その124 ~ドルド軍の陣にて~
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ここはメラサニ山にほど近いロヴァッティ伯爵ドルド軍の陣。
先程もたらされた連絡に、本陣の天幕は騒然となっていた。
「そんな! 味方の増援が撤退を決めただと?!」
「バカな! このままでは我々は敵地に孤立してしまうではないか!」
今も陣地に立てこもるサンキーニ王国第二王子カルメロの指揮する魔獣討伐隊。
彼らとの戦いは、そろそろひと月が経とうとしていた。
魔獣討伐隊の予想外の粘りには、エーデルハルト将軍の功績が大きい。
将としては小粒なエーデルハルトだが、彼の持ち味は寡兵での防衛戦で遺憾なく発揮された。
実際彼は、将軍としての能力が色々と足りてないのは事実だ。
ただ、限定的な状況での戦いとなれば話は別だ。彼は小さな戦闘に向いた、いわば現場の指揮官寄りの人材だったのである。
しかし、彼らの驚異的な粘りもそろそろ限界を迎えようとしていた。
「もう後ひと押しだというのに、何という事だ・・・」
悔しがるドルド軍の幹部達。
そう。連日のドルド軍の攻撃に今や魔獣討伐隊の防衛線は崩壊寸前。早ければ明日にでも戦いの趨勢が決する所だったのである。
「一体我々の増援に何があったんだ? 敵の援軍と睨み合いになっているとの話だったが」
この戦いで本国からの増援が三千。敵の送った援軍二千五百と国境近くで睨み合いになっていた。そのはずである。
この状況を打破するため、敵国は数日前から後方基地に、追加で援軍五千を送っていた。
援軍の大将はこの国の第三王子イサロ。
この援軍で敵は七千五百となったが、未だに彼らは後方基地を動けずにいた。
なぜならヒッテル王国も国境に軍を進めていたからである。
その数、やはり五千。
こちらも最初の増援と合わせると八千の軍となる。
七千五百と八千。つまり戦力は再び互角となったのである。
何とももどかしい状況だが、サンキーニ王国とヒッテル王国はほぼ同等の国力を持つライバル同士。
相手がやれる事は基本的にこちらもやれる。相手が用意出来る兵力はこちらも用意出来るのである。
こうして増援と援軍は再び睨み合いの状況になっていた――そのはずだった。
「これは・・・極秘の情報ですので、そのおつもりでお願い致します」
連絡の兵は硬い表情で声をひそめた。
「敵の一軍が突然ロヴァッティ伯爵領に現れ、暴れ回っているとの連絡が入りました」
「「「「「なっ?!」」」」」
まさに青天の霹靂。
敵が国境を突破して味方の後方を撹乱しているというのだ。
しかも敵が暴れているのは彼らの領地、ロヴァッティ伯爵領だという。
そうでなくても兵士達はひと月以上にも及ぶ遠征に、心身ともに疲れ果てていた。
そんな中、もしこんな情報が耳に入れば、兵の士気が一気に底をつくのは間違いない。
連絡の兵が警戒するのも無理のない話である。
「み、味方の将は何をしていたのだ! みすみすヤツらに国境の突破を許したのか?!」
「いえ、それはありえません。増援の軍五千は今も国境に陣を張っています。彼らに見付からずにすり抜けるのは不可能です」
「だが、実際に敵は我が領内に現れたのだろうが! それをどう説明する!」
幹部の男が激昂する気持ちも分かるが、ここで連絡の兵を責めた所でどうなる物でもない。
それが分かっていながらも、男を止める者はいなかった。
この場の誰もが混乱し、苛立つ気持ちを持て余していたためである。
この時、壮年の将が重い口を開いた。ドルドの側近だ。
「それで。増援は撤退を決めたのだな?」
彼の言葉に全員がハッと振り返った。
そう。今重要なのは責任の追及ではない。今後自分達がどう動くかである。
こちらの増援が下がるという事は、自由となった敵の援軍がこの戦場に現れるという事に他ならない。
「はい。先発した増援三千が後続部隊に合流次第、逐次国境から撤退する事が決定しております」
「――我が領内の敵の一軍がどこから現れたのか分からない以上、国境から軍を引いて領地の守りを優先するという事か」
現在、攻撃を受けているのはロヴァッティ伯爵領だが、敵の侵入経路とその規模が不明な以上、いつ自分達の領地が襲われるか分からない。
貴族家達から上がる不安の声に王家は耐えられなかったのだろう。
そもそもこの戦いは、ドルドの勇み足からなし崩し的に始まった物であって、王家の決定によるものではない。
戦略的に何か目的のある戦いではないのだ。
ここらが潮時。
国王はそう判断したのだろう。
ドルドの側近は重々しく頷くと、彼の主に振り返った。
「若。我らも彼らに歩調を合わせて撤退するべきかと。このままでは敵地に孤立してしまいますし、領地の防衛に戻る必要もあります」
ゴクリ。緊張に誰かが喉を鳴らした。
天幕の奥の若武者から静かな殺気が漏れた。
異形の若者だ。
顔の右半分は男らしい端正な顔立ちをしている。
だが、彼の人目を引くのはそこではない。その左半分である。
顔の左半分は、漆喰のようなもので固められているのだ。
それはまるで作りかけの彫刻のようであり、むき出しのしゃれこうべのようにも見えた。
彼こそがこの軍の指揮官、ロヴァッティ伯爵ドルド。
かつてアマーティの戦いでクロ子の魔法で顔面の半分を消し飛ばされた男である。
ドルドはギリリと音を立てて歯を食いしばった。
怪我の治療を終えた今でも、失われた顔面の左半分は昼夜を問わず彼に痛みを与えている。
怪我や病気で手足を切断した患者の多くが、存在しないはずの手足の先端に痛みを感じる経験をするという。
”幻肢痛”と呼ばれるこの現象には、薬による痛み止めも効果が無い。なぜなら実際には痛みを感じる部位は存在していないためである。
物理的に存在しない部位が発する痛みは、当然、物理的に抑える事は不可能だ。
ドルドの感じている痛みが幻肢痛の一種なのか、それともケガによって脳に生じた障害なのかは分からない。
ただ、その途切れる事の無い痛みは、聡明だった彼の思考を濁らせ、心を暗い復讐へと駆り立てていた。
「若――」
「黙れ!」
ガツン!
