その116 メス豚と千尋の谷
そんなこんなで三日目の朝。
山越えの行軍も予定通りに進めば今日で最終日を迎える事になる。
ちなみに二日目は、最大の難所であったガスの溜りやすい窪地を越えた事で、その後は比較的順調に進んだ。
山では何気ない場所にも命の危険が潜んでいる。
それを思い知らされた事で気が引き締まったのか、あの後は兵士達のケガも随分と減ったようだ。
ガッチリ君はそれでも気になったのか「せっかくなので一発張り倒しておきましょうか?」とか言っていた。
せっかくなので、で張り倒されては部下もたまったもんじゃないよな。ショタ坊が慌てて全力で止めていた。
まあ、必要以上に引き締めを図っても、むしろ逆効果だろうし。ここはショタ坊の判断が正しいんじゃないだろうか。
そんな事よりも、私としてはあれ以来、優男君が駕籠の周りをウロチョロするようになったのには閉口した。
嫌われたり警戒されるよりはいいかもしれんが、お前がいると私がこの義体から出られないのだよ。
流石にキャンプの時には、打ち合わせもそこそこに早急に脱出させてもらった。
一日中義体の中で、私のストレスもマッハだったのだ。
あのクロ子美女ボディーは、もう少し居住性を何とか出来んものかのお。
このままだとストレスで私の頭が禿げ上がってしまいそうだわい。
今日は初日とは逆に、山を下る行程となっている。
順調に進めば、夕方には隣国のロヴァッティ伯爵領が見えるはずである。
さて、そう上手くいけばいいが。
今日はある意味、この行程における一番の難所が待ち構えているからな。
「おい、これってまさか・・・」
「言うな。俺は考えないようにしているんだ。それに”不幸は口に出したら実現する”とか言うだろう」
先程からザワザワとざわめく兵隊達。
てか、この世界にも”言霊”的な概念があるんだ。
言霊とは、言葉に宿ると言われている霊的な力だ。
悪い事を口に出したらその通りになってしまった。そんな時に使われる。らしい。
そして彼らが何にざわめいているのかと言えば――
「おい、気を付けろ。あまり下を覗き込むと、足がすくむぞ」
そう。私達は今、切り立った崖の上を歩いているのだ。
崖の遥か下にはチョロチョロと細い川が流れているのが見える。
いやまあ、距離があるから小さく見えるだけで、そこそこの川なんだがな。
どうやらこの辺は長い年月の間に川に浸食されて、切り立った崖になってしまったようだ。
彼らは、今度はこの崖を下りる事になるのではないか、と心配しているらしい。
いやいや、流石にここは無理でしょ。
なにせほぼ垂直だし、場所によってはオーバーハングしている。そもそもロープの長さも足りないだろうしね。
「ワンワン!」
先行していたアホ毛犬コマ(※ライドオン水母)が吠えた。どうやら目的地が見えて来たらしい。
「えっ・・・嘘だろう」
「まさかあれを渡れって言うのか?」
兵士達の間に動揺が広がった。
コマが吠えている先。そこにあったのは、崖に横たわる一本の巨木であった。
崖の向こう岸までの距離は約20m。
岬のような形で、こちら側と向こう側から互いに突き出すように伸びている。
崖下は――良く分からないが数百メートルはあるかな。
その両岸を渡すように一本の巨木が横たわっている。
つまりコイツは丸太の橋という訳だ。
いやあ、この橋を作るのは大変だったよ。
先ずは橋を渡せそうな場所を探す所から苦労したからな。
丁度良い場所を見つけたら見つけたで、今度は橋となる素材を探すのにこれまた難儀した。
この辺りは標高が高過ぎて、背の高い木が全然生えていなかったのだ。
かといって、かつて脱柵にも使った土魔法の橋では、いくらEX化しても強度が全然足りない。
魔法と言っても万能じゃないのだ。
万策尽き果たか、と思った所に、崖下にポツンと一本だけこの巨木が生えていたのを見つけたのだ。
種類は分からないけど、ヒノキか何かなんじゃないかな? 多分。
高さ約30m。幅8m。崖を渡すのに申し分ないサイズだ。
私はこの巨木を切り倒し、水母にも手伝ってもらって枝打ち――じゃなかった、枝払いをした上で、崖の上まで運び込んだ。
いやあ、ホントに大変だったよ。
重機の必要性が身に沁みました。
まあ、仮にこの世界に重機が存在していたとしても、こんな山の上にどうやって運ぶのかって話だと思うけど。
全員で相談の末、先ずは私が駕籠にロープを括り付けた状態で対岸に渡り、そのロープを掴んで次の者が橋を渡る事になった。
「ウンタ、気を付けろよ」
「もしもの時は後の事は頼む」
悲壮な表情で丸太の上に一歩足を踏み出すウンタ。
あれ? なんだか思っていたのと違うな。確かに危険な橋だけど、ここまで覚悟を決めなきゃいけないものなの?
