第72話 クエスト『名古屋港調査』2
天照の言った通り、伊勢を出発して櫛田川を過ぎる辺りまではモンスターの気配すらなく道のりは順調であった。
再び国道23号線を北上する4人は、途中なんども地元の人間と顔を合わせることになる。
結界が広がったことで、一度は手放した農地を再び耕そうとその下見に来ている人々だ。
農地が広がれば、米以外の作物を多く作る余裕が生まれる。
野菜不足からくる栄養不足は問題になっていただけに皆乗り気らしい。
もっとも、本当に安全なのかまだ懐疑的なところがあるらしく、下見に来ている者は経験は浅いくとも体力のある若い農業従事者であった。
結局モンスターは影も形もなく、彼らの心配は杞憂に終わり、無事下見を終えた人々は意気揚々と伊勢市中へと帰って行っている。
そんな彼らを見送りながら、マイラたちは明和町と松阪市との境を流れる櫛田川を越えた地点にまで達し足を止めた。
「さて、今日はどういたしましょうか」
現在の時刻は午後3時。
夏は陽が長い。今から急げば今日中に津市内には入れるだろう。
津市内から目的の名古屋港までは道なりに進めば50kmほどだ。
休みなしで急げば1日で届く距離である。
つまり、今急ぎ距離を稼げば明日中には目的地につけるのだが、
「急ぎますか?」
「いえ、無理は禁物です。今日は安全な結界内で休みましょう」
「そうか。懸命な判断だな」
李と吉田にしても急いではいるが危険は避けたいところだ。
「レオ!」
「はいお嬢様」
「少し早いですが宿泊の準備をしますわよ」
「承知しました」
そう言ってレオは、近くでテントを張れる場所を探すため駆け出して行った。
「むぅ……」
その日の夕方。
ソレを見ながら吉田は唸り声を上げた。
「光ですか?」
「その様だ。熱もないな」
自らの手に灯る白い光をレオに見せながら吉田が言った。
その隣でも、李が同じように自らの手に灯った光を不思議そうにみている。
「この手の灯りの術は、与えられる神霊術として割と有り触れたものですわ。松明替わりになりますし、軍や船乗りがこの光で通信をおこなったりしますので重宝される術ですわよ」
2人の得た神霊術についてそう説明するマイラ。
重宝すると言われた2人であるが、その顔は困惑している。
無理もない。
「その程度なら懐中電灯で十分役目は果たせます。まあ電池の心配はしなくていいですし、余計な荷物を持たなくていいのは確かに便利ですが」
「それよりも、こんな術を使える様になったこと自体が問題だ……」
今のところ、日本政府としては国民が神霊術を得ることについて慎重な姿勢をとっている。
もし得てしまえば必ずそれを悪用する輩が出てくるであろう。そうなればそれに対処するための手段や法整備が必要となるが、未だそれは出来上がっていない。
さらに神霊術の獲得――より正確に言えばそれにより神霊力を操れるようになることが冒険者になるための条件だという点も問題である。
職業選択の自由がある以上、日本人の中から冒険者になりたいという者が現れても止め様がない。
日本政府としては、今の時点ではなってほしくないというのが本音だ。
面倒事は増やしたくないのである。
「最大の理由は、これを得るためには神様に関わらなきゃいけないという点だな」
「政教分離で五月蠅いですからねぇ」
「そういうものですか」
政教分離、という概念は説明を受けたマイラにも理解できた。
もっとも大陸において神自身は人の政に介入してくることはない。
神に仕える神官が国に仕える事例はあり、その個人が自らの使える神や神殿を優遇するような動きを取ることはある。
それを切り離そうという思想はそう難しいものではなかった。
「安心なさって。普通神官以外が得る神霊術は仮初の契約ですわ。どうせ5年も経てば術は消えますし」
「そうなのか?」
初耳である。
「神霊力を操る力は消えませんけれど、術は使えなくなります。まあ大抵の方はその前に更新したり、他の神に乗り換えて別の術を覚えたりしますけれど」
冒険者はそうやって色々術を変えていくものですわよ――そう付け加えた。
勿論中には、自分の信仰と合致した冒険者もいる。
例えばかつて初めて日本を訪れた冒険者の中で、猫神を信奉する獣人のクウォーターがそうであった様に。
