フロレンツィア視点 フェルネスティーネ物語ができるまで
第435話 私的な報告会(二年)で「その感情は原稿に叩きつけて昇華すると良いですよ」と執筆を勧められた後のお母様達をフロレンツィア視点で。
わたくしはアウブ・エーレンフェストの第一夫人でフロレンツィアと申します。夫であるアウブ・エーレンフェストに第二夫人を迎えなければならないという話が出て、嫌がる夫を宥めながらどこの領地と繫がりが必要なのかを吟味しなければならないという状況になっています。
いつもならばエルヴィーラが相談に乗ってくださるのですけれど、フェルディナンド様のご結婚が決まってからというもの、本当にエルヴィーラにしてはとても珍しいことに感情を荒げていました。それはもちろん、話を聞いたエルヴィーラの大事なお友達も同じことです。
お茶会ではハンカチもなく過ごせないという有様で、王命の無情さを嘆き、これまでのフェルディナンド様の半生を振り返っては不遇さに涙を流しています。彼女達が落ち着くまで、わたくしからの相談は控えた方が良いと思わざるを得ません。
王命が不本意なものであり、ヴェローニカ様に疎まれていたフェルディナンド様がよく似た面差しのディートリンデ様とご結婚することになるのは、できれば避けたい事態であることはわかります。
けれど、ジルヴェスター様と話し合えば王命を回避できたかもしれないところを、フェルディナンド様がエーレンフェストにとっての最善を見据えてアーレンスバッハへ向かう、とおっしゃったのです。王命である上に、ご本人がすでに決意していることですから、わたくし達が大騒ぎをするのはフェルディナンド様のためにならないのではないでしょうか。
「……何か良い方法はないかしら、ローゼマイン?」
アーレンスバッハへ向かうのはフェルディナンド様ご自身が望んだことだと理解して、皆の心を落ち着かせるためにはどうすればいいのかしら、と相談したつもりだったのですが、ローゼマインには少し違って受け取られたようです。
「湧き上がる激情を無理やり抑えるだけでは不満も残るでしょう。ですから、怒りも嘆きも悲しみも、全ての感情を創作に向けるのはいかがでしょうか?」
「……ごめんなさい。どういう意味かしら?」
「フェルディナンド様をモデルにお話を作るのはどうでしょう? せめて、お話の中だけは幸せにしてあげるのです」
予想外の答えに戸惑うわたくしの前でエルヴィーラがバッとローゼマインを振り返りました。
「お話の中だけでも幸せに……ですって?」
「そうです。お母様の手でフェルディナンド様を幸せに導いて差し上げてくださいませ。そうして、感情を昇華すれば、少しは落ち着いてフェルディナンド様を見送ることができるのではないかしら?」
エルヴィーラの漆黒の目が輝き、周囲のお友達を見回します。皆が揃って力強く頷かれました。こうして、わたくしには思いもよらなかった「フェルディナンド様を幸せにし隊」の活動が始まったのです。
フェルディナンド様が神官長を退くため、ローゼマインは引継ぎをしなければならず、自分の側近達と共に忙しなく神殿に戻って行きました。
ローゼマインが忙しい間、わたくしも忙しくしていました。アーレンスバッハへ向かうフェルディナンド様のために贈り物の準備をしたり、各地のギーベに知らせを送ったり、城の内部の彼の仕事を振り分けたりしなければなりません。その合間を縫ってはエルヴィーラのお茶会に参加し、「フェルディナンド様を幸せにし隊」の活動に目を光らせなければならなくなったのです。
エルヴィーラが目を輝かせて「こうすれば、フェルディナンド様の不遇を訴えられるのではないかしら?」と不遇さを書き連ねるのを見て、わたくしは溜息を隠せませんでした。あまり真正面から王命を批判する物語になるとエーレンフェストが困るのですが、感情が荒れている今の彼女達の耳には届かないでしょう。
……どうすれば、フェルディナンド様のお話を気付かれないようなお話になるかしら?
