その233 メス豚、感謝される
『どうしてこうなったし・・・』
金持ち親子の豪邸の一室。
私はテーブルの下で一人、不安を抱えていた。
これも全て水母のせいだ。あいつが私を残して勝手にどこかに行ってしまうから。
戻って来たら絶対にただじゃおかない。
ギッタンギッタンのボッコボコにしてやるんだから。
カチャリ・・・
ドアが小さな音を立てた。
私の心臓がドキリと跳ね上がる。
小さな隙間が開くと、スルリ。音もなく半透明の丸い塊が――水母が入って来た。
『ああーん、水母。待ってたよーん』
私は喜びに鼻をブヒブヒ鳴らしながら駆け寄った。
許さないんじゃないのかって? 細けえこたぁいいんだよ。
『邪魔』
『ああん』
水母はヒラリと身を躱した。私はバランスを崩してすっ転がる。
う~ん、無様。
毛足の長い高級絨毯が、私の子豚ボディーを柔らかく受け止めてくれた。
水母は床に落ちた黒い布を見つけると、素早く身にまとった。
『クロ子、大至急』
『どうしたってのよ水母』
私は水母に文句を言いながらもダッシュ。素早く黒マントの下に潜り込んだ。
おお。まるで実家のような安心感。私が求めていたのはコレだよ。コレ。
次の瞬間、廊下から人の話し声が聞こえた。
「ブラッドか。バジリオ、歩いても大丈夫なのか?」
「父さん、そちらの人は?」
「こやつはバルトナだ。前に話した事があるだろう。王都の寄せ場の総元締めだ」
「お初にお目にかかります。俺はバルトナ。ロバロ様にはいつも懇意にして頂いております」
「お前がドン・バルトナか。名前は聞いている」
私は慌てて水母に確認した。
『水母。まさかあんた、誰かに見付かって逃げて来たなんて事は無いわよね?』
『問題無し』
そう? だったらいいんだけど・・・。
それはそうと、こっちは生きた心地がしなかったんだけど。
二度とこんな勝手な事はしないでよね。
『情報を得るためには必要だった。報告は後回し。要警戒』
水母の警告が終わると同時に、ドアがノックされた。
【ヒソヒソ(あ、あー、あー。よし!)――どうぞ】
私はすっかりお馴染みのイケメンボイスで返事を返した。
ドアが開くとそこには昨夜の金持ち親子が。その後ろに、さっき裏口で出会った白髭の老人と、頬にキズのあるゴツイおっさんの二人が立っていた。
彼らはぞろぞろと部屋に入って来た。
てか、人数多くね? 広い部屋が一気に狭くなったわ。
どうやら今まで時間がかかっていたのは、男の子を――弟くんを着替えさせていたからのようだ。
弟くんは歩くだけでもあばらの骨折が痛むのか、グッと歯を食いしばっている。
何とも痛々しい姿だが、彼は家族に心配させないように気丈に振る舞っている。
金持ちパパが不思議そうな顔で私を見つめた。
「ソファーに座ってくれて構わないが」
【いや、このままでいい。それより急いでいる。礼なら手早く済ませてくれ】
金持ちパパは少し困った様子を見せたが、恩人にとやかく言うのもどうかと思ったのだろう。
このまま話を続ける事にしたようだ。
「そ、そうか? 昨夜は私達を助けてくれてありがとう。私はブラッド。こっちは妻のベルタと子供達、アンネッタとパジリオだ。私はこの王都で金融の商会を営んでいる。――それでその、あなたの事は何と呼べばいいのだろうか?」
私に好奇の視線が集まるのを感じた。
実はこの質問に対する答えは既に決めている。
【――好きに呼べばいい。俺に名は無いからな】
「名前が無い?」
老人とゴツイおっさんの目が険しくなった。
怪しいヤツだとでも思ったのだろう。いや、人の話は最後まで聞こうぜ。
【俺は亜人の守護者クロコパトラ女王に仕える”影”だ。影には名などない】
「亜人――確かボルケッティ商会の屋敷に、亜人の一団が宿泊していると噂になっていたが・・・。すると昨夜あなたは女王陛下の命令を受け、何かの任務についていたと。その最中に我々の窮状を見かね、救ってくれた。そういう事でいいのかな?」
そーね。それでいいんじゃね?
私がイメージしたのは、先日戦った大モルト軍の”五つ刃”の一人。あのやたらと手強かった忍者野郎だ。
あんな「いかにも忍者」然としたヤツがいる以上、この世界にも忍者的な存在はいるはずだ。
なら、黒マントの設定もそれでいこう。
姿も顔も分からない、正体不明の謎の忍者・黒マント。おおっ、イカス。
【好きなように考えて貰って結構だ】
「あなたのような存在が他にもこの王都に入っているのか? ――あ、いや、失礼。詮索するつもりではなかったんだ」
ブラッドパパは奥さんに袖を引っ張られて、慌てて謝った。
申し訳なさそうにするブラッドに対し、白髭の老人とゴツイおっさんは、一言も聞き逃すまいと目をギラギラと輝かせている。
なんなのお前ら。がっつき過ぎて怖いわ。そうでなくても素で顔が怖いんだからさ。
奥さんが一歩前に出ると頭を下げた。
「昨夜はどうもありがとうございました。今夜は急な事で何も準備出来ていませんが、次はこちらから女王陛下の下にお礼を持ってうかがわせて頂きますわ」
【そ、そうか。そうなのか?】
ええっ? ウチに来るの? いや、マジで?
