その173 メス豚、腫れ物に触るような扱いを受ける
敵軍は後退したまま出て来る気配が無かった。
私達はショタ坊の勧めに従って、本陣に下がって休憩を取る事にしたのだった。
「分かった。我々の食事は自分達のテントで取るゆえ、その準備は任せたぞよ」
ここで周囲の兵士達の間に、ホッとした空気が流れた。
なんぞ?
どうやら、彼らも今のうちに食事をしたかったようだ。
しかし、私が駕籠の中で身じろぎもせずに戦場を睨んでいるものだから、休憩を取りたいとは言い出せずに困っていたらしい。
あ~、それは悪い事をしたな。
てか、「身じろぎもしない」のではなく、「義体では身じろぎすら出来ない」というのが正しいんだがな。
義体の外に出てもいいなら、とっくに地面でゴロゴロ寝転がっている所なんだがのう。
「それでは行きましょうか」
ショタ坊も私達と一緒に本陣に戻るようだ。
そういえば、今朝、一緒に前線に来ていたロマンスグレーの伯爵様はいいのかな?
いつの間にか姿が見えなくなっているようだが。
「カサリーニ様でしょうか? 敵が引き上げ始めたのを見て、殿下へ戦果の報告に行かれましたが」
ありゃ? そんなに前からいなくなっていたのか。全然気が付かなんだわ。
まあ、ここにいてもやる事もなかったし、退屈だったんだろうな。
「デアルカ。では案内を頼む――」
「あ、あの、クロコパトラ女王!」
ここまで黙って私達の会話を聞いていた指揮官が、慌てて私を呼び止めた。
「あの・・・我々はあなた様の指示通りに、陣地を出ていませんが、一体いつまで出てはいけないのでしょうか?」
ああ。すっかり忘れてた。
私は戦いが始まる前に、前線の指揮官達に三つのお願いをしていた。
ひとつは、「私の方は勝手にやるから、そちらも勝手に防衛をしていてね」というもの。
二つ目は、「私が許可を出すまで、絶対に陣地から出て攻め込まないでね」というもの。
そして最後は、「大きな岩を可能なだけ集めておいてね」というもの。
実はこの二番目の約束を破って、撤退する敵に追撃をかけた部隊が存在する。
具体的には、ここから一番遠い埋め立て地を守っていた部隊だ。
要は私の目が届き辛い、遠い場所の部隊だったというわけだ。
敵が撤退する時には追撃して被害を拡大させる。その指揮官の判断自体は間違っていない。
ただし、今回は場所が悪かった。
後退する敵兵と、それを追う王子軍の兵。
狭い埋め立て地の橋に敵も味方も殺到したものだから、多くの兵士達が堀の中へと転がり落ちてしまった。
この場所から見て、外側に落ちた者達は無事だった。が、手前の方、低酸素状態の堀の中に落ちた兵士達はひとたまりもなかった。
彼らはバタバタと倒れ、指揮官は驚いて追撃を中止させた。
指揮官は慌てて私の所に、「堀の中で倒れた兵士達を助けたいので、どうにかして欲しい」との連絡をよこした。
そんな彼に対して、私は「諦めろ」と答えるしかなかった。
「妾は、絶対に陣地から出て攻め込むなと言っておいたはずじゃ。その方らも、理解してくれたと記憶しておるがの?」
「そ、それは、その・・・」
連絡の兵士は、返す言葉も無く部隊に戻って行った。
気の毒な気もするが、そもそも、堀の中で倒れた人間は酸欠でとっくに死んでいる。
死んだ兵士を助けるために、堀の中に足を踏み入れた所で、二重遭難が待っているだけである。ミイラ取りがミイラになる、というヤツだ。
今思えばこのあたりから、兵士達の私を見る目が変わった気がする。
具体的に言うと、胡散臭い存在を見る目から、得体の知れない存在を見るような目に変わったのだ。
彼らは私の周囲ではどこか大人しくなり、時々不安そうにこちらの様子を窺うようになってしまった。
これはこれで何だかムズムズするものがあるが、舐められるよりはマシと思うしかない。
実際、今回の作戦だって、たまたま一緒にいたロマンスグレーの伯爵様が仕切ってくれたから良かったものの、私だけでは前線の指揮官達を納得させる事は出来なかっただろう。
今後、また今回のような場面に遭遇した時、指揮官達が大人しく私に協力してくれるのであれば、少しぐらいの居心地の悪さは許容するべきだ。
指揮官は怖れられるのは良い。けど、舐められてはダメなのである。
「あの・・・クロコパトラ女王? それでどうでしょうか? 可能であれば、堀の中の死体を片付けさせたいのですが」
おっと、うっかり考え込んでしまった。
どうだろう。流石に私には分からないんだけど・・・。
「ボソリ(どうかな? 水母)」
『フルリ(この距離では観測不可能)』
私の膝の上のピンククラゲは、高度な観測機器の集合体である。
とはいえ、流石にここからでは距離があり過ぎるようだ。
「――この距離では分からぬ。近くで確認するので付いて参れ」
「それは危険では――あ、いえ。かしこまりました」
ちなみに水母の観測結果は、『まだまだ様子見』との事だった。
とはいえ、さっきの戦いで埋め立て地もあちこち崩れているので、今日中には酸素濃度も安全なレベルにまで回復しそう、との事だった。
