閑話 ジャンビ=パダン連合王国事情
ジャンビ=パダン連合王国首都ルマジャン。
「んじゃ、いってくっぞ」
「あーい! 気をつけて~!」
妻の用意した弁当を手に仕事へと向かうため家を後にする1人の労働者。
朝の6時。登り始めた陽の中を、彼と同じような労働者たちが次々と家のドアをくぐり職場へと足早に向かっている。
ルマジャンの南東に位置するこの一角は主に労働者が住まう地区で、20年ほど前まではスラム街であった。
伸長する王国。拡大するルマジャン。増える都市労働者。そして発生する貧困問題とスラム街。
どの世界、どの時代、どの国でも避けて通れない繁栄の影がかつてここにはあった。
彼――ジョニーも、幼い頃はここへは近づくなと親から厳しく言われたものである。
数十年に渡って放置されたそれであったが、20年前ようやく行政が対策に乗り出す。
当時の議会において、労働者の労働環境・条件問題が議論となっており、その中で国民の福祉政策も取り上げられたのが発端だ。
当時は連合王国が大陸を支配下に置き、国中が活気に満ちあらゆることをやれとばかりに前のめりになっていた時代。福祉政策もその流れを受け一気にことは進み、労働法や貧民対策法、都市再生整備法が立て続けに議会で成立した。
法により、スラム街の住人達は国から食料配布や公営宿泊所の提供、職業訓練所の設置といった救済措置という飴と、スラム街からの強制排除とその撤去そしてかろうじて命を繋いでいた違法就労の禁止という鞭が与えられることとなる。
――この王国の政策が正しかったか否かは後の歴史が判断するであろう。
そんな旧スラム街に建てられたのが、都市労働者向けの集合住宅群である。
通りから続く舗装横身に面して、1部屋1家族4人程度が暮らせる4階建ての集合住宅がズラリと何棟も並ぶ。
ここは主に労働者の中でも中級の人々が暮らしており、今年で38歳になる港湾労働者であるジョニーも食堂で働く妻との間に1人の男の子を持つ中級の労働者であった。
「よう、ジョニー。おはようさん」
妻の愛妻弁当を懐に、職場へと向かうジョニーに後ろから声をかけた者がいた。
「おう、トニアか。おはよう」
ジョニーは首だけ振り返ると、後ろからかけてくる歳の近い男に挨拶を返す。
同じ職場で働くトニアだ。
同じ職場で家も近く歳も3つと離れてなく、その上共に酒好きとありジョニーが第一の友人と呼べる相手である。
「今日は暑くなりそうだな」
「おいおい、今日『も』だろうが」
「はは! ちげーねえやな」
これと言って意味もない会話を交わしながら港へと向かう2人であったが、途中その足を止めざるを得ない場面に遭遇する。
「なんだこりゃ?」
家から港への途中にある小さな公園。
そこに人だかりが出来ており、その中心では台の上に数人の男女が乗り何やら盛んに叫んでいた。
『――つまり! お集まりの諸君一同! 我々は再び訴えたい!――』
聴衆に対し1人の身嗜みの良い中年の男――ジョニーより少し年上に見える――が熱心に弁舌をふるっている。
『この10年。大陸は混沌の中にあると言えるほど乱れに乱れてしまっておる! すべては、我が国という重石が外れてしまったがゆえの出来事だ! これを放置して良いのか!? 否! 断じて否である! 諸国の争いは今や我が国本国までも飲み込みかねない勢いで広がっている。いや! 今は飛び地となった大陸東ではこの瞬間にも貪欲な国々の牙が向けられているかもしれない! 本国周辺でも小競り合いが発生したとの報告もある!』
顔を赤らめ気勢を上げる弁士の言葉に、聴衆が心持飲み込まれ始めた所で、男は一度演説を止め聴衆を見回す。
1人1人の顔を見るかのごとくグルリと見回しつつ、聴衆の集中が途切れる直前、絶妙な間合いで再び口を開く。
『座して待つのか! 座して待つのか!! いや、今こそ我々が打って出るべきだ! 我々の平和は、我々の手で勝ち取るべきなのだ!』
そう言いきった中年の男の言葉に、隣にいた別の若い男が続く。
『あの忌まわしい海戦から既に12年。敗北を教訓に、軍はかつて以上の精強さを得ています。今、我々が一致団結すれば、立ち遅れた中、東部の国々など一気呵成に打倒すことが出来るでしょう!』