命がけと言えば命がけなのかもしれないけど、たかが丸太の橋だよ。
これってむしろ安全な方じゃない?
子豚一匹で野犬の群れと殺し合いをしたり、戦場で敵陣に突撃したり、初見殺しありありの角魔法生物と殺し合いをしたり、キャンプ地で騎士団に取り囲まれて殺し合いをするのに比べれば、全然イージーじゃないですかね?
「なんだろう。私の感覚がおかしくなっているのかな? どう思うコマ」
「ワンワン!」
言葉の意味は分からないものの、単純に私に話しかけられたのが嬉しかったのだろう。
コマは尻尾を振って喜んだ。
おっと、そんな会話を交わしている間に、ウンタがこちら側に到着したようだ。
たかだか20m程の橋だからな。渡り切るのにさほど時間はかからないのだ。
ウンタはロープを握ると対岸に向かって叫んだ。
「大丈夫だ! 思ったよりもしっかりしている! 一人ずつ来い!」
「分かった!」
ウンタの呼びかけに応じて、亜人の男達が一人づつ橋を渡った。
最後に一番ガタイの良いカルネが渡り切ったところで、こちら岸にクロ子十勇士が全員集合となった。
「このまま一人づつだと日が暮れないか?」
「ああ。こちら側でロープを持つ人数も増えたし、これからは人数を増やしてもいいだろう」
こうして次は人間達がロープを持って、次々と橋を渡り始めた。
全員腰が引け気味なのが見ていて面白かったが、まあビビってしまうのも仕方が無いだろう。
私も高所恐怖症だからな。気持ちは分かるわ。
短い橋とはいえ、四百人が順番に渡るとなるとやはりそれなりに時間がかかる。
全員が渡り切った頃には既に昼になっていた。
「このまま先を急ぎましょう」
順番待ちをしている間に休憩にもなったしな。今後の行程を考えるとそうした方がいいだろう。
ちなみにロープはこの場に残して行く事になった。帰りも利用するからである。
「帰りもこの丸太を渡るのか・・・」
カルネがうんざりした顔で呟いた。
イヤなら別のルートもあるけど、どうする? そっちはどれだけ時間がかかるか知らんけど。
「いや、いい。どうせそっちに行っても危険がありそうだ。だったら一度通っている場所の方が覚悟が決まっているだけまだマシだ」
カルネの言葉に亜人達が一斉に頷いた。
全員かよ!
私の選ぶルートは全部危険か?!
アンタ達の中で私がどう思われているか分かったわ。
この後もなんだかんだとありつつも、私達は順調に山を下りて行った。
斜面は登る時よりも降りる時の方がケガが多い。
下りはどうしても足元が滑りやすくなるからだ。
だから斜面を降り続けるのは、精神的にも肉体的にも疲労が大きい。
みんなは次第に口数も減り、小休止の時にも黙り込んでいる事が多くなっていった。
山の傾斜が緩やかになっていくにつれ、次第に周囲は木に囲まれ、やがては森の中を歩くようになっていた。
こうなると今度は倒木や木の根、藪、それに下生えに隠れた窪みが我々の足を引っ張った。
そんな中、鳥の声に混じって野生動物の鳴き声が聞こえるようになり、目的地が近い事を感じさせた。
やがて日も西に傾いた頃、私達は森を抜け、開けた場所に到着した。
「見ろ! あれは畑だ! 街道も見えるぞ!」
「やった! 俺達はメラサニ山を越えたんだ!」
山から見下ろす先には一本の街道と、その両脇に整地された畑が見えた。
そう。我々はとうとう隣国ヒッテル王国のロヴァッティ伯爵領に到着したのだ。
しかし、仲間同士で喜び合う兵士達と異なり、ショタ坊の表情は冴えなかった。
優男君がショタ坊に注意を促した。
「ラリエール様、あそこを――」
「――ええ。私にも見えています。砦ですね。それもなかなかの規模の。こちらを見つけているでしょうか?」
「おそらく。あの煙は連絡用の狼煙でしょう。どうやらこの山を見張る見張所があったようです」
ガッチリ君の指し示す先には、黒い煙が一本、森の梢の先から空に登っていた。
どうやらあの先に彼の言う見張所があるようだ。
「私達は最悪の場所に出てしまったようです。敵の砦に対してこちらは寡兵。そして既に我々の接近は敵に発見されています」
眉間に皺を寄せ、考え込むショタ坊と貴族コンビ。
そんな彼らを私は冷ややかな目で見つめていた。
最悪――か。どうやらショタ坊達は、我々が偶然この場所に出て来たと思ったようだ。
それはそうだ。
普通に考えれば、わざわざ敵の砦がある場所に出る必要は無いからな。
だが違う。私はここに砦があると知っていたのだ。
知った上で、あえてここを通るルートを選んだんだよ。
次回「~鉄壁のストラトーレ砦~」