「5年か――隠すのは……無理だな」
「無理でしょうねぇ。下手にあがかず報告する方が良いかと」
「まったく。神霊研にモルモット扱いされなきゃ良いがな」
かつて自分たちが追っていた自衛隊内にある神霊術・神霊力を研究する部署。
相手が外国人ということもあり冒険者に対してはそう変なことはしていないが、同じ日本人であればどうか。
(もっとも自衛隊が警察の人間に対してどうこう出来るとは思えないが)
組織同士の関係からいってまずそれはあり得ないはずだった。
「自衛隊内では神霊術を隊員に覚えさせたいという要望が出ていましたね」
「西中国地方の新旅団長か。これがきっかけになる可能性はあるな」
思わず溜息をつきたくなる吉田である。
「――何やら大変ですわねぇ」
まったく大変だとも思っていない口調でそう言ったマイラ。
「まったくだよ」
「ええ」
それに苦笑して答える2人。
しかし2人とも気づいていない。
今の自分たちがどれだけ口が軽くなっているのか。
明け透けなマイラにつられてか、心理的ハードルは大きく下がってしまっている。
流石に、マイラの知らない・知ることのできない重要な情報こそ漏らしていないが。
(気づいていないんでしょうねぇ。まあお嬢様も気づいていないんでしょうが)
利用する気がなければ意味がないなと思いつつ、レオは夕食の用意を続けた。
翌日。
再び三重県内を北上する
津市に至るまでは先日通ったルートを逆に進むだけだ。
先日見たばかりの光景を再び目にしながらひたすらに先を急ぐ。
天照がいないためモンスターに注意しなければいけないが、先日に天照の力によって追われまだこの辺りには戻ってきてないらしい。
途中モンスターの気配はなかった。
歩くのが当然である大陸の人間であるマイラとレオ。
普段から体を鍛えており、自衛隊員ほどではないとはいえ体力には自信がある吉田と李。
必然歩く速度も速く、朝に櫛田川を出発し昼ごろには津市へと到着していた。
「さて、君らの目的地である名古屋港はここから更に北に進むことになる」
「その様ですわね」
吉田の説明に地図を見ながらマイラが頷く。
「距離はおおよそ50km。我々の歩く速度がおよそ時速5kmといったところ。単純計算で10時間はかかることになるな」
時速などと言われてもそういう概念のないマイラにはピンとこないが、時間が10時間ほどかかるということだけは分かった。
「そうなりますと、今日は途中で一泊しなければいけませんわね。取りあえず目標を決めて向かいましょう。幸い、どこで休んでも変わりはなさそうですし」
マイラは周囲を見ながらそう言った。
大陸で旅の途中野宿をするなら、それに適した場所というのが街道筋にはある。
長年の人の往来のなかで、危険が少なかったり水が手に入りやすかったり夜露をしのげたり、様々な理由から選ばれた場所だ。
しかし、日本において、特にこういう平野部を進む限りはあまりそういう面を気にしても仕方がなかった。
どこに行っても必ずといっていいほど建物があり、休む時はそこを使えばいい。
水に関しては下流部の水は使わない様にとの警告がギルドから出ている為、どの道手持ちの水を使うしかないのだから関係ない。
後はモンスターのことだが、どこも似たような地形は続くためどこで休もうが関係はなさそうに思えた。
「……なら鈴鹿辺りまで進むとしようか」
「土地勘などない場所ですからお任せしますわ」
(分からないことを分かる人間に任せるのは賢い判断なんだが)
なんとなく釈然としない吉田であった。
目的地が決まり再び23号線を北上する。
ここからしばらくはずっと町中である。
ゴーストタウンと化した街並みは無気味であったが、同時に少しだけ安心感があった。
「おそらくモンスターにはこの辺りでは出会わないでしょう」
「どういう意味かね?」
「おーっほっほっほ! 単純なお話ですわ。餌がありませんもの」
「なるほど。もっともだな」
確かにその通りだった。
モンスターも生物である以上食べ物がなければ生きてはいけない。
廃墟と化した街には、当初はともかく今となっては食べ物など残ってないだろう。
小動物――例えばネズミなどはいるかもしれないが、狩りを行うのに適しているとは言い難い。
となれば、平野部の方がまだ危険は高いだろう。
(――ん?)
