その214 メス豚と敗軍の将
私はボンヤリと目の前の光景を見つめていた。
あの化け物が――黒装束の忍者野郎が、息絶えている。
それは全く現実味の無い光景だった。
絶体絶命のピンチだった。完全に死んだと思った。
息が切れ、走るどころか敵の攻撃を躱す事すら出来ずにいた。
私はまるで蛇に睨まれた蛙のように、忍者野郎が剣を突き出す姿を、恐怖に怯えた目で凝視していた。
極度の緊張で何倍にも引き延ばされた時間の中、忍者野郎は大きく一歩、足を踏み出すと――
その勢いのまま地面にダイブしていた。
えっ? 何で?
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
どうやら忍者野郎は、攻撃の際に躓いてしまったらしい。
ついでに倒れた時の打ち所でも悪かったのか、うつ伏せのままで痛みを堪えている。
何、この状況。これって何かのギャグ? それとも敵の罠? 高度な心理戦? いやいや、どう見ても普通にすっ転んだようにしか見えなかったんだけど。こっちから攻撃してもいいのかな?
私は状況が理解出来ずに、ただただ混乱していた。
やがて忍者野郎はハッと顔を上げた。
私とバッチリ目が合う。
ヤツは一瞬の間に色々な表情を浮かべた。驚き、理解、悔しさ、そして憎悪。
そんなヤツの最後の言葉は、私に対する罵倒だった。
「この・・・化け物め」
お前が言うなし。
『最も危険な銃弾』
忍者野郎の無様な姿を見た事で心が落ち着いたのだろうか? 魔法は問題無く発動した。
不可視の弾丸はヤツの眉間を貫き、頭蓋骨の中で炸裂した。
忍者野郎は声も上げずに絶命した。
拍子抜けするほどあっさりとした終わり方だった。
えっ? 本当にこれだけ?
まさか、これでも死んでない、なんて事は言わないよね?
私は目の前の光景がにわかには信じられずにいた。
そんなに心配なら、もう一発魔法を叩き込めば良いだろうって?
そんな事くらい、言われなくても分かってるっての。
けど、私は怖かったのだ。
もし、忍者野郎が起き上がって来たら。
死んだと思っていたのに、死んでいなくて、第二ラウンドが開始されたら。
ありえないとは分かってる。どう見たって完全に死んでいる。
けど、もし。万が一という事だってありえる――
そう思うと、私はどうしても確かめる勇気が出せなかったのだ。
そのまま、どのくらいの時間が経っただろうか。
星空をバックに、ピンク色のクラゲがフヨフヨと漂って来た。
水母は私の周囲をクルリと回ると、いつもの場所に着地した。
『五体満足』
『水母も大丈夫だった?』
水母は『当然』と、どことなく自慢げに答えた。
私は、さっきから気になっていた事を尋ねた。
『ねえ、水母。コイツだけど、もう死んでるよね? 急に生き返ったりしないよね?』
自分でも何を言っているんだ? という気がする。生き返る? なんで? 心配し過ぎだ。
けどコイツは忍者だし、ワンチャン、ゾンビになって生き返る術とかそういうのが使えるかもしれないじゃないか。
水母はヤレヤレといった感じに、ちょろりと触手を曲げた。
『意味不明。これは死体。それ以外の何物でもない』
『――そう。分かった。EX最も危険な銃弾』
現金な物で、水母が合流した事で――障壁で敵の攻撃から守ってくれると分かった事で――私の心から恐怖心が消えたようだ。
極み化した風の弾丸が炸裂。忍者野郎の上半身を粉々に吹き飛ばした。
これでゾンビになって生き返る可能性も消えた。下半身だけのゾンビがいるなら話は別だけど。
そういや今更だけど、この世界ってゾンビっているのかな?
