その183 メス豚、敵軍の到着を知らされる
私がいつものようにピンククラゲ水母を連れて、各作業場を回っていると、突然、山の中に野犬の遠吠えが響き渡った。
短く、長く、短く、長く、そして長く。
・ ― ・ ― ―
これは”テ”を意味するモールス符号で、旧日本軍における”テ連送”である。
意味は「我、敵を発見す」。
遂に敵軍がやって来たのだ。
『思っていたよりも、随分と敵軍の到着が早かったわね。コマ! 村に戻るよ!』
「ワンワン!」
出来ればすぐにでも自分の目で敵の軍勢を確認しに行きたい所だが、ここで私だけ勝手な行動を取る訳にはいかないのだ。
私は以前、村を離れている小隊員達との連絡手段が無いか悩んだ事があった。
あの時は狼煙がいいんじゃないかと思ったけど、それだと煙が上がった位置で敵に村の場所を教えてしまう。
他に何か方法は無いかと考えた結果が、この野犬達の遠吠えを使った連絡方法だったのである。
私は事前にみんなにいくつかの合図を徹底していた。
今の”テ連送”はそのうちの一つ。これが聞こえれば、何をしていても全員、村に戻る事になっている。
もしも戻っていない者がいるならば、それは合図が聞こえない場所にいるか、聞こえていても戻れない状態になっているかのどちらかである。
私の背中で揺られていたピンククラゲが、ヒョロリと触手を伸ばすと、チョイチョイと左の茂みを指し示した。
『左に注目』
私は三角蹴りの要領で木を蹴ると、軽やかに茂みを飛び越えた。
背後でバキバキと枝をへし折る音がする。アホ毛犬コマが私の後に付いて来ようとして、茂みの中に飛び込んだようだ。
『コマ! あんたは無理しないであっちから回り込みなさい!』
「クロ子か?! さっきの犬の遠吠えは、やっぱり敵が来た合図だったのか?」
そこには四十人程の亜人の男の集団がいた。
全員の額には小さな角が見える。
彼らはクロコパトラ小隊の隊員達だ。
正確には小隊員達と、水母の手術を受けて新たに小隊に加わった新兵達である。
どうやら新兵訓練の名物、ハイポートの最中だったようだ。
全員が汗だくで肩で息をしている。
この場にはそんな男達が四十人もいるのだ。それはもう暑苦しいったらない。
『そうみたい。そっちも訓練を切り上げて村に戻って頂戴』
「もちろん、そうしようと思っていた所だ。おおい! 今から村に戻るぞ!」
男達の間にホッと安堵の空気が流れる。
ていうか、同じ村の人間を相手にして、良くそこまで厳しい訓練が出来るな。
後で気まずくなっても私は知らんぞ。
「いや、ハイポートは厳しくしないと。本気で苦しまないと俺達の魔法は身に付かないからな」
「ああ。クロコパトラ部隊は俺達の魔法が必須だ。俺達の魔法を使えないヤツとは一緒に戦えない」
どうやら小隊員達の中には、強いこだわりと言うか、決して譲れない想いがあるらしい。
ていうか、何だよ俺達の魔法って。カッコつけて呼んでるけど、それって劣化・風の鎧だろうが。
まあ、私は使わない魔法だし、自分達の好きに呼べばいいと思うけど。
私も私で勝手に魔法に名前を付けて使っている訳だしな。
『クロ子』
『おい、水母。お前今、なんつった?』
あんたは本当にイタい子を知らないだけだから!
モノホンの中二とか私の比じゃないから!
『理解不能』
「ワンワン!」
体中に葉っぱをいっぱい付けたアホ毛犬コマが、ようやく私達に追いついて来た。
水母は触手を伸ばすと、コマの体から葉っぱや小枝をヒョイヒョイと取っていく。
相変わらず君らは仲良しさんだな。
それはさておき。
『それで、新兵達の訓練はどの程度進んでるの?』
「俺達の魔法を使えるのは大体半数って所か。使える者も使えるってだけで、使いこなす所まではまだかな」
「仕方がない。やっぱりどうしても知り合いが相手って事で、苦しそうにしていると、つい手心が加わってしまうからな」
「クロ子のように無慈悲にはなれないよな」
「あれは本当に非情だった。俺達ではどうやってもあそこまで他人を追い込む事は出来ない」
「心があるからな」
「ああ」
うぉい! 本人を前にしてお前らいい加減にしろよ! いいのか? 泣くぞ! 私泣いちゃうぞ!