と、そこで吉田はおかしなことに気付いた。
10年前、日本に大量に押し寄せたモンスター群。あれらは一体何を食べていたのか。
そして今何を食べているのか。
(野生動物と考えるのがまず当然だが……それだけで事足りるのか? いや、モンスター同士も捕食対象になっている可能性もあるか)
だとしても、あれだけのモンスターがその規模を維持できるものなのか不審に思う。
(あながち、マイラの言ってことも的外れではないかもしれんな)
モンスターの数は思ったほどはいないのではないか。
だが、そうすると岡山に押し寄せているモンスター群はおかしなことになる。
(何かある。東には俺たちの知らない何かが。それが分かれば――)
と、そこまで考えて吉田は苦笑し首を振った。
(二兎を追う者は、か。いかんいかん。欲を出してはろくな目に遭わんな)
今はこの目の前のお嬢様のことと、無事に西へ戻ることだけを考えなければ。
そう思い直す吉田であった。
その日の夕方には鈴鹿市に至った4人は、適当な民家に入り込み一夜を明かす。
中国地方では禁止されている行為だが、ここではそれを咎める者はいない。
仮に禁止されていても冒険者は気にせず入り込むであろう。
誰だって野ざらしで寝るよりはボロでも屋根の下で寝たいものである。
手癖の悪い冒険者であれば、ここで何か持って行けそうなものはないかと家探しするところであろうが、幸いにもマイラはそういう類ではなかった。
「なんでそんなみっともない真似しなければいけませんの」
仮に誘われたとしても、きっとそう言って断ってしまうであろう。
さて、一行の進む国道23号線は鈴鹿市を貫通しているが、鈴鹿市の中心部からはやや東に外れた場所を進む。
市内の北玉垣町という場所で二手に分かれ、市中心部へは県道が伸びている。
鈴鹿市が目的であればそちらに移るところであるが、マイラにとって鈴鹿市は単なる通過点でしかない。
そのまま23号を進む。
市の中心部からそれた国道は、その左右に田畑が続く田園地帯を突っ切る。
田園とは言っても、流石にこの辺りにはもう長く人の手が入っていない。
この地が放棄されて10年。季節が巡る度に、夏の到来と共に雑草が伸び、冬の訪れと共に枯れ、そして再び夏が来る。その繰り返しの中荒れに荒れ果てていた。
10年の中で大雨などにも見舞われた田畑は、畝やあぜ道は壊れ用水路もゴミや草木で塞がれてしまっている。
見た目では分からないが、田の土も土砂等が入り込んでいるであろう。
この先この地を奪還しても、農業を再開するのは骨が折れそうである。
「――」
突然マイラが足を止めた。
「……どうしましたか?」
「右手前方。いますわ」
そう言われ、李がその方向を見る。
道に沿って続く田には、人の背丈ほどもある雑草が生い茂っている。
一見何もおかしなところはないが、よくよく見れば――
「かすかに動いていますね。風ではありません」
「そのようですわね」
2人の言葉に、吉田とレオは背負っていた荷物を降ろした。
目的地に進むにはここを北上しなければいけないのだ。
避けて通れない以上モンスターを倒すか追い払わなければいけない。
「李……弾の予備は?」
「一応ありますが、先のことが分かりませんから無駄に使いたくはありませんねぇ」
「とは言え流石に素手じゃな……」
神霊力を扱えるようになったことで、吉田と李にはモンスターが持つ神霊力によるアドバンテージが無効となっている。
一番大きな効果はモンスターの防御力低下だ。
とは言え、そもそも人は生き物としては非常に弱い。
一般人ではちょっとした大きさの野生動物にも素手では勝てないのだ。
吉田と李もそれなりに鍛えているが、果たしてそれで通じるモンスターなのかどうか。
「吉田さん、李さん。貴方たち剣の腕前は?」
「剣道――日本式のスポーツの剣術なら修めている」
「私はからっきしです」
「それじゃ、吉田さんはこれをお使いなさい」
そう言ってマイラは自分の腰に差したショートソードを抜き吉田へと手渡した。
「こういった武器での戦闘経験はないんだが……」
「その銃では弾がなくなったら終わりでしょう? 安心なさい。貴方たちの護衛も依頼の内ですわ」
そう言ってマイラは、背負っていた大槌を手に構えを取った。
「!?」
それを見た吉田と李が息を呑む。
神霊術を得て、神霊力を操りそして見える様になって以来マイラの持つ神霊力は毎日見ていた。
比較対象が少ない――伊勢の宮司とレオ。天照は流石に別格過ぎる――ため断定はできなかったが、マイラの神霊力は特別大きなものではなかった。
だが、今のマイラはその神霊力の大きさが変わっている。
(……あの武器のせいか?)
