その242 メス豚と潜入作戦
予告とタイトルを変更しました。
開いたままの屋敷の窓から、大きな黒い影が音もなくフワリと降り立った。
全身をスッポリと覆った黒いマント。チラリと見える顔には木彫りのマスク。
クロコパトラ女王の”影”――という設定の私の第二の変装、月影である。
『到着。クロ子』
『大丈夫? 入る所を屋敷の人間に見られなかった?』
黒マントは頷くように上下に揺れた。
『なぜそこで煽るし』
『意味不明』
いや、オンラインゲーム界隈では、死体の前での屈伸運動は煽り行為なんだよ。私もやられて思わずコントローラーを投げた記憶があるわ。
そう。我々の前には死体が転がっている。
私が窒息死させた騎士の死体だ。
いやあ、久しぶりに使ったけど、やっぱり酸素飽和度の魔法はエグイ。
酸素飽和度は、一定範囲内の空気中の酸素濃度を下げる効果を持つ魔法である。
通常、大気中の酸素濃度は21%。
これが16%を切ると、人間は頭痛、めまい、吐き気を覚える。
そして6%を切ると瞬時に昏倒し、じきに死亡すると言われている。
私は屋根の上からコッソリ酸素飽和度の魔法を使った。
酸素飽和度はその原理上、対象が動いていたり、大気が流れている――風が吹いている場合は役に立たない。
要は開けた場所――例えば戦場なんかでは使えないのだが、今回のような狭い場所では効果てきめんである。
案の定、見張りの騎士は即座に昏倒。私は悠々と屋敷に潜入する事に成功したのであった。
その時、黒マントの裾が持ち上がった。
中身の無いがらんどうの内側がむき出しになる。
『クロ子、周囲を警戒。人間の反応あり』
『! 分かった』
私にも聞こえた。誰かが階段を登って来る音だ。
どうやら見張りの様子がおかしい事に気付いた者がいたらしい。不審に思って様子を見に来たようだ。
私は素早く黒マントの中に飛び込んだ。
人機一体! 今ここに子豚と水母が一つとなりて、クロコパトラ女王の”影”、月影誕生! その者、闇より生まれ闇へと消える運命なり。
ガチャリ。
鎧の擦れる音と共に、廊下に男の影が現れた。
先手必勝。
【酸素飽和度(CV:杉田〇和)】
ゴトリッ!
男は姿を現した途端に、顔面から床に倒れ込んだ。痛そう。
倒れた男をまたいで廊下に出て周囲を確認すると、階段の下、一階で何やら人の声がする。
しばらく様子をうかがっていると、じきに声は聞こえなくなった。
どうやら二階の異常に気付いたのは、死んだこの男だけだったようだ。
『判断を求む』
【多分、まだバレていないと思う。だったらこのまま潜入作戦続行で】
『了解』
何せ敵はまだ十人以上もいるのだ。
奇襲からのステルス・キルで可能な限り敵の数を減らす。
私は一陣の黒い風となって二階の廊下を駆け出した。
私はヒラリ。階段の上から一階に飛び降りた。
どうやら屋敷の一階の窓は全て塞がれているらしく、廊下は濃密な闇に包まれていた。
厄介な。と思わないでもないが、条件は相手も同じ。
むしろ同士討ちを避けなければならない分だけ、相手の方が不利とも言えるのではないだろうか?
それよりも気になるのはこの匂い。
酸っぱいようなおしっこのような、ウンチのような臭い匂い。
前世では馴染みのない、しかし、今生では嗅いだ覚えのあるこの匂い。
間違いない。
これは腐った肉の――腐敗した死体から漂って来る匂いだ。
【魔視】
私を中心に目には見えない魔力の波が広がった。
一階の廊下は予想外に荒れているようだ。あちこちに廃材が積み上げられ、所々に穴が開いているのが分かった。
匂いの元はすぐ近くの部屋だ。
幸いドアは壊れていた。
どうする? 迂闊に動けば物音が立ってしまいそうだ。
【ねえ水母。私をあの部屋まで運べる?】
『問題無し』
黒マントの中、水母の体から触手が伸びて、私の胴体にスルリと巻きついた。
こ、これっていわゆる触手プレイ?!
私、淫獣に凌辱されちゃう?!