『20年前、この国が大陸全てをその手にした時、我々は大いなる繁栄を得ることができました。その後、多くを失って尚、我々は今日このように日々繁栄と成長を続けています! 再び、我々が大陸を手にすれば更なる発展が皆さんにも約束されるのです!』
更に後に続くのは、中年の男を挟んで若い弁士の反対側に居た女性だ。
熱心に、王国の勢力が増すことで人々にも利益がもたらされると謳っている。
弁士たちの熱く威勢の良い言葉に、集まった聴衆も徐々に高揚し始め、あちこちから賛同の声が上がり出す。
その声を受け、最初の中年の男が再び口を開いた。
『諸君、ありがとう! ありがとう! 来たるべきその日のために、次の選挙では是非! 是非、我々マウロ党を指示していただきたい!』
「あ~そうか。議会の選挙か」
少し離れた場所で演説を聞いていたジョニーは、ようやく合点がいったとそうつぶやいた。
ジャンビ=パダン連合王国の国会。その選挙が数か月先に迫っていた。
まだ公示まで日はあるが、ルマジャンや他都市でこうして各政党や立候補予定者さらに応援者による演説が始まっている。
目の前の弁士たちは議会内の有力政党の1つ「マウロ党」の党員のようだ。
「マウロ党は完全に大陸再統一派で占められたな」
「お? ジョニーは再統一反対か?」
「俺はあまり興味ねえな。そっちよりも港湾拡張計画の賛否の方が気になるな」
「まあそっちは俺たちの仕事に直結するからな」
「そういうお前はどうなんだ?」
「俺か? そりゃ、給料が上がって税金が下げてくれるところならどこでもいいやな」
余りに単純なしかしもっともなトニアの言葉に、ジョニーは一瞬目を丸くした後
「はっははははは! ちげーねえや」
大きく笑うと聴衆たちを背に再び歩き出した。
「まあ……マウロ党はどうかね。戦争になりゃ税金は上がるが、東との海路が安定すりゃ港の取扱量が増える。そうなりゃ仕事も増えるからなぁ」
「なんだ、考えてるじゃねーかよ」
「へへ! しかしそれより、国王様はどう考えてるんだろうな」
「そうだな~。噂じゃあまり乗り気じゃないって聞くが」
そう言って、2人は街の中心。白亜の尖塔が立ち並ぶ王城へと目を向ける。
王都ルマジャンの中心部に位置する城。その城こそ、現ジャンビ=パダン連合王国国王リクハルド・ルマジャン・キースキネンの居城であった。
「陛下! なぜでございますか!」
ルマジャン王城の1室。
国王第一執務室内に老貴族の悲痛な叫びが響く。
老貴族は、宮廷貴族として先代の頃から王家に仕える忠誠心篤い人物だ。
「なぜ、も何も必要とは思えぬからだ」
その老貴族に、いささかウンザリした面持ちで答えるのはリクハルド国王である。
この数か月で何度となく繰り返されたやり取り。
相手が相手ならばとっくに無視しているところだが、あいにくとこの老貴族は無視するに少々影響力があり過ぎた。
「何度も申しますじゃ。議会が力をつけ、王権の抑制を図っておる今、我らが一丸となりこれに当たらねばなりませぬ。その為にも、まずは貴族を束ねる王族が固まることが肝要――」
「……」
ましてや、その言葉が王朝への忠誠心から出ているとなれば心情的にもこれを拒むことは難しい。
王も、そばに控える側近たちも黙って老貴族の言葉を聞いている。
「日本に渡ったというのは間違いない話。あの忌まわしい国の手に墜ちる前に、姫殿下を御救いせねば――」
その言葉がきっかけだった。
「王族でもない人間に、かような敬称を付けるではない!!」
「ひっ!?」
ジッと話を聞いていた王が、老貴族の発したその言葉をすかさず捉え吠える様な一喝を放つ。
その威勢に老貴族は顔を青くし慌てて弁解の言葉を口にする。
「し、失礼を。ですが――」
「もうよい、下がれ!」
だが王は聞く耳は持たぬとばかりに切り捨て、退室するように促した。
尚も何か言いたそうな素振りを見せる老貴族であるが、彼も長らく王家に仕える身。これ以上の反論は無意味などころか危険であると判断し、肩を落としたまま執務室を後にする。
その後姿は、追い出した王をして憐れと感じさせるほど弱々しかった。
「まったく、あの方にも困ったものだ」
