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冒険者日本へゆく  作者: 水無月
第3章 東日本編
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第63話 ある日の女神さま

「んんっ……朝か」


 布団の中で目を覚ました天照は、部屋に差し込む陽の光を感じ夜が明けたことを知る。


 この世界においては神という存在も肉を備えた存在である。

 モンスターを含む通常の生物とはその仕組みは大いに異なるのだが、肉体を持つ以上はその枷に縛られる側面があった。

 ――その1つが睡眠である。


 睡眠を取らねば死に至る、などという不便なことはないがその肉体は眠りを欲するのだ。

 神にも体力の限界があり、神霊力の限界がある。

 上限が桁外れに高いとは言え消費するからには回復しなければならない。

 そう言った場合、眠りにつくことで極めて効率的に回復できる。この辺りは他の生物と同じ仕組みと言えよう。

 また、神が人に傅かれ過ごしているため、神が終日眠りにつくことなく起きていては周りの者が迷惑という側面もある――のかもしれない。



「ま、わらわは陽の化身。陽が昇ると共に起き、沈むと共に眠るのは当然であろうよ」


 寝ぼけ眼で誰にともなくそう嘯いていると、部屋と廊下を仕切る障子の向こうに影が差した。


「御目覚めでしょうか?」


 若い女だ。

 この太宰府において、居候である天照の世話係となっている巫女である。


「うむ。朝餉の前に汗を流したい。湯を用意せよ」


 季節は6月。転移の影響で気候も変化してしまった日本であるが、この時期が梅雨時であることに変わりはなく、今日も雨こそ降ってはいないが寝汗をかく程度には湿度が高かった。


「社務所のシャワーを使ってください。その間に食事を用意しておきます」


 主神の要望にそう答えた巫女は、朝食を用意すべく足早に部屋の前から去って行ってしまった。


「……」



 シャワーを浴びた天照が部屋に戻ると、寝具は綺麗に仕舞われ朝食の膳――これも一種の神饌であろうか――が用意されていた。

 ジュンサイのもずく酢、さやいんげんのゴマ和え、飛魚の干物、アワビの切り身、蒲鉾、出汁巻卵。ひじきと大豆の煮もの。これに白米がつく。汁物はない。

 神饌――神への供物としてはいささか不似合な物もあるが、単なる朝食として見ると旬の野菜や魚を使ったなかなかの膳である。

 朝餉を見て満足そうに頷き、天照は膳の前に座り肩に掛かるその長い黒髪を後ろへとかき上げた。


「あら?」

「ん? どうした」


 天照が席に着くのを見計らい、御櫃からご飯をよそった巫女が椀を膳に置こうとして何かに気付いた。


「シャワーを浴びられたのに、御髪がもう乾いていますね」


 巫女の言葉通り、たった今シャワーを浴びてきたはずの天照の黒髪は綺麗に乾いている。

 ドライヤーで乾かしたにしては時間が短い。

 腰まで届くその長い髪をドライヤーで乾かしていてはそれなりに時間を取られてしまうだろう。


「ああ、これか」


 その指摘に天照は、口の端をわずかに上げフフッと軽く笑みを漏らすと、


「神霊術のちょっとした応用じゃ。わたくしの力は太陽。即ち光と熱じゃ。髪を乾かすなど造作もないことよ」


 そう自慢げに言い、椀へと手を伸ばす。


「はぁ~……流石です。そんなことも出来るなんて。――もっと有意義にお使いになればよろしいのに」

「……」


 巫女の言葉を聞き流しながら、天照は黙々と箸を動かし続ける。


「――お味はいかがですか?」

「うむ、良い。特にこの胡麻和えが良いぞ」

「さやいんげんは今が旬ですし、胡麻和えのゴマは市内の農家が作った物です」

「そうか。おかわりを」


 椀に山盛りであったご飯をあっという間に食べきり差し出された椀を、巫女は笑顔で受け取りおかわりをよそう。


「朝から健啖ですわねぇ。でも良かったですわ」

「何がじゃ?」

「心配していたのですよ。大神様、昨日は一日部屋でゴロゴロされていらっしゃったでしょう? そんなので今日のご飯は美味しいかしらと」


 「はいどうぞ」と笑顔と共に渡された椀を受け取った天照は、巫女の言葉に表情を消したまま食事に集中する。


「……」

「……」

「……」

「……」

「……と、時に道真めは何をしておるのじゃ?」


 無言の圧力に耐え切れなくなった天照は、何か話題はないかと口を開いた。


「天神様でしたら既に社殿で神事を行われておりますわ。ここの開門は朝の6時。職員は当然それよりも早く参りますが、天神様は必ず私どもを起きて出迎えられます。また、祈祷は9時前から受付を始めますから、今の時間ですと――」

