第52話 タンゲランより
「おーっほっほっほっほ!」
「それでは、失礼いたします」
最後の受講生を送り出し、誰も居なくなった部屋を見渡す。
人が10人も入れば窮屈になる小さな部屋である。
この小さな部屋が、この1年半の彼の職場であり、そして城であった。
「なんかあっという間だったな……」
ここでの出来事を思い出し、彼――黒須阿藍は感慨深くそうつぶやく。
この建物はベルナス商会がタンゲランにいくつか所有する物件の1つ。黒須はこの1年半の間、ここで日本語教室を開いたのだが、それが今日終わったのだ。
ベルナス商会当主ロレンソの指示で彼の弟と共に久々に日本に帰国したのがおおよそ2年前。
無事目的を達した一行であったが、黒須は上司であるラトゥの指示によりベルナス商会の日本営業所設置のために日本に残留することとなった。
慣れない業務で手さぐりであったが、幸い貿易の拡大を望む母国日本の思惑もあり、なんとか仕事を終え、交代要員の派遣を待ちタンゲランへと戻ることとなる。
タンゲランへ戻った黒須は、そのまま1商会員として働くことになるはずであった。
しかし戻った彼は当主へこう直談判したのだ。
「これから日本へと渡る冒険者相手に、日本語教室をさせてほしい」
なぜ黒須がそのような事を言い出したのかは分からない。
久々の帰国で何か思う所あったのか。それとも、冒険者たちと行動を共にしたことで何かに感化されたのか。
ともあれ、熱心に訴える黒須の熱意――或いは野心を買ったロレンソは、その提案を飲んだ。
始めるにあたってロレンソが黒須に出した条件がいくつかある。
まず講座を行うための頭金は商会が出すが運転資金はその講座で稼ぐこと。
商会からは人間を出さない。全て黒須の采配で行うこと。
そして――
「1年半、ご苦労だったなクロス」
そう言いながら部屋に入ってきたのは、ベルナス商会で番頭を務めるトニオである。
先代の頃からベルナス商会で働いており、現場を仕切っている当主の信頼も厚い商会の実力者だ。
「トニオ様、わざわざご足労をおかけして申し訳ありません」
「何、ご当主の指示だ。出来れば自ら査定結果を伝えたかったとのことだが、生憎外せない用事がある。だから私がきたのだ」
「そうですか……」
「さて、約束の1年半が過ぎた。結果を伝えよう」
「はい!」
厳しい面持ちでそういったトニオに、黒須は姿勢を正す。
ロレンソから言われた最後の条件。それは、講座は1年半続けること。そしてその結果には、黒須の進退を賭けること、であった。
成功とみなされれば、商会内で黒須の出世は早まるであろう。だがもし逆であれば商会を去るしかない。
(まあ悪い結果は出てないと思うけどな)
実際この1年半で問題は起きていない。語学教室というこの大陸ではまずないアイデアを打ち出したことも評価されるはずだ。
何より、当主自ら伝えたかったというのであれば、悪い結果ではないはず――と、顔には出さないように気を付けながらも黒須は内心で楽観視していた。
「まず収益だが、赤字は出しておらぬな。だが、最初の資金を回収すれば殆ど利益は出ていない。もしこの場所代を徴収していれば赤字だな」
「うっ……」
いきなりの厳しい判断。
運転資金は冒険者からの受講料で賄っていたのだが、この場所では前例のない事業だけに金額を高く設定できなかった。
その上そこから教材費他必要経費を捻出していたのだから仕方ない――という言い訳が心の内に浮かぶが口には出さず神妙にトニオの話を聞く。
彼が働く様になって学んだことの1つ。言い訳は意味がないという経験に基づいて。
「さらに、せっかく冒険者との繋がりを作る機会でありながらそれをみすみす逃してしまっている」
「……」
「その上、勝手に街の者を雇って使っておったな」
「……」
「他にも細々とした問題点はあるが――何かいうことはあるかな?」
「あ、あの……この事業、「語学教室」というものへの評価はないのでしょうか?」
「おお! そうだったな。「使えない」これが私とご当主の結論だ」
「――え?」
容赦ない答えに黒須は固まってしまう。
ここでは例のないアイデアだけに相当の自信があったからなおさらだ。
そんな黒須を憐れそうな目で見ながらトニオが説明をする。
「考えてもみよ。今は習いたいという者が多いから成り立っているが、ゆくゆくはどうだ? ある程度広まってしまえばそれでお終いだ」
「ですが、冒険者はまだまだいます。それに、これから新しく冒険者になる者も!」
「そういった者たちは冒険者仲間から習得するぞ。何も金を払わずとも、使える仲間に旅の合間に習えば良いのだからな。少数なら需要はあるかもしれないが、経営が成り立たないだろう」
「では、他の言葉に応用すれば――」
