その234 メス豚と大商会からの手紙
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黒マントこと月影は、オスティーニ商会の屋敷を出ると、タタッ。
軽やかに建物を蹴りあがり、ヒラリと屋根の上に登った。
「おおーっ!」
屋敷の者達が驚きの声を上げる中、月影は屋根から屋根に飛び移った。
その重力を感じさせない華麗な動きに、彼らの目は釘付けになった。
こうして小さな黒い影は、あっという間に王都の闇に消え去ったのであった。
信じられない光景を目の当たりにして、屋敷の者達はしばし呆けたようになっていた。
やがて小学生くらいの男の子が――商会の跡継ぎブラッドの息子バジリオが、興奮に頬を染めながら母親の手を引っ張った。
「スゴイ! 今のはどうやったんだろう?! 彼は背中に羽でも生えているんでしょうか?!」
「か・・・カッコイイ」
バジリオの姉――アンネッタは熱に浮かされたような顔で、月影が去った屋根の上を見上げていた。
頬にキズのある大男が――寄せ場の総元締め、ドン・バルトナが、唸り声を上げた。
「おいおい、ウソだろう? 俺達は一体何を見せられたんだ? 何かのトリックじゃねえよな? まさか、亜人ってヤツらは、みんなあんなことが出来るのか?」
ドン・バルトナの言葉に、周囲の者達がハッと顔を見合わせた。
月影は亜人の守護者たるクロコパトラ女王の”影”を名乗っていた。
ならば月影自身が亜人である可能性は大いにある。
マントで全身を隠していたのも、人間の町で亜人の正体を隠すため、と考えれば辻褄も合う。
目付きの鋭い白髭の老人が――オスティーニ商会商会主、ロバロ・オスティーニが――ドン・バルトナに尋ねた。
「お前の部下に亜人か、亜人の知り合いはおらんのか?」
「おいおい、人聞きの悪い事を言わないでくれ。ウチは真っ当な商売だ。亜人なんている訳ねえよ。それよりアンタの所はどうなんだ? なにせ天下のオスティーニ商会だ。焦げ付いた借金の抵当に亜人の奴隷を差し押さえた事とかねえのか?」
「無いのぅ。――なんじゃその目は。本当にないわい。この王都では亜人の奴隷はかなり珍しいからの」
亜人は迫害を受けている事もあって全体的に数が少ない。
繁殖力が低い(※人間なので当たり前なのだが)のも、数が増えない理由である。
「もし、亜人の奴隷を抱えている者がいても、金に困れば金策のために真っ先に売り払われておるわい」
「父さん。あの噂――メラサニ山の亜人が大モルト軍の部隊を撃退したという話ですが。もし、亜人の戦士が皆、月影殿のような力を持っているのなら、ひょっとして・・・」
「むっ。なるほど。てっきり眉唾だと思っていたが、信ぴょう性が増したか」
大混乱のサンキーニ王国内では、虚実入り混じった情報が、日々乱れ飛んでいた。
半月程前、大モルト軍の一部隊がメラサニ山の亜人を討伐に向かい、返り討ちに遭ったという噂もその一つだ。
良くある願望交じりの噂話だと思っていたが、月影の身のこなし、そして戦闘力を知った今、あながちあり得ない話ではないと思われた。
「マジかよ。そんな事があったなんて初めて聞いたぜ」
「あくまでも噂だ。――と思っておったがな」
ドン・バルトナはいかつい顔に、凄みのある笑みを浮かべた。
「さっきは冗談で誘ったが、コイツはマジで部下に欲しくなっちまったぜ」
彼の顔に怯えたオスティーニ家の子供達が、母親と父親にしがみついた。
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てなわけで翌日。
私は豪華な寝室の床でゴロリと寝返りをうった。
結局、昨夜はあの後、散策もそこそこに屋敷に戻って来た。
色々とあったせいで、のんきに散歩をする気分になれなかったのだ。
『あー、これってやっぱ、みんなにも事情を説明しとかないとマズイよねぇ』
『常考』
クロ子美女ボディーを調整中のピンククラゲが投げやりに返事をした。
『いつまでも旗をマント代わりに使っている訳にもいかないし、月影の件も口裏も合わせておかないといけないよね』
『常考』
『・・・ちょっと水母。ちゃんと聞いている?』
水母は作業の手を(触手を?)止めると、面倒臭そうに振り返った。
『クロ子からの要請を受諾。同時並行機能の自己診断中・・・。問題は見つからず。報告完了』
『そういう意味じゃなくってさあ。気持ち的な問題の訳よ』
私のだる絡みを、水母は理路整然と切り捨てた。
いやいや、ちゃうねん。私はそんな言葉が聞きたい訳じゃないねん。共感して欲しいだけやねん。分からないかなあ、この感じ。
めんどくさいヤツだって? まあ、自分でも自覚はある。
まるで倦怠期の主婦みたいな事やってるな~、とか思ってる。
コンコンコン。
ノックの音と共にドアが開かれた。
『ちょ。返事を待たないならノックの意味はないんじゃない?』
「いや、お前、たまに聞こえてないフリして返事をしないだろ」
部屋に入って来たのは小柄な亜人の青年――クロコパトラ歩兵中隊の副官ウンタだった。
なるほど正論だ。確かに私はたまにやってるかも。
『それでも待つのがマナーってもんじゃない?』
「どうしたんだクロ子? 今朝はやけに絡むじゃないか」
ウンタは不思議そうな顔をした。
どうやらさっきまで水母にだる絡みしていた気分が、まだ残っていたようだ。
『それより何? ご飯の支度が出来たから呼びに来たとか?』
「違う。ハンスが手紙を持って飛び込んで来たんだ。下で待たせているがどうする? 手紙だけ取り上げて返してもいいが、お前、文字が読めるか?」
取り上げるってアンタね。
ちなみに亜人の識字率は驚くなかれ。驚異のゼロパーセントである。
転生者のパイセンですら、こっちの世界の文字は知らないと言っていた。前世では母国フランス語と英語、それに日本語のトリリンガルだったパイセンが、である。
私? 私も読めないけど何か? 私には頼れる仲間、水母先生が付いているから問題ないし。
先生は魔法科学文明が作り上げたスーパーコンピューター。ショタ坊の持っていた本からこの国の文字を解読、自由に読み書き出来るようになった高性能マシーンである。
先生が言うには、前文明で使われていた文字と基本的には変わりはないそうだ。
『じゃあ、ハンスから手紙を取り上げといて。後で読んどくから(水母が)。必要なら――』
『否定』
私の言葉は水母に遮られた。
『確認が必要。ハンスに読んで貰いたい』
『ええ~っ。それって私が義体に入らないとダメなヤツじゃん。面倒なんだけど』
『懇願』
・・・水母がここまで強く言うのも珍しい。てか、昨夜、勝手に私を置いて行った事といい、このところの水母はちょっと様子がおかしいんじゃないか?