ドルドは座っていた床几を蹴って立ち上がった。
「お前は俺に逃げろと言うのか! ヤツの、イサロの兄から! あと一歩でイサロの兄の首にこの手が届くというのに!」
「しかし、若! 敵の援軍が来た後では――」
「くどい!」
ドルドは激情のまま側近を殴りつけた。
倒れる側近。そんな彼にドルドはさらに蹴りを叩き込む。
幹部達はドルドの勘気を恐れるばかりで何も言えずにいた。
以前、実際に彼を諫めて殺された者もいるためである。
そしてドルドは気が付いていなかった。彼はイサロ王子を憎むあまり、現在戦っているカルメロ王子の事を見ていなかった。
カルメロ王子としてではなく、”イサロ王子の兄”としてしか捉えていなかったのだ。
感情を爆発させたことでいくらか心が落ち着いたのだろう。
ドルドは「ふむ」と思案顔を見せた。
「よし。そうまで言うなら撤退はしてやろう。ただし、イサロの兄の首を狙うためにだ」
こうしてドルドの命令で撤退の指示が出された。
ところ変わって、ここはカルメロ王子の指揮する魔獣討伐隊の陣地。
陣地は奇妙な静けさに包まれていた。
何故か今日に限って、一向に敵の軍が姿を見せないためだ。
「まさか、敵は諦めたのか?」
「よせ。変な期待は持たない方がいい。裏切られた時に辛いからな」
実際、連日の敵の攻撃に陣地の防衛線はボロボロだ。
ここまでこちらを追い込んでおきながら、今更敵が撤退する理由などどこにあると言うのだろうか。
「おおい! おおい!」
その時、数名の人影がこちらに呼びかけながら陣地に向かって走って来た。
「何だ? 敵じゃなさそうだが」
「待て! あいつは俺の部隊の仲間だ!」
「あそこにいるヤツは知っているぞ! あいつ生きてたのか!」
彼らは先日の戦いで行方不明になっていた兵士達だった。
てっきりどこかで死体になっているとばかり思われていたが、実際にはこうして生きていたようである。
彼らは大声で仲間に訴えた。
「待ってくれ! 俺達は敵じゃない! 敵の捕虜になっていた所を逃げて来たんだ!」
「敵は慌てて撤退を始めている! 俺達は助かったんだよ!」
本陣ではカルメロ王子が酒の杯を傾けていた。
ここ数日ですっかり見慣れた光景である。
敵の猛攻に、陣地の防衛線はジワジワと削られていた。
王子は真綿で首を締められるようなプレッシャーに耐え兼ね、アルコールに逃避するようになっていたのである。
そんな彼の下に思ってもいない朗報が届けられた。
「それは事実か?! 敵が撤退を始めただと?!」
逃げ出して来た捕虜達は、天幕の中の酒臭さに眉をひそめていたが、王子の剣幕に慌てて頷いた。
「間違いありません。酷い慌てようで我々の見張りすら投げ出す程でした」
「その隙を突いて逃げ出して来たんです」
思いもよらない情報に、喜ぶよりも困惑するカルメロ王子。
エーデルハルト将軍も自慢の髭をしごいた。
「しかし、信じられん。一体敵に何があったんだ」
「それがイサロ様の援軍がやって来たんだそうです」
「イサロだと?! おい、それはどういう事だ!」
敵兵の会話を耳に挟んだところによると、ランツィの町に集結していたイサロ王子の軍が、隣国ヒッテル王国の増援を打ち破ったのだそうだ。
イサロ王子は敵を国境の向こうに押し込むと、カルメロ王子を救うためにこちらに向かっていると言う。
うかうかしていると、イサロ王子軍に後背を突かれてしまう。
そのため敵は慌てて撤退を始めたらしい。
「イサロが・・・まさか」
味方の勝利。そして援軍の知らせに、喜びに沸き返る本陣テント。
だが、現実にはイサロ王子は隣国の軍と小競り合い程度にしか戦っていないし、まだランツィの町からも動いていない。
そう。脱走兵達は偽情報を掴まされたのだ。
しかし、この場にそれを知る者はいない。
そしてテントの中が歓喜の声に満たされる中、カルメロ王子だけは青ざめた顔で酒杯を取り落とすのだった。
次回「カルメロ王子の死」




