その176 メス豚と国王からの書状
使者の到着を知らせに来た兵士。使者の正体はイケメン王子にとって意外な物だった。
「敵軍からの使者ではありません! 使者は国王陛下からの書状を持って来たそうです!」
「なに?! 父上からの?!」
兵士の言葉に、王子のみならず、ショタ坊とロマンスグレーの伯爵も目を丸くして驚いた。
てか、国王って今、どこで何をしてたんだっけ?
私の膝の上でピンククラゲがフルリと震えた。
『フルリ(軍を率いて隣の領地との境の川に防衛線を引いている。大モルト軍の本隊と絶賛対峙中)』
あ~、そういや確かそんな話だったっけ。
国王自らが軍を率いて前線に出るなんて、随分と余裕が無いんだなあ、とか思った記憶があるわ。
イケメン王子の目配せを受けて、ショタ坊が立ち上がった。
「あ、あの。クロコパトラ女王。申し訳ありませんが、本日のお話はここまでにして頂きたく思います」
おおう。言葉こそ丁寧だが、有無を言わせずグイグイ来るな。
まあ、国王からの急な使者を、得体の知れない亜人の女王のいる場所に案内する訳にはいかないか。
「デアルカ。――ウンタ」
「分かった」
私の指示を受けて、副官のウンタが小隊員達をテントに呼び込んだ。
ショタ坊達の間にホッとした空気が流れる。
私があっさりと引き下がった事で安心したようである。
私だって国王からの書状とやらの内容は非常に気になるが、ここで揉めても素直に聞かせてもらえるとは思えない。
ならばこの場は一旦、大人しく退却する事にしよう。私はな。
「ではまたの。――ボソリ(水母よろしく)」
『フルリ(了解)』
駕籠のウッドブラインドが下ろされると共に、王子達から見えない角度で水母がスルリと抜け出した。
彼にはこのままテントに潜んでもらう。
味方の話を盗み聞きするのかって? 人聞きが悪いな。自分達で知る努力をしていると言ってくれ。
ショタ坊だって、立場上教えられないだけで、私が勝手に知るのには文句を言わないはずだ。
いやむしろ、「言えないから勝手に調べてくれないかな?」とか思っているに違いない。(※個人の感想です)
さて。国王とやらは、王子に何を言って来たんだろうな?
などと私はのん気に考えていた。
それがよもやあんな話になっているとは・・・。
この時の私は知る由もなかったのである。
◇◇◇◇◇◇◇◇
クロ子がテントを立ち去るのと入れ替わりに、兵士に案内された使者の男が入って来た。
余程急いで来たのだろう。強行軍に彼の頬はこけ、目は窪み、まるで墓場から蘇った幽鬼のような姿になっていた。
彼は国王の護衛――近衛の者だった。
王子の記憶にも残っているという事は、それなりの立場にいる騎士なのだろう。
最も、外見から受ける印象はかなり変わっていて、一見、誰だか分からなかったのだが。
「――殿下。ご無事で何よりです」
「挨拶はいい。父上から預かった書状を見せてくれ」
男は背中の物入れから箱を取り出した。
この箱に書状が入っているのだろうか? 副官のカサリーニ伯爵の目が訝しげに細められた。
なぜこの男は、国王からの書状を無造作に持ち歩く事が出来る。敵に捕らわれ、奪われる心配をしなかったのだろうか?
使者が箱を開けると、中には果たして、国王からの書状が入っていた。
「殿下」
「――ああ」
伯爵が使者から書状を受け取って王子に渡す。
その際に、使者には何も怪しい動きは見られなかった。伯爵は最悪、この男が敵に寝返った可能性を考えていた。
伯爵は「気のせいだったか?」と、少しだけ愁眉を開いた。
イサロ王子は書状にざっと目を通した。
間違いなく国王からの書状だった。見慣れた祐筆の文字に、国王直筆のサインも書かれている。
しかし、書状が本物であると納得する事と、書かれている内容を納得する事とは、全く別の問題である。
王子は顔色を変えて立ち上がった。
「なっ! バ、バカな! ここに書かれている事は本当なのか?!」
王子の言葉に、使者は力無く首を垂れた。
顔色は悪く、先程よりもずっと老け込んでしまったようにも見える。
どうやら王子の反応を、あらかじめ予想していたようだ。
王子は男の痛みに耐える姿に、書状の内容が全て事実である事を悟った。
「我が国が・・・サンキーニ王国が降伏したと言うのか」
「「なっ?!」」
固唾を飲んで王子の様子を見守っていた、ルベリオとカサリーニ伯爵は、衝撃的な内容に言葉を失ってしまった。
イサロ王子は力無くイスに座り込んだ。
「・・・それで? 俺に書状を出したという事は、父上は無事なんだな?」
使者の男は小さく頷いた。
「はっ。国王陛下はご病気ではありますが、命に別状はございません」
「・・・そういえば、少し前にもお体を悪くして政務を休まれておいでだったな。戦場に出て病気がぶり返してしまったという事か」
魔獣討伐軍が出兵してから少しした辺りで、国王バルバトスは病にかかり、しばらく政務から離れていた。
その後、体調も戻ったし、大モルト軍が侵攻して来たために、「それどころではない」と、自ら軍を率いて戦場へと向かったのだが・・・どうやら長い野営生活で再び体調を崩してしまったようである。
カサリーニ伯爵がおずおずと王子に尋ねた。
「あの、殿下。我が国が降伏したとは一体?」
「聞いての通りだ伯爵。父上の軍は大モルト軍の本隊に敗れたらしい。軍は潰走。父上は降伏を迫られ、受け入れたそうだ」
王子は、書状を伯爵に突き出した。
「し、失礼します」
伯爵は書状を受け取り、読み始めた。
最初の驚きと混乱が去ると、次第に頭がこの最悪の状況を理解し始めたようだ。
彼の顔からは血の気が無くなり、指先は小刻みに震え始めた。
「こ・・・こんな事が・・・。我が国が・・・サンキーニ王国が・・・こんなに簡単に・・・」
伯爵は信じられなかった。いや、信じたくなかった。
確かに、大モルトは強国だ。侵攻して来た軍勢も、圧倒的な規模だった。
しかし、まさかこんなにあっさりと、この国が滅びてしまうとは想像も出来なかった。
国というのは、もっと盤石な物ではないのだろうか? 国が滅びる時というのは、もっと死力を尽くした後に起きる、悲劇的なものではないのだろうか?
