第54話 箱崎
マイラが受けた今回の剥製運搬クエスト。
日本の大学教授からの依頼で、ラグーザ大陸に生息する動物の剥製を教授の下まで運ぶというものである。
依頼元の大学は、福岡市内にある九州大学。
西への避難後、上位の大学がなくなったことで、日本最高学府の地位を政府御膝元にある熊本大学と争う国立大学だ。
避難してきた有名教授を多数採用し、新たな学部を新設するなど活発に動いており、特に大陸との交流が広がったここ2~3年は大陸における様々な事柄の研究も盛んである。
今回の依頼の剥製も、この世界固有種と思われる――日本からみた新種の研究資料として輸入された物であった。
朝一にホテルを出たマイラは、剥製を梱包した箱を背負うレオを連れまず真っ先に九州大学へと向かうことに決めた。
市内ホテルから目的地までは直線で4kmほど。道なりに進んでも6kmはない。
バスや地下鉄などの公共交通機関もあり、それらを利用すれば目と鼻の先と言って良い距離であったが、マイラは歩くことを選択した。
冒険者ギルドと契約するこのホテルでは、既に何人もの冒険者がここを利用しており、交通機関の利用についての説明なども当然行っている。
マイラも興味は魅かれたようであったが、ゆっくり街中を見ながら行きたいと徒歩を選んだのである。
気持ち良い5月の朝。
ホテルのある場所は福岡市の中心部からやや外れており、オフィスやテナントよりもマンションなどの方が多い住宅地に近い。
この時間は通勤のため家を出て市内中心部へとせわしなく向かう人々も多く、そんな中ゆったりマイペースで歩くマイラと、馬鹿でかい荷物を背負うレオはとても邪魔であった。
とは言え、それに文句を言うような者もなく多少顔をしかめる者はいるが、大半はさっと避け先を急いでいくため、マイラは気にすることなく周囲を物珍しそうに見ながら進んでいる。
「大きな建物ばかりですわねぇ」
周囲の建物の大半が10階建て以上のビルばかりだ。
故郷も大きな建物が多数立ち並ぶ大都市であるがここまでではない。
「ほとんどが集合住宅みたいですよ」
「そのようですわね。一体どのような暮らしをしてらっしゃるのかしら」
中の様子が気になるようだが、あいにく1階は駐車場――車はほとんどない――やテナントで、生活の様子は覗き見ることができない。
もっとも、そんなことをしていれば警察に通報されていたであろう。運が良かったといえるかもしれない。
極々稀に通りかかる車を何事かという目で追いつつ2人は足を止めることなく道を進む。
この道も、2人にとっては興味引かれるものだ。
完全舗装された道自体は故郷も同じであるが、大半は石材を用いた舗装だ。日本の多くの道路のようなアスファルト舗装された道はほとんどない。
もっとも、日本も原材料や管理維持の問題からセメントコンクリートによる舗装に切り替わってきているのだが。
途中小学校のそばを通り「どこも子どもは変わりませんわね」などと感慨にふけりながら、やがて大通りに出た。
昭和通りという年号が名づけられた通りを北東へ進み、御笠川を超え国道3号線へと合流する。
かつてこの地を訪れた初めての冒険者がそうであったように、その真上を通る都市高速に絶句しながらも、国道を歩くこと数十分。遂に目的の九州大学箱崎キャンパスへと到着した。
「ここが……日本の大学ですか」
「おーっほっほっほっほ! 思ったほどではありませんわね!」
目の前に広がる大学の敷地に対し、高笑いと共にそう切り捨てる。
日本最高の大学の1つだと聞いていたのにこの程度なのか、と。
彼女の想像した大学とは、重厚な歴史を感じさせる石造りの学舎や講堂が無数に並び、威厳ある学者たちが揃いのローブ姿の学士学生を引き連れながら道すがら学問の話しをし、誰かとすれ違えば討論・論争を繰り広げる――そんな学ぶために学び続ける様な者たちが集う場である。
それに対しこの目の前の大学のなんとのどかな事か。