老貴族が部屋を後にした執務室で、王は今しがた見せた怒気はどこへやら、深い溜息を付きながらそうこぼした。
「忠誠篤い善良な方です。王家に連なる者は全てあの方にとっては忠誠の対象なのでしょう」
「善良か……だから利用されるのだ」
「しかし切り捨てるわけにもいきますまい」
「当然だ。あれだけ長年私心なく王家に尽くした貴族を遠ざけてみろ、他の貴族は王家を見放すぞ」
故にこうして定期的に話を聞いてやっているのだ――と王は歯痒そうに側近の1人に言った。
あの老貴族は王にとって痛し痒しといった存在である。
「議会の勢力が大きくなっているのは、我々の企画通りなのだ。それも分からぬ程度の人物が、よりにもよって面倒な立ち位置におるわ」
議会の力を強めることで、王の権力に掣肘を加えることを認める代わりに、国の運営の責任を議会=国民の代表にも負わせ、また王の正統性を法によって担保する。それが今、王を含むこの国の首脳部が目指している体制だ。
まだこの世界にはない言葉だが、制限君主制あるいは立憲君主制を目指しているのである。
だが、地球での歴史がそうであったように、これは一歩間違えば王の存廃に係る事態に発展しかねない。
難しい舵取りを迫られている情勢で、あの老貴族のように議会に真っ向からぶつかる様な考えは非常に危険であった。
「煽っている馬鹿めもどうにかせぬとな」
「ピナマラヤン公爵、ですか」
「……で、その公爵家の動きは?」
王はそれには敢えて答えず、別の側近に情報の報告を求める。
「はっ。跡取りの失踪という事態に対し、公爵家はこの1年密かに探しておりましたが、最近になりようやくその足取りを掴んだことは先日報告した通りです」
「うむ。おかげで議会工作は止まり、事情を隠すため他の貴族との付き合いまで控えてくれたのは私も助かったが――しかし、おおっぴらに探せなかったからとはいえ、世間知らずの貴族子弟がよく1年も逃げ続けたものだな」
「冒険者ギルドの話しでは、知識も能力も冒険者としてやっていくに不足なかったとのことです。それでも、家の影響力をたてにかなり無茶な要望を行っていたそうですが」
その報告に王は首を傾げる。
「それで、何故公爵家に伝わっておらぬのだ?」
「なんでも、ギルド側としてはまさか個人の我儘だとは思わず公爵家の要望と思ったそうでして――」
「――なるほど。裏の影響力を行使されておいて、わざわざ確認しなおすわけもないか」
「その通りです。結局、足取りを掴んだ公爵家が冒険者ギルドを問い正しようやく発覚した、そのような流れです」
もし、最初から公爵家が跡取り失踪を公にして捜索したり、冒険者ギルドを問いただしていればもっと早期に見つかっていたはず。
何とも運の良い話だ――そう呟いた王に、更に報告が続けられる。
「偽名を使い、もたもたせず最初から目的地を定めてひたすら移動し続けたことも幸いしたのでしょう。我が国の勢力圏から抜けてしまいますと補足が難しくなりますので」
「それで、その目的地が、「日本」というわけか」
そう呟き、アゴ手にやり考え込む。
「……議会の件といい、あれもこれもそれもどれも日本か」
「議会の方はマウロ党を中心に、再征服論派が半数を占めています。その議員たちが仮想敵としているのが」
「日本、だ」
そう忌々しげに吐き捨てる。
それは一体どこに向けられたものか。
「次の選挙でマウロ党などの再征服論派が議席を増やせば――」
「再征服など沙汰の限りだ!」
そう叫びと共に王は拳を机へと振り下ろす。
約20年前、連合王国が大陸全土をその影響下に置いたとき、リクハルドは王太子であった。
当時27歳だった彼は、王太子として父の補佐をしつつ国政に携わっていく中であることに気付く。
――大陸支配は割に合わない。
ジャンビ=パダン連合王国建国当時からの悲願であるラグーザ大陸統一。
従属国が多数あるため完全統一とは言えないが、それでも実質的な統一が間近に迫った時、よりによってその悲願を強力に推し進める立場にいる彼がそれに気づいてしまったのだ。
確かに、征服直後は滅ぼした国から奪った富や従属国からの朝貢で国庫は潤う。大陸全土がつながることで経済も活発化し文物の交流も盛んになる。
だがその後はどうだ?
