その156 ~二つ矢アッカム~
◇◇◇◇◇◇◇◇
クロ子達は、敵軍の狙いが竪堀の一部を埋め、”腰曲輪”を攻める事にあると気が付いた。
連絡を受けたルベリオは、自ら現場に向かい、直接指揮を執る事を決意する。
クロ子はルベリオに同行し、現場に向かうと宣言する。
敵の一斉攻撃は間近に迫っていた。
腰曲輪の陣地では一人の青年がイライラと頭を掻いていた。
「ディアラのデカ尻にかけて! アレをどうにかしないと、次の攻撃で俺達はお終いだぞ!」
豊穣の神ディアラに口汚い罵り声を上げているのは、この場所を任された部隊指揮官、ベルナルドである。
クロ子からは心の中で優男君と呼ばれていた彼だったが、今やかつての面影はどこにもない。
連日の激しい戦いの疲れで目は窪み、伸ばし放題の無精ひげが口元を覆い、黒く日焼けした顔に白い目だけがギラギラと輝く、凄みのある形相へと変貌していた。
ベルナルドの見つめる先――竪堀の中でまた一人、作業中の兵士が敵の矢を受けて倒れた。
仲間の負傷に浮足立つ周囲の兵士達。
ベルナルドは大きな舌打ちをこぼした。
「――昨日まではいなかった敵の凄腕射手か。マズいぞコイツは。完全に工兵共の腰が引けちまった」
クロ子が気付いた敵軍の狙い。竪堀の一部を埋め立てて道を作り、腰曲輪に兵を送るという作戦。
実は遅まきながらつい先ほど、ベルナルドも気が付いた所だった。
このままだと、次の敵の攻撃を防げないかもしれない。
彼は急遽、撤去のための工兵を組織した。
しかし、遥か丘の下から飛んでくる矢に邪魔をされて、作業は遅々として進まなかった。
勿論、ベルナルドも何も対策を打たなかった訳ではない。
彼は盾を持った兵士を編成、撤去作業中の兵士達の護衛を命じた。
しかし、敵のスナイパーの腕前は神がかっていた。
敵射手はこちらの対応をあざ笑うかのように、盾役の兵士達の僅かな隙間をぬって作業中の兵士だけを狙い撃ったのである。
「間違いない。コイツが”二つ矢”だ! くそっ! このままだと作業になりゃしねえぞ!」
ベルナルドはギリギリと歯ぎしりした。
”二つ矢”アッカム。
捕虜から聞き出した、敵の部隊に新規に配属された凄腕の射手である。
弓の腕前は百発百中。
捕虜の話では、大きく弧を描くように放った矢を、次に放った矢で見事に命中させた事から、”二つ矢”の名で呼ばれるようになったと言う。
その逸話がデマや誇張でない事は、現在ベルナルドがまざまざと見せつけられている。
二つ矢アッカムは、盾役の兵士を狙い撃てばいいところを、わざわざ狭い隙間をぬって、彼らの後方で作業中の兵士に命中させたのだ。
まさに神業。すっかり怯えてしまった兵士は、盾役の兵士の陰に隠れて動けなくなっていた。
「アントニオの所にもヤバいヤツが現れたというし・・・コイツはマズい事になっているかもしれんぞ」
ベルナルドの守る腰曲輪のすぐ下、最前線では、彼の親友アントニオが戦っていた。
クロ子が内心でガッチリ君と呼ぶ彼の部隊が守備する場所では、今朝は凄腕の剣士が暴れ回っていた。
再三の戦いにアントニオの部隊は負傷者が続出。遂には戦線を維持出来ないまでになってしまった。
現在、彼の部隊は後方に下がって再編成の最中である。
ベルナルドは後退中のアントニオから、「赤備えの剣士には絶対に接近戦を挑むな」と忠告されていた。
「アントニオの部隊が抜けた以上、下が抜かれるのは時間の問題か。そのヤバい剣士がこの腰曲輪に攻めて来るのは間違いないだろうな」
あるいは敵は、その剣士の部隊を攻め込ませるためのおぜん立てとして、事前に竪堀に道を作ったのかもしれない。
そして、あのアントニオの部隊でも止められなかった相手を、ベルナルドの部隊が止められるはずはない。
アントニオは大抵脳筋だが、彼の部下達も揃いも揃って腕っ節が自慢の脳筋揃いだからである。
(今日の敵はこの数日とは動きというか、必死さが違う。今まではどこかでこっちをナメていたのだろう、部隊間の連携はバラバラでそこが付け入る隙になっていた。だが、今朝はまるで別の軍団だ。一晩で敵陣に一体何があったんだ?)
「俺達はここで負ける――のか?」
それは決して部下達に聞こえる事のない、小声でこぼした一言だった。
そしてベルナルドは自分の言葉に自分でショックを受けていた。
戦というものには”潮目”とも呼ぶべき大きな流れがある。
そして一度動いた流れは、ちっぽけな個人の力や一部の部隊の働き程度では到底抗えない。
有利から不利に、不利から有利に、停滞から激動に。傾いてしまった盤面を元の流れに戻すのは生半可な力では不可能だ。
この戦は負けかもしれない。
ベルナルドの視線の先で、また一人、兵士が悲鳴を上げて倒れた。
押さえた顔面からは矢が生えている。
矢を抜くことも出来ず、激痛にのたうち回る兵士。
悲惨な仲間の姿に恐怖が頂点に達したのだろう、兵士達は悲鳴を上げて逃げ出した。
ベルナルドには彼らを止める事は出来なかった
自分達は今、負け戦を決定付ける現場に居合わせているのかもしれない。
敗北の予感は目前に迫り、今や影を踏むばかりとなっていた。
(誰でもいい! 頼む! この流れを変えてくれ!)