このような書状一枚で、「降伏したから」と告げられるようなものでは決してないはずである。
しかし、伯爵の頭の冷静な部分では、どこか納得もしていた。
伯爵は、なぜ国王からの使者が白昼堂々、無事にこの陣地まで来る事が出来たのか不思議に思っていた。
たまたま今日は敵の攻撃が無かったとはいえ、丘の周囲の包囲網はまだ解かれていない。
敵に見つかればただで済む訳はないのである。
しかも彼は敵兵に追われている様子も無かったと言う。
(敵軍は国王が――我が国が降伏したのを知っていたのか。だから使者が国王の書状を届けに来たのを止めなかったのだな)
伯爵が茫然自失となる中。王子は小さくため息をつくと使者の男に尋ねた。
「それで? 父上は俺にどうしろと言うのだ?」
「・・・その? 殿下は平気なのでしょうか?」
使者の男は驚きの表情で、王子に質問で返した。
「バカを言え。平気な訳があるか。だが、父上の軍が敗けてしまった上、父上ご自身も敵に囚われているのではどうしようもないだろう。仮に俺がその場にいるのであれば、まだ話は別だが、ここから戦場のブラマニ川までは最低でも二日はかかる。今からでは何一つ間に合いはしない。ならば一体俺にどうしろと言うんだ?」
使者の男は、この危機に動じる事の無いイサロ王子の胆力に感服していた。
外見こそ母親似で線が細く見える王子だが、この未曽有の事態にあっていたずらに取り乱さず、自らが成すべきことを成そうとしている。
これがどれほど稀有な才能かは、王子よりも経験を積んでいるはずのカサリーニ伯爵のうろたえぶりを見れば分かるというものである。
男は、「王子が後、数年早くお生まれになっていれば、きっとこんな事にはならなかったものを」と、この世の不条理を嘆き、無念さに歯噛みした。
イサロ王子は内心、複雑な感情を覚えていた。
(まさか、ルベリオが予想した中でも最悪の事態が起きるとは・・・。アイツから事前に話を聞かされていなかったら、流石に俺も取り乱していただろうな)
実はイサロ王子は、先程の本人の言葉の通り、激しく動揺していた。
それでも彼がギリギリの所で踏みとどまれたのは、彼の軍師、ルベリオが予想した未来の一つ、最悪の予想の中に、国王軍の敗北と降伏も含まれていたからである。
もっとも、ルベリオとしては特に大胆な予想をしたつもりはない。
普通に考えて、国王軍より大モルト遠征軍の方が、圧倒的に兵士の数も質も上であり、そして、サンキーニ王国軍は国王自らが前線に出て指揮を執っている以上、戦に敗れて敗走、そして国王が捕らえられる事も十分にあり得る、と考えただけなのである。
つまりは可能性の問題だ。それに、「そうなる可能性もある」と考えただけであって、「そうなるだろう」と確信していた訳ではない。
あくまでもいくつか考えられる未来の一つ。その中でも最悪の未来を想定しただけに過ぎない。
事実、ルベリオはショックで固まって声も出せずにいる。
最悪を予想するのと、最悪に遭遇してしまうのとは、また別の話なのである。
「国王陛下は殿下に武器を捨て、投降する事を求めております」
「・・・捕虜になれと。――ちっ。そっちのパターンか」
「は?」
ルベリオは、この先には二つの道があると言っていた。
一つは先程使者の男が言った、投降して捕虜になる道。
もう一つは僅かな手勢を連れて戦場を脱出。一度王都に戻ってから、他国に亡命する道である。
(亡命先の候補地は当然、三大国家の残る二か国。カルトロウランナ王朝かアマディ・ロスディオ法王国となる。兄上達が死んだ今、どちらの国も自分達が利用できる手駒を求めている。俺の立ち回り次第では、国を奪還するための兵力を借り受ける事も出来るかもしれないが・・・)
その場合、もし、大モルト軍から国を取り戻せても、両国に大きな借りを作ってしまう事になる。
そして将来に渡り、両国からの干渉を防ぐのは難しくなるだろう。
前門に虎を防ぎ後門に狼を進む。虎を追い払うために狼を招き入れてしまえば同じ事。本末転倒である。
「・・・このような大事、この場では決められん。食事と湯を用意させよう。体を休めてくれ。その間に考えておく」
「――はっ!」
すぐには決められない。とは言ったものの、結局、自分は降伏を受け入れて投降する事になるのだろう。
王子はそう思ったが、今は気持ちを整理するための時間が欲しかった。
出来ればルベリオと腹を割って相談したい。
そのためにも時間は必要だった。
テントに重い空気が立ち込める中、人知れず小さな半透明の塊がフワリと宙に浮かんだ。
半透明の塊は音もなく漂うと、テントの隙間からスルリと外に抜け出した。
雨の中、塊は誰にも見つからずにフヨフヨと移動すると、やがてクロコパトラ女王の待つテントの中に消えるのだった。
次回「メス豚、夜逃げする」




