第65話 あっちの事情、こっちの事情
時間は少しさかのぼる。
6月。
異世界においても、この時期の日本は相変わらず梅雨時であった。
北の未知の大地で生まれた冷たい気団と南東の大海からの温かい気団が、6月のこの時期ちょうど日本の真上でぶつかり合い前線を形成。
約1月に渡って日本に梅雨をもたらす。
世界が代わっても梅雨に悩まされることを嘆くべきか、地球と変わらず過ごせることに安堵すべきか――どちらともいえない気分が日本に漂うそんな時期。
そんな中を1つのニュースが日本を駆け巡っていた。
『東の放棄地域で残留日本人発見』
近畿地方南。
紀伊山地において冒険者が、そこで生活する日本人を発見したのだ。
本州の岡山以東において生き残った日本人はここ数年発見されておらず――西への避難を行った直後は逃げ遅れた者の保護があった――日本海側で海上自衛隊が確保している佐渡までの数か所近辺の調査でも、取り残された者は発見されていなかった。
東日本において生存する日本人(及び外国人)は確認出来ず。これが日本政府の公式見解であり、生存が不明な者は「行方不明者」として扱われていた。
実際、本当に生き残りがいないとは誰も思ってはいない。
転移時の死亡者と、把握されているモンスター侵攻・疫病の大流行での死者、そして現在確認されている日本の人口から考えても、一千万人以上も数が合わなかった。
その全員がモンスターによって殺されたと考えるのは流石に無理がある。
全員が無事ではないだろうが、数百万人の日本人が東にいると専門家は予測した。
また、実際に「声」を聴いたという者も居る。
東からの無線通信を受け会話を交わしたと言う話がいくつもあがっている。
アマチュア無線などがそうだ。
各種の回線がモンスターや自然災害により切断され、携帯なども中継の基地局や中継器が破壊されている現状では、東とのやりとりは無線通信を使うしかない。
そういった無線による生存者の調査は、一般人に限らず色々なところで行われており、その結果上記の様に通信に成功したという事例も一部で上がっていた。
にも関わらず、政府の公式見解は「生存者確認出来ず」なのか。
それはこの世界における無線通信の不確実性にある。
初めてのモンスター侵攻時にもあったのだが、この世界において無線通信は非常に不安定なのだ。
短距離や中継器を使えばほぼ問題が無いが、中継なしの長距離だと滅多につながらなくなる。
原因は分かっていない。
すべての周波数帯が影響を受けていることからこの世界特有の事情――例えば神霊力などの影響ではないかと言われてはいる。
現在この現象に関して研究は進んでいるが今のところ解決策は出ていない。
ともあれ、このせいで東との通信に成功したという事例が少なすぎる上に、非常に短時間しかも雑音混じりの交信。それを根拠とは出来ない、というのが政府の説明であった。
政府のこうした頑なな態度は政府としての事情故だ。
生存者がいるのはほぼ間違いはない。だが生存者を認めればその救出を求める声が大きくなるのは確実だ。
しかし今の(当時の)日本にそれを行う余力はなかった。
数百万人――或いは一千万人もの残留者をどう連れ出すのか。避難させたとして、これ以上の人口増はギリギリの日本の崩壊を招くのではないか。
そんな考えから、政権が代わった現在まで政府は一貫して「確認出来ず」で通してきたのだ。
生存者なしではなくあくまで確認出来ないだけだとして。
それが今回、政府からの公式発表としての生存者の確認である。
少し聡い者はすぐに気づく。
「政府は本腰を入れて東日本問題に取り組み出したのだな」と。
生存者救出、或いは放棄地奪還の目途がたったのかもしれない――いわゆる識者たちは、場の減ったテレビや新聞等で、或いはインターネット上で自分の考えを開陳していた。
様々な意見が出るなかで、1つだけ誰もが共通していた認識がある。
今回の件は日本政府が冒険者を利用した、というものだ。
今回の一連の流れは、クエストを受け紀伊山地へと向かった冒険者が山中で暮らす日本人を「偶然」発見。冒険者ギルドを通じて日本政府へ報告があり、日本政府は「今まで確認去れなかった残留者」が「初めて確認された」というものである。