日頃は神々の名を軽々に口に乗せる男が、本気で神の助けを求めた。
クロ子とルベリオがこの場に到着したのは丁度その時の事だった。
ガサリ。
木の葉がこすれる音と共に、ドサリ。一人の兵士が木の枝の上から地面に降り立った。
小柄な体に不釣り合いな、見た事も無い大きな弓を背負っている。
どこかアンバランスな印象を与える理由は、左右の腕の太さの違いによるものだろう。
明らかに右腕の方が太くてたくましい。実は左右で腕の長さも違っており、左腕の方が右腕よりもやや長い。
長く弓を扱っている者に見られる身体的特徴であった。
小男はチラリと丘の上を見上げた。
視線の先では、竪堀に集まっていた敵兵達が散り散りに逃げ去っている。
この場でやるべき事は終わった。
小男は敵の撤去作業の妨害を確認すると、味方部隊と合流するために走り出した。
小男が茂みから飛び出した途端、立派な赤備えの騎馬武者とかち合った。
騎馬武者の馬が、驚いて後足で立ち上がる。
しかし、騎馬武者は馬上で危なげなくバランスを取り、慌てる事無く馬を押さえつけた。
驚くべきバランス感覚と体幹の強さである。
「なんでえなんでえ。大きな野ネズミでも飛び出して来やがったのかと思ったら、”二つ矢”かよ。お前、こんなトコロでなに油を売ってやがるんだ? 危なく踏み殺しちまう所だったぜ」
威風堂々たる立派な騎馬武者、かと思いきや、まるでチンピラのような口調である。
”二つ矢”と呼ばれた小男――二つ矢アッカムは、咄嗟に引き抜いていた大型ナイフを鞘に戻した。
「――ポルカか」
「ああん?」
「・・・・・・」
「てか、それだけかよ! お前本当に無口だな!」
ポルカと呼ばれた赤備えの騎士は、呆れ顔でアッカムを見下ろした。
「まあいいや。それでどうよ? 俺の部隊が通れる道は作れたか?」
竪堀の埋め立ての件だろうか? アッカムはかぶりを振った。
「――思っていたよりも敵がやる。だが今日中には出来るだろう。明日の――」
「明日じゃ遅せえんだよ」
アッカムの言葉は不機嫌そうなポルカの声に遮られた。
「ここで手柄を立てなきゃ、”五つ刃”に全部持っていかれちまう。のんびり堀を埋めているような時間はねえんだ」
アッカムは無言でポルカを見上げている。
ポルカは「ちっ」と大きく舌打ちをすると、丘の上の敵陣を見上げた。
「今でもそこそこ埋まってんだろ? だったらそれでいいや。次の攻撃で俺は行くぜ」
「――止めておけ。馬が足をくじくだけだ」
「ああん? テメエ、俺がヘボだと言いたいのかよ?」
眉間に皺を寄せて凄むポルカ。アッカムは再びかぶりを振った。
「――お前の事だとは言っていない。お前の部下には無理だと言ったんだ」
ポルカの騎乗技術は、部隊の中でもズバ抜けている。
正に人馬一体。
だが、彼の部下の技量は当然彼には及ばない。
無理をして騎馬で丘を駆け上がれば、窪みや軟地に足を取られて転倒する者達が続出するだろう。
「ふん。んな事くらい言われるまでもねえ。・・・分かったよ。馬を降りてテメエの足で走りゃ文句ねえだろ」
ポルカの言葉にアッカムは驚きに目を見開いた。この男が馬を降りるとは思わなかったのだ。
アッカムは仲間に苦言を呈した。
「――功を焦るな」
「若様が直々に”五つ刃”に命を下した。本隊が敵の陣地に攻め込むのも時間の問題だ。俺達にはのんびりしているヒマは残されてねえんだよ」
「――ここの敵は手強い」
「馬鹿を言え。サンキーニ王国の坊ちゃん軍なんぞ、俺の剣の目じゃねえぜ。ましてやここにはお前――二つ矢アッカムもいる。これで勝てなきゃ俺は剣を捨てて田舎に帰るぜ」
結局、アッカムはポルカに強引に押し切られる形で、腰曲輪への攻撃に協力する事になる。
こうして慎重論を唱えながらも、アッカムも心の奥底ではサンキーニ王国軍を侮っていたのだ。
多少、想定外の事態が起ころうとも、自分達二人の力があればどうにでも挽回出来る。
そういう驕った心があったのは否めない。
だが、彼らは知る由もなかった。
この戦場の誰も予想しえない規格外の存在が――強力な魔法を使う亜人の女王が――皮肉にも彼らが狙っている腰曲輪に今まさに到着していたのだった。
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