その206 メス豚、退却命令を出す
かつて私が水母の施設で戦った角の生えた生物達。
正確に言えば、水母によって角を移植された生き物達、だが。
その中の一匹――角イタチが使用した魔法。それはまるでスタングレネードのような魔法だった。
スタングレネードとは、炸裂と共に大きな爆発音と強烈な閃光を放つ、非殺傷性の兵器の事を言う。
怪我をさせずに犯人を麻痺させるために開発された兵器で、人質の救出や暴徒鎮圧、対テロなどの牽制制圧に用いられるそうだ。
角イタチが使ったスタングレネードの魔法は非常に強力だった。
ただし、欠陥魔法でさえなければ。だ。
そう。この魔法は必ず使用者も巻き込まれる、自爆必至の特攻魔法だったのである。
しかし、魔法それ自体はシンプルかつ、効果も非常に魅力的なものだった。
私はこの魔法を解析。圧縮という新たな魔法を作り出した。
その製作過程で生まれたのが、今回、私が使った”猫だまし”の魔法なのである。
『コイツで決める! 猫だまし!』
魔法を発動した瞬間。私はギュッと目を閉じた。
音も無く、熱も無く、唐突に空間の一点が閃光を発する。
まぶた越しに太陽を見た時のような、白い光が溢れる。
光は一秒にも満たないほんの一瞬で消滅した。
それで終わり。私は目を開けた。
ギャリン!
うおっ!
その途端、金属がこすれる甲高い音と共に、目の前に火花が散った。
直後にゴッツイ槍の刀身が私の体をかすめる。危なっ!
バツン! ビシッ!
視界の片隅に、黒い影が高速でぶっ飛んで行くのが映った。
「うわああああっ!」
「ぎゃああああっ!」
兵士達の悲鳴が上がる。
何だ? 何が起きた?
猫だましの魔法は、その名の通り、猫だまし――目くらましの魔法である。
角イタチのスタングレネードの魔法から、発光する部分だけを再現した魔法となる。
カメラのフラッシュを想像して貰えばいいかもしれない。
ちなみに、光量自体は、カメラのフラッシュよりもずっと小さいと思う。
この魔法では、これ以上光を強くすると安定しないのだ。不安定過ぎて、極み化も出来ない程である。
本当に目くらまし程度にしか使えない、不完全な魔法なのだ。
しかし、音も無く、光量も抑えられたおかげで、こちらが自爆する心配はほとんど無くなった。
あ。閃光を直接見たら別だぞ。いくら私でも流石にそんなマヌケな事はしないが。
ちなみにこの時は、こんな事をのんびり考えているヒマはなかった。
目の前には槍を突き出した姿のまま、顔を背けている敵の指揮官。
閃光を直視してしまったのだろう。顔を大きく歪め、目を閉じている。
完全に流星鎚の攻撃範囲だ。
しかし、さっきまでうなりを上げて私の周囲を旋回していた流星鎚の姿が無い。
どうやら、敵指揮官の攻撃は、猫だましの魔法で狙いが逸れ、流星鎚を両断してしまったようだ。
破壊された流星鎚は、その勢いのままぶっ飛び、野次馬達の中に飛び込んだ。
さっき私の視界の隅をかすめたアレは、流星鎚の残骸のようだ。
そしてあの悲鳴は、被害にあった兵士達のものだったのである。
――といった事情を、私は瞬時に理解した。
流星鎚という武器は失ったものの、敵の視力はまだ回復していない。
今がチャンスだ。
ここでこの戦いを終わらせる。
『最も危険な銃弾!』
私の前方の空気が渦を巻き、必殺の弾丸が生み出される。
外すような距離でもなければ、躱されるような状況でもない。
取った!
私は勝利を確信した。
『魔力障壁』
だから、私の背中のピンククラゲが何をしたのか、咄嗟に理解出来なかった。
ガキン!
金属音がして、黒い何かが地面にポトリと落ちた。
鋭利な刃物。ナイフ――いや、クナイか。刃の部分が変色している事から、何かしらの毒物が塗られているのが分かる。
そう。どこからか、毒クナイが飛んで来たのだ。
私は慌てて振り返った。
アイツか!
全身黒ずくめの男が、次のクナイを手に立っていた。
この一ヶ月の間、私の仕掛けた罠をことごとく見破って来た、あの忍者野郎。敵の手強い指揮官だ。
私はカッと頭に血が上った。
コイツは一体、どれだけ私の邪魔をすれば気が済むんだ。
水母のピンククラゲボディーは、高性能な観測機器の集合体である。
彼は飛んでくるクナイを察知し、瞬時に障壁を張って敵の攻撃から私の身を守ってくれたのである。
くそっ! 私はマヌケか!
