その191 メス豚と追跡者
私達、クロコパトラ歩兵中隊の主力部隊は、藪に隠れて敵軍の様子を窺っていた。
敵はいい感じに混乱しているようだ。
ここから見た感じ、負傷者だけでも相当な数になっていそうである。
さもありなん。敵からすれば、突然、ぶっとい丸太が十本以上も転がって来た訳だからな。
本来であれば、ここですかさず追撃をかけたい所だが、残念ながらこちらには戦力の持ち合わせがない。
せっかくのチャンスだというのに、こうして指をくわえて見ているしか出来ないのである。ぐぬぬっ。せめて今の十倍も戦力があれば。
その時、近くで木を打ち鳴らす音がした。
ハッと緊張する隊員達。しかし、決められた符丁で打ち鳴らされている事に気付くと、途端に肩の力を抜いた。
すぐにガサガサと茂みが揺れると、クロカンの副官、亜人の青年ウンタが姿を現した。
彼は敵軍まで偵察任務に出ていたのだ。
『ご苦労様』
「ヤツらに見付かって少し追いかけられたが、折角だから罠の場所に誘導して撒いて来た。人間側の負傷者は五十人以上。動けないヤツや自分では歩けないヤツらは、別の兵士が背負って山を降り始めている。動かないヤツの中で、残されているのは十三人。多分、死んだか、治療してももう助からないと判断されたヤツらだと思う」
目の前の敵の数は千五百人。今回、罠にかけられたのは、その中の五十人という訳か。これを多いと見るか少ないと見るか。
私の背中でピンククラゲがフルリと震えた。
『全治一ヶ月未満、多数。全治一ヶ月以上、六十五人。生死にかかわる負傷、五人。死者、八人』
その時、敵兵の中から悲鳴が上がった。なにやら兵士達が集まって、丸太の間から仲間を引っ張り出している。
どうやら突然転がった丸太に、挟まれた兵士がいたようである。
『全治一ヶ月以上一人追加。六十六人』
ピンククラゲ水母は、前文明によって作り出された対人インターフェースである。
彼の柔らかボディーは、こう見えても高性能な観測機器の塊なのだ。
ウンタは少しだけイヤそうな顔をした。
偵察に出た自分よりも、この場にいる水母の方が、敵の負傷者の数を正確に把握していた事に釈然としないのだろう。
気持ちは分かるけど。情報というのは数字の正確さだけじゃないから。
むしろ求められるのは”生きた”情報。数字には表れない情報だから。
『それでどう? 敵はどう動きそうだった?』
そう、これ。こういった情報は数字だけでは分からない。
兵士の動き。彼らが交わしている会話。指揮官が下す命令。そういったものを直接見聞きして、現場の兵士達の熱量――士気を感じなければ知る事の出来ない貴重な情報なのである。
この手の話は何も戦場だけに限らない。例えば企業にとってマーケティングは大事だが、数字だけに踊らされていてはユーザーの求める真のニーズは見えてこない。
そこを考え違いした企業から、今までどれだけの失敗ゲームが生み出されて来た事か。
プロモを成功させて、事前登録者数は稼いだのに、いざサービスが開始されると、中身は有名ゲームの劣化コピーだった事がバレて、一気にユーザーが離れてしまった某アプリゲームなんかは良い例だ。
具体的に名前を出せって? いやいや、私に死体蹴りの趣味はないから。
ウンタは少し考え込んだ後で答えた。
「このままでは済ませない。そんな感じだったな。ひょっとして一度安全な場所まで下がるかもしれない、とは言っていたが、ここで諦めたりはしないはずだ」
ふむ。敵の指揮官としては、やられっぱなしでは部下に愛想をつかされる、といった所か。
ならばこちらも、敵が動き出す前に、次の罠の場所まで移動するべきだな。
『ここには劣化・風の鎧「俺達の魔法だ」・・・俺達の魔法の魔法を使える者を四~五人残して、残りは次の罠まで後退。残った者達も無理をせず、敵が行軍を開始したらこちらに合流して頂戴』
「分かった。ハリィ。お前とお前の第七小隊の古参隊員が残ってくれ。お前の隊の新人隊員達は一時的に俺の隊に合流させる」
「ああ、分かった」
ハリィ? あっ! 劣化・風の鎧の魔法を開発した、あの魔法使いハリィか!