神霊力はコントロールすることが出来るとは聞いていた。
しかしここまで劇的に変わるものなのかという疑問がわく。
もしそうでないとするならば、あの武器が原因としか思えないのだが――
「レオ、来ましたわよ!」
「はいお嬢様!」
マイラの言葉に、レオもブロードソードを抜き構える。
天照の神霊力が込められたブロードソードは強い神霊力の光を帯びていた。
『ワオオオオオオオオオン!!』
草むらから飛び出してきたのは3匹の狼――いや、犬であった。
燃えるような真っ赤な瞳を持つ漆黒の大型犬。
「黒妖犬ですわ! 雄叫びに気を付けなさい!」
マイラの忠告であったが少し遅かった。
「くっ……」
「むぅ――」
吉田と李が全身を震わせながら膝をついている。
黒妖犬の雄叫びは強力な呪殺の神霊術と同じだ。
神霊力を持たない者。神霊力の弱い者では即死もありえる攻撃だ。
痙攣で済んだ2人はむしろよく抵抗していると言えた。
「レオ!」
「大丈夫ですお嬢様! さすが神様の神具だ」
神霊力の大きさで言えば、レオは吉田や李と大差はない。
力を使うことの慣れの差はあっても、今までなら先ほどの雄叫びで行動不能に陥ってもおかしくはなかった。
しかし今のレオには、天照の力を与えられた剣がある。
武器を強化するための力であるが、同時に護符の役目も果たす。
このため、今の攻撃が無効化されたのだ。
「一番大きなのを私が相手します! レオは2人の護衛に回りなさい!」
「分かりました」
そう言ってレオは後ろで蹲る2人へと駆け寄る。
「お2人とも、神霊力を集中なさい! そうすればその程度の痙攣は解除できますわ!」
「そ、そう……はわあ」
(そうは言うがな!)
上手く舌が動かず言い返すことも出来ない。
そもそも神霊力を扱えるようになって昨日の今日の出来事である。
そう簡単に出来るはずもなかった。
(くそう!)
それでも、感覚だけを頼りになんとか神霊力操ろうとしてみせる。
隣では李も先ほどから黙ったまま意識を集中させていた。
「来い!」
すぐ近くでは、レオが駆け寄ってきた2匹の黒妖犬に剣を振り2人に近づかないよう追い払っている。
2匹の羊ほどの大きさの黒妖犬は、動けぬ吉田たちを襲おうとするのだが、レオの持つ剣が気になるのか思い切って飛び掛かることが出来ないでいた。
本能か、或いは知性か。
あの剣の一撃を受けてはひとたまりもないと警戒しているようである。
しかし2体1では遠からず隙が出来る。
(早く! 急がなければ!)