――まあいいか。
『りょーかい。すぐに行くから、ウンタは車イスの準備よろしく』
「ああ、分かった」
ウンタはすぐに部屋を出て行った。
どれ、私は義体の中に入っとくかな。
数分後。ウンタが車イスを押して部屋に入って来た。
屋敷の応接室。だんご鼻の中年男性が緊張で顔をこわばらせながら座っていた。
彼は私達亜人のお世話係を言いつけられているハンスだ。
私が車イスに乗って部屋に入ると、ハンスははじかれたように立ち上がり、直立不動になった。
そんなにかしこまらなくていいのに。ここはあんたの主人の屋敷――自分の職場なんだからさ。
「クロコパトラ女王陛下におかれましては――」
「挨拶は結構。手紙を持って来たと聞いたが?」
ハンスは「はっ! これを!」と瀟洒な便箋を差し出した。
赤い蜜蝋は割れている。封は切られているようだ。
私の視線を察したのだろう。ハンスは慌てて弁明した。
「手紙はボルケッティ商会宛てでしたので、こちらで中身を確認しております」
「デアルカ。して、そちら宛ての手紙をなぜ妾に?」
「それは――オスティーニ商会のブラッド様から陛下への目通りを願う手紙でしたので」
オスティーニ商会のブラッド。その名前は良く覚えていないけど、タイミング的に考えて金持ち親子のパパ以外にはあり得ないだろう。
『正解』
私の膝の上で水母がフルリと震えた。
なるほど。金持ちパパは王都有数の金融業――つまり現代日本で言えば大銀行の頭取の息子だ。
ボルケッティ商会的には、いわば取引先の銀行から口利きを頼まれた事になる。ハンスが緊張しているのも無理はないだろう。
「よい。ここでその手紙を読んでみせよ」
「は、はい!」
ハンスは慌てて手紙を取り出すと読み始めた。
先ずはオスティーニ商会からボルケッティ商会への挨拶。次いでそちらの屋敷に宿泊している亜人の女王、クロコパトラの部下と面識を得る機会が会った事。その際にお世話になったため、お礼を持って伺いたいとの事。女王への取り次ぎをよろしくお願いしたい、との事。
「――以上でございます」
『確認希望』
「左様か。その手紙をこちらに」
私は手紙を受け取ると、読むふりをして水母に確認して貰った。
『予想通り』
予想通りって何が?
水母は何やら一人で勝手に納得している様子だ。気にはなるが、目の前にハンスがいるから今は尋ねられない。
ハンスは食い入るような目で私を見ている。
なにせこの手紙をよこした相手は取引先の大銀行だ。彼の上司からは「何としてでも会談の約束を取り付けろ!」とか言われているんだろう。
・・・一瞬、「会いたくない」と言ってみたくなったんだけど、どうしよう?
いや、ないか。今でも倒れそうな顔をしているし。もし、断られたショックで彼が心臓麻痺でも起こしたら、これからの一生(畜生?)を、罪悪感を背負ったまま生きて行かなければならなくなる。
「月影から話は聞いておる。すぐにでも会おう。具体的にいつが良いかは後でそちらに知らせるゆえ、今は下がって良いぞ。ご苦労であった」
「はっ! ははーっ!」
月影という名前に、ウンタが「ん? 誰だそれ?」とでも言いたげな表情を浮かべた。
ハンスは死にそうな顔から一転、軽やかな足取りで部屋を後にした。
彼を屋敷の外まで見送ると、ウンタはクロコパトラ歩兵中隊の隊員達を引き連れて部屋に戻って来た。
全員の視線が私に集まる。
「それでクロ子。俺達に事情を聞かせてくれるんだろうな?」
イヤン。そんな目で見ちゃ。
次回「ジェルマンの野望」




