その232 メス豚、隠れる
すみません。また予告とタイトルが違っています。
白髭の老人は鋭い視線で私を睨み付けた。
「お前、何者だ? 王都にお前のような者がいれば、このワシの耳に入らぬ訳がない。そのマントの下にどのような正体を隠しておる」
老人の老人とは思えない迫力に、私は思わず委縮してしまった。
私が委縮? 冗談じゃない。
これでも今生ではこれまで幾度となく死線をかいくぐって来たんだ。黒豚クロ子をなめるんじゃないぞ。
でも、今日は心の準備が出来ていないので、このくらいにしておいてやるけどな。
【俺を詮索するために捜していたのなら、これっきりにして貰おう】(CV:杉〇智和)
私は踵を返すと裏門から出ようとした。
「待て。・・・おい! 待てと言っておるだろうが!」
老人が何やら私を呼び止めているけどスルーで。
「コラ! お前、帰るなら何をしにここに来たんだ!」
「あ、あの、大旦那様。黒マントはアンネッタお嬢様がお呼びになられたのです」
「アンネッタが? マルチェ、どういう事だ?」
屋敷の使用人、男子ことマルチェが、慌てて老人に事情を説明した。
その間、私は私を連れて来た男達に、「ここはどうか穏便に」「俺達を助けると思って」などと引き留められていた。
「アンネッタが礼を・・・な」
「は、はい。あの、よろしければ急いでお嬢様を呼んでまいりますが」
「バカ者! こんな裏口で礼など言わせられるか! ――分かった。この男をすぐに応接間へ案内しろ。アンネッタはワシが呼んでくる」
老人はそう言うとさっさと屋敷に引っ込んでしまった。
本当に呼びに行ったようだ。何と言うか、見た目と違って随分とフットワークの軽い老人である。
あるいは単に落ち着きが無いのか。
男子ことマルチェが、私に声をかけた。
「それでは――黒マント様。屋敷にご案内致します」
・・・いや、さっきも言ったけど、今日はこのまま帰りたいんだけど。
男達に振り返ると、「さあどうぞ」といった感じに頷かれてしまった。
どうやら受けないとマズい流れのようである。
【・・・あまり時間は取れないが】
どうやら私という人間は、こういう時に角が立つような行動が取れないらしい。
ぐぬぬっ・・・前世の日本人の血が恨めしい。
私は渋々、マルチェに案内されるまま屋敷に足を踏み入れたのであった。
私が通されたのは、「これなんて宮殿?」と言いたくなるような立派な一室だった。
ふかふかの絨毯。傷どころか、シミ一つない白い壁。
何気なく置かれている豪奢な壺や食器棚、それに分厚いテーブルとソファーが、驚く程見事にマッチしている。
おそらく、全て一流職人がこの部屋のために作った一品なのだろう。
デザイン、そして素材、作り、その全てが超一流の手による一級品。
この部屋は、前世でド平民、今生では村の家畜(そして豚)の私でも分かる程、豪華な部屋だった。
そんな部屋の奥の角に、私は張り付くようにして立っていた。
「あの・・・ソファーに座って頂けませんか?」
【気にするな。俺はここでいい】
マルチェは困り顔になった。
彼の気持ちも分からんではない。
客を応接間に案内したら、ソファーに座らずに部屋の奥に立っているのである。
何で? と当惑するのが当然だ。
気持ちは分かる。分かり過ぎるぐらい分かるが、私もこれだけは譲れない。
部屋の豪華さに気押されている、というのももちろんある。
しかし、本当の理由は少しでも暗い所に――テーブルの上に置かれた燭台から遠くに――いたいのだ。
私の黒マントの中身は肩から上だけ。胴体より下はスカスカのがらんどうだ。
ソファーになんて座れないし、明るい所では隙間から中身がチラ見えしてしまいそうなのである。
【それよりも娘はまだ来ないのか? あまりゆっくりはしていられないのだが】
主に私が落ち着かないという意味で。
「身だしなみを整えていらっしゃるのでしょう。少々お待ちください」
マルチェは一礼すると部屋を出て行った。
部屋に一人きりになると、私はホッとため息をついた。
その時だった。
バサリ。
小さな音を立てて黒マントが――黒い旗が私の上に降って来た。
慌てて布をかき分けて外に出ると、丸いピンククラゲがフヨフヨと頭上に漂っていた。
『ちょ、水母。急にどうしたのよ? こんな所を誰かに見られたらマズイじゃない』
『要偵察案件』
『偵察? 何か気になる事があったっていうの?』
水母は私の言葉には答えず、半透明の姿になるとドアに張り付いた。
そのまま触手を伸ばしてドアを開けると、隙間からスルリ。
なんと部屋の外に出て行ってしまったのである。
えっ? 何で?
『いやいや、こんな所に私だけ残されても困るんだけど! ちょっと、水母! 水母さーん!』
呼びかけても返事はない。どうやら既にどこかへ行ってしまったようである。
マジで? えっ? これってヤバくない? どうなるの? どうすればいいの?