また建物の印象も悪かった。
ここに来る前に、10階建てを超えるビルをいくつも目にしてきた彼女の眼には、大陸でも大きな都市になら存在する5~6階建ての建物は殊更貧相に見えてしまったのだろう。
もちろんこれらは、彼女の勝手な思い込みに過ぎない。
ここで行われている研究は大陸のそれとは比較できないレベルの物であり、その辺りにのほほんと歩いている学生も大抵の者は大陸にいる並みの学士より優れた学力や知識を持つ者ばかりだ。
また、この箱崎の地以外に大学キャンパスがいくつも分散していることをしれば更に見方が変わったであろう。
残念なことに、それを指摘する人物は誰も居ないため勘違いしたままになるだが。
「ちょっとよろしくて」
大学に対する印象はともあれ、彼女も仕事で来ている以上はまずそれを終えてしまわねばいけない。
手近な学生に声をかけ目的の人物を探す。
「え? 俺たちっすか?」
「……何か用ですか」
突然話しかけられた2人の男子学生は露骨に警戒感をあらわにする。
大学ともなれば日本人以外の学生は珍しくない。二十歳を超えた程度のマイラも留学生と思われても不思議ではないのだが、それは転移前の話だ。
転移から10年以上が過ぎ、当時の運悪く転移に巻き込まれてしまった留学生はとっくに卒業している。
また観光や仕事で日本に残されてしまった外国人たち――今やその大半は国籍上日本人だが――の、転移後に生まれた子息が大学に入るには10年では少々早い。
現在大学入学可能な年齢の外国人・旧外国人は少なく、校内でその姿を見かけるのは珍しいことなのであった。
それに、そうでなくても――
「その通りですわ! ちょっと尋ねたいことがありましてよ」
(こいつ……大陸の人間だよな?)
(この格好だし間違いないだろ。冒険者じゃねーのか)
鎧を着こんでいるわけではない。それは武器と共に現在ギルドに預けてあるからだ。
彼女が今きている服は、白い袖長シャツの上にシルクのベスト。動きやすそうなパンツに革の靴だ。
これだけ聞くと日本でもあり得ない服装ではなさそうだが、実際はデザインがどうにも違和感がある。
見た感じで、「ああ、違うな」というのが分かる格好なのだ。
(ていうか、なんでこんなお嬢様口調なんだよ。日本語は上手いけど)
(教えた奴わざとだろこれ)
ヒソヒソと話し合う学生2人に対し、マイラは気にも留めず尋ねたいことを聞く。
「この大学にオイカワという教授がいらっしゃるはずですわ。どこにいらっしゃるかしら?」
「オイカワ……? 知ってるか」
「ん~うちの学部じゃないな」
生徒たちの学部の教授ではないらしい。
名を言われても心当たりがないようだ。
「貴方たち、自分の大学の教授もご存じないの?」
「無茶言うなよ。何人教授やら講師がいると思ってるんだよ」
「そうそう。自分の学部の先生とか超有名な人ならともかく」
「まったく。頼りにならない方々ですこと」
てきとうに声をかけておきながらこの言いぐさである。
理不尽な思いに囚われる憐れな学生2人を余所に、マイラはレオへと声をかける。
「レオ。何か手がかりはなかったかしら?」
「――確か、その教授は「生物学」を教えていると、クエスト情報にありましたが」
「生物学……? 生物学科か。理学部だから場所はここで合ってんな」
「オイカワ……ああ、確か生物学科に及川って教授いたぞ」
「本当ですの!?」
「あ、ああ。その先に理学部棟があるからそこに行けば分かると思うけど」
「なるほど! では案内をお願いしますわ!」
「「はぁ!?」」
思わず2人の学生の声が重なる。
「なんで俺たちが!?」
「もうすぐ次の講義始まるんですけど!?」
「あら、見知らぬ土地で彷徨う女性を1人残していくのがあなた方の流儀でして?」
「いや、俺も居るんですけど……」
「まったく。学問の徒としてもあるまじき態度ですわ」
