その186 メス豚 vs 猿(ましら)の兄弟
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猿のリーダーは内心で喜びの声を上げていた。
先程、遠くに不自然な茂みの動きがある事に気付き、全力でそちらに向かっていたのだが、どうやら本命を引き当てたようだ。
まだまだ距離はあるが、あれは人影に間違いない。
この山に住む亜人を発見したのだ。
そう。クロ子はまだクロコパトラ歩兵中隊は見付かっていないと考えていたが、彼らはとっくに亜人達の移動の痕跡を発見していたのだ。
クロ子は樹上から見下ろす事による視界の広さと、猿の鍛え上げられた視力を甘く見ていたのである。
(向こうはまだ俺達の存在に気付いていないはず。この距離を保ったままヤツらの後をつけて、亜人達の根城の場所を暴いてやる)
人はどうしても頭上に対する注意がおろそかになる。
クロカンの隊員達は誰一人として、遥か後方で自分達を尾行する猿の存在に気が付いていなかった。
いや。ここに一匹。彼らに気付いている者がいた。
クロ子である。
そして猿達は、後をつけている自分達が、よもや背後から狙われているとは思ってもいなかった。
それも当然である。ここは地上十メートル以上の木の上――彼らの領域なのだから。
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私はまるでピンボールの弾のように木の間を飛び跳ねながら、森の中を駆け抜けていた。
前方を行く猿忍者達は、迷いなくどこかを目指している。
やはり彼らはクロカンの隊員達を発見。尾行しているようだ。
私は彼らを追いかけながら、周囲を繰り返し何度も確認していた。
(やっぱり猿忍者共は十人だけか。そして地上には別動隊も無し、と)
どうやらコイツらは十人だけの特殊部隊らしい。
まあ、やってる事は忍者みたいだし、そう考えたらおかしくはないのか?
忍者って何百人もで集団行動をするイメージないし。(※個人の感想です)
よし。殺るか。
私は木を蹴って勢い良くジャンプ。隊列の一番後ろの猿忍者に迫った。
急速に近付く私の気配を感じたのか、猿忍者は空中でふと背後を振り返り――ギョッと目を見開いた。
気付かれたか。だがもう遅い。
最も危険な銃弾!
私の頭上で空気が歪むと、圧縮された空気の棘が発射された。
エネルギーを秘めた高密度の空気の塊は男のこめかみに突き立ち――パンッ! 乾いた音を立てて側頭部をすり鉢状に弾き飛ばした。
男ははじかれたように首を傾けると一瞬にして昏倒。血しぶきをまき散らしながら太い木の枝に激突し、そのまま派手な音を立てながら地上に転落した。
ドカッ! バキバキバキッ! ドサッ!
「どうした?! 枝を掴みそこねたのか?」
「くそっ! この大事な時に。誰か診てやれ! ケガが酷いようなら一緒に後方まで下がれ!」
猿忍者達は木の枝の上で立ち止まると、転落した男を見下ろした。
おっと、これは面白い事になったぞ。
どうやら猿忍者達は、男が自分のミスで木から落ちたと思ったようだ。
最も危険な銃弾の炸裂音は聞こえたはずだが、どうやら木の枝が折れた音か何かだと勘違いしたらしい。
だったらここは様子見で。
私はコッソリ木の後ろに隠れた。
猿忍者達は男の回収に二人残し、リーダーを含めた七人でクロカンの隊員達の後を追う事にしたようだ。
男達の気配が遠ざかって行く。
残された二人はスルスルと木の幹を伝って地面に降りると、倒れた男へと駆け寄った。
「おい、動けるか? ――なっ?! 何だこの傷は?!」
「おい、コイツは木から落ちた時に付いた傷じゃないぞ!」
『最も危険な銃弾× 2!』
驚愕する男達の脳天に不意打ちの棘が突き立ち――パパンッ! 乾いた音を響かせた。
脳天を吹き飛ばされた男達は、重なり合うようにして地面に倒れた。
二人共ピクリとも動かない。
私は彼らが完全に死んだのを確認してから、猿忍者達の後を追いかけたのだった。
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バキバキバキッ! ドサッ!
大きな音を立てて、猿の兄弟の一人が地面に落ちた。
二人目の転落者だ。
連続して二人も手を滑らせた? いや、自分達に限ってそんな事はあり得ない。
「班長?! これは?!」
「全員この場を動くな! 敵の攻撃かもしれん!」
猿のリーダーは部下を制止した。
転落した男は、後頭部から派手に血を流しながらピクリとも動かない。
ただし外傷はそれだけだ。死体を良く見回しても、どこにも矢が刺さっている跡は見当たらない。
つまり遠距離から弓で狙われたのではない事になる。
敵は樹上の猿を一体どのような攻撃方法で狙ったのだろうか?