私は混乱した頭でグルグルと部屋の中を歩き回った。
こんな所を誰かに見られたらどうなるか。
いっそ屋敷に火を付けて混乱に乗じて逃げ出す?
私は立ち止まると、アニメや映画に出てくるような豪華な部屋を見回した。
私なんかじゃ一生かかっても買う事の出来ない高価な品々が並んでいる。
『・・・くっ。ムリ!』
こんな豪邸を燃やすなんてムリ。
ここはもっと穏便な方法で行こう。そう。水母の帰りを待つのだ。
私は慌てて布をかき集めると、入り口から見えないようにソファーの裏に隠した。
そうしておいて自分はテーブルの下に飛び込み、ジッと息をひそめた。
(お願いだから水母、早く帰って来て)
私はハラハラしながらピンククラゲの帰りを待つのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
クロ子を部屋に残した水母は、薄暗い屋敷の廊下をフヨフヨと漂っていた。
やがて彼はとある部屋のドアに張り付くと、音もなくゆっくりと開けた。
部屋は十畳程。最低限の家具しか置かれていないシンプルな部屋である。
テーブルの上には明かりが一つ。
その明かりを挟んで、白髭の老人と頬にキズのある大柄な男が向かい合っている。
「確かにタイミングは悪かった。けど、”黒マントの男”という情報だけで、こんなに早く見つかるなんて思う訳ねえだろう?」
大柄な男――この王都の寄せ場を仕切る顔役ドン・バルトナは、酒の入ったタンブラーを傾けるとケラケラと笑った。
白髭の老人は――屋敷の主人、オスティーニ商会の商会主、ロバロ・オスティーニは眉間にしわを寄せた。
「・・・まあいい。元はと言えば、ワシの孫娘の依頼だったそうだからな」
ドン・バルトナは”例の計画”の経過報告と打ち合わせのために、今夜この屋敷を訪れていた。
彼がいざ、ロバロ老人に話をしようとしたその時、彼の部下から屋敷に寄せ場の男達が訪ねて来たと報告が入った。
これは何か急な連絡が入ったに違いない。そう思ったドン・バルトナは、男達をここに通してくれるようにロバロ老人に頼んだ。
ロバロ老人が裏口に行くと、男達は怪しげな黒マントの男を連れていた。
そう。彼らが屋敷を訪れたのは全くの別件――ロバロ老人の孫娘アンネッタの依頼によるものだったのである。
それが分かったロバロ老人は、孫娘に黒マントの事を伝え、ドン・バルトナの待つ部屋へと戻って来たのである。
「それよりも先程の話――国王陛下と殿下についてだ。お二人がコラーロ館から離れられたというのは本当か?」
「そいつは間違いねえ。俺の部下がついさっき知らせに来た。どうやらバルバトス陛下のカゼがこじれたとかで、離れた屋敷に移されたそうだぜ。殿下も陛下と同じ屋敷にいるそうだ」
「そうか。陛下のお体は心配だが――」
「ああ。これで陛下を巻き込む事なく、大モルトのヤツらだけを始末出来るってこった」
ドン・バルトナはドスの利いた笑みを浮かべた。
「それで、決行はいつにする? アンタの手引きで手下共は使用人として館に忍び込んでいる。俺の方はいつでもいけるぜ」
「・・・今はまだ早い。ワシの指示を待て」
ドン・バルトナはつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「なんでだ? あまり遅いと、どこからか計画が漏れる恐れがあるぞ」
「まだダメだ。機が熟してはおらん。この計画は実行されれば良いというものではない。むしろ本題はその後。計画の成功はこの国の勝利への最初の一歩に過ぎん。ここで拙速に逸っては全てを台無しにしてしまうだけじゃ」
「・・・分かったよ。アンタがそう言うならそうなんだろうさ。だが、秘密にしておけるのも限度がある。早いうちに頼むぜ」
二人の計画。
それは以前、屋敷の一室でロバロ老人が打ち明けた、例の計画の事である。
水母は屋敷に入った途端、高性能な聴覚で『国王バルバトス』『イサロ王子』という単語を聞いた。
彼はクロ子のためにも、詳しい情報を得る必要があると判断。
危険を承知で情報収集を行う事にしたのである。
その結果、こうして二人の計画を聞くことになったのだったが――
「それにしても黒マントか。この王都に本当にそんなヤツがいたなんてな」
「お前も知らなかったのか?」
いつの間にか二人の話題は計画から逸れ、黒マントの――クロ子の話になっていた。
「ああ。噂一つ聞いてねえ。なあ、その黒マントに会わせてもらう訳にはいかねえか? こうして同じ屋敷に居合わせたのも何かの縁だ。話通りの凄腕だってんなら、ここで顔を売っといて損はねえ」
「ふむ。まあ良かろう。息子達の支度にも時間がかかっているようだし」
二人は酒を置くと明かりを手に立ち上がった。
水母は音もなくドアを閉めると、彼にしては珍しく、急ぎ足でクロ子の待つ応接間へと戻るのだった。
次回「メス豚、感謝される」