『ねえ、水母。この世界ってアンデッド――腐った死体が動いたり、魂だけで動くモンスターっているのかな?』
『モンスター? それってクロ子の世界の話? 興味津々。情報の開示を求む』
『あ、いや、私の世界にもそんなのいないから。ゲームの中の話って言うか、創作物のキャラクターだから』
私は忍者野郎が死んだ事にようやくホッとすると、好奇心に火が付いた困ったちゃんをあしらいながら、この場を去ったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
白々と夜が明け、空が美しいグラデーションに染まる。
彼らにとって地獄のような長い夜が終わった。
地獄のような? いや、あれは地獄そのものだった。
既に秋も更け、山の朝夕の寒さは厳しいものとなっている。
堀の中で水を吸った服は、絞ったくらいでは乾かない。
かがり火は焚かれているが、湿った服が体温を奪うのにはとても追い付かない。
皮膚に火傷が出来そうな程火に近付いても、ガチガチと歯の根が鳴るのを止められはしなかった。
この様子では、今日明日中に部隊内に大量の病人が出る事だろう。
薬はあるが、当然、部隊の全兵士に行き渡る程の量はない。
戦いは終わった。そう。彼らの負け戦である。
現在、部隊の総数は587人。元の数の――千五百人の――半分以下にまで減っている。
最も多い死因は溺死。これだけでなんと534人にも上る。
そして、昨日の昼間の攻防戦で生じた死者の数が95人。その過半数がクロ子一人によって殺されている。
火事の中、逃げ遅れて煙に巻かれて死んだ者が86人。
更には184人が、昨夜の混乱の中、行方不明となっている。
暗い山の中を迷ったか、あるいは足を踏み外して崖から滑落死したか。
生きて無事、山を降りられる者は、おそらくその中の半数にも満たないだろう。
死者、行方不明者の合計は、なんと899人。
しかも生き残った者達も満身創痍。手放しで助かったとは言い難い。
今後、どれだけの兵士が、この寒さと疲労で病気にかかってしまう事か。
思わず目をそむけたくなる程の大惨敗である。
”五つ刃””双極星”ペローナ・コロセオは部下に命じた。
「・・・全軍に指示を出せ。退却だ」
「はっ」
結局、警戒していた亜人の襲撃は無かった。
こんな事なら、無理にこの場に留まらず、闇の中、危険を冒してでも山を降りるべきだった。
確かに夜の山歩きは危険だが、彼らは一月もかけて、麓からここまで道を引いている。
その道を通れば、比較的安全に山を降りる事も可能だった。
(俺は敵に襲撃して来て欲しかったのか)
コロセオは疲れの溜まった頭でぼんやりと考えた。
どんなに追い詰められた状態でも、自分達が亜人などに負けるとは思えない。
ならば、勝つ事でこの悪い流れを断ち切りたい。勝利を挙げる事で敵にも被害を与えたい。
そんな欲が、この場で敵の襲撃を待つという選択を選ばせてしまったのではないだろうか?
しかし結局、敵は襲撃して来なかった。
罠でこちらに被害を与えるだけ与えて、攻撃は全く仕掛けて来なかった。
コロセオの目論見は完全に空振りに終わってしまったのである。
(”不死の”なら、こんな時どうするんだろうな)
コロセオは、ふと五つ刃の同僚、今では参謀のような役を任せている、”不死の”ロビーダの顔を思い出した。
「おい。”不死の”はまだ見つかってないのか?」
「お戻り次第、こちらに連絡が入る事になっていますが、まだ・・・」
ロビーダは昨夜の混乱の中、行方不明になっていた。
堀から這い上がる姿を見た者が何人もいることから、無事に逃げ出してはいたようである。
しかし、その後の足取りはぷっつりと途絶えていた。
「まあアイツの事だ。山の中で迷っている、なんてことはありえねえか」
コロセオは深く考える事を止めた。
ロビーダの二つ名は”不死”。絶望的な戦場から何度も無事に生還した事から付いた異名である。
このくらいで死ぬとは思えなかった。
コロセオは重い腰を上げると装備を整えた。
おそらく敵の襲撃は無いとはいえ、兵士達の前でみすぼらしい姿を見せる訳にはいかない。
今や彼は全軍の唯一の心の支え。最後の拠り所なのだから。
コロセオが敗軍を率いて山を降りると、陣地の中から意外な人物が出迎えに現れた。
「”一瞬”。・・・テメエ」
そう。それはコロセオの同僚。五つ刃一番の年長者。孤高の剣豪、”一瞬”マレンギであった。
マレンギは後方の町で物資の調達に当たっている――というのを口実にして、この一ヶ月、コロセオが再三、出撃要請を送ったにもかかわらず、今までずっと動かずにいたのである。
大敗と徹夜による精神的な疲労。戦と山歩きの肉体的な疲労。
それら全てが合わさり、今のコロセオは心がささくれ立っていた。
コロセオは苛立ちを隠そうともせずに吐き捨てた。
「なんだ? 人の言葉を散々無視しておいて、今さら協力する気になったってのか?」
二人の間に険悪な空気が立ち込める。
周囲の者達が息を呑む中、マレンギはチラリとコロセオの背後を――疲弊の極みでボロボロになった兵士達を見ると、つまらなさそうに呟いた。
「なんだ。こっちでも負けたのか」
この一言がコロセオの怒りに火をつけた。
コロセオは部下に持たせていた愛用の大身槍を掴んだ。
「”一瞬”! テメエ! わざわざ俺をバカにするためにここまで来たのか?!」
マレンギはコロセオの烈火のごとき怒りもどこ吹く風。剣に手すらかけようともせずに無表情に言い放った。
「敵討ちごっこはもう終わりだ。”新家”アレサンドロ軍が、”ハマス”オルエンドロ反乱軍を打ち破った。俺はお前達を拘束するために来たのだ」
自分達が反乱軍? 本隊と戦って敗れた?
あまりにも予想外の内容に、コロセオはマレンギが一体何を言ったのか、全く理解出来なかった。
次回「アレサンドロvsオルエンドロ」