なんだか久しぶりにお前の名前を聞いた気がするよ。
せっかく私が名前を覚えている数少ない(※問題発言)初期メンバーなんだし、もっと活躍してくれてもいいんだがな。
いやまあ、こうして小隊長に選ばれている所を見ると、一応、彼なりに頑張っているのかもしれないが。
ちなみにウンタは私のそばで副官の仕事があるので、隊員は付けていない。
とはいえ、今回は負傷欠場中の大男、カルネが指揮する予定の第一小隊が空いているので、臨時で隊長をやって貰っている。
カルネは早ければ来週にでも現場に復帰出来るそうなので、そうなれば晴れて彼が隊長に就任する予定だ。
『よし。それじゃ移動開始!』
私が魔法使いハリィ達を見張りに残して、移動を開始しようとしたその瞬間――
私は突如、何か悪寒のような物を感じて体を固くした。
「? どうしたクロ子?」
『――今、誰かに見られたような・・・いや、何でもない』
今思えば、それは獲物を見つけた捕食者の視線だったのだろう。私の野生の勘が、”敵”の気配を敏感に感じ取ったのだ。
とはいえ、それはほんの一瞬の違和感に過ぎなかったので、この時の私は深く考える事は無かった。
生まれてからこのかた、ほぼほぼ飼い豚だった私には、野生の成分がまるっと不足していたし、今はそんな事よりも目の前の敵軍に対処する方が重要だったからである。
◇◇◇◇◇◇◇◇
クロ子達から五百メートル程離れた木の上で、黒い影が動いた。
影の正体は、全身黒ずくめの痩せた男。”五つ刃”、”不死の”ロビーダである。
ロビーダは行軍の最中、何か不穏な気配を感じ取った。
数々の修羅場で彼を命の危険から救って来た、虫の知らせである。
彼は己の直感に従い、速やかにその場から離脱した。
その際、彼は誰にも打ち明けず、警告もしなかった。完全な独断専行である。
イヤな予感がすると言った所で通じるとは思えないし、説明の時間も惜しかった。
そもそもロビーダは、仲間や部下と打ち解けるような性格ではない。
この辺は、同じ五つ刃の孤高の剣士、”一瞬”マレンギと通じるものがあった。
ちなみに五つ刃で一番部下に慕われているのは、間違いなく”フォチャードの”モノティカだろう。
次いで、この仇討ち隊の指揮官でもある、”双極星”ペローナ・コロセオ。
同じく双極星のペローナ・ディンターは、本人の能力が高いためか、他人を見下す態度を取ってしまいがちで、周囲の評判は良くなかった。あるいは彼が五つ刃で一番人望が無いかもしれない。
果たしてロビーダが隊を離れた途端、クロ子の仕掛けた罠が味方の軍に襲い掛かった。
突如、十数本にも及ぶ巨大な丸太が、急な斜面を転がり落ち、その圧倒的な質量で兵士達を押しつぶしたのである。
ロビーダは敵の攻撃を確認するや否や、そのまま斜面を大きく迂回。斜面の上――敵の部隊がいると思われる地点へと向かった。
森の中をしなやかに走るその姿は、まるで一匹の肉食獣のようにも見えた。
昨日、クロ子に全滅させられた猿の兄弟ほどではないが、ロビーダも猿のリーダーと同門――捨身剣の使い手である。
捨身剣は大モルトに数ある剣術流派の中でも、体術を中心とする、一風変わった超実戦剣術である。
その捨身剣で免許皆伝を会得したロビーダにとって、この程度の森を移動するなど造作もない事であった。
ちなみにロビーダの学んだ道場は、数ある捨身剣の中で古流とも源流とも言われる、”陰流”捨身剣である。
今から五百年程前に、誰も知らない異国の地、相模国から渡って来たと伝えられる開祖”軒猿”が作り出した捨身剣。その技術を現代に伝える正統な流派とされている。
クロ子達は巧みに身を隠していたが、四十人もの人間の存在を完全に隠す事など出来はしない。
