その223 メス豚、出発する
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亜人達との会談の翌日。
ちょび髭の中年男――ガルメリーノ・ガナビーナは、クロ子達の砦へと向かう馬上にあった。
護衛の隊長は辺りを警戒しつつも、昨日と全く変わらないガナビーナの様子に驚いていた。
(相手には魔獣がいるというのに、良く平気でいられるものだ。見かけによらず意外と肝が据わっているのか、単に危機意識が薄いだけなのか)
恐らく、あまり深く考えていないだけなんだろうな。隊長は心の中でため息をついた。
彼はこの護衛任務を命じられた時、現地となるメラサニ山まで道案内が出来る者を探した。
幸いな事に、部隊にはつい先日までメラサニ山で戦っていた者が――元・ハマス軍の”五つ刃”、”一瞬”マレンギがいた。
残念ながらタイミング的にマレンギに会う事は出来なかったが、彼の部下達(※クロ子達と戦った仇討ち隊の兵士達)に会う事は出来た。
彼は兵士達に、「亜人の女王に会いに行く事になった」と告げた。
「そこで、お前達に亜人の村までの道案内を頼みたいのだが――」
彼らの変化は劇的だった。
「ダ、ダメだ! 俺は二度とあそこにはいかないぞ!」
「呪いだ! 女王クロコパトラに呪われる! 女王は冥府神の娘なんだ!」
「あの山に入ってはいけない! 俺達のように呪われてしまうぞ!」
兵士達はすっかり取り乱している。
仕方なく隊長は、彼らに道案内を頼むのを諦め、亜人達に関する話だけでも聞くことにした。
そこで彼は女王クロコパトラの人知を超えた魔法の力。そして女王の使役する恐るべき”魔獣”の存在を知ったのである。
(あの時は、彼らが言うような凶悪な生き物がこの世にいるとは思えない。そう思って話半分に聞いていたんだが・・・)
昨日、亜人の砦で見た魔獣の姿。
黒い子豚の姿に粗末なハンカチーフ。背中には柔らかそうなピンク色の塊。頭の左右から伸びた捻じれた角に、額から伸びた大小二本の角。
(あれはまさしく、話に聞いていた魔獣の姿そのものだったな)
魔獣は亜人の代表者の横に座って、時折相槌を打つようにブヒブヒと鳴いていた。
その姿は、まるで己の言葉が通じない人間に対して、亜人の代表の口を使って、自分の言葉を代弁させているようにも見えた。
(・・・いや、流石にそれはないか。それにしても薄気味の悪い獣だった)
隊長はクロ子の目が――こちらの心を見透かしているような不気味な目が――気になって仕方がなかった。
彼は魔獣を退席させて欲しいと頼んだが、「それは困る」とハッキリと断られてしまった。
「俺としたことが。出発前にあんな話を聞いたから、変に意識してしまったようだ」
「? 隊長、何か?」
彼は部下の騎士に「何でもない」と答えると、気持ちを切り替えて周囲の警戒を続けたのだった。
ガナビーナ一行は亜人の砦までやって来た。
こちらを見つけた見張りの亜人が、仲間に何か指示を出している。
「――むっ。ガナビーナ殿、お待ちを。砦の様子が少々おかしなようです」
隊長は馬に拍車を入れるとガナビーナの前に出た。
部下達も辺りを警戒しながら、護衛対象の周りに集まる。
護衛達の緊張感が伝わったのか、ガナビーナは怯えた様子でキョロキョロと辺りを見回した。
「な、なんだ? 亜人共が何か企んでいるのか? ――ひっ!」
ガゴン。ギギギッ・・・
門の閂が外される音がすると、大きな扉が軋み音を上げながら開いた。
砦の中にいたのは、武装した五十人程の亜人の男達。全員、額から小さな角が生えている。
隊長達が緊張する中、全身傷だらけの大柄な亜人が叫んだ。
「それ! みんな行くぞ!」
「「「せーの」」」
彼らは声を合わせるとシンプルな作りの駕籠を担ぎ上げた。
大男を先頭に、駕籠を担いだ男達、そして長櫃を担いだ荷駄隊が続く。
「なっ・・・これは一体」
予想外の事態に立ち尽くす隊長達の前で、駕籠が横を向いて止まった。
薄い木で出来たブラインドがスルスルと上がる。
その瞬間、隊長達は全員、ハッと息を呑んだ。
駕籠の中にいたのは黒髪の若い女だった。
艶やかな長い黒髪。白磁のような白い肌。長いまつ毛に濡れた瞳。
見た事もない意匠の黒いドレスを盛り上げる蠱惑的な曲線美。
まるで名画から抜け出して来たような絶世の美女がそこにはいた。
「・・・クロコパトラ女王」
ガナビーナが熱に浮かされたような声で呟いた。
クロコパトラ女王の美貌は、一瞬にしてこの場の男達の心を奪っていた。
「そこな主が、ジェルマン閣下がよこされた使者とやらか。遠路はるばるご苦労じゃった。話は全てウンタより聞かせて貰った」
女王は特徴的な変わった言い回しでガナビーナに話しかけた。
「用件はあい承った。これより閣下の下に参るがゆえ、その旨、お伝えよろしく頼んだぞ。カルネ」
「おう! ――じゃなくて、かしこまりました、女王! よし、テメエら行くぞ!」
「「「おう!」」」
亜人達は女王の駕籠を担ぎ直すと、山道を歩き始めた。
ガナビーナ達はボンヤリと彼らを見送っていたが、ハッと我に返るとその背に声をかけた。
「お、お待ちを! クロコパトラ女王! お待ちを!」
