その145 メス豚、契約を結ぶ
私が用意した契約書。
それは空き時間を利用して、水母に作ってもらったものである。
ちなみに紙は駕籠の内装として貼られていたものを使用した。
おかげで駕籠がちょっと見苦しくなってしまったが、致し方あるまいて。必要な犠牲だったのだ。許せ。
水母は触手を器用に動かすと、サクサクと紙を切り分け、あっという間に寸分たがわぬ契約書を二枚作ってくれた。
ちょ、この子マジで超有能なんですけど。
魔法しか取り柄の無い私より、よっぽどチートキャラなんじゃね?
そして現在。ショタ坊は目を皿のようにして、契約書の文言に誤りがないか確認している。
ろくに利用規約も読まない私から見れば、神経質にしか思えない行為だが、本来契約とはこうあるべきなんだろうな。
「・・・拝見させて頂きました」
「デアルカ」
確かこれって織田信長の決め台詞だっけ。違ったっけ? まあいいや。
口が気持ちいい言葉なので、さりげなく多用してクロコパトラ女王の決め台詞にしてしまおう。
どうせこっちの世界の人は、誰も織田信長を知らない訳だし。
ショタ坊は文面の一部を指差した。
「ここには、女王の軍は独自の判断で動くと書いていますが、こちらの作戦もあります。完全に自由という訳にはいきませんが」
――ふむ。なるほど分からん。
てか、私にはこの国の文字は読めないのだよ。
「デアルカ。そちらの軍に参加する以上、当然、作戦にはしたがう。しかし、命令は受け付けない。配下になるつもりも無ければ、拒否権を手放すつもりもない。この約束ではダメかの?」
「・・・その言葉をここに記しても?」
「構わぬ」
ショタ坊は荷物から筆入れを取り出すと、何やら文面を書き加えた。
「ご確認を」
「うむ」
――いや、だから私には読めないんだっての。
私は一枚だけ持ってくるようにウンタに命じた。
「読み合わせをしよう」
「分かりました。『なお、互いに対して命令権は持たないが』あの、私だけが読むんですか? あ、いえ、構いません。ええと、『命令権は持たないが、作戦の立案と指揮権はサンキーニが有する。クロコパトラ女王はその指示に従うが、最終的な拒否権を持つものとする』。――文面に間違いは無かったでしょうか?」
「うむ」
知らんが、水母が何の反応もしないし、大丈夫なんじゃね?
決して、「分からないのでとりあえずイエスと言っておこう」とか思った訳ではない。
「それで、こちらの要求は全て通ったとみなしても良いのかえ?」
「それでしたら、――はい。私の責任において」
護衛の男が息を呑んだ。
おそらく、ショタ坊は彼の権限を大きく外れた約束をしようとしているのだろう。
しかもただの口約束ではない。契約書という後に残る形で残されようとしている。
しかし、ショタ坊の目には迷いはない。
先程の時間で既に覚悟を決めているのだろう。
その意気や良し。
「では互いの書類にサインを」
「・・・・・・」
ここで問題発生である。
サイン。どうしよう。
私はこのクロ子美女ボディーでサインをするどころか、指一本動かせないのだ。
まずい。どうする?
ショタ坊は荷物の中から筆を取り出そうとしている。
こっちを見ていないな? チャンスだ。
「ヒソヒソ(ウンタ! その紙を持って! ショタ――人間達から私が見えないようにして!)」
「(? わ、分かった)」
私の指示で、副官ウンタがショタ坊達の視線を遮る形で契約書を掲げた。
グッド。これで私の手元は彼らから見えなくなった。
「(水母、お願い!)」
『(理解した)』
私の膝のピンククラゲからスルスルと触手が伸びると、契約書になにやら雅な記号を書き込んだ。
どうやらあれが私のサインになるらしい。サインというよりも花押だな。
花押とは昔の日本で使われていたサインの一種で、元々は普通に名前を書いていた物が変化、記号化していったものである。
後で水母に聞いた所、自分のライブラリーの物を適当に選んだんだそうな。
あんた何勝手に・・・。
呆れた私だったが、水母が言うには、この時はこうする他になかったそうだ。
『”クロコパトラ”の綴り不明瞭』
私が思い付きで適当に決めたクロコパトラという名前。どうやらこの世界では相当に珍しい名前だったらしく、彼は正確な綴りを知らなかったらしい。
そのため水母は、咄嗟にサインではなく記号にしたんだそうだ。
私のせいで悩ませちゃったわけね。ゴメン。
私達は互いに契約書を交換すると、同じようにサインを入れた。
これで二人のサイン入りの契約書が二枚出来た事になる。
「では互いに一枚づつ」
「分かりました」
ウンタが私に代わって契約書を受け取った。
これがどれほどの補償になるかは分からない。
しかし、口約束よりは多少はマシだろう。多分。
「それで出発はいつに?」
「明日にでも」
狩りに出ている小隊員が戻って来次第出発である。
前回の山越えでは国境を越え、東の隣国へ。
今回は大モルトに攻め込まれた西の戦場へ。
この国が小さな国とはいえ、東から西へと大忙しだな。
しかも今度の戦いは前回とは根本的に条件が違う。
戦力の劣る不利な軍へ協力である。
いくらショタ坊に借りがあるとはいえ、あくまでもそれは私個人の事情だ。
みんなにはいいと言ってもらえても、私の身勝手にみんなを付き合わせて良かったんだろうか?
