その213 メス豚と死闘の決着
ゲームだろうが、殺し合いだろうが、戦いには”潮目”というものが存在する。
一度劣勢に立たされれば、その流れを断ち切る事は困難だ。
そして優位に立った方は、良い流れを切らさないように注意しなければならない。
理由も無く攻撃の手を緩めたり、焦って攻勢をかけたりすると、逆に手痛い反撃を食らう事になる。
そう。この時の私のように。
(一刻も早くコイツを倒す!)
私は早期決着を狙って、忍者野郎の懐に――敵の攻撃範囲に――飛び込んだ。
忍者野郎の動きが止まる。
この勝負が始まって以来、私は徹底してアウトレンジ戦法で戦って来た。
その私が突然、接近戦を挑んで来たんだ。そりゃあ忍者だって驚くってもんだ。
激しい戦いの中に生まれた僅かな隙。ほんの一瞬の空白。時間にして一秒程の時間。
この時間が欲しかった!
今のこの瞬間。私は攻め込み、相手は”受け”に回っている。
ここで私が狙うのは猫だましの魔法。
単純な効果の魔法だけに、発動も早い。
そして敵は私の行動に対応するために、私から目が逸らせない。
ベストなタイミングだ。
猫だましの魔法が近接戦闘で有効なのは、昼間戦った、大身槍を使う髭モジャ指揮官で実証済みだ。
しかも今は夜。昼間でも効果満点の閃光を、暗い夜に食らえば、目がくらんでまともに戦えなくなってしまうのは間違いない。
『もらった! 猫だまし!』
忍者野郎の目の前で、音も無く光が炸裂した。
きつく閉じた瞼越しに白い光を感じながら、私は自分の勝利を確信していた。
目を開けた私が最初に見たのは、忍者野郎の顔である。
ちゃんと相手の目がくらんでいるか、無意識に確認したのだ。
丁度、相手は閉じていた目を開ける所だった。
忍者野郎と私の目が合う。
ヤツの目はハッキリと私の姿を捉えていた。
えっ・・・なんで?
私は一瞬頭の中が真っ白になってしまった。
「その魔法は昼間コロセオに使っている所を見ていた」
忍者野郎が辛気臭い声を漏らした。
「申し分のない状況だった。お前なら絶対にこの魔法を使うと思っていた」
馬鹿な・・・コイツ、化け物か?
私はここまで戦っていても、達人というものを理解出来ていなかった。らしい。
もし仮に私が、「今から猫だましの魔法を使うよ」と予告されていたとしよう。敵が懐に飛び込んで来た状況で目をつぶる事が出来るだろうか?
私には無理だ。到底、出来るとは思えない。
だって、どう考えても怖いだろ。私達は殺し合いをしているんだぞ。殺意満々の敵が目と鼻の先にいるんだぞ。
そんな状況で目をつぶって、敵に無防備な姿を晒す。無理だ。ありえない。もし攻撃されたらどうする? そう考えるだけで、体が逆らってしまう。恐怖心が勝ってしまう。
しかし、忍者野郎はやってのけたのだ。
私が猫だましの魔法を使う。その自分の読みに全てをかけて、恐怖という感情をねじ伏せたのである。
なんという胆力。
一体どんな死線をくぐって来れば――地獄を経験すれば、こんな化け物が生まれるというのか。
私は目の前の陰気な男が、得体の知れない怪物に思えてならなかった。
ガキンッ!
『謝罪、戦線離脱』
『はっ! ヴ、風の鎧!』
激しい金属音に、私はハッと我に返った。
バカか私は。戦いの最中に何を呆けているんだ。
背中がフッと軽くなると共に、半透明のピンククラゲがまるでボールのようにすっ飛んでいくのが見えた。
目の前の忍者野郎が、剣を突き出した格好で痛そうに顔を歪めている。
どうやらヤツの攻撃を、水母が魔力障壁で防いでくれたようだ。
しかし、衝撃の全てを受け止める事は出来ず、相殺しきれなかった運動エネルギーが術者である水母を弾き飛ばしてしまったのだ。
「くっ。これも防ぐか。だが、確かに手応えはあった。どうやらその魔法、何度も攻撃を防げる訳ではないようだな」
『風の鎧! 風の鎧だってば!』
いつもなら意識する事無く使える魔法が、激しい焦りのせいか――あるいは目の前の化け物に対する恐怖心のせいか――上手く発動しない。
私は転がるように逃げ出した。
忍者野郎は全力で障壁に切りつけた事で、どうやら手首を痛めたようだ。反対の手に剣を持ち直すと、私の後を追って来た。
今、私の背中に水母はいない。次に敵の攻撃が来たら防げない。
ヤバイ! ヤバイ! 魔法! 魔法が発動しない! はあ、はあ、はあ・・・。ぶ、豚ってどのくらいの距離走れるんだっけ? は、肺が痛い。心臓が痛い。
豚は100メートルを9秒程で走るという。
さしもの忍者野郎も、オリンピック選手に選ばれる程の身体能力は持ってなかったようだ。
ましてやこの辺りは長い草が生い茂っていて走り辛い。
敵が草をかき分ける音が次第に遠のいていく。
今、草の間から、チラリと茂みが見えた。
あの中に逃げ込もう。一旦、姿を隠して、敵の目をやり過ごすのだ。
しかし、残念ながら豚は短距離選手。長距離は走れなかった。
ダ、ダメだ。もう・・・走れない。
私は心臓の痛みに耐えかねて立ち止まった。
酸欠で意識が朦朧として、魔法どころか、ろくに物も考えられない。
茂みまではまだ十メートル以上もある。今の私には途方もない距離に思えた。
忍者野郎の足音が、私のすぐ真後ろに迫っていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
魔獣は脱兎のごとく走り出した。
しかし、今までと違い、その足は遅く、動きにも切れが無かった。
(今の俺の攻撃でどこか負傷したのか?)