彼らは慌てて馬に拍車を入れると、亜人達の後を追いかけた。
「女王! お待ちを! って、なんでこっちは馬なのに追いつけないんだ?!」
「どう考えたっておかしいだろう! 亜人の足はどうなっているんだ?!」
説明するまでもなく、クロコパトラ歩兵中隊の男達は、俺達の魔法で行軍速度を上げている。
いくらこちらが馬とはいえ、その背に乗っているのは鎧で身を固めた完全武装の騎士。
そう簡単に彼らに追いつけるものではなかった。
「女王ーっ! 女王、お待ちを! 我らが道案内致しますゆえ! お待ちを! お待ちをーっ!」
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我々は大モルト軍の総指揮官ジェルマンのいるリゾート地に向けて出発した。
私と共に行くのは、クロカンの隊員達のほぼ全員。
実は最初は最小限の人数だけで向かうつもりだった。
私が留守の間を狙って敵が攻めて来るかもしれない。そう考えると、村を守る人間が必要だったからである。
しかし、希望者を募った所、全員が私との同行を希望したのだった。
『ちょっと! みんなが村を離れたら誰が村を守るわけ?!』
「そうは言っても、俺達も一度くらいは人間の町を見て見たいし」
「そもそも俺達が残っても、クロ子抜きで人間の軍隊と戦えるのか?」
うぐっ。それを言われると厳しい。
仮に私以外のクロカンの全員が残っていたとしよう。それでも前回の”五つ刃”の討伐軍を防ぐ事は出来ないだろう。
別に己惚れている訳でも自意識過剰な訳でもない。
あの時だってギリギリの戦いだったし、そもそも私と彼らとでは作業効率に差があり過ぎる。
罠を作るにしても、人力で行うよりも、私が魔法でちゃっちゃと行った方が早いのである。
ついでに言うと、彼らではマサさんたち野犬に命令する事も出来ない。一応、あいつらのボスは私だからな。
かと言って、防衛のために私が残るという訳にはいかない。
敵総指揮官との交渉は私にしか出来ない。
向こうは女王クロコパトラを名指しで指名しているのだ。代理を送れば侵攻の口実を与えてしまう。
おそらく、この招集は踏み絵だ。
新しい支配者に服従するか否か。
当主自らが頭を下げて降伏の意を示さなければ、敵とみなされて討伐軍が送られる。そういう類の通告だ。
つまり当主は大モルト軍に送られる人質なのである。
ああ。体が二つ欲しい。
そうすれば交渉にも行けるし、村も守れるのに。
そうだ、クロコパトラ! 交渉はクロコパトラに行って貰えばいいんだ! そうすれば私は村に残って敵の侵攻に備える事が――って、クロコパトラの中身は私じゃん。どのみち無理じゃん。
亜人の少女が――村長代理のモーナが小さく頷いた。
「クロ子ちゃんは行って頂戴。村の事は私達で何とかするから」
『何とかって、どうすんの?』
クロカンの分隊長、職人の卵のハッシが手を上げた。
「だったら俺が残るよ。どの道、砦に投石機も作んなきゃいけないし」
「なら、人間の軍隊が来たら狼煙を上げて頂戴。それを合図に、村の人達全員で、水母ちゃんの施設に逃げ込むから」
「ああ、それがいい。俺も適当に戦った後で逃げ出すよ」
「だったら俺達もハッシと一緒に残った方がいいな」
「そうだな。俺達の魔法を使って逃げれば、人間は追いつけないだろうし。今後は砦の見張りは隊員だけで行った方が安全だろう」
ちょ、勝手に話を進めないで欲しいんだけど!
・・・てか、分かったわよ。全く。
『確かにそうするしかなさそうね。なら、残りの隊員達は私と一緒に行く。これでいいかしら?』
「おう! いよいよ敵地に乗り込むのか! 腕が鳴るぜ!」
『じゃあカルネは留守番で』
「なんでだよ!」
『だから、戦いに行くんじゃないって、さっきから言ってるでしょうが』
といった訳で、相談の末、一部の隊員を残してほぼ全員で出発する事になった。
正直、カルネにはああ言ったが、今回の旅は実質的には敵地に乗り込むのとほとんど変わらない。
少しだけ心細かったので、みんなが来てくれると決まって気が軽くなったのは事実である。
「クロコパトラ女王。なあ、クロコパトラ女王」
まあそれを正直に言うと、「やっぱり戦うのか」とか言い出しそうだから言わないけどさ。
「女王・・・おい、クロ子」
「何よウンタ。この姿の時はクロ子って呼ぶなって言っといたでしょ」
「お前が返事をしないからだ。それより、後ろのアイツらを放っておいてもいいのか?」
「ん? 後ろ?」
私は駕籠を開けると、後ろを振り返った。
「女王ーっ! 女王、お待ちを! 我らが道案内致しますゆえ! お待ちを! お待ちをーっ!」
「・・・え? 何あれ」
「知らん。さっきからずっと俺達の後を追って来ているんだが」
ちょび髭と護衛の騎士達が大慌てで私達の後を追いかけていた。
隊員達は彼らと競争でもしているつもりなのか、全速力でノリノリで逃げている。
「ちょ、みんな何やってんのよ! ストップ! ストーップ! 面白がってるんじゃないの!」
私の声でみんなの足が止まると、ちょび髭達はようやく追いついたのだった。
次回「メス豚と街道の旅」




