第53話 GOING MY WAY
タンゲランの冒険者ギルド長を務めるフリダが、ロベルトを探しギルド1階に姿を現した時、当のロベルトは1階事務室内で書類を手に顔をしかめていた。
しかめ面の似合う中年男であるロベルトだが、実際には仕事絡みでこのような表情をすることは珍しい。
冒険者に険しい表情を作りはするが、それは一癖も二癖もある冒険者を相手にするため敢えてやっていることだ。大ベテランである彼が、職務上の懸案事項に対してこのような顔をすることはまずない。
「ロベルト、どうしたんだい?」
「あ、長!? おかえりなさいませ」
書類に集中していたため、フリダに気付いていなかったロベルトは不意を突かれ慌てて頭を下げる。
珍しい物が見れた――と内心満足しながらフリダは同じことを尋ね直した。
「何やら難しい顔してるいが、何か問題かい?」
「いえ、今日の昼間やってきた冒険者のことでどうしたものか悩んでいましてね」
「ふーん。あんたがねぇ。珍しいこともあるものね」
そう言いながらフリダは、適当な椅子に腰を降ろす。
「ところで、今はあんた1人かい?」
「ええ。今日のここの夜番はデッシですが、奴は他の者と夕食に行ってますぜ。奴が戻ったら俺もあがるつもりです」
冒険者ギルドの営業時間は、朝早く夜は遅いがそれでも24時間営業とはいかない。
夜中は夜番と称する2~3人の対応要員を残すだけだ。
もっとも、付随する酒場は明け方まで営業しており、今もそこからの声がこのギルド本館内の事務室まで届いている。
「そうかい、じゃあ今はあんただけだね……」
都合が良いわねと小さくつぶやく。
その様子に不審を感じたロベルトが、今度はフリダに質問をした。
「長は確かどなたかと食事だったと聞いてますが? そっちはもうよろしいんですかい?」
「ん、まあ……そのことでなんだがね」
どうやらそこで何かあったようだ。
歯切れの悪い言い方をしながら、フリダはロベルトに言葉を選びながらこういった。
「頼みがあるのだけれど」
「頼み?」
「ええ――ある冒険者に、ちょっと融通を利かせてほしいのよ」
その言葉にロベルトは眉間に皺を寄せる。
「分かってる。あんたの言いたいことは分かっているわ。でもね、相手が相手で断れないの」
「あからさまに横車を押すような真似は、ギルドの運営上よくないんですがね。誰なんですそれは?」
「――ルマジャンからの客よ。それ以上は言えないわね」
後は察しろ、と言葉には出さないがフリダはそう言っている。
ルマジャン。ジャンビ=パダン連合王国の首都にして、大陸最大の都市。そしてそこは、冒険者ギルド本部のある街でもあった。
元はこのルマジャンにあった冒険者ギルドが、大陸中のギルドを統合して今の冒険者ギルドとなったのだ。
当然ながら当地では色々としがらみも多い。
「政治ってやつですか?」
「単純に、ギルドにとっての貸し借りよ。本当は命令してもいいのだけど、さすがにこうゆうのは、ね」
「はぁ……何度も繰り返すようなことは止めてくださいよ」
翌日。タンゲランの大通りを1組の男女が歩いていた。
女はなかなかの長身で、周囲を歩く男たちに文字通り肩を並べるほどだ。
一方、彼女の後ろを歩く男と方はといえば、決して小柄というわけではないのだが、すぐ目の前の長身の女性と見比べてしまうせいか小さな印象を持ってしまう。
共に若い。女は二十歳をやや超えたくらいだろうか。一方男の方は10代。青年というよりも少年に近い。10代も半ばといったところであろう。
「まったく、この私に「今日のところは帰れ」だなんて。一体どういうおつもりかしら」
縦に巻いた金の髪をかき上げながら、女はそう不満を口にする。
後ろを歩く男に言っているわけではないようだが、独り言にしては少々声が大きい。
「お嬢様が事前の根回しを怠ったせいです。向こうを出る前に手を打っていれば、ギルドにも情報がいっていたはずです」
どこか疲れた色をにじませた声で、後ろの少年がそう返す。
その言葉に、女は顔少し横に向け唇を尖らせる。
「仕方ないでしょ。急いで飛び出したのですから、そんな時間などなかったくらい分からないかしら、レオ?」
「時間がなかったことはじゅ~ぶん理解しておりますとも。何しろ、いきなりお嬢様に捕まえられて連れられたのですから」
「あら、私付きなのですから同行するのは当然じゃなくって?」
その言葉に、レオと呼ばれたねずみ色の髪をした少年はそっと溜息をつきながら首を振る。
どうやらこの2人、主従関係にあるようだ。
しかしこの2人の格好。女の方は、何枚の鉄板を重ねた草摺〈腰鎧〉に金色に縁取りされた銀色の胸鎧と籠手。腰には刃渡り60cmほどのスモールソード。少年の方は、硬皮革製のレザーアーマーに同材質の脛当てに指ぬきのあるグローブ。武器は一般的なブロードソード。2人とも、特に少年の方は典型的な冒険者である。
