その190 ~奇襲攻撃~
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山歩きに慣れない兵士達にとって、重い装備で道も通っていない山を登るのは、かなりの重労働である。
行軍を開始してたったの一時間。しかし、仇討ち隊の兵士の中には早くも疲労で顎を出している者も見られた。
部隊の中ほどを進む指揮官の”双極星”コロセオは、予想よりも険しい斜面に、苛立ちと後悔を覚えていた。
(ちっ。俺の悪い癖だ。つい、感情に任せて動いちまう。昨夜、”不死の”に忠告された通り、最低でも一日は休みを入れて、行軍で溜まった疲労を抜いておくべきだったぜ)
彼は周囲の兵士達を見まわした。
流石に彼の近くを歩くような者達は平気な顔を崩さないが、それでも慣れない山歩きに閉口しているのは明らかだ。
部隊全体がこんな状態で、もし、亜人達と遭遇すればどうなるだろうか?
(こっちでこんな様子なら、別動隊のヤツらもさぞ苦労してやがるだろうな。仕方ねえ。少し早いが小休止だ。今日は多めに休みを入れて――)
コロセオが部下に指示を出そうとした、まさにその時だった。
ドドドドドド
前方から腹に響く低い音が響き渡った。次いで兵士達の大きな悲鳴。
部隊は一気に騒然となった。
「何だ?! 何が起きた?!」
「亜人のヤツらが攻めて来たのか?!」
千五百という人数は、部隊の規模で言えば、一つ以上の大隊を含む”連隊”にあたる。
それほどの数が山の中を行軍すれば、おのずと隊列は長く伸び、先頭や最後尾には目が届かなくなる。
ましてやここは、人の手がほとんど入っていない原生林だ。生い茂る草木や茂みによって視界は遮られ、少し先までしか見通す事が出来なかった。
コロセオはうろたえる部下達を怒鳴りつけた。
「騒ぐな! 俺を中心に円を描くように陣を作れ! 急げ!」
「は、はい!」
大将を中心に方形、ないしは円形に部隊を展開する形を”方円の陣”と言う。
全方位からの攻撃に対応出来る守備的な陣形だが、状況によっては攻撃に移る事も可能な柔軟な形とも言える。
いわゆる”八陣”と呼ばれる代表的な陣形の一つなのだが、勿論、コロセオが日本式八陣を知っている訳ではない。
彼の武将としての天性の勘――閃きが、この場における最適解を選んだのである。
咄嗟の状況に浮足立っていた隊長達が、指揮官の命令で慌てて動きだした。
恐怖や混乱は容易く人の間を伝播する。大軍が敗れる時は、大抵、本来の力が出せないうちにいつの間にか負けているものなのだ。
混乱している人間には、とにかく何でもいいから命令をして、何かをやらせておく。要は余計な事を考えさせないようにするのだ。
そうしているうちに、頭が冷えて周りが見えるようになって来るのである。
コロセオの素早い判断によって、部隊は急速に冷静さを取り戻していった。
それと同時に、前方から慌てふためいた兵士達が、斜面を転がるようにして逃げて来た。
「どうした?! 前方で何があった?!」
「あ、亜人達の襲撃です! 大量の木が! 仲間が押しつぶされて大変な事に!」
兵士達の説明は要領を得ないものだったが、襲撃を受けたのは間違いないようだ。
コロセオの副官が指揮官に尋ねた。
「いかがいたしますか?」
「――全軍で前進だ」
なぜ、先鋒を任せていた”不死の”ロビーダが、敵の伏兵に気付かなかったのかは分からない。
しかし、敵の奇襲攻撃があったのなら、ここで動かなければ先鋒の兵士達を見殺しにしてしまう。
コロセオの判断は早かった。
「全軍前進!」
彼らは逃げて来る仲間を押しのけながら斜面を駆け上がった。
襲撃現場と思われる地点は、特に勾配が険しい場所だった。
「こ、これは・・・」
「クソがっ! ナメたマネしやがって!」
無残な光景に、コロセオは怒りで真っ赤になった。
決して亜人を甘く見ていた訳では無い。しかしこの事態は完全にコロセオの予想外だった。
よもや敵が事前にこれほどの大仕掛けを仕込んでいようとは。
そこには大きな丸太が十本以上、無造作に転がっていた。
どれも大の大人が二人がかりで手を回して、抱えきれるかどうかという巨木である。
下生えがまるで道のように薙ぎ倒されている事から、これらの丸太が斜面の上から転がり落ちて来た事は明らかである。
神殿の柱に使われるような太い丸太の下には、逃げ遅れた兵士が押しつぶされ、苦しそうに呻いている。
その数およそ十数人。全体の負傷者の数は数十人――いや。あるいは三桁に届いているかもしれない。
助けを求める兵士達の声がここまで届いていた。
「コ、コロセオ様」
「うろたえるんじゃねえ! このまま前進! 半数は周囲の警戒を続けろ! 敵は間違いなくこの近くに潜んでいる。油断するな! 残りの半数は負傷者の救助だ! 急げ!」
