その185 メス豚と偵察部隊
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猿の兄弟。
彼らは仲間からそう呼ばれていた。
人数は十人。異様に腕の長い男達である。
全身を隙間なく毛皮で覆っている姿は、人間というよりも野生の獣のようにも見える。
毛皮の中身は痩せた細身の体だが、決してひ弱な訳ではない。むしろその逆だ。
無駄な筋肉が一切付いていない上に、体脂肪率が極端に低い。鍛え抜かれたアスリートの体なのである。
彼らの正式名称は、森林偵察部隊。”五つ刃”の”不死の”ロビーダ直属の部下である。
読んで字のごとく、森林における偵察任務に特化した男達である。
彼らは巧みな身のこなしでスルスルと木に登り、一度も地面に降りる事無く木から木へと飛び移る。
その姿はまるで本物の猿そのものであった。
猿のリーダーは太い枝に着地すると、大きく吠えた。
キジの鳴き声に似せたこの声は、仲間の猿に対する停止の合図である。
リーダーと同様に木から木へ飛び移っていた仲間達は、適度な距離を保って周囲の警戒を開始した。
彼らは山に入ってからずっと、こうやって索敵範囲を広げていた。
今の所、周囲には敵となる亜人の姿は見えない。
何匹かの野犬とシカの親子がいただけである。
「むっ。またか」
山の中に野犬の遠吠えが響いた。
短く、長く、短く、長く、そして長く。
彼らが山に入る前にも、同じような遠吠えが響いていた。
これは言うまでもなく、クロ子の群れの野犬による”テ連送”――「我、敵を発見す」――である。
しかしリーダーにはただの野犬の遠吠えにしか聞こえていなかった。
「野犬が多い山なのか? それはそれでちと面倒だな」
人里に近い山に住む野犬は人に慣れている。兵士達の食糧を狙って野営地に忍び込むかもしれない。
リーダーは彼らの指揮官――”不死の”ロビーダに、この事を報告をすべきかどうか少し悩んだ。
「――まあいい。特に数が多いようにも見えないし、遠吠えはロビーダ様も聞こえているはずだからな」
リーダーは腰の袋から携帯食料を取り出して齧った。
猿は、身軽な動きが身上だ。そのため彼らの体脂肪率は体の必須脂肪量ギリギリにまで絞られている。
そのため、任務中はこうしてこまめに栄養を取って、低血糖状態を防いでいるのである。
また、全身を覆う毛皮は、木から木に飛び移る際の擦り傷を防ぐためだが、森での長時間の偵察で体温を下げないようにする役目もあった。
リーダーはぐるりと周囲を見回した。
仲間の姿は完全に森の木に紛れて、彼の目をもってしても見つけられない。
その完全な擬態に、リーダーは密かに誇らしさを覚えた。
そして僅かに表情を歪めた。
猿の兄弟は完全だ。しかし、彼らに付いて一緒に偵察をしているはずの地上の兵士達が、すっかり遅れて姿が見えなかったからである。
「・・・まあいい。俺達は俺達の仕事をするだけだ」
リーダーは、足を引っ張る兵士達を無視して、自分達だけで偵察を続ける事にした。
「元々兵士達など必要無かったのだ。森の中で俺達に敵う者はいない。森は俺達の領域だ」
彼は仲間に合図を送ると、次の木に飛び移った。
リーダーは大きな思い違いをしていた。
確かに、普通の人間で、山の中で彼ら猿の兄弟に敵う者はいないだろう。
だが、このメラサニ山は彼らの領域ではない。
ここは黒豚クロ子のなわばりなのだ。
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私はクロコパトラ歩兵中隊――クロカンの隊員達を連れて、敵軍の偵察に来ていた。
数千人規模の敵集団に、青ざめる新人達。
しかしその直後、私も彼らと同様に顔を青ざめる事になった。
『しまった! 敵の偵察部隊が山に入っていたんだ!』
敵は陣地の構築と並行して、周囲の安全確認を行っていたのだ。というか、少し考えれば分かりそうなものである。
どうやら敵軍の到着に私も浮足立っていたようだ。
『みんな! 撤退よ! 敵が来ているわ! 急いで!』
私の指示にクロカンの隊員達の半分がうろたえ、半分が行動を開始した。
言うまでも無く、最初の半分が新人隊員達で、後の半分が古参隊員達である。
私は背中のピンククラゲに尋ねた。
『水母。敵の偵察部隊の場所は分かる?』