冒険者でありながら主従関係とは奇妙――とは言い切れない。
よくある例として、冒険者に憧れた貴族の子弟などが従者付きで冒険者になることがある。自分付きの者を巻き込むケースもあれば、心配した親が腕の立つ家臣を付けるケースまで。
「まあ! 美味しそうなスモモですわね」
少年の様子に気づかない女は、大通りの店や露店を眺めていたが、とある店先で山積みされたスモモに目を止める。
日本のスモモに良く似ているが、気候の違いを考慮しても時期が少々早い。
別種なのであろう。
「お、それは今年最初の春スモモだよ。1つどうだい?」
「1つだなんて。1カゴいただきますわ」
「よし、それじゃもう1つおまけだ」
「おっほほほほほほ! 良い心がけですわね。ではレオ、支払は任せましたわよ」
「はいはい……まったくすぐ無駄遣いを……いくらですか?」
「おう、1カゴで3000ワーデルだ」
「高っ!?」
信じがたい値段に思わず少年が声を上げると、店主はその態度に眉をひそめる。
「あん? ボウズ、この時期の初品ならこんなもんだろうが。これでも良心的な価格なんだぜ」
「うっ……」
(こっちに来るのは初めてだから相場は知らないけど……本当にそうなのか。担がれているんじゃないんだろうか)
彼が戸惑うのも無理はない。
一例であるが、この辺りの街に住む者の1ヶ月の収入はおおよそ2万ワーデル。1ヶ月を30日とすれば、日収で約670ワーデルだ。
他の地域では額に差はあるだろうが、スモモに3000ワーデルと言われれば庶民感覚で躊躇ってしまうのも無理はない。
「何をなさっているの、早く支払なさいな」
が、どうやら彼の主は庶民感覚とは違う物を持っているようだ。
なおも躊躇し目で止めてくださいと訴える少年だが、主は「何をしているのかしらまったく」と逆に呆れ顔で返してくる。
説得を無理と悟った少年は、懐から皮袋を取り出すとその中からこのトラン王国発行の銀貨を数枚取り出し店主へと渡した。
「1、2、3……ふむ、最近の交換率じゃちょいっと足りないが、まあそっちの気風の良い姐ちゃんの顔を立ててまけてやるよ」
「ドウモアリガトウゴザイマス……」
「おっほっほっほっほっほ! ではごきげんよう」
「また寄ってくれよなー!」
良い買い物をしたとばかりに上機嫌な女と、カゴいっぱいのスモモを手にした少年に、店主は満面の笑みで後姿にそう声をかけ送り出した。
「ああ、お前さんたちか」
ギルド会館のクエスト窓口へ2人が姿を現した時、出迎えたロベルトは不機嫌さを隠そうともしていなかった。
彼を怒らせればどうなるか分かっているこの地のベテラン冒険者たちは、ロベルトを避け他の職員へとクエストの申請をおこなっている。
職員たちも、朝から不機嫌な彼を避けており、そのことがなおさらロベルトを不機嫌にさせていた。
とは言え、原因が自分にあることを理解している彼としては理不尽に怒りをぶつけるわけにもいかず鬱屈は溜まるばかりである。
そんなところへ現れたのがこの2人である。
「約束通り来ましたわ。それで、この私に相応しいクエストはあったかしら?」
「まったく、なんで西から突然やってくるかね。お前さんの最新実績がまだ届いちゃいなかったせいで、クエストの選定に手間取っちまったよ」
「あら、それはギルドの連絡不行き届きじゃありませんこと?」
「お前さんが向こうを出発する前に移動申請出してりゃとっくに届いとるわ!」
堪忍袋の緒が限界なのだろう。思わず声量が大きくなるロベルトであったが、目の前の女は馬耳東風とばかりに気にした様子もない。
少し後ろに控える少年の先ほどからビクビクしている姿とは対照的だ。
「しかも、途中でクエストもせず真っ直ぐこっちに来たせいで――」
「クエストを受ける受けないは私の自由じゃありませんこと? どう理由を付けたところでギルドの問題であることに変わりはありませんわ」
「ぐっ……」
腹が立つがその点は彼女の言う通りであった。
「ったく……しかし、移動前にお前さんの情報をこっちに送るよう申請しなかったのは事実だからな。当然クエストも、今ある情報だけを参照にしたものだぞ」
「それは仕方ありませんわね。それで、どういうクエストかしら?」
「こいつだ」
そう言ってロベルトは1枚のクエスト紹介票を差し出す。
「お前さん昨日日本語が出来ると言っていたな。それと、今このギルドにあるお前さんの制限解除情報と経歴から判断してこれを薦める」
「『剥製の運搬』……」
(うわ……地味だな)
主の呟きを耳にし、少年はまずそう思った。
単なる荷物運び。花も実もないこんなクエストをこの主が――
「よろしいですわ。このクエストを受けましょう」
(なんですとぉ!?)