吉田の焦燥を余所に、2匹のモンスターはじりじりとその間合いを狭めてきていた。
「くー! 犬っころの癖に知恵が回りますこと」
もう1匹の黒妖犬に対峙するマイラは歯噛みしながら睨みつけた。
レオの相手をする2匹よりも更に大きな体を持ち、小さな牛ほどもある大型の黒妖犬。
元々黒妖犬はその神霊力の大きさから中型モンスターに分類されているが、その中型の中においては下位のモンスターとして扱われている。
最大の攻撃である呪殺の雄叫びは、ある程度の冒険者にはほぼ無効化出来るためだ。
しかし目の前の個体ほどに成長していれば、その身体能力の方がよほど脅威である。
おそらく中型の中でもかなりランクがあがるであろう。
「大人しく潰れなさい!!」
大上段からの大振り。
強力ではあるが隙の大きな一撃を、マイラは敢えて放つ。
ドゴッ! という鈍い音と共に、マイラの大鎚が地を打ち付ける。
余りに強力な一撃は、大地に小さなクレーターを生んでいた。
モンスター。それも中型以上は知性が高い。
普通こんな隙だらけの攻撃をすれば、あっさりそこを突かれることになる。
が、それこそがマイラの狙いであった。
超重量級の武器である大鎚を棒きれのように軽々と扱えるマイラにとって、この隙は隙ではない。
隙を突こうとのこのこ襲い掛かってきた敵を、撃ち返しで逆に致命傷を叩き込む。
マイラの得意な手であった。
しかし――
「!?」
マイラの一撃を、この黒妖犬は大きく下がって回避した。
「見破りましたの!?」
隙に気付かないほど知性がないはずがない。
小なりとはいえ、仲間を従え狩りをするようなモンスターがそんなはずはないのだ。
となると、想像以上に賢くマイラの手を読んでいたということになる。
「困りましたわね……」
しかも、図体の割に敏捷な動きをする。
全身筋肉といったところか。
いくら軽々と鎚を振るえるとは言え、長柄の武器ではどうしても意図しない隙が出来やすい。
もしそこを突かれ押し倒されでもしたら万事休すだ。
「……」
横目でレオの方を見る。
なんとか動けぬ2人を守っているがジリジリと押され気味である。
(あの剣なら楽に勝てるでしょうに。まったく)
天照大神の神霊力を込めた剣。
あれを自分が使っていれば、あの程度のモンスターなど苦もなく倒せるはずだ。
思わずそう考え苛立つマイラであったが、
(――ああ、私何を馬鹿なことを)
とすぐに思い直す。
考えてみれば、レオを冒険者として引っ張り出して約1年。
屋敷で剣の練習はしていたはずだが、日本に来るまでの間極力戦闘を避けてきたため実戦経験は日本に来てからの数えるほどしかない。
つまり素人とさして変わらないといえる。
(吉田さんたちも回復にはまだかかりそうですわね)
仕方ありません――と、マイラは溜息をつく。
『グワンッ!!』
爪を立て襲い掛かる黒妖犬から横に跳び身を躱しながら、マイラは大きな声でレオに呼びかけた。
「レオ! 敵の動きを止めますわ! モンスターの隙を逃がさないように!」
「はい! ……え?」
条件反射で威勢よく返事をするが、意味が分からず思わず間抜けた声が出た。
「さて……」
ギュッと両手で鎚を持ち構える。
再びマイラに黒妖犬が飛び掛かるが、避けられるとすぐにその場から移動し追撃がこないように距離を取る。
やはりこのモンスターは賢い、と思いながらマイラの目は目の前の犬とレオが相手をする2匹を視界に収めていた。
急ぐ旅時ではないが、この程度の敵に時間をかけるのももったいない。
手にした鎚に神霊力が込められる。
3匹の黒妖犬が、駆け、跳び、跳ね、そして12本の足が大地に着いたその瞬間、
「はっ!!」
マイラは神霊力の込めた鎚を大地に叩きつけた。
叩きつけられた鎚――そしてそこに込められた神霊力は、地を震わせながら奔る。
『!?』
大地からの衝撃に黒妖犬が捕われると、犬たちは縛られた様に動きを止める。
マイラの術が犬を捉えたのだ。
「レオ!」
そう声をかけながらそちらを見ようともせず、大型の黒妖犬へと走る。
この程度の敵の神霊力ならば、捉え動きを止めることは難しくない。
だがそう長くも止められないのだ。
「吹き飛びなさいな!!」
柄を長く持ち、神霊力と遠心力を込め思い切り振り抜いた鎚は違うことなく黒妖犬の頭の真芯を捉えた。
グシャっとまるでトマトでも潰すかのように、犬の頭はあっけなくはじけ飛んだ。
まさに一撃必殺。
頭部を失った胴は、よろよろとした後その場に倒れ込んだ。
リーダー格は倒したがまだレオの相手をする2匹がいる。
そちらはどうなったかとマイラは振り向き――
「レオー!!!!」
叫び声を上げた。
マイラの攻撃により、2匹の黒妖犬の動きが止まる。
(これのことか!)
