その23 ~少年の帰還~
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山と湿地帯に挟まれた隘路、アマーティ。
ここで始まった戦いはクロ子がドルドを打ち取った時点でその大勢が決した。
指揮官を失い、ドルド軍は組織だった行動が出来なくなったのだ。
それでも窮鼠と化したドルド軍はあちこちで部隊単位での激しい抵抗を続けた。
ドルド軍全軍が何とか退却する事に成功したのは丁度昼を過ぎた頃であった。
イサロ王子軍に囲まれた部隊はその多くが打ち取られたが、降伏した兵も多かった。
ただし、その中にドルドらロヴァッティ伯爵家の将はいなかった。
どうやら既に逃げ出した後だったようだ。
終わってみれば奇しくも昨日の戦いを勝敗を変えて焼き直したような結果と言えた。
ただ違うのはイサロ王子軍には追撃の余力が無かった点であろうか。
イサロ王子自身は追撃を望んだようだが、昨夜からずっと働き通しの兵達はもう限界だったのだ。
指揮官不在になっても抵抗を続けたドルド軍に比べると、イサロ王子軍は人数こそ多くともその士気は明らかに劣っていたと言える。
これはドルド軍がロヴァッティ伯爵家の軍で、末端の騎士に至るまで忠誠心が高かったのと異なり、イサロ王子軍は王家を中心とした複数の貴族家の連合軍だったためである。
結局、王子軍は少しだけ軍を戻し、昨日の野営地で負傷者の治療をしながら一泊する事にした。
翌日、行軍を始めたイサロ王子軍は、今度こそ敵の邪魔も入らず、途中で一泊した後に無事に自国に戻る事に成功するのだった。
さて、今回の戦はどちらに軍配が上がったのだろうか?
初戦に勝って寡兵ながら敵軍を退ける事に成功したロヴァッティ伯爵軍か、それとも最終的な勝利を手にしたイサロ王子軍か。
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ルベリオは着慣れない装備がどうにも落ち着かないようだ。
さっきからしきりにあちこちいじっては行軍に遅れそうになっている。
彼がいるのはいつもの輜重部隊ではない。王子に仕える従者の列の中である。
周囲から注がれる敵対的な視線も、彼が落ち着かない原因となっている事は間違いないだろう。
ルベリオはイサロ王子の鶴の一声で、従者の一員として行動を共にすることになった。
王子が「信賞必罰は支配者に課せられた義務だ。国に戻ったらお前には正式に褒美を取らせる」と言って、同行を命じたからだ。
褒美というのはもちろん、例の作戦に対しての褒美だ。
対外的にはあれはイサロ王子が考えた事になっている。
もしも村の少年の頭から出た作戦と知れば誰が従うだろうか? それどころか王子の正気を疑ったに違いない。
あのタイミングで彼らを説得するような無駄な時間は無かった。
遅滞なく作戦に取り掛かるにはルベリオの存在を伏せるしかなかったのである。
そういった訳で周囲には、ルベリオの抜擢は王子の気まぐれ、という事になっている。
王子が歳の近い話し相手を求めた。そんな時にたまたまルベリオが目に留まった。彼らはそう納得したようだ。
ルベリオの見た目が中性的な可愛らしい少年なのも良かったのかもしれない。
つまりは、稚児なのではないかと邪推されたのだ。
下衆の勘繰りだが、角が立たないならそれでも良い、と王子は特に否定はしなかった。
男色も珍しくない世界なのである。
夜。王子は天幕にルベリオを呼んだ。
「ルベリオ。お前明日、村に戻ったらどうするつもりだ?」
流石に王子も今ではルベリオの名前を覚えていた。
ルベリオは王子の質問の意図が分からなかった。
「お爺さんとお婆さんの家に帰りますが?」
「俺と一緒に来る気はないか?」
予想外の話にルベリオは一瞬何を言われたのか理解出来ずにいた。