日本政府はこの報告をずっと待っていたのだ、というのが多くの者の認識だった。
一部には、発見者は政府が用意した者たちであるという説や、政府は残留日本人の所在を把握しておりそこに向かう様に冒険者ギルドに依頼を出したのだという説など陰謀論のような意見も出ている。
様々な意見や批判が出る中、政府はそれらを受け流しつつ今後も冒険者ギルドと協力しつつ東日本の調査を進めていくこと。必要であれば自衛隊の派遣を行うことなどを発表する。
この政府の行動に、多くの日本人が西日本への避難以来、遂に事態が動き始めたのだと感じていた。
「ま、今のところ俺たちのやることに変わりはないか」
福岡にある外務省東ラグーザ局トラン王国課。
外務省職員・田染健一は、自席で人を待ちながらネットニュースを確認していた。
一連の動きは日本国内のことである。冒険者ギルドが関わっているが、あれは建前上どの国とも関係のない組織だ。
田染の所属する外務省には直接影響はないことである。
(まあトラン王国に限らず、どの国も日本の動きには神経を尖らせているからな。事情説明くらいはせにゃならんか)
もし日本が失った国土を取り返せば大陸との付き合い方も変わるのではないか。大陸の各国はそれを懸念している。
日本が大陸事情に好んで頭を突っ込むなど田染にしてみればバカバカしい話であるが、大陸側の立場でみれば決して杞憂ではないだろう。
外交は地道な努力の積み重ねである。
今後の日本の動きについて、各国に説明をしていかなければいけないだろう。
もっとも、それもまだ先の話。
目下喫緊の問題は――
「お待たせしました田染さん」
「おお、来たか。例の件だな」
「ええ」
現れたのは田染の同僚。現在は北ラグーザ局へと移動したマイク・コナリーであった。
マイクを迎えた田染は席を立つと、空いている小会議室に入りマイクと2人きりで向かい合った。
「それで、ピナマラヤン公爵家について何か分かったか?」
「ええほどほどに」
田染がマイクに依頼していた「例の件」とは、ジャンビ=パダン連合王国四十公爵家の1つピナマラヤン公爵家に関する情報収集であった。
「現在連合王国貴族の大半は領地を持ちませんが、公爵家は数少ない領地持ちの貴族――その中でも最大の領地を持っているそうです」
「なるほど。となると、王国内でもそうとうな力を持っているのじゃないか?」
「でしょうね。王国がその領地に手を出せないだけの独自の兵力もあるそうです。しかも、初代は王族だったそうで――」
「臣籍降下か。まあ公爵家だからな。珍しいことじゃないが……それで、現在公爵家はどういう動きをしているんだ?」
「基本的には王家に忠実に動いているそうです。ですけど、今の当主になってからは王家とは距離を置いた独自の行動が目立つ、というのが接触した他国の者たちの話しでした」
「そうか……」
現在、日本はラグーザ大陸の西側に伝手を持たない。
その為、連合王国内の情報は他国から得るしかなかった。
今回もピナマラヤン公爵家の情報は、主に大陸中央北部各国からの大使や随行員からのものである。
「さて、これがあの情報とどう結びつくか……」
「公爵家の跡取り。一体何が目的なのでしょうかねぇ」
大の男2人が頭を抱え悩んでいた。
最初の一報は、タンゲランにあるブトラゲーニャ商会からの情報であった。
「ベルナス商会が西側――おそらくルマジャンからの来客を迎えている」
対日貿易においてベルナス商会に後れを取っているブトラゲーニャ商会が、少しでも日本の心証を良くしようとして行った密告。
初めこの受けたトラン王国課ではあまり重視していなかった。
ベルナス商会がルマジャン――連合王国と何らかの関係を持っていたとしても不思議ではない。
十数年前トラン王国は連合王国に従属しており、その中でもタンゲランは重要な港街として連合王国の影響が特に強かった場所だ。
カターニア大陸侵攻軍の拠点となったことからもそれが分かる。
その時に出来た繋がりがそうそう切れるはずもない。
むしろ、未だ関係が深ければ連合王国との橋渡し役に使えるかもしれないとすら課内では考えられていた。
しかし、状況はトラン王国直々の情報により変わる。