主の言葉が何を指していたのかを理解したレオは、即座に黒妖犬の1匹へと走り剣を振り下ろす。
ぶるぶると震えながらも動けぬモンスターの背に剣が叩きつけられる。
この攻撃は失敗である。
背には背骨があり肉も硬い。レオの持つブロードソードでは骨肉断ち切るにはいささか足りない。
ましてや細身で筋力も足りず剣の技量に秀でているわけでもないのだ。
思わず狙いやすいところを狙ったのだろうが、レオの経験の無さが表れていた。
(え!?)
が、レオが自らの愚を悟ることはなかった。
振り下ろした剣は軽い抵抗と共に、あっさり羊ほどの大きさもある黒妖犬の胴を輪切りにした。
更に、
「うわっ!?」
断面から火が噴きあがり真っ二つに絶たれた黒妖犬を飲み込む。
「これが神具の力……」
想像だにしなかった武器の力の茫然となるレオ。
――重ねて言うが、ここにレオの経験の無さが表れていた。
一人前の冒険者であれば。いや、戦いに慣れた者であればまだ敵が残っている戦闘中に気を抜くことなどない。
「レオー!!!!」
主の叫び声に、レオが気を取り直したのとほぼ同時に、
「ぎゃああああああああああ!!!!」
残こる黒妖犬がレオの右肩口に牙を突き立てた。
「ぎゃああ! ああ!! あ!! いたっがああああああああああああああ!!!」
焼けつくような痛みにパニックに陥ったレオは叫びながら必死に剣の柄を黒妖犬の頭に叩きつける。
だがそれで犬が口を離すはずもなくより食い込ませる結果となる。
「落ち着きなさい!!」
そう叫びながらマイラが走り出すが、それよりも早く動いた者がいた。
「うおおおおお!!!!」
痙攣から脱した吉田であった。
立ち上がった吉田は、マイラから渡されたショートソードをレオに噛みつく黒妖犬の喉元に突き立てる。
無意識に神霊力を纏わせた剣は、黒妖犬の纏う神霊力を打ち破り、剣の切れ味そのまま喉を引き裂く。
「おおおおおお!!!」
雄叫びをあげながら、吉田は突き刺さった剣に力を込めた。
暴れる犬の爪が吉田の服を引き裂け傷をつけるが吉田は止まらない。
やがて、ガクっと糸の切れた操り人形の様に、黒妖犬は力を失い息絶えた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ――」
黒妖犬と、そしてレオの血を浴びた吉田が目を血走らせたまま荒く息をする。
「て、手当てを」
同じく痙攣から脱した李の言葉に、我に返った吉田は慌てて倒れるレオにしゃがみ込み傷を確かめる。
「くっ、取りあえず止血だ!」
痛みのあまり気を失っているレオ。
幸い肉は抉れていないが黒妖犬の牙は深く食い込んでいた。
下手をすると骨までやられている可能性がある。
「レオ! レオ!!」
駆け寄ったマイラも顔を真っ青にしながら、地面に置かれた荷物を漁り包帯を取り出す。
吉田と李も包帯やガーゼを取り出しながら処置を急ぐ。
大量出血の手当てはいかに早く止血できるかが重要だ。
最低限の応急処置の技術を持つ吉田と李。冒険者として同じく怪我の処置技術を持つマイラ。
止血処理自体は何も問題なかったが、
「いかんな血が!」
動脈がやられていたらしい。
出血が激しくレオの顔色が見る間に悪くなっていく。
(これは……)
このままではまずいことは、吉田と李の目にも分かった。
マイラも気づいているのだろう。
初めて見せる悲壮な顔つきでどうするべきか考えている。
