その210 メス豚vs”不死”
◇◇◇◇◇◇◇◇
クロ子が村に突入する一時間ほど前。
空が夕焼けで真っ赤に染まり、太陽が西の尾根にかかった丁度その頃、山の中腹で立ち尽くす影があった。
額に一本の小さな角が生えた、若い小柄な亜人だ。
彼の名はウンタ。
クロコパトラ歩兵中隊で、クロ子に副官を任されている青年である。
「クロ子・・・まだか」
彼の背後では、水面が鏡のように夕日を反射して光っている。
元々、この場所には沢があったが、水は堰き止められ、今では池のようになっていた。
勿論、工事をしたのはクロ子である。
彼は仲間が人間の軍隊と戦う中、ずっとこの場所で待機していた。
最初、彼はクロ子の命令が不満だった。
「その役目は本当に俺でなければいけないのか? 確かに俺は、カルネ達と違って分隊を率いる隊長ではないが、兵士として戦う事なら十分に出来るぞ」
『別にあんたが戦力になるとかならないとか、そういう理由じゃないの。誰かが別動隊を指揮しなければいけない。だったら、私の他にはあんたしかいないでしょ?』
クロ子の言う別動隊。それは村の力自慢の中年男性達だった。
しかし、それでもウンタは納得出来なかった。
「村のみんなだってクロ子の指示通りに動くくらいは出来るだろう。別に俺がいなくてもいいんじゃないか?」
『ダメよ。彼らはクロカンの隊員じゃないわ。今日の防衛戦は命がけの戦いになる。悪いけど、隊員以外の人間を信じて任せる事は出来ないわ』
それに、敵の部隊が別動隊の方にも現れるかもしれない。
そうなった時、適切な判断が取れる者が必要だ。
別動隊の作業は、今回の夜襲の際の要となる。クロ子は可能ならピンククラゲ水母に任せたいとまで思っていた。
『水母には分隊間の通信をお願いしているから、村にいて貰わないといけない。だから別動隊を任せられるのはあんたしかいないのよ』
「・・・分かった」
ウンタは渋々、クロ子の命令を受け入れた。
結果的に、この場所に敵は現れなかった。
ここは戦場となっている旧亜人村村から、ずっと山を登った所にある。
村で行われているはずの戦闘音すら、届かない程の山奥なのだ。
元々、敵軍が現れる可能性の方が低かったのである。
確かに、クロ子の言いたい事も分かる。
ウンタが加わった所で、八十人の戦力が八十一人になるだけの話だ。
ならば、他の重要施設で村の男達の指揮をして貰った方がいいだろう。
しかし、ウンタはこうしている今も、あの時、無理を言ってでも仲間と一緒に戦場で戦うべきだったのではないか、という迷いを消せずにいた。
「まさか全滅したりはしてないだろうな。――いや。あのクロ子がいるんだ。そんな失敗をするとは・・・来た!!」
山の中に野犬の遠吠えが響き渡った。
短く、短く、長く、短く、短く。
・ ・ ― ・ ・
ト連送――意味は『全軍突撃せよ』。
クロ子からの作戦開始の合図である。
別動隊の中年男性達にもこの遠吠えは聞こえている。彼らは一斉に立ち上がった。
「ウンタ!」
「ああ。クロ子からの合図だ! みんな堰きを壊せ!」
男達は「おう!」と、返事を返すと、水を留めていた堰きへと取り付いた。
「焦るな! 慎重にやれ! そこ、溝の上に立つんじゃねえよ! 水に流されるぞ!」
「息を合わせろ! コイツを持ち上げっぞ! せーの!」
クロ子の魔法なら簡単、お手軽な土木作業も、人力で行おうと思えば時間も人手もかかる。
彼らは慎重に、水を堰き止めていた木材をどけていった。
水は最初はちょろちょろと。やがてはドッと勢い良く流れ出す。
流れ出た水は、事前に掘っておいた溝を伝って、山の斜面を流れ落ちて行った。
ウンタは作業を見守りながら呟いた。
「クロ子。俺達は役目を果たしたぞ。後は任せた」
既に太陽は西の山に沈み、空には星の光が瞬き始めていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
炎と喧噪に包まれた旧亜人村。
焼け残った家の屋根の上で、私は黒装束の男と睨み合っていた。
「――ここでお前を殺す」
『はんっ。それはこっちのセリフだ!』
黒装束の忍者野郎は敵の指揮官だ。殺意むき出しで右手の剣を構えている。飾り気のない直刀の片手剣だ。
昼間戦った敵指揮官よりも、武器としての射程はかなり短い。
遠距離攻撃が主体の私にとっては、かなり有利な相手である。――が、コイツは決して甘く見ていい相手じゃない。
この一ヶ月。私はこの忍者野郎に散々邪魔をされ続けて来た。
この夜襲は私の立てた作戦の中でも最大級のものだ。村を犠牲にしてまで行ったこの作戦を、コイツに邪魔させるわけにはいかない。
のこのこ姿を現したのが運の尽き。この場で始末して憂いを断つ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