兵士達は数人がかりで巨大な丸太に取り付くと、下敷きになっている仲間の救出に取り掛かった。
「バカ! こっちに押すな!」
「危ない! 丸太が転がって・・・うわああああっ!」
現場は斜面の途中。そして転がりやすい丸太とあって、救出活動は危険を伴った。
バランスを崩して転がり出した丸太に挟まれ、負傷する兵士も出ている。
彼らは何人かのケガ人を出しながらも、どうにか無事、全員を助け出す事に成功した。
現場の派手な見た目にも関わらず、ケガ人の数に対して死者の数は意外と少なかった。どうやら丸太という殺傷力の低い罠だった事が幸いしたようだ。
そしてコロセオが懸念していた、敵による襲撃は全く行われなかった。
コロセオは訝しげに眉間に皺を寄せた。
(敵は何がしたいんだ? 作業中の兵士は完全に無防備だ。なのになぜ、ここで攻撃を仕掛けて来ない。ここまで大掛かりな罠を仕掛けておきながら、なぜこれだけの被害だけで満足する? いいや、ありえねえ。どんなボンクラ指揮官でもここは絶対に追撃を仕掛ける場面だ。ヤツら一体何を考えている)
大きな木を何本も切り倒し、枝を掃って丸太にした上で、山の上まで運んで罠を仕掛ける。
言葉にすれば簡単な話だが、その作業量を考えれば、敵にとってこの罠が攻撃の主軸だったのは間違いない。そもそも、それだけの労力を払った罠を、単発で終わらせていい筈はない。
実際、多くの負傷者こそ出してはいるものの、こちらの部隊全体から見れば微々たる損傷でしかないのだ。
その時、見張りの兵から声が上がった。
「亜人だ! 亜人がいたぞ!」
「一匹だと?! そいつは偵察兵だ! 逃がすな!」
「足が早いぞ! そっちからも回り込め!」
どうやら兵士が、藪に隠れてこちらの様子を伺っていた亜人を発見したようだ。
単独で非武装だった事から、偵察の任務を帯びた者だろう。
亜人は発見されたと知るや、慌てて森の奥へと逃げ出した。
「殺さずに捕えろ! ヤツらの情報を聞き出す! 口さえきければ、手足はどうなっていようと構わん!」
隊長は過激な指示を出した。
無残な罠で仲間をやられた兵士達は殺気立っている。
ある程度の報復を許さなければ、事故を装って亜人の息の根を止めかねないとの判断だろう。
相手はまだ若い、男の亜人だ。
彼は先程からチラチラと頻繁に背後を振り返りながら走っている。
どうやら恐怖のあまり兵士達から目が離せないようだ。
そのせいで逃げ足が鈍り、兵士に追いつかれそうになっているのは皮肉というものだろう。
いや、違う。
目ざとい兵士の中には、亜人の額に小さな突起が――角が生えている事に気が付いた者もいた。
そう。この亜人は、ピンククラゲ水母によって魔法増幅器官の手術を受けた、クロコパトラ歩兵中隊の隊員なのだ。
彼らが本気を出して走れば――劣化・風の鎧の魔法を使えば――山の中だろうが平地だろうが、普通の兵士の足では追い付く事が出来ない。
そう。亜人の青年は兵士達を引き離さないように、彼我の距離を調整しながら逃げていたのだ。
その時、追手の兵士が一人、地面に足を取られて転倒した。
「ぐわあっ! い、痛てえ!」
「バカ! 何をやって――ぎゃああ!」
「うぐっ! う、うわああああっ!」
まるで彼の転倒が呼び水になったかのように、追手の兵士達は次々と転倒した。
転倒した兵士達は立ち上がる事すら出来ないらしく、全員がその場にうずくまって痛みを堪えている。
遅れて現場に到着した兵士は、辺りを見回して驚きの声を上げた。
「おい、何があった――こ、これは?!」
良く見れば、下生えに紛れて、あちこちで草が輪になるように結んである。
しかもご丁寧に、細い木の枝を結んで作った棘まで転がされていた。
そう。彼らはまんまと亜人の若者にしてやられたのだ。
亜人の青年は事前に罠を仕掛けてあった場所まで、追手の兵士達を誘導して来たのである。
兵士達は足元の草の輪に足を取られて転倒。倒れて地面に手をついた。
そしてそこには次なる罠――棘が転がっていた。
細い枝で作られた粗末な棘は、その強い衝撃に耐えられずにあっさりと壊れる。
しかし、壊れる事で棘が折れ、手の平や体に刺さった棘は抜こうにもすぐには抜けなくなってしまった。
そう。この棘は最初からこうなるように――壊れるように作られていたのである。
中には顔から地面に倒れてしまった者もいるらしく、顔面から棘を生やしながら痛みに耐えている。
亜人の若者は立ち止まると敵の被害状況を確認した。
「引っかかったのは七~八人といったところか。まあこんなもんだろう。俺達の魔法」
彼は一言呟くと、先程までの逃げ足の遅さは何だったんだと思うような、目を疑うような速度で走り去ったのであった。
次回「メス豚と追跡者」