ロビーダはさほど苦労する事なく、彼らの姿を発見した。
敵の数は予想外に少なかった。
(ちっ。本来であれば、こういった時のためにも”猿”がいたのだが・・・)
ロビーダは不満顔で舌打ちをした。
もし、ここに猿の兄弟がいれば、彼らと協力して瞬く間に敵を殲滅し、情報を聞き出すために何人かを捕虜にしていただろう。
だが、いかにロビーダが高い技量を持つ剣士であっても、流石に一人で四十人もの敵に挑む訳にはいかない。
そんな事をすれば、あっという間に取り囲まれ、なます切りにされるだけである。
一人で出来る事にはどうしても限界がある。
ロビーダは替えの利かない貴重な戦力を失った痛手を強く感じていた。
その時、ロビーダは敵の中に気になる生き物を見つけた。
それはあまりに小さくて黒い小動物だったため、最初は見落としていたのだ。
その小動物は、何故か背中にショッキングピンクの色をした塊を乗せていた。その動物が動く度に、そのピンクがチラチラと視界に入るので、ようやく存在に気付く事が出来たのである。
「野犬? いや、豚? 子豚か?」
怪訝な表情で呟いた瞬間、不意にロビーダの脳裏に敵の捕虜から聞いた情報が蘇った。
捕虜の男は何と言っていただろうか? そうだ――
「そうだ、魔獣! まさかあれが魔獣なのか?!」
魔獣とは、見た目は子犬くらいの大きさで、額に角が生えた黒い獣らしい。姿は豚に似ているとも言われているそうだ。
確かにあの小動物と特徴は一致する。
そしてもし、あの生き物が本当に魔獣なら、魔獣は亜人が使役しているという事になる。
「いや、違う! くそっ! 俺はマヌケだ! どうしてこんな簡単な事に気が付かなかったんだ!」
魔獣と亜人が協力関係にあるのは見ての通りだ。
魔獣が麓の村人を襲わず、山に入った兵士だけを狙うのも、亜人を守るためだろう。
しかし、だからと言って、亜人が魔獣の主人であるとは限らない。
なぜなら、この山には魔獣以外にも魔法を使う存在がいるからだ。
数々の強力な魔法を使い、数多くの大モルト軍の兵士を殺し、五つ刃”フォチャードの”モノティカを殺し、彼らが仕えた主君、”古今独歩”ボルティーノ・オルエンドロをも葬り去った、あのにっくき魔女が。
「女王クロコパトラ! 魔獣は女王が使役していたんだ!」
女王は主君を殺し。女王が使役する魔獣は猿達を殺した。
俺の宿敵があそこにいる!
その瞬間。魔獣はビクリと身をすくめるとこちらに振り返った。
ロビーダは慌てて木の後ろに身を隠した。
どうやら魔獣は彼の激しい殺気に反応したようだ。
魔獣は落ち着かない様子で周囲を見回していたが、やがてこちらに尻を向けると、そのまま藪の中に消えてしまった。
どうやらこちらに気付いた訳では無かったようだ。
ロビーダはホッとすると共に、感情に流された自分を諫めた。
魔獣の後に亜人達も続き、この場所には、数名の見張りが残されるだけとなった。
その数は五人。ロビーダ程の使い手であれば、不意さえ突けば、十分に殲滅可能な人数である。
しかし、彼にそのつもりは毛頭なかった。
ロビーダは木から降りると、周囲に注意を払いながら慎重に山を登り始めた。
(あんなザコを数人殺しても大した意味はない。それよりも今は俺がヤツを――魔獣の存在に気付いた事を気取られない方が重要だ)
見張りが戻って来なければ、あの魔獣は警戒を強めるだろう。
ヤツは手強い。二度とさっきのようなミスは犯さない。
隊員達を連れて第二の罠の場所を目指すクロ子。
しかし彼女は、遠くはなれた遥か後方に、自分達の後を付けて来る五つ刃の存在がある事にまだ気が付いていなかった。
次回「メス豚と第二の罠」