”五つ刃”、”不死の”ロビーダは、目の前の野獣――クロ子を油断なく観察していた。
相手は”双極星”ペローナ・コロセオですら、危うく殺されそうになった強敵だ。
いや、ロビーダが横やりを入れなかったら、実際に命を奪われていただろう。
それ程目の前の獣は危険な相手なのである。
本来であれば、こんなふうに一対一で戦うべきでは無かった。
(俺としたことが血気に逸ってしゃしゃり出てしまうとはな。これではコロセオの事は言えないか)
ロビーダは密かに自嘲した。
正々堂々と名乗りを上げての戦いなど、ロビーダが最も唾棄すべき行為である。
死んだ後で、あいつは勇敢だった、立派な最後だった、などと尊敬されても何の意味も無い。彼はそう考えていた。
ロビーダは”双極星”コロセオ達とは違い、奴隷という最底辺から”五つ刃”にまで登り詰めている。
元々、誇れる家柄ではないため、死んだ後の名声にも興味は無い。興味があるのは現世での裕福な暮らしのみ。
つまりは金だ。
名声よりも金。ましてや相手は魔獣である。卑怯上等。正々堂々だろうと、不意打ちだろうと、同じ勝ち。勝てばいいのである。
そんな彼が今、魔獣とこうして相対しているのは、女王クロコパトラの策に衝撃を受け、混乱していたせいである。
女王は村を焼き、こちらの一網打尽を狙った。
これが、そこらのありふれた村なら、あるいはロビーダでも考え付いた策だったかもしれない。(※こういう策を思い付き、時には実行するからこそ、彼は同僚からも敬遠される存在なのだが)
確かに。敵軍が村に入り、油断した所に村に火をつければ、大きな被害を与える事が出来る。
だが、この村は、彼らが手間をかけて要塞化した、女王にとっては前線の砦である。
位置的にも物理的にも失うわけにはいかない重要拠点を、焼き払う事が前提の作戦で使い潰すなどあり得るだろうか?
敵軍に被害を与える。女王クロコパトラは、ただそれだけの目的のために村を焼いた。
まともな指揮官なら絶対にしない行動だ。
ロビーダですら考え付かない。
そんな戦の常道から外れた策を実行に移した女王クロコパトラに、ロビーダは、夜の海を覗き込んだ時のような、底知れぬ不気味さを覚えていた。
兵士達が算を乱して逃げ出す中、ロビーダは一人、衝撃を受けたまま立ち尽くしていた。
そんな彼の目が、屋根の上の異物を捉えた。
この一ヶ月の間、彼に散々に煮え湯を飲ませて来た、黒い悪魔。
そう。魔獣がいたのである。
その瞬間、ロビーダは衝動的に走った。
気が付いた時には彼は屋根の上に登り、魔獣と対峙していたのだった。
最初に攻撃を仕掛けたのはクロ子だった。
『最も危険な銃弾!』
クロ子の目の前の空気が渦を巻き、不可視の弾丸が”不死の”ロビーダに迫る。
ヒュッ!
しかし、ロビーダは右手の剣を鋭く一閃。クロ子の魔法を打ち消していた。
「なるほど。これがコロセオの言っていた謎の魔法攻撃か。だが、今回は場所が悪かったな」
『・・・ちいっ』
クロ子は悔しそうに舌打ちした。
最も危険な銃弾の魔法で発生する空気の渦は透明だ。日頃は余程注意しなければ気付く事は出来ない。
しかし現在、旧亜人村は火に包まれている。立ち昇る黒煙や舞い散る火の粉、それに細かな灰等が空気中に漂っている。
最も危険な銃弾の魔法はそれらを巻き込み、目に見える渦になっていたのである。
『だが、見えていても躱せなければ同じ事だ! くらえ! 最も危険な銃弾乱れ撃ち!』
クロ子の周囲に、今度はいくつもの空気の渦が発生する。
その数十個。
その全てから同時に空気の弾丸が発射される。
いかに達人でも、たった一振りで、十個の弾丸を打ち消す事は不可能だ。
だがあと一歩遅い。空気の弾丸は何も無い空間を通過した。
ロビーダはヒラリと地面に飛び降りていた。
細身の黒装束が家の中に消える。
『それで隠れたつもり?! はんっ! そいつは悪手だ! EX点火!』
全ての家の屋根裏部屋には、火口となる乾いたワラが詰め込まれている。
クロ子の魔法を受け、瞬く間に家は炎に包まれた。
『火に焼け出された所を仕留てやる――って、うわっ!』
『魔力障壁』
ガキン!
ピンククラゲ水母の魔力障壁がクロ子の周囲を覆うと、クナイをはじいた。
「・・・昼間も同じようにして俺のスリケンを防いだな。それもお前の魔法か?」
いつの間にかロビーダは、クロ子の乗った家の屋根の縁から、胸から上を乗り出していた。
そのまま一呼吸で屋根の上に登る。まるで体重を感じさせない、しなやかな動きだ。彼が体術にも優れている事がうかがわれる。
『この位置は敵の距離』
『わ、分かってるっての』
クロ子は慌ててバックステップ。
ロビーダの剣の間合いから逃げ出した。
『とにかく、ここじゃ私が不利だ! 一旦間合いを取り直す!』
クロ子は地面に降りると村の中を駆け抜けた。
次回「メス豚と仇討ち隊の壊滅」




