その117 ~鉄壁のストラトーレ砦~
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ヒッテル王国、ロヴァッティ伯爵領ストラトーレ。
伯爵領の中央南、ストラトーレ男爵が治めるこの土地は、メラサニ山の林業が主要な産業となっている。
そのメラサニ山で、木こり達が山を下りて来る不審な集団――クロ子達、ルベリオ別動隊――を見付けたのは、つい先ほどの事である。
「ご当主様の所の兵士なんじゃねえか?」
「いや、あの方向は麓の砦とは逆方向だ。それにアイツらの恰好も妙だ。まるで何日も山歩きをして来たような大荷物を背負ってやがる」
イヤな予感に、木こり達は慌てて今日の作業を止め、山に作られた見張所へと駆け込んだ。
この辺り一帯を治めるロヴァッティ伯爵家。その先代当主は、名君と呼ばれた傑物だった。
彼は数多くの改革を成し遂げたが、その一つに領地の防衛網の強化と見直しも挙げられる。
この国と隣国サンキーニ王国とは、終始国境間の争いの絶えない犬猿の仲である。
中でも直接、隣国と領地を接するロヴァッティ伯爵領は、長年に渡り敵軍を撃退し、常に自領を守って来た。
しかし、ロヴァッティ伯爵当主にはひとつの懸念があった。
「いつかサンキーニ王国軍はメラサニ山脈を踏破して、側面からわが領地に襲い掛かって来るやもしれん」
メラサニ山は最高峰となる山頂で約3000m。尾根には標高2000mを越える険しい山々が連なっている。
単に高さだけで論じるならば、決して登り切れない高さではない。
しかし、重武装した軍隊を率いて越えるなどという事はまず不可能だ。
そのためこれまでずっと、メラサニ山を越えての軍事行動は不可能だと考えられていた。
「それでも備えは必要だろう」
ロヴァッティ伯爵当主は周囲の反対意見を押し切り、ストラトーレ男爵にメラサニ山方面への備えをするように命じた。
突然の命令に男爵家では戸惑いを隠せなかった。
林業程度しか産業を持たないストラトーレ男爵家には、そのような軍備に回せるだけの余裕が無かったのである。
この時、男爵家には若くして才名をうたわれる息子がいた。
彼は庶子であったため男爵家こそ継げなかったが、その聡明さは周囲の誰もが認めるところであった。
男爵はこの息子に命じ、計画を立てさせてみる事にした。
彼は自分の足で領地を回り、自分の目で現地を確認した。
そして彼は、敵の進撃ルートを予測し、狙われそうな町と、そこに繋がる街道を絞り込み、もしもの事態に対抗するための素案を起草した。
こうして作られたのが街道に作られる砦を中心とし、山の要所に見張所を配置する監視網である。
伯爵家当主は提出された計画書を読んでひと目でほれ込んだ。
彼はすぐさま、この書類を作った本人に指揮を執らせ、街道に砦を作らせるように命じた。
その際の資金は全て伯爵家から出す事にした。
彼は無能な者が指揮を執り、この計画が誤った方向に歪められる事や、資金難を理由に計画が不完全な形に終わる事を危惧したのである。
つまりは、それほどこの計画書の完成度の高さを認めていたのだ。
一連の工事の費用を出さずに済んだ男爵家では、降って湧いた幸運にホッと胸をなでおろしたという。
こうして完成したのが今のストラトーレ砦と複数の見張所である。
ちなみに男爵の息子は伯爵家当主からその才能を認められ、後に彼の構想する学問研究所――究明館の所長に任命される事になるのであった。
見張所の兵は木こり達の話を聞き、すぐさま連絡の狼煙を上げた。
「これで良し。スマンがお前達は俺と一緒に砦に報告に向かってもらうぞ」
「へ、へえ。分かりやした」
彼らが見張所を放棄して山を下りる間に、別の見張所からも狼煙が上がった。
どうやら狼煙を見て確認に向かった者達が、例の一団を発見したようである。
「・・・急ぐぞ」
「へい」
彼らは緊張に表情を険しくすると、足早に山道を下って行った。
こうして彼らはストラトーレ砦へと到着した。
砦の出入り口――虎口をくぐると、壁に囲まれた小さな広場――曲輪が広がっている。
そこは今、武装した多くの兵士達でごった返していた。
どうやら調査と報告のために集められた者達が、ここで上からの命令を待っているようである。