「――まさか! 亜人の女王の魔法か?!」
彼らのターゲット。亜人の女王クロコパトラ。
女王の使う魔法で判明している物は三つ。
巨大な岩を浮かせて、空中から落とす魔法。
どのような原理かは不明だが、多くの兵士達を即死させた魔法。
”二つ矢”アッカムの上半身を吹き飛ばした謎の魔法、の三つである。
今回の攻撃の跡はそのどれとも違う。
だとすれば、攻撃を仕掛けているのは女王ではないのか? そもそも女王どころか、周囲には人影すらない。ならば一体――
その時、乾いた音がリーダーの耳に届いた。
パンッ!
グラリ、すぐ近くの木で大きな影が傾くと、そのまま地面に転落した。
ドサッ!
落ちたのは部下の猿だった。彼は首を180度近く捻じ曲げた形で、ぐったりと地面に横たわっている。
どう見ても即死だ。
「なんだと?!」
パンッ!
ドサッ!
パンッ!
ドサッ!
小さな破裂音が響く度に、次々と部下達が木から落ちていく。
こうして、あれよあれよという間に、リーダーが最後の生き残りになってしまった。
突然の悪夢そのものの光景に、リーダーは激しく混乱していた。
自分は一体何を見ている? これは現実に起っている事なのか?
その時、何か黒い塊が視界の隅を横切った。
リーダーはハッと振り返った。
彼の見つめる先、その木の枝には、こちらをジッと見ている小さな黒い獣の姿があった。
「角の生えた――豚?」
そう。それは頭から四本の捻じれた角を生やした黒い子豚だった。
なぜ豚が木に登っているのか? いや、そもそも豚は木に登れるのか?
この場に似つかわしくない異質な存在。そして異常と言うにはあまりにも異常な部下の死に方。
状況的にも、直感でも、この黒い獣が部下の死に関係しているのは疑いようもない。
獣の目には、高い知性の光と本物の殺意が秘められていた。
その時、不意にリーダーは思い出した。
角の生えた生き物は魔法を使う。
今までただの迷信だと思っていたが、まさかこの豚は――
「ブヒブヒッ!(お前で最後だ。最も危険な銃弾!)」
「くっ!」
それはただの幸運だった。鍛えぬいた体が反射的に動いたのだ。気付いた時、リーダーは隣の木に大きくジャンプしていた。
パンッ!
その直後、背後で何かが弾ける音がした。
さっきから散々耳にしている謎の破裂音だ。リーダーの背筋に冷たい汗が伝った。
今、俺は正体不明の攻撃を躱したのか?!
「ピギーッ! ブヒブヒッ!(躱しただと?! くそっ! 逃がすかよ!)」
黒い獣が悔しそうに吠えた。
リーダーは懸命に手を伸ばして大きな枝を掴むと、逆上がりの要領で枝に着地。間髪入れずに次の木へと飛んだ。
彼は鍛えに鍛えた体術を全力で駆使し、この死地から一目散に逃走した。
決して恐ろしくて逃げ出した訳ではない。
絶対に生きてこの情報を持ち帰らなければならない。
その強い使命感が彼の心に火をつけ、体を動かしたのである。
ギリギリまで追い詰められた事が、実力を超えた動きを可能にしたのだろうか。
この生死の境で、リーダーの技はかつてない程に冴え渡っていた。
彼は本物の猿もかくやという巧みな動きで、木から木、枝から枝へと飛び移って行った。
森の中は俺達の領域。
その言葉に誇張はあっても嘘はなかった。
並みの相手なら、とっくに置き去りにされていて当然の速度だった。
しかし、今回は相手が規格外だった。
視界の隅に黒い影が映った。
そう思った次の瞬間、黒い獣が目にも止まらない動きで木の間を駆け抜けていった。
「そんな・・・バカな」
重力という物を感じさせないその動きは、まるで黒い疾風そのものだった。
自分達とは完全に次元の異なるその動きを、リーダーは全く理解出来なかった。
彼はショックのあまり、逃げる事も忘れて立ち尽くした。
「ウソだよな? どんなインチキだよそれ」
インチキと思うのも無理はない。
クロ子の使う風の鎧は、強力な身体強化魔法である。
猿の兄弟が限界まで――いや、仮に限界を超えて体と技を鍛えていたとしても、クロ子には全く歯が立たなかっただろう。
単に体を鍛えただけの人間など、最初からクロ子の相手ではなかったのである。
クロ子はリーダーの無防備な顔面に狙いを定めた。
「ブヒッ!(最も危険な銃弾!)」
パンッ!
破裂音と共に、リーダーの頭がガクンと跳ね上がった。
今度こそ眉間のど真ん中に命中した魔法は、頭蓋骨の内部で炸裂。脳みそを粉々に吹き飛ばし、彼の命を瞬時に奪っていた。
リーダーの体からクタリと力が抜けると、彼は糸の切れた操り人形のように落下した。
こうして猿の最後の一人が死んだ。
”五つ刃”、”不死の”ロビーダの直属の部下、森林偵察部隊、通称猿の兄弟は、到着の初日、最初の偵察任務の最中に、クロ子の魔法の前に全滅したのであった。
次回「魔獣再び」