「よ、よい。道真めが忙しいことはよく分かった!」


 巫女がそろそろ10時を指そうかという壁に掛けられた時計を、これ見よがしに見上げるに至り慌てて止める。

 せっかく変えた話題も、どうやら食事を不味くさせるものでしかなかったようだ。


(どうもいかん。いかんな……)


 思わず不貞腐れる天照であったが、その様子をうかがっていた巫女もこの辺りが限界だろうかと見極めていた。


「では、私は一度下がります。後で膳は下げますのでそのままにしておいてください」


 そう言って頭を下げると、スッと立ち上がり部屋を後にする。



「……」


 1人黙々と食事をしながら「どうしてこうなった」と自問自答する。

 ほんの半年前。世話係として付けられた当初は、天照の一挙手一投足にあたふたする可愛げのある娘であった。

 それが今ではどうだ。ご覧の有様である。


「いったい何があったのであろうか」


 分からない、と心底不思議そうな顔をしながら天照は食事を続けた。




 食事が終わると、天照は付近の散策に出かける。

 この神社――太宰府天満宮は菅原道真の社であるが、天照はこの国全ての神々の頂点に立つ最高神。


「ふふふ……ならばこの地もわたくしのものといっても過言ではないわ」


 そんな想いから、10日振りに民草の様子でも見ようと宿舎を後にする。


 自動車が使えず足が公共交通機関に限られるという交通問題もあり、転移前に比べ年間の総参拝客数こそ減ったが、それでも平日にも関わらず多くの参拝客の姿が天満宮にはあった。


「まあ当然であろうよ。この地には顕現した神、道真となによりわたくしがおる。うむ、盛況でなによりじゃ」


 福岡の最大私鉄西鉄。その大宰府駅を降りた参拝客たちは、駅から境内まで真っ直ぐ歩けば10分ほどの参道を土産物屋などに目奪われつつ進む。

 かつては韓国などからの観光客が多かったこの地も、現状では海外からの客などいるはずもなく多くは老人の団体客。そして修学旅行と思われる学生の姿が目立つ。家族旅行と思われる者の姿もある。


 天照は参道の先。境内の一角でその人の流れを満足そうに見ていた。

 この地に姿を現した時、日本では既に信仰は失われているとの話を聞いていたが、


「この姿を見てどうしてそんなことが言えようか」


 本当に信仰が廃れているのならば、例え観光目的であったとしてもこうして人々で賑わうことなどないはずだ。

 この人々こそ、日ノ本の神々への信仰が心の中に根付いている証ではないか。


 微笑みながら参拝客を見つめる天照。

 道行く人々もその姿に気付いておりチラチラと視線を向けるも、誰も近寄ろうとはしない。


(それも無理からぬ。神とは畏れ敬われる存在じゃ。仕方ないことであろう……)