レオの小さな声を封殺して、マイラは額に手を当てわざとらしく嘆く。
「いや、それに何の関係が……」
「お黙りなさい。次の講義があるのでしょう? 言っている時間が無駄でしてよ。さあ早く案内なさいな」
結局謎の勢いに押し切られ、2人はマイラ達を理学部棟にまで案内し教授の部屋を探すこととなる。
幸い目的の棟はすぐ近くで、教授の部屋もすぐに判明したため、2人の学生は講義には間に合いそうであった。
猛ダッシュする2人の学生を見送ると、マイラは服装の乱れ直し教授の部屋のドアを叩いた。
『どなたかな』
ドアの向こうから男の声がする。
「タンゲランの街から来た者ですわ」
『タンゲラン?』
「冒険者ギルドから依頼のあった品を届けに参上したしましたの」
『おお!』
バタバタという音がしたかと思うと部屋のドアが勢いよく開け放たれる。
「頼んでいた剥製かね!」
そう言って出てきたのは1人の老日本人であった。
「いや、ダメ元で依頼をしてみたのだが本当に持ってきてくれるとは。うむ、少々この世界を見くびっていたよ」
マイラから荷物――正確にはレオからだが――を受け取り、説明を聞いた及川教授は、そう笑って言いながら2人にコーヒーを出した。
悪気はないのだろうがこの世界を見下したかのような発言である。
転移後の日本人に多々見られる悪癖だが、様々な面で差がありすぎるため思わず無意識にそう思ってしまうのは無理もない側面がある。
「おーっほっほっほっほっほ! ご理解いただけたのなら結構でしてよ」
もっともマイラはその辺り気にした様子はまったくない。
鈍いのか寛容なのか判断がつかないが。
「さて、せっかく届けてくれたのに、残念だが私はこの後講義が入っていてゆっくり話もできない」
「あら、でしたら長居は無用ですわね。私もお暇いたしましょう」
「この後はどうするつもりですかな?」
「そうですわね。街を色々と見て回るつもりですわ」
「ほう、観光ですかな。……どうですか、よろしければ今晩一緒に食事をしませんか? せっかくの機会です、色々と大陸のお話を聞きたいのですが」
「夕食ですか……」
及川教授の言葉に考える素振りを見せるマイラ。
そんな彼女の態度に、どう返事をするのかとレオは推察する。
これが普通に男性からの誘いであれば断っているだろう。
マイラに老人好きな趣味はないし、歳のことを除いてもそこまで魅力的な男性というわけでもない。
だが曲がりなりにも教授という職にある人物だ。
何か日本に関する面白い話が聞けるかもしれない。
どうするだろうかとマイラを見るとあまり乗り気ではなさそうだ。
「今日は噂に聞く日本の料理をと考えていたのですが……」
「おお、でしたら良い店がありますよ。和食料亭で、確か大陸からの大使などの接待にも利用されたという店です」
「まあ! それは興味深いですわ。よろしいわ、今日の夕食はご一緒いたしましょう」
満面の笑みを浮かべるマイラに、及川教授もつられるように笑顔を見せる。
「では……午後6時にまたここに来てください。店には私が予約を入れておきます」
「よろしくお願いいたしますわ」
及川教授と食事の約束を交わし部屋を辞した2人は、キャンパス内を見回りながら外に向かう。
「お嬢様この後はどうされますか? 街中に行くのでしたら地下鉄とやらが便利だと、及川教授も教えてくださいましたけど」
「そうですわね、話に聞く電車という乗り物は気になりますが……地下というのが嫌ですわね」
「では、バスとかいう物にしますか?」
「いいえ、やはり一度乗ってみましょう。話のタネにはなるでしょう」
「それじゃ、さっそく行きましょうか。一番近い乗り場は……」
「あ、ちょっとお待ちなさい」
ホテルでもらった地図を取り出そうとするレオに、マイラが待ったをかける。
「どうしました?」
「その前に気になる場所がありましたわ。少し歩きますわよ」
「気になる場所ですか? どこでしょうか」