「この大陸はほぼ全てがロデ語だ。少数言語はいくつかあるが、わざわざ習おうという者は少ない。そもそも教える者を探すだけで一苦労だな」
「うっ……」
ぐうの音も出ないとはまさにこのことだった。
トニオの言葉にいかに自分が浅薄であったかが思い知らされる。
気持ちだけが先走って考えが足りなかったのだとようやく理解出来た。
次々と否を突き付けられ落ち込み項垂れる黒須だったが、そんな彼にトニオは先ほどと変わらぬ口調で話をつづける。
「ご当主は、最初にこの話を受けた時すでにそう判断をされたそうだ」
「そうでしたか……」
「さて、以上を踏まえた上でご当主の出した結論は、合格とのことだ」
「やっぱりそうでしょうね……え?」
思わず顔を上げトニオを見る。
聞き違い、ではなさそうだ。
トニオは淡々と決まったことを伝えるように、ポーカーフェイスを保ったまま話を続ける。
「最初から見ていたのは、お前の事業の運営能力だ。1人で準備をし、大過なく運営出来た時点で合格とのことだ」
「ですが、利益は……それに、人を勝手に雇ったことや冒険者のことも」
「こなれた事業でこの利益ならともかく、まったく未知のことだこんなものだろう。人を勝手に雇ったのは問題だったが、大問題というわけではない。お前が雇った者たちの上に話を通せば済む話だ。むしろ、人の使い方を高く評価する。そして、冒険者の件はそもそも副次的なものに過ぎない」
と、ここで初めてトニオが表情を崩す。
「冒険者には我々の方で繋ぎをとってある。この繋がりは後々商会のためになるはずだ」
「トニオ様……」
思わず声が震える。
「バカ者。泣く奴があるか」
「な、泣いていませんよ!」
「泣きかけているじゃないか。まあともあれクロス。これから商会は、日本との交易がますます重要になる。お前にはそこでしっかり働いてもらうからな」
「はい、任せてください!」
同日ブトラゲーニャ商会。
「おや、旦那さまどちらへ?」
ちょうど倉庫から出てきた商会員が目にしたのは、裏手から外に出て行こうしている商会主の姿であった。
戸に手をかけていた商会主のヘラルドは、そこで振り返り声の主に気づいた。
「ん? ああ、お前か。遅めの昼食だ。お前こそ、そこで何をしていたんだ」
「先ほど行商人がゴロカ産の質の良いヤモックを運んできましてね。買い取ったので収めているところですよ」
「ほう。秋は小麦が高かったからな。良いヤモックが手に入るのはありがたい」
ヤモックとはラグーザ大陸南東部原産のイモである。
この世界の固有種で日本にはない物だ。
水分が少なく、一度粉上にした上で加工して食される。大陸東部では小麦に並ぶ主食である。
「しかし、おかしな話ですね。大平原が不作だったという話は聞いてないですが、この小麦の値はちょっとおかしいですよ」
大陸南部のやや東側に広がる大平原は、大陸最大の小麦の産地である。
その生産量は周辺の小麦相場を完全に影響下におさめ、巡り巡って大陸全土、遠く離れた西側の相場にも影響すると言われているほどだ。
その大平原の今年の作柄は、豊作というわけではないが凶作だという話も出てはいない。だというのに、小麦の値は例年の相場を上回るものであった。
小麦の値が上がればもう1つの主食であるヤモックの需要は高まる。
それ故に、質の良いヤモックを手に入れたことは喜ばしいのであるが――
「おめー分かってんだろ?」
「ええ、まあつまり流通量が制限されているからで」
「そうだよ。やってんのは、連合王国だよ。本国の指示か、総督の独断かは分からんが」
「大きな戦でも考えているのですかね?」
「あるいは逆に周辺の動きを抑えるためか。まあ今の情報で判断するのは危険だな」
大商会であるブトラゲーニャ商会としては戦争が起こるかどうかは重要な問題だ。
ましてや主に食料品を取り扱う商会としてはなおさら敏感にならざるを得ない。
「しかしどうしましょうかね。日本からは買い注文がどんどん入っていますよ」
「その点は大丈夫だろう。多少値が張っても買ってくれるさ。……そうだな、ヤモックも売り込んでみるかな」
そう言って思案顔になるヘラルド。
「ところで旦那さま、食事は良いんですか?」
「おっとそうだった。ちょっくら外に出てくるからな」
忘れていたとばかりに再び扉に手を賭けるヘラルドを、またも部下が声をかけ止めた。
「あ、「カマンド」なら今日は無理ですよ」
「……おい、なんで俺が「カマンド」に行くって思ったんだ? あぁ?」
「えっと……」
何故といわれても、ヘラルドの「カマンド」好きは商会員には有名だ。
本人も分かっていると思っていたのだが、どうもそれを指摘する類の言葉はいけないらしい。
「ちっまあいい。で、なんで無理なんだ」
「そ、それが、昼にアモンの奴がいったら今日は貸切だって言われたそうでして」