鉄壁の砦と、完全な監視網とはいえ、実際に敵軍がメラサニ山を越えてやって来たのは、この砦が作られて以来初めての事になる。
言わば初めての実戦である。彼らが緊張するのも無理のない話であった。
所々漏れ聞こえる話から察するに、既に偵察部隊は出ているようである。
どうやら砦に向かう途中ですれ違ってしまったらしい。
この時、見張所の兵は、彼らの中に見知った顔を見付けた。
「隊長! 敵軍らしき者達を見かけたという木こりを連れて来ました!」
隊長と呼ばれた男は、チラリと木こり達に目を向けると小さく頷いた。
「ご苦労だった。丁度今から報告に向かう所だ。お前達も付いて来い」
隊長は周囲の男達に二三指示を与えると、大きく開け放たれた砦の正門をくぐった。
見張所の兵は門を少し興味深そうに見上げると、足早に隊長の後を追った。
実は彼は正門をくぐったのは初めてだったのだ。
いつもであれば正門は閉じられ、普段の彼らはその横に作られた脇戸と呼ばれる通常サイズのドアから出入りしているからである。
砦の奥に作られた指揮所では、ストラトーレ騎士団の者達が額を突き合わせて協議を重ねていた。
「いつまで男爵様に報告せずにいるつもりだ! 狼煙が上がってもう半時(※約一時間)は経っているんだぞ!」
「もし誤報であれば、男爵様のお心を騒がせた責任を一体誰が取るんだ」
「そんな事を言っている場合か! 何のためにこの砦が作られたと思っている! 一刻も早く異常を発見してストラトーレ家に連絡をするためではないか!」
呆れた事に彼らの間では、未だに責任問題に終始しているようだ。
どうやら、あくまで慎重な態度を崩さない指揮官に対し、別の幹部が業を煮やしているらしい。
幹部の男の言葉は正論だ。だが、指揮官の気持ちも理解出来ないではない。
なにせ、今まで一度でも隣国はメラサニ山を越えて軍を進めた事は無いのだ。
彼がどうしても誤報や勘違いの可能性を考慮してしまうのも仕方が無いというものだろう。
「失礼します! 見張所で狼煙を上げた兵が、発見者を連れて報告に参っております!」
「そうか! そこの男達が発見者なのだな?! お前達、自分達が見た物を報告しろ!」
「へ、へい」
木こり達は殺気立った雰囲気に顔色を悪くしながら話を始めた。
緊張のあまり上手く言葉が出ないのか、彼らの話の内容は随分と分かり辛いものだった。
指揮官達はイライラとしながら説明を聞き終えた。
「百人以上? もう少し正確な人数は分からないのか?」
「す、スマンです。あ、いや、すみません。あっしらはただの木こりなもんで」
「他領の兵という可能性は無いだろうか? 伯爵家の若様も参戦していたポラッツァ領での反乱。あそこの敗残兵がメラサニ山を越えてやって来たとか」
未だに別の可能性を模索する指揮官に、幹部の男は小さくかぶりを振った。
「どっちにしても同じ事だ。その場合も、我々は相手を敵とみなして対応しなきゃならんのだ。それに相手は山登りの道具を背負っていたと言うじゃないか。敗残の軍にそんな余裕があると思うか?」
指揮官はそれでも「いや」「あるいは」と、決断を渋っていたが、やがて偵察部隊から早馬の連絡が入るとようやく心を決めた。
「敵は隣国サンキーニ王国軍! 一部に王家の紋章も確認された事から、王族の指揮下の部隊かと思われます! 人数は数百! 最小で二百。最大でもおそらく千には届かないものと考えられます! 現在、部隊の総力を挙げて別動隊の存在を調査中! なれど現状では確認出来ず! 以上です!」
幹部の男は指揮官を睨み付けた。
「おい」
「分かっている。砦に兵を招集する」
一度動くと決めると彼の行動は早かった。
やがて砦から何頭もの早馬が駆け出した。
この緊急連絡を受け、後方の町では続々と兵が集められた。
彼らは夜を徹してストラトーレ砦へと集結した。
こうしてたった一晩で砦の兵は何倍もの数に膨れ上がった。
その数およそ四千。
更に現在街道を移動中の兵力がその倍。合わせると、最終的には七千を超える戦力になると思われた。
これに加え、今朝からストラトーレ男爵家でも騎士団の出発準備を整えつつある。
クロ子達、ルベリオ別動隊は、険しいメラサニ山を越えてようやくたどり着いた敵地で、予想外の守りにその行動を阻まれる事になったのだった。
次回「~ストラトーレ砦の攻防~」