元々私は、敵が正々堂々、一対一で勝負して来るなどとは考えてもいなかった。
越前国の戦国武将、朝倉宗滴も「大将というものは、犬と言われようが、畜生と言われようが、 勝つことこそが最も大事」という言葉を残している。
戦争というのは勝たなければ意味は無い。勝てば官軍。勝った者こそが正しいのである。
私は、絶対に勝負の最中に横やりが入るだろう、と考えていた。
しかし、思わぬ苦戦を強いられた事で、いつの間にか私の頭からは、目の前の強敵以外の存在がスッポリと抜け落ちていたようだ。
「くっ! 何だ今の光は?!」
ちいっ。髭モジャが視力を取り戻したか。
猫だましの魔法の光は大して強くはない。夜ならまだしも、昼間にはそれほどの効果はないのだろう。
この髭モジャに加えて、忍者野郎も一緒に相手にするのは自殺行為だ。
悔しいがこの場は退くしかない。
私は大きく飛び退きながら、首に下げた通信機に向かって叫んだ。
『クロコパトラ歩兵中隊! 全軍退却! 現在の持ち場を即座に放棄して、全員村から脱出! 負傷者は近くの者がカバーする事! 急いで!』
敵指揮官との勝負は引き分け。だが、あと一歩。あとほんの一~二数秒あれば、必殺の魔法をお見舞いしていたはずだった。
私は諦めも悪く、憎っくき忍者野郎を睨み付けた。
あそこでコイツさえしゃしゃり出て来なければ、上手くいったのに。
イタリアのギャングは、ブッ殺すという言葉を使う必要がないという。
ブッ殺すという言葉を頭に思い浮かべた時には、もうすでに終わってる――相手を殺した後なんだそうだ。バトルアニメで得た知識だけど。
ギャングはブッ殺すという言葉を使わない。だが、私はあえて言おう。
『次に会った時、必ずお前をブッ殺す』
これは負け惜しみなんかじゃない。決意表明みたいなものだ。
私は踵を返すとこの場から逃げ出した。
やっぱりチンピラの負け惜しみにしか聞こえないって? うっさいわ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
魔獣は風のように走り去って行った。
コロセオは青ざめた顔で槍を構えていたが、魔獣が戻って来ない事が分かると、大きく息を吐いて肩から力を抜いた。
そして彼は憮然とした表情で、同僚を――”五つ刃””不死の”ロビーダを――睨み付けた。
「不死の。お前に助太刀を頼んだ覚えはねえぞ」
助けて貰っておきながら随分なもの言いだが、付き合いの長いロビーダには、コロセオが強がっているのが丸分かりだった。
コロセオ程の達人が、自分が九死に一生を得た事に気付いていないはずはない。
だが、今ここでその点を指摘した所で、コロセオは絶対に認めようとはしないだろう。
指揮官として、そして彼自身のプライドが、素直に負けを認めさせないのである。
(バカげた意地だ)
ロビーダは内心でため息をついた。
彼は、一時の勝ち負けなどどうでもいい、という考えだった。どんな手段を使おうが死ななければ良いのだ。
生きてさえいれば、何度だって再戦出来るし、最終的に相手を殺せば勝ちになる。
そういう意味では、勝ち目がないと分かった途端、素早く逃げ出した魔獣の方が、まだロビーダにとって共感できる相手であった。
(同僚よりも獣の方に共感出来るというのも、我ながらどうかと思うが)
ロビーダは気持ちを顔に出さないようにしながら、コロセオに返事を返した。
「そうか、スマン。後方で休憩を終えて戻って来た所で、丁度、魔獣の姿を見つけたものでな。咄嗟に攻撃してしまったんだ」
ロビーダはサラリと嘘をついた。実は彼が戻って来たのはコロセオが魔獣に――クロ子に戦いを挑んだその時だった。
つまり、事の最初からずっと見ていたのだ。
とはいえ、彼も本当に魔獣がコロセオの挑戦を受けるとは思っていなかった。
意外な展開に興味を持って、ジッと見ているうちにコロセオがピンチになり、つい手を出してしまったのである。
「・・・邪魔するつもりがなかったんなら、別に謝る必要はねえ」
コロセオはロビーダの性格を良く知っている。十中八九、口からの出まかせだと思いながらも、ここは彼の噓に乗る事にしたようだ。
ロビーダはもうコロセオを見ていない。クロ子の去って行った方向をジッと見ていた。
「それでコロセオ。どうするんだ?」
「勿論、逃がすつもりはない。――が、ずっと攻めっぱなしで負傷者も出ている。一度引いて部隊を再編成し直す事にする」
明らかに自分の疲れを誤魔化すための詭弁だったが、兵士達に攻め疲れが見えているのも事実だった。
後退の角笛が吹き鳴らされると、兵士達は後方に下がり、休憩と簡単なケガの治療を行うのだった。
約三十分後。彼らは部隊の再編成を終えると、第二次攻撃を開始した。
そして彼らは何の抵抗も受ける事無く、亜人の村への突入に成功した。
村には誰の姿も無かった。
亜人達は村を捨てて逃げ出していたのである。
次回「メス豚、行動を開始する」