わたくしは悩みに悩んだ結果、このように声をかけました。
「フェルディナンド様の不遇さを訴えるお話という点には賛成いたしますけれど、フェルディナンド様がご自身のお話だと気付けば、取り上げられてしまうかもしれなくてよ、エルヴィーラ」
「そうですわ。皆様、絵の販売を止められた悲劇を繰り返さないようにしなければ!」
「えぇ、あの時の絶望感を何度も味わうわけには参りません。決してフェルディナンド様のお話だと気付かれてはならないのです」
フェシュピールの演奏会でフェルディナンド様の姿絵が売られ、それが本人に見つかって、以後の姿絵は禁止されてしまいました。あの時の嘆きも大変だったのです。同じ悲劇は繰り返さない、と「フェルディナンド様を幸せにし隊」の心が一つになるのを感じました。
「フェルディナンド様とわからないようにするためにはどうすれば良いのかしら?」
「主人公の名前を変えたところで、エーレンフェストから出た本の、王命によって大領地に婿入りをした不遇の領主候補生という時点でどなたのお話なのかはすぐにわかりますわよね?」
ひとまずフェルディナンド様のお話だとわからないようにするという方向に皆の気持ちを向けられたことに安堵の息を吐きます。
「……王命による婿入りが珍しいですからねぇ」
婿を取るよりは嫁を取る方が多いのです。王命による婿入りともなれば、すぐにわかるでしょう。どのようにその部分を誤魔化すのか、それはとても難しい問題です。
「王命ではなく、アウブの命令にしてはいかがでしょう?」
「フロレンツィア様、それでは王命の無情さがちっとも伝わらないではありませんか」
「アウブ・エーレンフェストが悪者のように感じる者が出そうなので、あまり賛成できません」
「……そうですね」
ここにいる皆が創作にどこまで入れ込むのか、よくわからないため、わたくしは自分の提案を下げました。このような創作で「フェルディナンド様を幸せにし隊」におけるジルヴェスター様への評判を下げるわけには参りません。
「お嫁入りならばそれほど目立たないかもしれませんけれど……」
どなたの呟きだったのかわかりません。ただ、その言葉にエルヴィーラがハッとしたように顔を上げました。
「それですわ!」
「エルヴィーラ様、何ですか?」
「フェルディナンド様のお立場を女性に置き換えて書くのです。そうすれば、どなたもフェルディナンド様のお話だとは思わないでしょう!」
エルヴィーラの当然の言葉にわたくしは呆然としてしまいました。意味がわかりません。それはもうフェルディナンド様のお話ではないでしょう。
けれど、わからなかったのはわたくしだけだったようです。皆は目を輝かせて賛成し始めました。
「まぁ、なんて素晴らしい提案でしょう! それでしたら、ご本人にもわかりませんわね」
「洗礼式直前に引き取られて不遇な子供時代を過ごす者は決して少なくありませんもの。きっとお話を読む方々の共感を得られますわ」
「最後が幸せになれば、今、不遇の立場にいる者にも希望を与えることに繋がります」
女性として書かれることになるフェルディナンド様がエルヴィーラ達の手によってもっと不遇の立場に追いやられているような気がしたのですけれど、それに関しては見ないふりをすることに決めました。
……最も大事なのはフェルディナンド様のお話だとわからないようにすることと、王命批判をなるべくやんわりと包んでもらうことですもの。別人の話になりそうなのは歓迎することではありませんか。
「やはり、貴族院での恋も入れなければ! エルヴィーラ様のお話でしたら、それを期待されていらっしゃるご令嬢も多いでしょう」
「そういえば、フェルディナンド様の貴族院時代の噂には王女とのものがあったではありませんか。王子との恋物語を入れるのはどうかしら?」
「素敵ですわ! 王子が惹かれても当然と言えるほどに美しく賢く素晴らしい女性ですけれど、母のない領主候補生ということで王子の周囲には反対されるのです」
そこで華やいだ歓声が上がり、主人公と王子の恋愛が決定してしまいました。皆が楽しそうで何よりですし、ここまでかけ離れてしまえばフェルディナンド様のお話と思う方はいないでしょう。
「そして、二人を引き離すために下された王命を撤回してもらえるように、王の説得を試みて、最終的には王命の撤回と主人公の愛を王子が勝ち取るのですね」
「あら……? わたくし、そのお話、どこかで聞いたことがあるような……」
「アナスタージウス王子とエグランティーヌ様のお話ですわ。せっかくですから、参考にさせていただきましょう。これでフェルディナンド様とは誰も思わないでしょう」
最終的に主人公が幸せになるまでの大まかな道筋ができたことでエルヴィーラ達は満足したようです。細かい部分についてのお話が始まりました。
ジルヴェスター様も女性にするのか、男性のままにするのか、主人公が女性である以上、側近も女性にするべきではないのか、などが話し合われます。
「主人公の名前はどうしましょう? せめて、主人公のお名前だけは繫がりがあるようなものでも良いかしら? あまりにもかけ離れてしまうと、感情移入できなくてペンが動きませんもの」
エルヴィーラがそう言ったことで、主人公の名前について皆が頭を捻り始めました。最終的にはフェルネスティーネで決定しました。フェルディナンド様とエグランティーヌ様を程よく混ぜたそうです。
ジルヴェスター様は異母兄そのままで、母親からフェルネスティーネを庇う役となりました。わたくしへの配慮と、ときめきが足りない前半部分にエルヴィーラの気分を乗せるためには必須の存在だそうです。
……フェルディナンド様の護衛騎士であるご自分の息子でさえ、あっさり女性騎士にしてしまえるエルヴィーラからの貴重な配慮ですもの。ありがたくいただきましょう。
「ここにたくさんあるフェルディナンド様伝説から物語に向くお話を探し出しましょう」
こうしてできあがった原稿はエルヴィーラの下で側仕え見習いになるために修行中のベルティルデを通してグレッシェルで印刷されることになりました。ハルデンツェルの印刷は冬だけですし、神殿のローゼマイン工房にはフェルディナンド様の目がございますから。
あまりにも大長編となったため、ダンケルフェルガーの本と同じように分冊されることになりました。一巻は領主候補生として洗礼式を受け、義母にいじめられ、異母兄に庇われながら貴族院へ行き、王子と恋に落ちるまでです。
貴族院へ向かう直前に完成した本を見せられたローゼマインは呆然とした顔になっていました。
「……お母様、これは女性になっていますけれど、フェルディナンド様のお話ですよね?」
ジルヴェスター様が気付かれたようにローゼマインも気付いたようです。けれど、フェルディナンド様とよほど親しくしている者でなければ気付かないようなので、わかる人だけにわかるフェルディナンド様のお話としてはよくできているのではないでしょうか。
「あら、ローゼマイン。この物語は虚構の 作り話であり、登場する団体・人物などはすべて架空のものです、とここに明記されているでしょう? 似ているように感じられても別人なのです」
……フェルディナンド様がその言葉で誤魔化されてくださればよいのですけれど。
深夜のテンションって怖いと感じるお話でした。
フロレンツィア様は大変です。