「お前は学の無い村人で将来を終えるのは惜しいと俺は考えている。今でもあれ程の献策が出来るのだ。きちんとした学問を納めれば、きっとひとかどの人物になるに違いない」
「ま・・・待って下さい! そんな、殿下の買い被り過ぎです!」
王子の褒め殺しに真っ赤になってわちゃわちゃと手を振るルベリオ。
周囲が王子との関係を疑うのも分かる可愛さである。
「お爺さんとお婆さんを残しては行けませんし」
「それなら二人も連れて行けばいい。生活なら心配するな。年寄り二人とお前一人くらい俺がどうとでもしてやる」
「後、それに・・・その・・・もう一人」
ルベリオは耳まで真っ赤になりながらも、声は次第に小さくなっていった。
「なんだ女か?」
「!!」
「本当に女なのか! ・・・冗談のつもりだったんだがな」
王子は呆れ顔になった。
ルベリオは真っ赤になって俯いてしまい、もう顔も上げられない。
「何だ、村の娘か? 俺も見ている女なのか? 名前は何と言う?」
「で・・・殿下が知っているかは分かりません。その、ベラナと言います。僕の家の近所の子で・・・」
「そうか。で? 将来を誓い合っているのか? まさかもう子供を作っているのか?」
「子供なんて?! まだその、いえ、あの、キス・・・しただけです」
王子は面白い遊びを発見した顔になった。
ほうほうなるほど、と好奇心に満ちた視線を遠慮なくルベリオに注いだ。
「キスしたか。いつどこでだ?」
「その、この戦に出る前の日に。必ず帰って来てと言われて」
「ほう。ならその時にベラナと将来を誓い合ったのだな?」
「そ・・・そんな! で、でも、いずれはそうなるのかなって・・・」
タチの悪い先輩に運悪く捕まった後輩のような会話は、夜も更けて王子が満足するまで続けられるのだった。
翌日。イサロ王子軍はルベリオの住むグジ村に帰って来た。
男達の無事な帰宅を喜ぶ村人達。そんな中、ルベリオは目の前の光景が理解出来ずにいた。
「ベラナ・・・その・・・どういう事?」
「ごめんなさいルベリオ」
ベラナは村長の息子、ロックと二人でルベリオを出迎えに来ていた。
ロックは骨でも折ったのか、足に添え木をしている。しかしまあそれはいい。
ルベリオが理解出来なかったのは、そんなロックをベラナがかいがいしく支えているようにしか見えない点である。
村長のホセは彼らの後ろで申し訳なさそうな顔でルベリオを見ている。
「何があったのか聞いていい?」
「うん、あのね・・・」
どうやらルベリオ達、村の男達がイサロ王子軍に付いて行った翌日、屋根の上で遊んでいたロックは足を滑らせて地面に落ちたんだそうだ。
たまたま見つけたベラナがホセを呼びに走り、彼は父親の手で治療を受けた。
痛みに泣きべそをかくロック。
何となく乗り掛かった舟で、その後もベラナはロックの世話を続けた。
ルベリオがいなくて時間を持て余していたというのもあった。
こうして毎日足しげく通って世話を焼くうちに、ベラナはロックを放っておけなくなってしまったのである。
「え・・・? 何それ」
「本当にごめんなさい。ルベリオならきっと私よりも良い女性が見つかるはずよ」
どうやらベラナの中ではルベリオとの関係はすっかり過去のものになっているようだ。
「行きましょうロック。あまり立っているとケガにさわるわ」
「あ・・・ああ」
ロックは申し訳なさそうにルベリオに振り返ったが、ベラナはそれ以上何も言わずにロックを支えて去ってしまった。
「キス・・・までしたのに。何で・・・」
わが身に降りかかった出来事が信じられずに、呆然と立ち尽くすルベリオ。
ルベリオは何一つ悪くない。付き合う相手が悪かったのだ。
馬上から今の話を聞いていたイサロ王子は、あまりに気の毒過ぎて、ルベリオにどう声をかけて良いか分からなかった。