「行けばわかりますわ」
そんな場所があっただろうかと首を傾げるレオを余所に、マイラはどんどんと先を行く。
(ま、俺が考えても仕方ないか)
どうせ自分は着いていくしかないのだとレオは引き離されない様急いで主の背を追った。
九州大学箱崎キャンパスを後にして、来た道を戻るマイラ。
距離にして1kmほど歩いたあたりで、その足を止める。
転移前は自動車で賑わっていた大通り。その右手奥には海が見える。
一度そちらを見た後、マイラはその反対側へと目をやった。
「は~大きな門ですね。扉はないですけど、何でしょうこれ?」
レオの目に映ったのは、切り出した石を組み合わせ扉の無い門――鳥居であった。
それが何か分からないレオであったがその大きさに素直に感心する。
この日本で見た建物などと違い、まだ理解できる範囲の建造物なのでその驚き方は純粋であったがそたいした物ではないのだが。
「ほっほほほほほほ! 物を知らないのですわねレオ。おそらくここから先は神域ですわ」
「え? お嬢様はこれをご存じなのですか!?」
意外なマイラの言葉。
「当然ですわ! これは、神殿近くに建てられる門の一種よ。まあまったく同じではありませんが、似たような物は大陸でも時々ありますわね」
不思議な話ではない。
地球においても、鳥居と似た形、似た意味合いを持つ建造物は世界各所にある。
ラグーザ大陸に似た物があってもなんらおかしな話ではないだろう。
「はぁ~……意外と物知りですねお嬢様は」
「おっほほほほほ! 冒険者として当然ですわ。もっと勉強なさいなレオ」
「はいはい、そうっすね~。で、ここに何の用ですか?」
「用などありませんわ。ただ、日本の神殿という物が気になっただけです。ほら、あの奥に見えるのが神殿でしょう。ちょっと覗いてみますわよ」
そう言って鳥居のずっと奥に見える建物へと向かいマイラは再び歩き出した。
「ちょっとお嬢様、良いのですか? 俺たち信徒でもないのに、怒られませんかね」
「レオ。道という物は歩くためにあるのよ。道を引いている以上進むことに何か問題があるかしら?」
「いや、神殿の中に入るのは問題になるかも……」
「御覧なさいな。先ほどから皆さん普通に歩いていらっしゃるわ。まさかこれが全員信徒なわけがありませんわよ」
心配性なレオに対し、一向に歩きを止めようとしないマライは気にせず鳥居から奥に見える神殿へと続く参道を進む。
マイラの指摘通り、参道にはちらほら人が歩いているが特に神殿だからと気にしている様子もない。
やがて、約1kmの参道を誰にも咎められることなく2人は神殿へとたどり着いた。
神殿の前には先ほどの鳥居より一回り小さな鳥居があり、その向こうに木造の神殿と思われる建物がある。
「随分質素な神殿ですね」
神殿というと故郷近くにある石造りの建物を想像したレオだったが、少々拍子抜けしてしまう。
目の前のそれは木造の神殿。石造りに慣れた人間にはどうしても貧相に見えてしまうのだ。
「そうでもありませんわ」
と、それを否定したのはマイラであった。
「木造の神殿というのは大陸にもいくらでもあります。それに、これだけの神殿はそう簡単に造れる物ではありませんことよ」
先ほどは自分の知る大学と比較して九州大学を切り捨てた口で、今度は目の前のそれを大陸の神殿と比較して遜色ないと持ち上げる。
何だかな~と言いたげな顔で見る付き人を気にも留めず、マイラは神殿敷地内へと足を踏み入れた。
「おや、参拝ですかな。それとも――」
声をかけてきたのはこの神殿の神官と思われる男。
街中ではあまり見かけない装束。きっと神官服なのだろうとレオは思った。
「ちょっと見学ですわ。日本の神殿を拝見しておこうかと思いましたの」
「……ああ、大陸の方ですか。どうぞ、ご自由に見学してください」
「ありがとうございますわ。ところで、今この神殿に祭神はいらっしゃらないようですわね」