”五つ刃”、”不死の”ロビーダは、痛めた利き腕から左手に剣を持ち替えた。
利き腕を負傷したとはいえ、ロビーダは左右どちらでも剣を振る事が出来る。
今の攻撃で魔獣も負傷したのなら、差し引きでこちらの方が有利と言えた。
(だが、狡猾な魔獣の事だ。これも何かの罠かもしれん)
負傷を装ってこちらの隙を突く。ありがちな罠だが、有効だからこそ多用され、ありがちにもなる。
しかし、もし、相手の負傷が本物だった場合、手をこまねいていては、敵に逃亡の機会を与えてしまう。
(どちらだ? ――いや、ここは本物の負傷と見た)
魔獣はなりふり構わず必死に逃げているように見える。
その無様な姿はとても演技とは思えなかった。
周囲には黒々とした木々の影が落ちている。魔獣は小柄で動きも非常に素早い。それに体毛が黒い事もあって、これ以上離されれば、夜目の利くロビーダですら見失ってしまいそうだ。
(ここで逃がす訳にはいかない!)
女王クロコパトラの仕掛けた罠は悪辣で非情だった。
現時点では正確な数までは分からないが、今夜の被害は、仇討ち隊にとって致命的なものとなっていると思われた。
そして被害はそれだけにとどまらない。
この惨劇で、兵士達の心は完全にへし折られてしまっただろう。
いかに”双極星”コロセオの勇名をもってしても、ここからの挽回は不可能に近いに違いない。
(せめて魔獣の死体くらいは持ち帰らなければ)
魔獣は茂みの前に、突然立ち止まった。
ロビーダは一瞬怪訝な表情を浮かべたが、不意に、昔聞いた兵士達の会話を思い出した。
その兵士の実家では豚を飼育しているそうだ。何でも豚は長い距離が走れないので、子豚が逃げ出した時は、無理に追いかけずに疲れて立ち止まるのを待つのだという。
(魔獣とはいえ、コイツも豚だという事か)
ロビーダはそう判断した。しかし、彼の心の一部は「今まで魔獣は長い距離を走っていたじゃないか」と、注意を訴えていた。
だが、ロビーダはその声を無視した。
どう見ても魔獣は無防備に立ち尽くしている。今なら魔獣を殺れる。
この最大のチャンスに、さしものロビーダも普段の冷静さを保ってはいられなかったのである。
(もらった!)
ロビーダは大きく踏み込むと、魔獣の背中に剣を突き出した。
必殺の攻撃が無防備なクロ子の背中に襲い掛かる。
クロ子は振り返ると、恐怖に怯えた目で背後の敵を凝視した。
その時。ロビーダの足に鋭い痛みが走った。
そう思った次の瞬間。目の前には地面が広がり、同時に強い衝撃を感じていた。
気が付くとロビーダは勢い良く地面に倒れていた。
彼は亜人達の作った粗末な罠――草を結んだ輪に、踏み出した足を突っ込んでしまったのである。
咄嗟に手をついて顔から倒れるのを避けたのは流石と言えたが、不運な事に彼の手の下には亜人の作った木の棘の塊があった。
脆い木で出来た塊は衝撃に耐え切れずに壊れ、折れた棘が何本も彼の手の平の中に残った。
「ぐっ!」
鋭い痛みにロビーダの口から押し殺した声が漏れる。
しかしその直後、彼は今、自分が敵に無防備な姿を晒しているかに気が付き、背筋を凍り付かせた。
慌てて顔を上げると、こちらをジッと見つめている魔獣と目が合った。
魔獣は見た事も無い珍獣を――マヌケな生き物を見るような目をしていた。
その目を見た瞬間、ロビーダは全てを悟った。
(全ては魔獣の仕組んだ罠だったのか! コイツは弱ったふりをして、俺を罠の場所までおびき寄せたんだ! 好機に浮かれた俺は、罠の存在を見抜けずに不注意な攻撃を繰り出してしまった! コイツはそこまで読み切って俺に隙を見せたんだ!)
ロビーダはまるで悪魔のごとく人間の心を弄ぶ、小さな黒い獣を睨み付けた。
「この・・・化け物め」
『最も危険な銃弾』
大きな衝撃を受けて、ロビーダの頭がガクンと跳ね上がった。
こうして”五つ刃”、”不死の”ロビーダは、暗闇の中、魔獣と死闘を繰り広げた結果、最後の最後に運に見放され、その命を落としたのだった。
次回「メス豚と敗軍の将」