「もしここにアマテラスさんがいれば――」
その強大な神霊力で癒すこともできたかもしれない。
だが現実にはここにいないのだ。考えても仕方がない。
普段ならそんな無意味なことを考えない彼女が、思わずそう口にまで出してしまう辺りに動揺がうかがえる。
「マイラさん。傷を治すような神霊術はないのですか!?」
こちらも珍しく激しい口調の李だ。
「神官でもなければそんな術はありませんわ! 私の力でも――!?」
と、そこで何かに気付き懐に手を入れる。
そこから取り出したのは、先日アマテラスから報酬としてもらった護符だ。
「それは」
「それで傷を治せるのか!?」
「いえ、これだけでは無理ですわ。ですがもしかすると」
この護符には治癒の力などはないが、そこには強力な神の神霊力が込められている。
マイラの力では治癒は出来ないが、もしここに込められた神霊力をある程度操作出来れば傷を癒せるかもしれない。
その説明に李が顔をしかめる。
「それは……神の力を貴方が操るということですよね? 可能なのですか?」
「……」
李の懸念にマイラは答えず、左手に鎚を持ったままその場に片膝を付き、右手に持った護符をそのまま包帯の上から傷口へと押し当てる。
痛みにビクンと体が震えたため慌てて抑える力を弱めながら、意識を集中させる。
「――『父祖よりの契約に従いこの力……』」
ぼそりぼそりと小さな声のロデ語であったため、かろうじて吉田が聞き取れ理解できたのはそこだけであった。
(父祖?)
「『――傷を癒せ』」
言葉と共に護符が輝く。
「おおお!」
「!?」
優しい神霊力の輝きに思わず目を見張る。
やがて輝きも小さくなり、護符は力を失った。
「ど、どうですの?」
かなり無理をしたのか、尻もちを付き息を荒くしたマイラが尋ねる。
「……さきほどよりはだいぶマシになっている。今すぐ危ないということはない」
「そうですか……上手くいきましたわね」
「しかし危険なことに変わりはないぞ。きちんとした治療が必要だ」
「どうしましょうか。伊勢に戻るか、それとも西の自衛隊のいる明石まで進むか」
「伊勢まで急いでも2日。明石だと――」
「それまでもちますの!?」
難しいだろうな――声にこそ出さないが表情がそう物語っていた。
「――伊勢に戻りますわよ」
「それしかないな。動かすのは危ないが、俺が背負おう」
「急ぎましょう」
ここにぐずぐず留まっているわけにはいかない。
こんなところをもし別のモンスターにでも襲われれば危険だ。
「夜通し走れば――」
そう言いながらマイラは自ら先頭を走るため立ち上がる。
「お~~~~い!」
声が聞こえた。
「!?」
「誰だこんなところで!?」
「お~~~~~い! 何してんの?」
声は北からだ。
本来進む先だった方向を見やれば、何かが近づいてくるのが見えた。
人の声だが、その何かは人が向かっているにしては速度が速い。
「あれは……なに!? 原付バイク!?」
「です、ね」
ある程度近づいたところでその姿をハッキリ視認した公安の2人は茫然とする。
まさかここで原付バイクを見るとは思わなかったのだから当然である。
あっという間に近づいた原付。
「貴方たち……伊勢の人?」
「いや、我々は――」
「なにこの子!? 怪我してるじゃない!」
そう言ってヘルメットを取りながら降りたのは、
「手伝いましょうか?」
1人の若い日本人女性であった。