私がそれを告げると、指揮官はガッカリして肩を落としたのであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ここは王子軍の本陣。
クロ子達がテントに戻って行くのを、離れた場所から見つめる人影があった。
特徴的なカイゼル髭をピンと伸ばした、品格のある佇まいの壮年の将――”目利きの”カサリーニ伯爵である。
伯爵は一足先に本陣に戻ると、戦場の様子をイサロ王子に報告した後、今後の打ち合わせをしていた。
王子はカサリーニ伯爵の”目利き”を――クロコパトラ女王に対する評価を聞きたがった。
「亜人の守護者。女王クロコパトラ。我々は大モルト軍に勝つためとはいえ、恐ろしい相手を招き入れてしまったのではないでしょうか」
あるいは伯爵本人は気付いていなかったのかもしれない。
伯爵のクロコパトラ女王に対する評価。それは一言で言えば”未知への恐怖”だった。
昨夜、亜人の女王クロコパトラの立てた作戦。
伯爵は、女王を見定めるため、あえて彼女の策を受け入れる事に決めた。
勿論、女王の策が味方の足を引っ張るものであれば反対をしただろうが、幸い彼女の策は、こちらの防衛戦に支障をきたさない物であった。
伯爵は自分の権限で彼女の策を許可し、現場の指揮官達にも従うように命じた。
「その結果がまさかあのような事になるとは・・・」
大モルト軍の被害は想像を超えるものだった。
女王の策は見事にはまり、敵兵はまるで冗談のようにバタバタと倒れた。
冗談? いや、それは冗談ではとても済ませない。
まるで悪夢さながらの光景だった。
伯爵は、女王の策を受け入れた事を後悔していた。
戦とは命を懸けた戦いだ。そして勝利というのは、数多くの敵味方の犠牲の上に――死傷者の上に成り立っている。
しかし、女王の戦は違う。あまりにも人を殺すという行為に先鋭化されている。効率化され過ぎている。
もはやあれは”戦い”などと呼んで良いものではない。
”大量殺人”だ。
人間を殺すための行為だ。
女王の魔法は恐るべきものだった。
彼女は表情一つ動かさず(※クロ子は義体の表情を変えるなどという、細かい操作が出来ないだけなのだが)、淡々と大岩をいくつも浮かせ、敵兵の頭上から落とした。
単に大岩を落とすだけなら、投石機を使えば同じ事が出来るだろう。
しかし、女王のように狙った場所に正確に落とすのは不可能だ。
そもそも、投石機は一度に何個もの岩は飛ばせない。
そして女王が一度に運んだ岩の数は十個。
つまり女王は、戦力的にはたった一人で投石機十台分に匹敵する魔法を使った事になるのである。
強力な魔法の力を持ち。
人を人とも思わぬ策を編み出し。
表情一つ変える事無く。
淡々と人を殺す女。
一体、どんな人生を歩んで来れば、あのような恐ろしい価値観を持つ女が生まれるのだろうか?
なまじ完璧に整った美貌の持ち主なだけに、伯爵は女王の事をまるで人間以外の存在のようにすら感じていた。
いや、そう思っているのは伯爵だけではない。
今日の戦闘を間近に見た兵士の多くが、女王の事を、この世のあらゆる命を刈り取る神、冥府神ザイードラの御使いなのではないだろうか? と噂していた。
あの人間離れした美貌も、艶やかな黒い髪も、見た事も無い意匠の黒いドレスも、あるいは女王クロコパトラが冥府神の御使いである事を証明しているのかもしれない。
「バカな。益体もない想像を・・・」
伯爵は自分の考えを吐き捨てた。
このような夢想は、自分よりもイサロ王子配下の若い貴族――ベルナルド・クワッタハッホ辺りが好みそうな話だ。
この世界には神もいなければ悪魔もいない。人間の世界は人間の理でのみ動くからこそ、推し量る事が出来るのだ。
仮に一見、信じられないような事が起こったとしても、それすらも数多の出来事が積み重ねられた結果であり、あるいは滅多に起きない珍しい偶然の組み合わせでしかない。
始まりがあれば終わりがあるように、物事には万事、原因があって結果がある。
暗愚な者達程、因果を考えもせずに結果だけを見て、やれ神の奇跡だの、悪魔の仕業だのと騒ぐが、そういった蒙昧な輩こそ伯爵の最も唾棄すべき存在であった。
伯爵はイサロ王子のテントに入る少年――ルベリオを見つめた。
彼自慢の”目利き”をもってしても、底の知れない女王クロコパトラ。
そしてその女王を見出し、イサロ王子の傘下に招き入れるように献策した少年、ルベリオ。
そのルベリオの才能を見出し、爵位を与えてまで取り立てたイサロ王子。
「・・・あるいは俺達の時代が、もう終わりかけているのかもしれん。春の花が散った後、色も形も全く異なる夏の花が咲くように、この国は今、全く新しい次の世代に――俺達の培ってきた常識や価値観が全く通用しない、未知なる時代に――足を踏み入れてしまっているのかもしれん。
だとすれば、俺は時代の狭間で枯れるのを待つだけの古い花なのかもしれない」
伯爵の独白に答えてくれる者はいなかった。
次回「慈雨」