連合王国の有力貴族ピナマラヤン公爵家の跡取りが、素性を隠し日本に侵入した可能性が高いというのだ。
「一体何の意図で?」外務省はその真意を探るべく調査を開始したが、如何せん連合王国とは繋がりが無く確実な情報を得ることが出来ずにいた。
「さて、どうしたものかね」
田染とマイクの行動も、そうした中の一環であるが独自の動きである。
「実は、昨日公安から密かに接触がありました」
「公安から?」
マイクの言葉に眉を顰めるも、直ぐに納得する。
「ああ、上から情報が下りてきたんだな。要人の身柄確保となりゃ、そうなるだろうな。で、どの部署が来たんだ?」
公安調査庁か……要人保護というならば警備課辺りが動くか、或いは外事がまたしゃしゃり出てくる可能性もある。いや、テロ対策って線もあるな――などと口にする田染であったが、マイクの答えはちょっと意外な物であった。
「それら全部が別個に。ああ、公安課もいましたね。公安部と後は内調も」
「はぁ!?」
訳が分からない。自衛隊を除く日本の情報機関踏み揃いである。
情報機関と一口に言っても、それぞれに役割は違う。
被る部分もある上に、今回の件がどこの担当にあるかあいまいな部分があるにしても、なぜこんな事態になるのだろうか。
「この情報も課長に報告する。上から降りるだろうに……」
「それまで待てない、と言うとこでしょう。ああもちろん私は何も喋っていませんよ」
「そりゃ別に構わないが……」
どうにもきな臭いなと田染は考える。
「まったく、面倒なことになってんじゃないだろうな……」
再び時間は戻り彦島の冒険者ギルド会館。
天照大神の登場という異例の事態に一時騒然となった会館であったが、慌てて降りてきた支部長のクレメンテが対応し来賓室へと案内したことで取り敢えず落ち着いているが、一体何が起こるのだと冒険者たちは未だに話し合い、来賓室の方をチラチラと見ていた。
とは言えずっとそちらばかり気にしているわけにもいかない。
皆それぞれに忙しいのだ。
「おーっほっほっほっほ! よろしいかしら」
「ああ、マイラさん。いらっしゃいませ。クエストの受付ですね」
「ええ。こちらとこちら、それにこれも。説明をいただけるかしら?」
そう言ってマイラがクエスト受付の女性職員に差し出したのは、ボードからはぎ取ったクエスト紹介票であった。
「こちら2つは調査ですね。琵琶湖という日本最大の湖がありまして、その南側の調査。こちらはその琵琶湖の西にある京都という古い都から北にある舞鶴という港まで抜ける道の調査ですね。舞鶴には日本の海軍基地があります」
「なるほど。では、残るこれは何かしら? 捜索クエストとありますけど」
「こちらはえっと……」
受付嬢は引出に並ぶクエストに関する書類をめくり目的の物を探す。
「ありました。これは更に東ですね。名古屋という港が目的地です。そこに貯蔵されている石油の確認が目的です」
「『石油』?」
「はい。石の油と書いて石油。日本で使われている燃料です。私も見たことはないのですが――」
「ちょっとお待ちください!」
説明を続ける受付の声を遮るほどの大声が響いた。
「今のは……?」
「支部長の声……ですけど……」
声のした方。来賓室へと目を向ける2人。
他の冒険者やギルド職員たちも再び来賓室へと目を向けている。
やがて、来賓室の戸が開き――
「……!」
顔をしかめながら出てきたのは、先ほどの日本の神――天照大神であった。
後ろから引き留めようとするクレメンテを無視しギルド正面ロビーまでやって来た天照は、グルリと辺りの冒険者たちを見回す。
明らかに機嫌が悪い。
さわらぬ神に祟りなし――とは日本のことわざであるが、冒険者たちも直感的に関わるべきではないと気づく。
誰もが視線をそらす中、天照はクエスト受付に立つ彼女に気付いた。
「お主は先日の!?」
「あら、覚えていらっしゃったのですね」
先日の、とは太宰府天満宮での一件のことであろう。
「お待ちくださいアマテラス様!」と呼びかけるクレメンテを振り返ろうともせず、マイラの元まで歩み寄った天照。
「な、何かしら?」
「ふむ……」
じろじろと物色するかのように自分を見る天照の行動に、居心地悪く感じ問いかけるマイラであるが天照は答えない。