その言葉に神官は少しだけ驚いた顔をするが、相手が冒険者だと思いだし納得する。
「お分かりですか。ここのおられる神、八幡神様は現在大分におられます」
「大分?」
「東の方の地名です。そちらに、八幡神を祭る社の総本社がありますので……」
この神殿――筥崎宮は八幡宮の1社で、武神として崇められる八幡大神を祭っている。
その総本社は大分県宇佐市にある宇佐神宮であり、八幡神も最初現出した後しばらくはそちらに滞在していたのだが、その後人間同士のイザコザに巻き込まれかけこの筥崎宮に居を移していた。
宇佐神宮では転移前から、神宮の宮司の地位を巡り代々宮司を務めてきた一族の者を押す地元の一派と、別の者を押す神社本庁とで対立が起こっていた。
裁判沙汰にまでなっていたのだが完全決着がつく前に転移が起き、問題は先送りとなっていたのだ。
そこに八幡神と名乗る神が現れたため問題が再燃。
神を認めない神社本庁をバックにした現職宮司と、八幡神を引き込みその威を以て宮司の地位を取り戻したい地元一派とで様々な駆け引きが行われる。
結局、現出後立ち位置すらあやふやな身で人間のごたごたにかかわることを避けた八幡神は、同じ九州にある三大八幡宮の1つ筥崎宮に腰を据えることとなったのだ。
ちなみに、大分宇佐は別府市の隣。
かつて冒険者たちが別府に滞在していた際に出現したと言われるモンスター――おそらくは妖怪は、正確にはこの宇佐市南の安心院町から院内町にまたがる山中で見つかったのだ。
幸いにも、直ぐ近くに別府駐屯地や日出生台演習場があったため即座に討伐されたのだが、今までなかった九州でのモンスター出現には、この八幡紳が去ったことが関係しているのではという憶測が出ていた。
「それは残念ですわね」
もっとも、それらは全てマイラの知らぬ話である。
「ではせめて、神殿の見学でもさせていただこうかしら」
そう言って、マイラは楼門をくぐり神殿中心へと入っていった。
神殿の見学を終えたマイラたちは、近くにあったパン屋で昼食を購入すると近くの地下鉄駅から地下鉄に乗り福岡市中心部天神へと向かった。
初めて乗る電車に、レオは興奮気味であったが、景色が見えなくては移動している実感が薄い。その辺り、マイラには不評だったようである。
天神へと到着したマイラは早速というべきか、事前にホテルで聞いていたデパートへと向かった。
転移後の物資不足であらゆる産業が打撃を受けたとは言え、ここは現在日本最大の経済都市である。
並ぶ品々はどれもマイラの満足する基準以上らしく、服・靴・アクセサリーなどの服飾品から、雑貨や本なども気に入った品があれば躊躇なく手にしていった。
「お嬢様、こんなに買い込んでどうするんですか!? こんなに持ち歩けませんよ」
「あら? ギルドに預けておきなさいな」
「ですけど、これ持って帰るつもりですか?」
「そっちは当てがありますら大丈夫よ。まとめて船で送らせますわ」
「しかし……せめて、帰る前に買ったらどうなんですか。まだしばらく日本にはいらっしゃるつもりなのでしょう」
「ダメですわよレオ。良いと思った品を買うことを躊躇していては。買い逃せば後で後悔することになりますわ」
(それは金を持っている人間だけの言い分ですよ……)
何を言っても考えを変える気の無い主に、レオも遂に諦め荷物持ちに徹することにした。
「しかし、さすがですわね。日本が優れた国だということは存じていましたが。見なさいなこの服」
「はぁ……確かに良い生地ですし、裁縫も良いですがお嬢様がお持ちの服の方が品は良くないですか?」
「少しは考えなさいなレオ。私が実家で持っている者は、国でも最高級の品ばかりですわ。それと比べるなど」
「お笑いですわ」と高笑いする。
確かに、日本の品はレベルが高い。だが、最高級の職人が作ったオーダーメイド逸品と大量生産品などを比較すれば話が違うのは当然である。それは比較対象を間違っているだけの話しだ。