もっと他に選択肢は無かったのだろうか?
ショタ坊を見捨てずに済み、かつ、仲間の命を危険に晒さずに済む、そんな最上な方法が。
私は今更ながら、後悔に似た感情に胸が締め付けられていた。
明けて翌日。この日は朝から晴天だった。
夜が明けると共に、私はウンタ達、クロコパトラ小隊を引き連れて山を下っていた。
ショタ坊達とは、ふもとのショタ坊村で合流する予定となっている。
あの後、私達が新亜人村に戻ると、丁度狩りで留守にしていたカルネ達、残りの小隊員が戻って来た所だった。
彼らは私達の様子から何かがあったと察したようだ。
すぐさま荷物を放り出すと、詳しい事情の説明を求めた。
「――そういう事だったのか。分かった! 勿論俺達も行くぜ!」
二つ返事で行軍に加わる事を決めたカルネ達に、私は罪悪感のようなモノを感じていた。
――いや、今更か。
この国と軍事同盟を結ぶと決めた時から、彼ら亜人の青年達を兵士にすると決めた時から、いつかは戦場に向かう事は決定していたのだ。
単にその時期が、私が想定していたよりも早まったに過ぎない。
命が軽いこの世界で、私は戦って生き延びると決意した。
同じように、彼らも私の下で戦って生き延びると決意した。
ならば私に出来るのは、せいぜい彼らに自分の決断を後悔させない事。
生きて帰らせる。決して無駄死にはさせない。それだけだ。
ショタ坊村の外では、ショタ坊と彼の部下達が出発の準備を整えて我々を待っていた。
人数は我々とほぼ同数の約五十人。
小規模の”小隊”といった所だ。
ただし、ここまでのスピードを重視したのだろう。全員が馬に乗った騎馬隊となっている。
人が割れ、ショタ坊が現れると、こちらに走って来た。
その表情はどこか硬い。何か良くない事があったのかもしれない。
「クロコパトラ女王。すみませんがすぐに出発出来ますか?」
「何かあったのかえ?」
ショタ坊は小さく頷くと、「昨夜、殿下から連絡が届きました」と語った。
「敵軍に攻められ、動きが取れないそうです。至急戻るようにとの命令を受けました。それで・・・その、申し訳ありませんが」
ショタ坊は、急いで戻りたいので、私と一部小隊員だけでも馬で移動出来ないかと尋ねて来た。
「残念ながら予備の馬の持ち合わせはありません。我々の馬を使ってもらい、馬の無い者は徒歩で後を追う事になります。そちらにも可能な限り融通しますが、さすがに人数分の馬をお貸しするわけにもいきません。それに失礼ですが、お渡ししても全員が馬に乗れるわけではありませんよね?」
私の視線を感じたのか、ウンタとカルネがプルプルと首を振った。
全員は乗れないどころか、誰も馬に乗れないようだ。もちろん私も乗れない。
てか、クロ子美女ボディーでは歩く事すら出来ないんだがな。
なるほど。しかし、それなら――
「それなら分かった。そちらの足に合わせるとしよう」
「は? 合わせる? あの? 馬に、ですか?」
ショタ坊は私の返事に呆れ顔を見せた。
馬が人間よりも足が速いとはいえ、そこは生き物だ。自動車やオートバイのようにずっと走り続るわけにはいかない。
速足と言われる、馬にとってのジョギングペースでも、せいぜい一時間程度しかもたなかったはずだ。
だったらどうするか? 基本は常歩と言われる歩きで進み、たまに速足を挟む形になるだろう。
常歩は人間の早歩きの速度とさほど変わらない。
馬とはいえ、びっくりするほどの速度で進める訳では無いのだ。
「いやいや、走って馬について来るつもりなんですか?! そんな無茶な!」
「荷物くらいはそちらの馬に乗せて貰えるかの?」
ショタ坊だけではなく、彼の部下達も呆れている様子だ。
「ウンタ」
「・・・分かった」
「仕方ねえな」
しかし、私の指示を受けて、ウンタ達クロコパトラ小隊の隊員達は、渋々背中に背負った荷物を降ろし始めた。
「では、荷物を頼む」
「・・・・・・」
ショタ坊は戸惑っていた様子だったが――
「分かりました。隊長、彼らの荷物をお願いします」
「しかし、ラリエール様・・・了解しました。おい、お前達! 荷物を馬に乗せろ!」
ショタ坊は部下に命じて荷物を馬に積み込み始めた。
私が聞き分けないと諦めたのだろう。
とはいえ、私達だって何の考えもなしで安請け合いをした訳じゃない。
何とかなるんじゃないかな? 程度の心当たりはあるから言ったのだ。
さあ、新兵諸君。ショタ坊達にクロ子式新兵訓練のハイポートの成果を存分に見せてやってくれたまえ。
次回「イサロ王子の誤算」