どうしたものかとマイラが迷っている内に、天照は何かに納得したのか大きく頷くと後ろのクレメンテに振り返るこう言った。
「支部長殿。決めたぞ、こやつで良い」
「ですから、私どもとしては神様方からの依頼は受けかねると――」
「一体なぜなのじゃ。報酬も支払うと申しておるではないか」
「ですから……」
何度同じことを言わせるのだろ内心の不満を押し殺し、辛抱強く説得をしようとするクレメンテであったが、どうも相手は聞く気が無いようだ。
「どうされたのかしら、アルカラスさん」
「気になさらずにマイラさん。このお方が――」
「ほう、マイラと言うのか。先日は名を知る機会もなかったからのう」
「それはそうでしょうとも。いきなりなき――」
「黙りゃ! とにかくお主が良い。先日は気づかなんだが、お主からは王者の匂いがする。この国の者たちが使えぬ以上、せめてそれくらいの者でなければいかん」
「何をおっしゃっているのですか!」
天照の言葉に慌ててクレメンテが誤魔化そうとする。
「結局……何がどうなっているのです」
「なに、ちょっとした頼みごとよ。わたくしを伊勢まで連れて行って欲しいだけじゃ」
「護衛?」
天照の言葉に、なんでその程度でこんな問題になるのだという思いを込めてクレメンテを見る。
確かに、一件問題のなさそうな依頼だ。
しかし相手が問題である。
天照大神――この日本において未だその扱いすら定まらぬ神。
その依頼を下手に扱えば日本との関係がどうなるか分かったものではない。
以前のヤマタノオロチ討伐の一件で、ギルド側から日本に対して神の動きについて釘を刺したこともある。
それなのに今度はこちらが勝手な行動を取るわけにはいかないだろう。
どうしてものかと思案するクレメンテ。
「何じゃ、まだダメと申すのか?」
そう言った天照の顔からは表情が消えていた。
(不味い……)
大陸のそれも含め神という存在が非常に人間的であるために忘れやすいが、そもそも神とは人と比較にならないほど強力な存在なのだ。
実際神の怒りを買った愚か者の末路は歴史の中にいくつも見ることができる。
これ以上の拒否は危険かもしれないと悟ったクレメンテは、ギリギリの妥協案を捻り出した。
「ギルドとしてはお受けすることは出来ません。ですが、アマテラス様が個人的に頼まれるのでしたら、我々は御止いたしません」
実際に、ギルドを通さず冒険者に直接依頼を頼むということはある。
それをしろというのだ。
「ほう……まあよかろう。ではマイラとやら、受けてくれるか?」
「ちょっとお待ちなさい! なぜ私が!」
「先日の件の償いと思えば良かろう。わたくしにあんな辱めをしておきながら、何もありませんで済むわけがなかろうが」
「逆恨みをも良いところでしょう!」
「ま、マイラさん!」
天照の依頼を拒否しようとするマイラに対し、クレメンテは慌てて腕を引き耳打ちする。
「すいませんが受けてください」
「ですけど――」
「ギルドとして出来る限りの手助けはします。そうだ、ここにあるクエストの中でお好きな物を優先的に廻しても良いでしょう」
クレメンテにしてみればここでマイラが拒否して天照の機嫌を損ねては、せっかくの妥協の意味がなくなってしまう。
それに、冒険者として見た場合マイラは実力も人柄も信頼出来る。そんな人物を天照が選んだのは幸いであった。
出来ればこのまま引き受けて欲しい。
マイラとしても実を言えば断る理由はない。
未だ次のクエストも決めていなかったのだ。ここで引き受けても不都合はないのだが、いきなり巻き込まれたことに拒否感をしめしているのだ。
「出来れば、我々からもお願いしたいですな」
と、そこに横手から声がかかった。
冒険者に多いロデ語訛りのない純日本語。
「どちら様でしょうか?」
突然現れた見覚えのない2人の日本人に、クレメンテが誰何すると、
「警察庁の吉田智照です」
「同じく、李震成と申します。日本の方から派遣されてまいりました」
2人の男はそう名乗り軽く頭を下げて答えた。
次回より出発。
今話で入れる予定だった描写を2つ(太宰府の反応と公安の2人に絡まれるあの人)を入れ損ねたので次回に。
また冒頭時間が飛びますがご容赦を。




