがテーブルに置かれると、サバティーニ伯爵はそちらには手も付けずに身を乗り出した。
「面倒な話は抜きだ。単刀直入に聞く。いくらなら出せる?」
ロバロ老人は流石に目を見張った。
オスティーニ商会が呼ばれた以上、金策の相談である事は分かっていた。
しかしまさか、伯爵家の当主ともあろう人物が、直々に借金の談判に出て来るとは思っていなかったのである。
伯爵はロバロ老人の驚きを別の意味に捉えたようだ。
「まあ聞け」と手を前に出した。
「急にこんな事を言われて驚くのも分かる。が、こちらも急いでいるのだ」
「それは、国王バルバトス陛下をお救いするための作戦が思わしくない、という事でしょうか?」
「――あれからどこまで聞かされている?」
サバティーニ伯爵は鋭い目でロバロ老人を睨み付けた。
「陛下をお救いするために、閣下が極秘に動かれておられる。そのように聞き及んでおります。計画のために必要な資金の捻出には、私めも多少なりともお手伝いさせて頂いております」
どんな計画を立てるにしろ、先立つ物は――活動資金は必須である。
計画の初期の頃、サバティーニ伯爵は家令にありったけの資金を集めるように命じた。
「この王都の屋敷を空にしても構わん! とにかく可能な限りかき集めろ!」
そう命じられた家令は、オスティーニ商会に――ロバロ老人に相談した。
ロバロ老人は屋敷に秘蔵された名の知れた絵画や貴重な骨董品、彫刻等の芸術品の数々。それらを預かり、金に換える事になった。
流石に伯爵家蔵出しの秘蔵品とあって、そのどれもが一級の品々である。
平時であれば、その値段は間違いなく天井知らずに跳ね上がっていただろう。
そう、今が平時であれば。
好事家垂涎の一流の品々も、今まさに国が滅びようという時にあっては、芸術品の収集どころではない。
それでも伝手を伝っていくつかの品はさばく事が出来たが、大半は買い手も付かず、最終的にはオスティーニ商会が引き取る事になったのである。
当然、こんな状況では高値を付ける訳にもいかず、市場価格を大きく下回る金額で引き取られる事になったのであった。
(今日の呼び出しは、追加の品の売り相談か、あるいはより直接的に融資の申し込みだと思っていたが・・・。まさか当主自らが出て来るとは)
市場価格を大きく下回る金額しか出せなかったとはいえ、それなりにまとまった額は支払ったはずである。
これで足りなかったという事は――。
(つまりはワシの見立てよりも大掛かりな計画になっている。という事か)
サバティーニ伯爵は極秘に動いているようだが、ロバロ老人の商会は王都最大の金融業。座っていても金の動きは手に取るように伝わって来る。
そして金の動きが分かれば物資の流れも見えて来る。そうなれば自ずとサバティーニ伯爵の計画も予測が付く。というものである。
(兵の動きは隠せても、物資の動きまでは隠せない。伯爵はパルモ湖畔に兵を動かそうとしている。今はそのための物資の蓄積を急いでいる最中か)
ロバロ老人にはサバティーニ伯爵の計画の内容までは分からない。しかし、彼が「軍を動かそうとしている」事と、彼の目的が「国王バルバトスとイサロ王子を救出しようとしている」事は分かっている。
それだけ分かれば十分だ。
ロバロ老人が気になるのはただ一点のみ。
(伯爵の計画がワシの計画にどう影響するかだが・・・)
そう、彼がドン・バルトナと協力して取り組んでいる例の計画。
国の象徴、国王バルバトスが捕らえられ、刀折れ矢尽きたかに思われたこの国が、もう一度大モルト軍相手に立ち上がるためのあの計画。
伯爵の行動があの計画にとって、プラスとなるかマイナスとなるか。
彼にとって大切なのはそこしかなかった。
ロバロ老人は、考えを纏めると閉じていた目を開いた。
「分かりました。では、私の一存でこれだけご融資致しましょう」
彼はそう言って指を一本立ててみせた。
サバティーニ伯爵は「むうっ」と唸り声を上げた。
(荷車一台分。いや、オスティーニ商会がそんなケチ臭い事を言う訳はない。だとすれば金貨で百万。ふむ。さすがはオスティーニ商会の商会主だ)
担保もなく、伯爵家の名前だけで借りられる額としてはあり得ない程破格の金額である。
ロバロ老人は愛国家として知られている。そんな彼だからこそ、ポンとそれだけの額を提示する事が出来たのだろう。
サバティーニ伯爵は納得すると共に大きく頷いた。
「いや、助かる。百万もあれば俺の計画も――」
「百万? そんなはした金でよかったのですか」
ロバロ老人の言葉にサバティーニ伯爵は怪訝な顔になった。
「私は蔵一つ分融資すると申し出たつもりだったのですが」
「なっ?!」
サバティーニ伯爵は耳を疑った。
ロバロ老人の言う蔵一つが具体的にどの程度の額になるかは分からない。
ならばなぜ、彼はそのような曖昧な表現を使ったのか?
そう。ロバロ老人は実質、無制限の融資を申し出たのだ。
オスティーニ商会の総資産は、この国を賄える程莫大なものと言われている。
この瞬間。伯爵は事実上、この計画に必要とされる金額を、ほぼ無尽蔵にオスティーニ商会から引っ張り出せる事が約束されたのである。
驚愕のあまり、言葉を失い立ち尽くすサバティーニ伯爵。
ロバロ老人はお茶の入ったカップを傾ける事で、口元に浮かんだ笑みを隠した。
(伯爵の計画が上手く行けば良し。次の機会を待つのみ。だが、仮に失敗したとしても、陛下さえ無事ならどうという事は無いわい)
過激な愛国者ロバロ老人は、自分の計画のために名門伯爵家すら使い捨てのコマとして利用する事にしたのである。
サンキーニ王国は今、存亡の只中にあった。
国中が浮足立つ中、王都は魑魅魍魎の跋扈する魔窟と化そうとしていた。
人々の恐怖が、欲望が、理想が、願望が、渇望が、希望が、王都という名の小さな鍋にぶち込まれ、ドロドロに入り混じり、あふれ出そうとしている。
浮浪者は神の信徒を偽って商人を襲い、国を守るべき騎士団は、規範となるべき団長自らが横領に手を汚し、王都最大の商会は、寄せ場の総元締めと組んで危険な計画を立て、前宰相を輩出した伯爵家は、密かに兵を集め、囚われの国王を救い出すべく軍事行動を起こそうとしている。
誰もが未来を見失い、明日の見えない恐怖と混乱の中で喘いでいた。
あるいは国が滅びる時というのは、こういうものなのかもしれない。
そんな混沌の王都にクロ子は飛び込んでしまった。
クロ子はまだ自分が沈没間際の船に乗り込んでいる事に気付いていない。
この船は全ての乗客を飲み込んだまま、冷たい海の底に沈んでしまうのか。
それとも起死回生、無事に陸地までたどり着く事が出来るのか。
クロ子は運命の渦中にいた。
お話はまだ途中ですが、長くなってしまったので、一旦ここで切り上げたいと思います。
別タイトルの更新が終わり次第、また戻って来ますので、申し訳ありませんがしばらくの間お待ちください。
いつも私の小説を読んで頂きありがとうございます。
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