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ルベリオの帰還から少し先の話。
ここは隣国ヒッテル王国のロヴァッティ伯爵の屋敷の一室。
鎧戸が閉められた薄暗い一室で、一人の怪我人がベッドで苦痛に悶えていた。
「はあ・・・はあ・・・はあ・・・ 誰か・・・ 誰かいないか!」
男の声に応じる者はいない。
かつては使用人に対して寛大だった男だが、今はケガの痛みにすっかり気性が荒くなり、誰彼構わず当たり散らすようになっていた。
屋敷の当主も怯える使用人達に無理に彼の世話をさせる訳にもいかず、この部屋には誰も近付かなくなっていた。
男はベッドから転がり落ちると床に拳を叩きつけた。
それだけでは苛立ちが収まらないのか、手近なイスを持ち上げると窓に投げつけた。
大きな音がして鎧戸が破損すると、外の光が部屋に差し込む。
部屋の中はまるで暴徒に荒らされた後のようだ。
高価な家具が壊れるままに打ち捨てられている。
全てこの男がやった事だ。
明かりが男の顔を照らす。
まるで彫像のような彫りの深い凛々しい横顔だ。ボサボサの赤毛も伸び放題の無精ひげも、彼の野性味あふれる男らしさを引き立てこそすれ損なう事は無い。
だが、目は黄色く濁り、目の下は黒々と大きなクマが出来ている。
そして異様なのは男の顔の左半分だ。
漆喰のようなもので隙間なく塗り固められているのだ。
遠目にはまるでむき出しのドクロのようにも、作りかけの人形の頭部のようにも見えた。
男はロヴァッティ伯爵家長男ドルド。
アマーティの戦いでクロ子の魔法攻撃を顔面に受けた彼は、死んでいなかったのである。
それは本当に偶然だった。
あの時ドルドは飛び込んで来た走竜が、手に何か黒い塊を抱えている事に気が付いた。
その一瞬、ふと疑問を覚えた彼はそれが何かと注視した。
そのため、クロ子の眼が自分をジッと見ている事も、そして明らかに殺意を抱いている事にも気が付いたのである。
攻撃が来る。
それは鍛えられた武人としてのカンだった。
ドルドは咄嗟に馬の手綱を引いた。この行動が彼の生死を分けた。
正にその瞬間にクロ子の魔法が発動。不可視の弾丸が飛び、彼の顔面に灼熱の痛みが走った。
クロ子の攻撃は彼の顔を掠めて兜に当たって炸裂。顔の左半分に大きなケガを負わせたが、その命を奪うまでには至らなかった。
痛みと衝撃に落馬するドルド。
気が付いた時には側近に背負われて馬に揺られていた。
どうやら落馬のショックで気を失っていたらしい。
俺はまだ生きているのか?
ぼんやりとそんな事を考えたのを覚えている。
ズキズキと頭の奥に針を刺されたような痛みと耐え難い顔面の熱に、ドルドは再び意識を手放すのだった。
クロ子の攻撃は彼の顔の左半分を吹き飛ばし、二目と見られない顔に変えていた。
負傷の範囲は顔の上顎より上の左半分。正面から耳の後ろにかけて。
左の視力と聴力は完全に失われている。
頬骨はえぐられたように消滅し、落ち込んだ眼窩から眼球はこぼれ落ち、あの混乱の中、どこかに失われていた。
ひょっとしたら脳にも何か障害が残っているのかもしれないが、医療技術の未熟なこの世界ではそこまでは分からなかった。
ハンサムで整ったドルドの顔は、今や作りかけで投げ出された出来損ないの彫刻のようになっている。
残された右目には憎悪が宿り、寝ている時ですら絶えることのない痛みに、かつては聡明だった思考は濁り、常に神経はささくれ立っていた。
「サンキーニ王国め・・・この恨みは絶対に忘れん。そして、俺をこんな目に会わせたあの黒豚。ヤツだけはどんなことをしても必ず見つけ出して殺してやる!」
ドルドは自分をこんな目に会わせたのがあの時の黒豚――クロ子だと確信していた。
彼の歪んだ精神は、今はただ復讐のみを求めるのであった。