以外にもあっさり受けた主に、心の内で驚き声を上げる。
「ん。それじゃ、詳しいことはこっちの巻物に書いてある。剥製はこの街のマンシェット工房で受け取ってくれ。日本への入国に必要な書類は用意しておくので、ギルドの表受付で引き渡す。3日後にきてくれ」
「日本への船はいつ出航かしら?」
「海次第だが次は12日後だな」
「結構ですわ。では行きましょうかレオ」
「はい、お嬢様」
そう言ってクエスト受付を後にする2人。
未だ不機嫌なままであるロベルトであるが、仕事は仕事である。
2人の背にこう声をかけた。
「マイラ・ルマジャン・イカライネン、レオ・ブラガ・ダールマン。健闘を!」
日本とタンゲランを結ぶ定期船はほぼ予定通り到着し、12日後2人は船上の人となった。
船には、他にも何人もの冒険者や商人が乗船している。
定期船は風頼みの帆船ではあるが、日本の協力によりその造船技術が活かされていた。
特に船客の航海中の過ごしやすさは大陸の船とは雲泥の差で、約10日間の船旅は実に賑やかなものとなっている。
しかし、レオにとっては途中船酔いでダウンした主マイラの介抱のため付きっ切りとなり、時にゲロまみれになるという消したい記憶の上位にくる思い出しか残らなかった。
そして、タンゲランの港町を出て11日目――
「ほっ……ほほほほ……よ、ようやく着きましたわね」
日本国博多港。
遂にやってきた日本。その第一歩を、マイラは生まれたての小鹿のようなフラフラした足で踏みだした。
船に接続されたタラップの階段を降りる際も、フラフラと何度も踏み外しそうになっている。よほど船酔いがこたえているようだ。
同乗していた者や大荷物を背負ったレオが日本の景観に圧倒されている中、そんな余裕もなく揺れない大地のありがたさを噛みしめている。
「皆さまお疲れ様です。これより入国審査を行いますのであちらの建物まで移動してください。冒険者の方と、商人の方は受付が異なりますので係員の案内にしたがってください」
と、待ち構えていた日本の港の役人がロデ語でそう呼びかけ、入口に「博多国際ターミナル」とこれもロデ語で書かれた建物へと乗客を誘導し始めた。
「お嬢様行きますよ」
「ちょ、ちょっとレオ……」
「荷物の検査は時間かかるらしいので、先に行っていますね」
と、良い笑顔でさっさと行ってしまうレオ。マイラは手を差しのばしたままフラフラと後を追う様に歩き出した。
大陸からの渡航者に対する入国審査は1年前とさほど変わりはない。
必要書類の確認と検疫、そして荷物検査である。
変更点と言えば検疫の際に行われていた血液検査が無くなったことであろうか。
これは国内から「やり過ぎだ」との声があがり始めたことや、手間の問題、またこの1年の中で問診と書類審査で問題が無いとの判断があったためであった。
――もう十分なサンプルが集まったからだ、などという黒い噂もネット上では流れていたりするが本当のところは不明である。
この後、商人はこのまま入国。冒険者はいったん下関の彦島まで行くことになるのだが、この点も変化があった。
「え? このまま入国出来るのですか?」
「はい。九州に用のある冒険者の方は直接入国出来る様に法案改正がありまして、今月から施行されています」
日本の法律についてなどよく分からないレオであったが、移動が楽になったという事実だけ分かれば十分である。
「武器はあなた方のギルドの福岡支部に預けることになります。既にギルドの方がロビーで待っていますので、検査が終わったらそちらに案内します」
「ですって、お嬢様。良かったですねー」
と、笑顔を浮かべ振り返る。
「わ、私の日頃の行いのたま……ガクッ」
何か言いかけるが、椅子に腰かけたままガクっと首を落とした。
「お嬢様ー?」
返事がない。ただの屍のようだ。
(うーん……意外と海に弱いなぁ。そう言えば、魚介類も苦手だし海と相性悪いのだろうか? まあ単なる船酔いだし放っておいていいだろ)
出来ればこのまま弱っていてほしいな――椅子に腰かけたまま真っ白に燃えつきている主の姿にそんなことを考えつつ、レオはさっさと手続きの続きに移ってしまう。
結局マイラは、フラフラの状態で検査を終えたもののまともに歩く気力も体力もなく、冒険者を迎えに来ていたギルド職員の手を借り、そのままギルド契約のホテルへと向かうこととなった。
翌日。
「おーっほっほっほっほっほ!! 良い天気ですわね。さあ、出発しますわよ!」
そこには、ホテルの前で元気に高笑いするマイラの姿があった。
何事かという目で見る日本人たちに、レオは頭を抱える。
あんな状態からたった一晩で回復する主の生命力に、日本という異質の地において尚変わらぬその様に。
(この先何事もありませんように)
それが無駄な願いと分かっていても、そう思わずにはいられないレオ少年であった。