『淫獣、否定、水母。悪乗り禁止』
ちょ、誰が興奮なんかしとるかい。ちょっとふざけただけだわい。
ちなみに水母の名誉のために言っておくと、彼の触手の感触はすべすべで柔らかで、淫靡な感じは微塵もしなかった。だから私が変な性癖に目覚める事は無かった。無かったったら無かった。
おおっ。
フワリと体が浮き上がる感覚。私の体は滑るように音もなく廊下を進み始めた。
なんだろうこの不思議な感じ。ちょっと癖になりそう。
『再度警告、悪乗り禁止』
『興奮なんてしとらんっての』
荒れ放題の廊下もなんのその。
水母は私を件の部屋まで運んでくれたのだった。
【発光 】
私は魔法で小さな明かりを灯した。
部屋の広さは十畳程。元は屋敷の応接室か何かだったのだろうか? 調度品の類は持ち出されていて何一つ残っていない。
大きな窓は木の板で塞がれ、壁紙はすだれ状に破れて見苦しく垂れ下がっている。
部屋の真ん中には大きな穴が開き、底には黒々とした地面が覗いている。
天井に大きなシミがあるし、多分、雨漏りが原因で床板が腐って抜けたんじゃないだろうか。
【匂いはあの穴からしている――か。イヤな予感しかしないわね。水母、ちょっと待ってて】
私は黒マントの中から飛び出すと、穴の中に降り立った。
濃厚に漂う臭気。私は地面に鼻面を突っ込んで掘り返した。
幸い、地面は柔らかかった。――と言うよりも、ここまでくればイヤでも分かる。
そう。一度誰かがここの地面を掘り起こして、腐敗臭の元となる何かを埋めたのだ。
そいつはさほど深くは埋めてはいなかったらしい。私は直ぐにそれを掘り当てた。
『やっぱり人間の死体。それも一人じゃないわ』
私の予想通り。そこに埋まっていたのは人間の死体だった。
まだ殺されてからそれほど時間が経っていないのか、死体は原型を保っていた。
『いや、違うか。土の中に埋められていたおかげで鮮度が保たれていたのね。確かカスパーの公式とか言うんだっけ?』
カスパーの公式とは法医学(※犯罪捜査なんかで必要とされる医学)の言葉で、死体の腐敗が進む速度の目安となる公式である。
昔はカスペルの法則とも言っていたらしいので、そっちで聞き覚えのある人もいるかもしれない。
確か、空気中が1に対して、水中が2、地中が8、という数字だったと思う。
勿論、これはあくまでも目安で、気温や湿度、水温が変われば数値も変わって来るそうだ。
要はあれだ。土の中は外よりもずっと死体が腐り難いのである。
なんだか曖昧だって? 私だってドラマで見ただけだから詳しくは知らないんだっての。
死体を埋めた人間の目的が、死体の保存とは考えられない。
十中八九、殺人の証拠隠滅である事は間違いないだろう。
『水母。この死体について何か分かる?』
『検死開始――異状死体。胸部に刺創。頭部に殴打の痕跡・・・』
死体の数は二。もっと深く掘れば更に見つかるかもしれない。というか、匂いから考えると多分出て来ると思う。
どちらもまだ若い成人男性。
服はよくある肌着で、本人の素性や彼らの仕事を特定できる品は見付かっていない。
体格は良く、体も鍛えられている事から、騎士団員だった可能性もある。いや。状況的にそれ以外は考え辛いか。
胸に刺された大きな傷跡がある事から、何者かによって剣で刺されて死んだと考えられる。
体のあちこちに暴行を受けた跡もあるので、犯人と取っ組み合いのケンカの末に刺殺されたのかもしれない。
『組織内での仲間割れ、とか?』
『可能性アリ』
マジか。
私はここまでに、相手組織の騎士団員と思わしき男を二人殺している。
正直、「やりすぎかな」とも思っていたのだが、相手を穏便に無力化するような魔法を知らないので仕方がなかったのだ。
しかし、まさか相手は仲間を殺し、その死体を埋めて隠ぺいするようなヤツらだったとは。
どうやら敵は私の想像以上にヤバいヤツらだったらしい。
『相手は余程のサイコパスか、あるいは――』
あるいは騎士団団長すら手先の一人。この一件の背後には、更なる大物が潜んでいる――か。
Oh。なんてこったい。
『全く。どうして私はいつもいつも。今回は簡単な仕事でボロ儲けだと思っていたのに』
どうやら、報酬の装備品に釣られて今回の一件に手を出したら、蛇の尻尾だと思って踏んだのが竜の尻尾だった。そんな可能性が出て来たようだ。
私はドン・バルトナのヤクザまがいの強面を思い出した。
まさかアイツ。最初からこれを知ってて私を巻き込んだんじゃないだろうな?
十分にあり得る話だ。王都中に手下がいるみたいだし。
『くそっ。ここで抜ける――って訳にはいかんよなあ。もう二人殺してるし。あーあ。まんまとしてやられたわ』
こうなれば覚悟を決めるしかない。
毒を食らわば皿まで。
ヤツらを捕えて情報を吐かせ、黒幕までたどり着く。
『そのためには屋敷内の敵を制圧しないとね。行くわよ水母!』
『了解』
私は黒マントの中にイン。
再び月影の姿になると、死臭漂う部屋を後にしたのだった。
次回「メス豚vs王都騎士団」