 一抹の寂しさも感じるが、これが神という存在であろう――そう己に酔いながら天照は軽く目を瞑り自嘲気味な笑みを浮かべた。

 が、しかし――


「あの~すいません」

「ん?」


 世の中には畏れを知らぬ者がいるのだ。

 特に若い者ほど。


「よかったら一緒に写メ撮ってください」

「お願いしまーす」


 声をかけてきたのは、修学旅行生らしい女子高生である。

 先ほどからスマホや携帯で写真を撮られていたことには気づいていたが、流石に一緒に写る段になると勝手に撮ることもできず許可を求めてきたのだろう。


「お、おおお! 良いぞ良いぞ!」


 突然の申し出であったが、天照は満面の笑みを浮かべ申し出を快諾する。


「ありがとうございます」

「じゃ、間に立ってください」

「うむ。ど、どうじゃ、ぽーずとやらを取った方が良いのか?」

「あ、そのままでいいですよ」

「それじゃ、いきますよ! せーの――」


『いえーい!』


 その後も入れ替わり写真を撮り続ける女子高生たち。

 全員が撮り終ると彼女たちは天照に礼を言って去っていく。


「……ふふ」


 笑みを浮かべ手を振る天照。

 が、次の瞬間その笑顔が凍りつく。


「あ、みき~! どこいってたの」

「あっちで、卑弥呼のコスプレした人と写メ撮ってたのに」


「――なっ!?」


「も~それより急がないと! あっちに天神様いたよ!」

「ウソ!? マジで!」

「急ごっ!」


 友達に急かされ駆け出す女子高生たち。

 その先、3つの橋が掛かる心字池の横に人だかりが出来ていた。

 その中心には、


「天神さま~! こっち向いてください」

「どうか、どうか合格させてください!」

「握手お願いします!」

「はぁ~ナンマンダブナンマンダブ」

「道真様、どうかこの子を触ってやってください。初孫なのです」

「一緒に写真撮ってくださ~い!」


「待て待て。順番じゃ。おお、可愛い子じゃのう」


 己を囲む人々に、笑顔で応じるこの社の祭神・学問と雷の神菅原道真の姿があった。



「…………」




「おーっほっほっほっほ! ここが太宰府とかいう神殿ですか!」


 太宰府駅から境内へと続く参道。

 その道のど真ん中で、大陸からの冒険者マイラは胸を張り高らかに笑っていた。

 彼女に付き従うレオは、周囲の視線に耐え切れず、しかし主を放っておくわけにもいかず横で必死に袖を引きながら主を止めていた。


「お嬢様。少し抑えてくださいませ」

「なんですのレオ?」

「ちょっと周りの目が……」


 視線が痛いんです、と訴える。


「あら、何もやましいことが無ければ堂々としていればいいのですわ」

「やましいことはなくとも、迷惑です!」

「もう……貴方が思うほど人は気にしておりませんわ」


 自意識過剰ですわね、とでも言いたげな主に「あんたは周囲の目が見えないのか!」と思わずツッコミたくなる衝動を抑えるレオ。


「取りあえず、帰りの電車の時間もあります。早く神殿と博物館に向かいましょう」

「それもそうですわね。では行きますわよレオ」


 どうにか歩き出したマイラに、レオは安堵の溜息をつきつつ後に従う。


 参道にはズラリと店が並び、食べ物や土産物を売っている。

 幸い食事時からズレている上、既に意識が先の神殿と博物館に向かっているためマイラの目にそれらは入っていないようだ。


(良かった。せめて荷物を持つのは帰りだけにしたいもんな)


 そんなことを考えつつ、レオは主へと声をかける。


「ねえお嬢様。一体いつまで日本にいるつもりなのですか……」

「あら、まだ日本に来て1月ですわよ。もうお帰りになりたいの?」

「ルマジャンを発って1年ですよ。故郷が恋しいとは思わないのですか?」

「……! おーっほっほっほ! ここは楽しいので恋しいとは思いませんわ!」


(あ~今の言葉は確か)


 咄嗟にマイラが言ったセリフ。

 レオの日本語読解力が間違っていなければ、最近マイラが読んでいた本に書かれていた言葉だ。

 異世界の歴史戦記を、絵で描いた本なのだが――


(確かそれを言ったのは暗君だったような……しっかし、お嬢様の影響されやすさは相変わらずだな)


 そもそも冒険者になったのも、語られる冒険者の冒険譚に魅かれたのが原因だという話だ。

 今のシチュエーションにとっさにセリフが出る頭の回転の速さはレオも認めるところだが、それに付き合わされる身にもなってほしいと密かに嘆息するレオである。



 参道の先にある鳥居をくぐり、太宰府天満宮の敷地へと足を踏み入れた2人。

 さすがにこの神殿に祭られる神が今いるだけあり、神殿には強い神霊力が満ちている。


「あら?」

「どうしましたお嬢様」


 神殿に参拝するにしろ、博物館に向かうにしろ、境内に入った後はそのまま左手の方に進むこととなる。

 しかし、マイラは足を止めその反対方向へと目を向けた。

 主の視線の先を見ると、そちらには神殿の建物がいくつか見えるがそちらは参拝する施設というより働く者たちの建物の様だ。

 しかしマイラは何か感じたのか、その奥へと進み出す。


「ちょ、お嬢様! どこへ!?」

「来なさいレオ。何かありますわ」


 珍しく真剣な表情でそう言ったマイラに、レオは驚いた表情を浮かべるが、そう言われては着いていくしかない。

 進む主の後をおい、参拝順路から外れた奥へと進んでいく。


 途中神殿の関係者にすれ違い怪訝そうな顔をされるも、立ち入り禁止の場所というわけではないのだろう。

 止められることもなく奥へと進んでいく2人。

 やがて2人は、小さな小屋の前にたどり着く。


「これは……物置のようですね」

「――やはりここですわね」

「――」


 ここに近づいて、ようやくレオも主が何に反応したかに気付いた。

 神殿に満ちる神霊力のせいで隠されていたが、この物置の中からも神霊力があふれている。

 上手く抑えているようではあるが、力が大きすぎるのだろう完全には遮断出来ていない。


「モンスター……でしょうか」

「神殿の敷地内にそんなものが居るとも思えませんわ……あら?」


 そう言いながら、引き戸に手をかけ開けようとするが開かない。


「そりゃ、鍵くらいかけているでしょ」

「いえ、これは神霊術? 何か分かりませんが、神霊力を使って封じているようですわ」

「……それって解き放っては拙いのでは」

「そんな危ない物をこんな場所に封じるかしら? ――――!? おーっほっほっほ! よろしくってよ!」


 ちょっと考え込むマイラであったが、不意に高笑いを始める。


「この私の名にかけて、これを解き放ってみせますわ!」

「……お願いですからその不思議な考え方を一度改めてください……」





(――五月蠅い)