「貸切だぁ? どこのどいつがだ」
「それが、ベルナス商会だとか」
「ベルナスの奴が? ……となると、日本の客人か?」
「いえ、それが西からの客だとかなんだとか。あ、それからやたら馬鹿でかい高笑いが店内から聞こえたとか……」
「ふーん……」
部下の話にヘラルドは何か考える素振りをみせる。
どうかしましたか、と心配そうに尋ねる部下にヘラルドは何でもないという風に首を振ると三度ドアに手をかけた。
「しょーがねー。別の場所に行ってくる。それと、ちょっと寄ってくる所があるので帰りは少し遅くなるかもしれん」
「承知しました。お気をつけて」
そう頭を下げる部下を背に、ヘラルドは街へと繰り出して行った。
「よお! 先日のクエストはご苦労さんだったな」
タンゲラン冒険者ギルドのクエスト受付口。
顔を見せた1人の冒険者に、受付係のロベルトは手を上げそう声をかける。
「ああ、例の魚の件か」
声をかけられた冒険者はというと、一瞬何の話しだったかと考えたがすぐに思い出した。
前回このギルドで最後に受けたクエストのことだろう。
その後別の町で2つほどクエストを行ったために、すぐには思いつかなかったのだ。
「その話よ。お前さんがわざわざ船に乗って漁師と確認してくれたアレな、「シャチ」って名前らしい」
「名前があったのか……調べても出てこなかったんだがな」
「まあ無理もねぇ。あの後の追加調査を行った冒険者の報告なんだが、どうやらありゃ日本と一緒に異世界から来た生き物らしいな」
「ほぉう。まああり得ない話じゃないか」
「ありゃ相当だぞ。実は魚じゃなくて海洋性の動物らしいんだが、海の小型モンスターを襲ったり中型モンスターと闘ったりしている姿が確認されている」
「ほんとかそりゃ? 実はモンスターなんじゃないのか、そのシャチってやつは」
ロベルトの説明に冒険者は俄かには信じ難いという態度だ。
日本と共に来た生き物だというのならモンスターではないはずだ。日本のいた世界には神霊力がなかったという話はこの辺りの冒険者にはそれなりに伝わっている。
それが小型はおろか中型モンスターと闘えるほどの力を持っていると言われても、まず疑ってしまうのは当然であろう。
「ホントだよ。と言いたいところだが、ハッキリとした証拠はない。というわけでだ、このクエストをお前さんに紹介したい」
そう言いながら1枚の紙――クエスト紹介票を突き出す。
「ん? この街の網本連中、漁師ギルドからの追加調査依頼、か」
「そうだ。前回シャチの調査をやってくれたお前さんならと思っていな。お前さんは海にも強いからな。どうだ、やってみちゃくれないか?」
「いいぜ」
ロベルトの頼みに冒険者は遅疑なく快諾する。
この親父なら下手な依頼は回さないだろう、という信頼がそこにあるが故の返答だ。
「それじゃ、これが依頼の書類だ。細かい話は漁師ギルド本部に行って聞いてくれ」
「ああ、それじゃさっそく行ってくる」
「海だからな、油断するなよー!」
それに後ろを向いたまま手を振り応える冒険者を見送り、ロベルトはやれやれと肩を回しながら首を鳴らした。
1つ人を選ぶクエストを無事紹介出来て良かったと安堵する。
最近なかなか良い冒険者が捉まらず困っていたところだったのだ。前回関連クエストを受けた彼の出現は大変ありがたかった。
「そろそろ落ち着いてくれるといいんだがな」
ロベルトの言っているのは日本のことである。
日本に冒険者ギルドが開設されもう1年になる。
相変わらず日本人気は続いており、多くの冒険者が日本へと渡りまた渡航を希望している。
しかし、いまだ日本が冒険者に慣れていないという事情や、面倒を起こされては困ることから、素行の良くない冒険者はギルドの方で色々と理由を付けて渡航許可を渡していない。
その結果、この周辺の冒険者の質は常より下がってしまっている。
「まあ日本側が慣れてくれば制限を解除してもいいだろうが。その前に方面支部昇格が先だろうかね」
その辺り考えて苦労するのがギルド長の仕事で俺の仕事じゃねーがな、と色々考える自分を内心で苦笑しつつロベルトはクエスト受付周辺の冒険者を見る。
(さって、次に来そうなのは――)
「おーっほっほっほっほっほ!!」
突如、ギルド内に高笑いが響いた。
「なんだ?」
どうやら入口の方らしいが、徐々に声が近づいてくるのが分かる。
もしや、と思うと間もなくその声の主はクエスト紹介受付へと姿を現した。
「――っほっほっほっほ! ごめんあそばせ。受付係さん、クエストを紹介してほしいのですわ」
「……どんなクエストだ?」
「――日本!」
その言葉に、ロベルトの眉がピクリと動く。
「日本?」
「ええ。日本へ行くクエストを紹介してくださらないこと?」
第3章開始。