『――判別不能』
水母は何かと頼りになる前文明の対人インターフェースだが、さすがに万能ではない。
『周囲に障害物が多過ぎる。距離不明、数不明』
『だったら――ウンタ』
私は頼れる副官を呼んだ。
『帰り道は分かるわよね? みんなを村まで連れて帰って。私はここで敵の足止めをする』
「――分かった。念のため前の村に向かう。そこで落ち合おう」
そ、そうか。今は周囲に敵はいないけど、私と入れ違いでクロカンのみんなが敵に発見される事態も十分に考えられる。
そんな状態で、彼らが真っ直ぐ村に戻ったら、敵を村まで案内してしまう事になる。確かにそれはマズい。
けど、旧亜人村なら、ショタ坊にも場所を知られているから問題無い訳だ。
さすがはウンタ。頼りになるわ。
私達の会話を聞いていた新人隊員が、私に尋ねた。
「お、俺達は戦わなくても大丈夫なのか?」
『最初に言ったでしょ。今回は偵察が目的だから戦闘は避けるって。私が残るのも別に戦うためじゃないから。いい感じに敵をやり過ごしたら、すぐにみんなの後を追うわ』
ウンタ達古参隊員達は、それが分かっているから、誰も残ると言い出さなかったのだ。
こういうちょっとした場面で、迷いなく初動に移れるのが、新人と古参の差なんだろうな。
「いや、クロ子なら一人でどうとでもしてしまいそうだと思ったからなんだが」
「戦場でも大岩を浮かせて人間達を押しつぶしていたしな。クロ子とまともに戦えるヤツなんてこの世にいるのか?」
『あんた達・・・』
ま、まあ、これもある意味、部下からの信頼って事で。
弱いリーダーよりも、強いリーダーの方が頼もしくていいよね。
『そんな訳だから、私の事は心配しないで。マサさん! コマ! 行くよ!』
『分かりやした』
「ワンワン!」
私はブチ犬マサさんと、アホ毛犬コマ、それと野犬の仲間を連れて、さっき遠吠えが聞こえて来た方向に駆け出したのだった。
道なき山を走る私達。
なにせ人の手が全く入っていない原生林だ。私達だって走り辛いくらいだから、さぞ敵も歩き辛いに違いない。
ショタ坊達と山越えをした時も、随分苦労していたみたいだからな。
ぶっちゃけ、私が何もしなくても、敵兵がウンタ達に追いつくのは不可能なんじゃないだろうか?
『敵!』
水母がいつになく鋭い声で叫んだ。
てか、水母が大きな声を出したのなんて初めてじゃね?
私は慌ててその場に立ち止まった。
『えっ?! どこどこ?! 見えないんだけど?!』
『触腕の先』
ピンククラゲからヒョロリと伸びた触手は、大きな木の上を指し示していた。
えっ? どこに? と思った途端に、パッ! 大きな影が飛び立ち、隣の木にしがみついた。
全身毛むくじゃらの大きな猿――と思いきや、マジ?! あれ人間かよ!
そんな猿人間達が次々と木から木へと飛び移って行く。
いち、に、さん・・・と、ざっと十人程か。その姿は猿というか、忍者というか。
まあ、猿はともかく、忍者は映画の中でしか見た事がないけどな。
状況的に彼らが敵の偵察部隊なのは間違いないようである。
たった十人? 思っていたより少ないんだけど・・・いやまあ、あんな忍者みたいなヤツら、そうそう揃えられんわな。
てか、木の上にいたのかよ。そりゃあ気付かんわ。
水母がビックリしたのも納得である。まさかあんな場所に人間がいるなんて予想外だよな。
『驚き否定。私は感情を持たない』
ああ、そうそう。そういう設定だっけ。コンピューターだから心が無いとか。
うん。カッコいいよ。それ。
さて。それはそうとマズいな。
猿忍者達が向かっている方向は、クロカンの隊員達が逃げた方向である。
まだ見付かっていないとは思うけど、あんな高さから見下ろして、八十人もの集団を見落とすとは思えない。
幸い敵の人数は十人と少ない。
私を野生の野豚と侮って(?)いる今なら殺れる。
『水母。振り落としちゃうと思うからコマの頭に退避』
『了解』
「キューン」
水母がペシャリとコマの頭に乗ると、コマは「何で頭の上?!」と言いたげな声で鳴いた。
なんでって。まあ、なんとなく?
パッ!
私は目の前の木を蹴ると、その反動で隣の木に。更にその木を蹴るとまた別の木に。
そうやって高く高く木の上へと駆け登って行ったのだった。
次回「メス豚 vs 猿の兄弟」