国同士の争いなら奪うだけ奪って去れば良い。だが支配するとなるとそうはいかない。
自国の経済に組み込むために多数の投資が必要となるだろう。その上ゆくゆくは、初等教育の導入、議会の開設、農奴・奴隷の解放、労働問題の解消など本国でも数多の金と労力を費やして行った政策をまた同じく行うことになる。
果たして利益が産まれてくるのはどれだけ先か。
その維持も難しい。
大陸全土に情報を伝達する際、その精度を無視してひたすら速さを求めても1ヶ月以上かかる。本国の指令を確実に大陸の反対側へと届けるとなるとそんなものでは済まないことは自明だろう。
そうなると確実に王都から遠い地域は独自な行動を取り始める。そして末は王国からの分離独立だ。費やした投資は全て水の泡。
考えれば考えるほど、自国が大陸全土を治めるのは難しいと判る。
国の在り方にも問題があった。
建国以来戦い続けた王国が戦争を終え、その在り方を変えようとすれば多くの利益・特権を失う者が出てくる。貴族、軍人、一部の大商会――そしてそれに付随する多くの民衆。
果たして国はそれに耐えられるのか。
12年前のカターニア大陸侵攻計画は、結局この国が変質できなかった証左である。
件の海戦で連合王国が破れ、大陸中部から東部にかけ独立が相次ぎ心労に倒れた父に代わり王位に就いたリクハルドは、突如現れた未知の勢力への怒りと、失った領土の大きさに頭を抱えながらも、これで良かったのかもしれないという想いを同時に抱いていた。
「各地の要衝と本国そして大平原を維持。後は周辺国へ影響力を持つ程度で十分この国は発展していけるのだ。第一、あの海戦の相手は日本ではあるまい」
艦隊を破った異世界の勢力が日本ではなく共に転移してきたアメリカという国の軍隊だということはこちらにも伝わっている。
だが多くの者たちにとって、異世界からの来訪者=日本というのが常識になってしまっているのだ。
「そもそも、日本を仮想敵にするとして、どうやってあの異世界の軍に勝てというのだ」
この10年で軍の装備や兵器の性能向上は図られているが、海戦参加者に言わせれば「話にならない」ほどの差が未だあるという。
根本的に技術力が違い過ぎるのだ。
「……これ以上再征服派を増やしてはいかん。中立派に説得をかけろ。主に大商会の出身者が多い。利害を解けば反対派に回るだろう。そうなれば再征服派からも転ぶ者が出てくる」
「承知しました。議会工作は引き続き私の方でおこないます」
「それで――あちらの件はどうしましょうか?」
「日本に渡ってしまった以上どうしようもあるまい。放っておけ」
「よ、よろしいので?」
「子どもでもあるまい。自分の尻は自分で拭かせろ」
「承知しました」
「では、失礼いたします」
王の指示に、2人の側近は頭を下げ執務室を後にする。
彼らが去っても王の仕事が終わるわけではない。
が、少し休憩でも取ろうと飲み物を持ってくるように指示を出すと、椅子から立ち上がり窓辺へと向かう。
王の第一執務室は王城の白亜の尖塔の1つにある。
王城で最も高い場所でこそないが、この塔の1室からは大陸最大の都市ルマジャンの半分が一望できる。
東に目をやれば、王都へと向かう無数の街道とそれを利用する馬車や人々の姿。点在する村や町も所々に見えた。
さらに東へ目を凝らせば、大陸に数本しかない世界樹が豆粒よりも小さく見える。
さすがにその下に広がる大森林は見えないが。
「……」
見えるはずもない遥か大陸の東に王は想いを馳せる。
今から12年前。突如として現れた未知の国「日本」。
「いっそ、日本が大陸東部支配に乗り出してくれれば楽だったものを……」
この12年の中でそういう予測もあった。
連合王国遠征軍を蹴散らした「アメリカ海軍」と同じ力を持つと言う日本。
その力をもってすれば東で独立した国々など簡単に征服できたはずである。
その勢いのまま本国まで襲われるのではという考えもあったが、それほど進んだ国であれば大陸征服の無意味さには気づくはずだとリクハルドは確信していた。
東と西の2大大国で大陸を安定させる――そんな構想も視野に入れていたリクハルドであったが、なぜか日本はこの12年動かなかった。
日本は資源が足りず侵攻する余力がないのだとも伝え聞いてはいるが、ならばこそ資源を得るために動くのが当然ではないかと彼には不思議でならない。
座していてもジリ貧でしかないのだから。
「まさしく未知の国、か」
連合王国と日本に交渉の伝手はない。
日本が大陸に侵攻してきた場合に接触するように、当時の東部領土総督たちには伝えていたが結局その機会を得ぬまま東の領土はその多くが失われてしまった。
「さて、どうしたものか……」
ふと、あの老貴族が持ち込んだ件が頭を過る。
もしこれが利用できれば――
「……何を馬鹿なことを」
一瞬自分の脳裏に浮かんだ考えを嗤って否定する。
子どもに何を期待するというのだ。
「日本については取りあえず後回しだ。今は議会対策が先だな」
己の考えを振り切る様に、そう口に出して言ったものの、王は東へと目を向けたまま飲み物が運ばれてくるまで窓辺に立ち続けていた。