そしてマイラはその辺りを十分に理解していた。
「見たところここは、庶民の方々も多く利用する店のようですわね」
「え? ここがですか!? てっきり――」
上流階級の人間が来るような店だと思っていましたと、驚くレオ。
そう思っていたからこそ、彼の知るそういう店に比べてと思ったのだ。
「庶民の手にする服でもこれだけの品が、当たり前にあるということは、それだけ庶民が豊かで作る技術が優れているのでしょうね」
「……流石にそういう所には目ざといですね」
育ちが育ちだけに、というレオにマイラは軽くフッと笑って返す。
当然でしょうとでも言いたげだ。
「しかしそんな店の品でよろしいのですか?」
「あら、良い物に貴賤はありませんわ。さて、お約束の時間までは後どのくらいかしら」
「えっと……店員に聞いてきます。お待ちください」
そう言って店員の下へと駆け出すレオを見送り、マイラは品定めの続きをすることとした。
この日、天神界隈の店では気に入った品を惜しみなく買っていく金髪美女の話でもちきりとなる。
半日ショッピングを楽しんだマイラは、荷物をホテルへ預けると再び九州大学の及川教授の下を訪れた。
講義も終わり待ち構えていた教授の案内で、市内にある高級料亭へと案内される。
ビルの一角にあるその店は、店内は純和風。
日本に来て初めて目にする和風の造りに、マイラは興味がそそられたようで楽しげに見ている。
「これが、日本独自の様式ですか。おっほほほほほ! なかなかですわね」
「街中を回っているだけではなかなかこういう和風の場所はありませんからな。いや、気に入っていただけで良かった。さ、どうぞ先ずは一献。そちらの御猪口を使ってください」
そう言ってガラス瓶の冷酒をマイラへと差し出す。
「随分可愛らしい杯ですこと。それにその酒の入った容器。素晴らしいガラス製造技術ですわね。ルマジャンでもこれだけの品なら高級品ですわ」
「ほう、ルマジャンというと確か大陸西部の、ジャンビ=パダン連合王国の首都でしたな。あちらの方ではガラスは貴重なのですかな?」
「元々ガラス工芸盛んではありましたが、大量生産の技術が発達しましたので、私の小さな頃にはありふれた物になっていましたわね。ですが、安い物ではありませんわよ」
もっとも、私の家は総ガラス窓ですがとサラリと付け加える。
「なるほど。タンゲラン辺りでは日本が持ち込んだガラス技術が重宝されたと聞いていたのですが」
「大陸の西部と東部では随分技術差があるようですわ。まあ所詮東は田舎ということですわよ。――あら、口当たりの良いお酒ですわね」
「おお、お口にあいましたか。この後の料理も口に合えば良いのですが……しかし遅いな」
「? お料理でしたら、急ぎませんわよ」
「いやいや。実は1人連れを呼んでいるのですよ」
「お連れの方ですか。一体どなたなのでしょう?」
「同じ大学の客員教授なのですが、実は彼は――」
と、及川教授が言いかけたところで、誰かが廊下を走ってくる音がする。
足音の主は部屋の前まで来るとそのまま戸を開け部屋に飛び込んできた。
「お待たせしてすいません」
「おお、来たか。遅かったね」
「いや~途中気になる物を見つけて。実は――」
「まあまあ、それは後で聞こう。熱中すると他が見えなくなるのは悪い癖だよ。ああ、失礼紹介しよう」
部屋に飛び込んできたまま流れる汗もそのままに何かを話し始めようとした男に、茫然とするマイラとレオ。
それに気づいた及川は苦笑しながらその男の紹介をした。
「トラン王国プレベスの街にある学会から客員教授として来ているテディ・テノム・ルーマン教授だ」
「どーも、気軽にテディと呼んでください」
そう言ってテディは、紺碧の瞳に輝きを湛え満面の笑みと共に手を差し出した。
テディ再登場。
とは言え別に3章のメインキャラになる予定はありません。
あの人は今的なものです。