みんなに私がこっそり夜ウォーキングしてたのがバレちゃうんだけど。困ったなコレ。
弟くんがペコリと頭を下げた。
「私達家族の命を救ってくれた事、感謝致します。――ええと、影? 黒マント? 殿」
頭を下げた時、襟元からチラリと白い包帯が見えた。
痛みをこらえて恩人にお礼を言いに来るなんて、随分としっかりした子供だ。
そんな弟の手をお姉ちゃんが握った。
「ありがとうございます。黒マント様。――あの、お名前が無いのでしたら、私が付けてもよろしいでしょうか?」
「おい、アンネッタ!」
ブラッドパパが慌てて娘を止めた。
拾った犬猫じゃないんだから。とでも思ったのだろう。
正直私も、「それはどうよ」と思わないでもなかったが、最初に「好きに呼べ」と言った手前、今更断るのも変な話だ。
私はドキドキしながらお姉ちゃんの言葉を待った。
「昨夜は美しい月明かりの夜でした。それに女王陛下の”影”であるとの事。月影という名はいかがでしょうか?」
ほう。月影。
いいんじゃない? 忍者っぽい感じもするし。
私は予想以上のお姉ちゃんのネーミングセンスに、思わず感心してしまった。
【月影か。分かった。これから俺は月影と名乗ろう】
「! 気に入ってくれたんですか?! 良かった!」
お姉ちゃんは可愛らしく手を合わせて喜んだ。
――どうやらお姉ちゃんと私は、センスと言うか趣味が合いそうだ。いつかじっくり話をしてみたいものである。
ブラッドパパは苦笑しながら私に振り返った。
「月影殿はお急ぎの用事があるとの事。長く引き留めてはご迷惑でしょう。先程妻が言ったように、後日、こちらからうかがわせて頂きます。女王陛下へのお取次ぎをお願いしてもよろしいでしょうか?」
【承知したで――コホン。承知した。ではこれで】
危うく「承知したでござる」と言いそうになってしまったわい。忍者っぽい名前を付けて貰った事でテンションが上がってしまったようだ。
それはさておき、最初に心配していたよりも和やかムードで終わって良かった。
私は部屋を出ようと足を踏み出した。
「おっと、お待ちを」
そんな私をゴツイおっさんが引き留めた。
「おっと、お待ちを。月影殿。俺にも挨拶をさせてくれませんかね」
私はおっさんに振り返った。
大柄な男だ。いかつい顔に頬にキズ。太い指には宝石の入った高価そうな指輪がいくつも光っている。
どう見てもカタギには見えない。「反社会的勢力の組長」ないしは「組の若頭」といった感じだ。
前世なら道で出会ったら、即座に回れ右していた事だろう。
【・・・手短に頼む】
「そんなに警戒しないで貰えませんか? これでもそちらのご老人、オスティーニ商会の商会主ロバロ様には懇意にして頂いているんですぜ」
「いいから早く言え」
自分を引き合いに出された白髭の老人――ロバロ老人がイヤそうに顔をしかめた。
「おっと、失敬。俺の名はバルトナ。ドン・バルトナって名前の方が、この王都では通りはいいでしょうな。寄せ場の総元締めのような事をやらせて貰っております」
ドン・バルトナ。何だろう、聞いた事があるような、ないような・・・。
あっ。私をこの屋敷まで案内した男達。彼らのボスが確かドン・バルトナという名前だった――ような気がする。うろ覚えだけど。
『正解』
水母がコッソリ教えてくれた。
「ん? 今のは何の音だ? ま、どうでもいいか。なあ月影殿。あんたかなりの凄腕なんだって?」
ドン・バルトナはニヤリと凄みのある笑みを浮かべた。
怖いから。お姉ちゃんとか泣き出しそうになってるから。
「ウチじゃいつでも腕っぷしの強いヤツが不足しているんだ。そちらの女王陛下の仕事に空きが出来た時でいい。もし都合が付けば俺の仕事を何か手伝っちゃくれないか?」
ドン・バルトナの申し出にブラッドパパは呆れ顔になった。
「バルトナ。お前、ひょっとして月影殿を女王陛下の所から引き抜くつもりなのか?」
「いやいや、王都にいる間、何か手伝ってくれるだけでいいんですよ。――まあ月影殿が俺の部下になってくれるって言うなら、そりゃあ喜んで受け入れますがね。なにせ腕が立って義侠心もある。それに口も堅そうだ。部下にするには持ってこいの男じゃないですか」
どうやらこの男は本気で私を部下にしたいらしい。
私は初対面の怪しい黒マントだぞ。何なんだコイツは。
【俺は女王の影。そう言ったはずだ。スカウトに応じる気はない】
「いいね。そういう一途な所も気に入った。義理をないがしろにするヤツは信用出来ねえ。あんた益々気に入ったぜ」
ダメだこりゃ。何を言っても、都合がいいように解釈されてしまうんだけど。
私はしつこく絡んで来るドン・バルトナを適当にあしらいながら、屋敷を後にするのだった。