ブヒブヒーッ。
『そ、それにしても、まだ半分しか魔法を使えないのは厳しいわね』
「いや、圧縮の魔法や、クロ子に言われた魔法の方は使えるようになっているぞ。俺達の魔法はそれだけ難易度が高いんだ」
「あれは一度死ぬような思いをしないと、中々身に付くものじゃないよな。そう思ってハイポートを繰り返しているんだけど、なかなか難しい所だ」
ああ、なる程。しかし、他の魔法が使えるなら悪くはない。
そもそも、山の中では人間の兵士よりも亜人の男達の方が足が速いのは、ショタ坊達と山越えをした時の経験で良く知っている。
劣化・風の鎧は使えなくても「「俺達の魔法だ」」――俺達の魔法は使えなくても、逃げ足に心配はないんじゃないだろうか。
「それで俺達は何をすればいいんだ?」
『そうね。その話は村に戻ってからしましょう』
そんな話をしているうちに、私達は亜人村に帰り着いたのだった。
村人達は中央広場に集まっていた。
人間達と戦うとは決めていても、実際に人間の軍隊が来たと知らされればやはり不安になるのだろう。
私達の姿を見て少しだけ明るい表情を見せた。
みんなと何やら相談をしていた村長代理の少女、モーナがこちらに駆け寄って来た。
「クロ子ちゃん。今の遠吠えって、人間達の軍隊が来たって事でいいのよね?」
『多分。今からそれを確認に向かおうと思ってる。それで村のみんなは?』
モーナは私の背後の新兵達を目で数えた。
「クロ子ちゃん達で全員揃ったわ」
『そう。だったらみんなはここで待機で。念のため、今のうちに軽く何か食べておいてもいいわね』
ここまで黙って私達の会話を聞いていた村のオジサンが、たまりかねたように口を挟んだ。
「飯って――そんなにのん気に構えていて大丈夫なのか? 予定だと俺達は村に移動してそこで戦うんだろ?」
私はチラリと空を見上げた。
時計が無いから正しい時間は分からないけど、日の傾き具合から見て、ざっと午後三時といった所だろうか。
最近秋も深まり、日中でも肌寒くなって、日が落ちるのも早くなっている。
今から敵部隊が山に入れば、私達を見つけるよりも先に夜になるだろう。
まともな指揮官なら、そんな危険を冒すとは思えない。
『大丈夫。流石に今日はもう戦いにならないと思うから』
それでも、敵が山に入って来る可能性はゼロではない。
何があってもすぐに対応出来るように、腹ごしらえくらいはしておくべきだろう。
なんならひと眠りしておいて欲しいくらいだ。この様子だと流石に無理そうだけど。
『小隊員、全員集合!』
村人達の間から額に角を生やした男達が抜け出すと、私の周囲に集まった。
総勢八十人になったクロコパトラ小隊の兵士達である。
いや。流石にこの人数では、もう小隊とは呼べないか。
だったら、中隊だな。
ちなみに英語では歩兵中隊はカンパニー。会社の事を英語でカンパニーと言うのは、実はここから来ている。
それだけ歩兵中隊は、軍隊の中で基本となる集団という訳だ。
そう考えると、我々の部隊もようやくここまで来た、って感じがして何だか感慨深いものがあるな。
クロコパトラ歩兵中隊。略してクロカンだな。
『話は聞いたよね? これから我々は敵軍の確認に向かうわ。目的はあくまでも偵察だから、無用な戦闘は極力避ける事』
私の言葉に、クロカンの隊員達の間にざわめきが広がった。
全員で向かうのもどうかと思うけど、新兵達は今回の戦いが初陣となる。
実際の戦いが始まる前に、敵の軍勢を見ておくのも経験になるだろう。
あ、そうだ。新兵達と言えば――
『この場を持って、ブートキャンプを終了とする。今から諸君達は新兵ではなく、兵士として扱うからそのつもりで』
新兵達に驚きと――そして喜びの表情が浮かんだ。
『そして隊員数が増えた事により、クロコパトラ小隊は解散。今後はクロコパトラ歩兵中隊として再結成します。班割りは(副官のウンタが)もう考えているから、後でみんなに発表するわ』
次回「メス豚、偵察を行う」