 暗く閉ざされた闇の中で天照は呟く。

 ――せっかくこうして神霊術を使ってまで籠っているというのに。

 薄い壁も強固に変え、音も光も遮断する彼女の神話に擬えたこの神霊術。しかし神霊力を使えない者の声は防げても、神霊術を操るモノの声はどうやら違うらしい。


(一体何者じゃ――まあよい。さすがにこの戸は開かぬぞ)


 神話ではうっかり自分から開いてしまった戸。

 だが同じ轍は踏まない。

 気づいた神殿の者たちが慌てて探し回りここで頭を下げるまで思う存分引きこもってやるつもりであった


『おーっほっほっほ! これで良いですわレオ』


(あーいい加減諦めぬかのう)


 神霊力を込めた手で開けないかと触っていたようだが、カタとも言わぬ戸にどうやらやり方を変える気らしい。


(無駄じゃ無駄。わたくしの術が人間ごときに――なっ!?)




「それでは行きますわよ! せーの――」


「やめんかーーー!!」


 マイラが手にしたそれを思い切り振り下ろそうとしたその時、突如開いた小屋の戸から飛び出した何かが、一瞬でマイラの手にするそれを消し炭に変えた。


「あ、凄い。木槌が一瞬でボロ炭に」

「お、おおおお主、わたくしごと叩き潰す気かえ!?」


「あら、神様でしたか」


 飛び出してきた物の正体に気付いたマイラは、レオにその辺りから調達させた木槌――だった炭を放り投げ、興味深そうにそう言った。


「どういうつもりじゃ!?」

「どういうも何も。どうしても開きませんでしたので、強硬手段に出ようかと思いまして」

「お主には常識がないのか! なぜいきなり壊そうという発想になる。第一中に誰かいては危ないではないか。現にわらわがおったのじゃぞ!」

「あら、あれだけの術を使える者、ましてや神様などあの程度どうということはないのではなくって?」

「しかし、今のは――」


(うわわわわ……お嬢様ー! 相手は神様ですよ!!?)


 この国の神だろう相手に平気でため口をきく主に、レオは顔を真っ青にするがどう止めてよいかすら分からないほど混乱していた。

 いきなり戸をぶち破ろうとする主も非常識だが、その中から神様が飛び出てくるなど完全に思考の埒外だ。


「ところで、あなたがこの神殿の神ですの?」

「うっ……ち、違うが――聞いて驚くがよい! 何を隠そうわらわこそが」


 マイラの問いに少しだけ傷付いた天照であるが、気を取り直し己の名を名乗ろうとしたところで、


「あ、すいません天照様。掃除道具取りたいのでそこどいてもらえますか?」


 やってきた清掃員がそう言って、天照が今まで籠っていた小屋から掃除道具を取り出し、


「はいどうも。では失礼します」


 そのまま去って行った。



「――で、何です?」


「…………わらわは……わらわ……うわあああああああああん!!!」

「ええっ!?」

「あら?」


「わらわは最高神じゃぞ! この国の神々で一番偉いんじゃぞ! それがなぜかような扱いを受けねばならんのじゃ! 道真ばかり皆から慕われて! 何じゃ、神様格差か! 差別か! うわあああああああん!!!」


 世にも稀な神様の大泣き。

 それでなくとも、妙齢の女性の本気泣きなどどう対処して良い物か、実に扱いに困る。


「お、お嬢様、何泣かせているんですか!?」

「ちょっと待ちなさい! なぜ私のせいなのですか! それよりも、レオ。早くなんとかなさい!」

「なんとかって、どうするんですかこれ!」

「うわあああああああああああああん!!!」


 大泣きする女神とそれを前に慌てふためく異邦人。

 この不思議な光景は、天照の世話役の巫女が現れ彼女を引っ張っていくまで続くこととなる。


「特に理由のない作者のイジメが女神を襲う!」

まあ理由はあるのですが。


1ヶ月近く間を開けてしまい申し訳ありませんでした。

また週1ペースに戻せるように書いていくつもりです。

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