第5話 表裏
「さて、話を始める前にこれを試してみてくれんかな?」
ロレンソがそう言って勧めてきたのは、今しがた女中が目の前で注いでくれた飲み物である。
フリオとリタ、そしてロレンソの3人分のカップには、黒く香ばしい香りを放つ液体が満たされている。
「コーヒー……ですよね?」
「そうコーヒーですよ、リタさん。さあ試してみてくれ」
コーヒーなどさして珍しい訳ではない。
確かに気軽に常飲出来る様な物ではないが、その辺りの庶民でも少し奮発すれば手が出せる飲み物だ。
粉が沈殿するのを待つ間コーヒーに何かあるのかと観察する。
まず気になった点だが、女中の使っていた道具である。普通コーヒーは小さな鍋に粉と砂糖を入れて煮だす。しかし女中が使っていたのは見たことのないガラスを使った奇妙な道具である。
道具と言えばカップもそうだ。普通コーヒーに使われる小さなカップではなく、それよりも大きめのカップである。
コーヒーじたいも、見た目では差はないようだが香りが違う気がする。
「さあ、さあ」
余りにロレンソが急かすので、リタはしょうがなくカップを手に取る。
(粉が沈んでなかったら嫌だな)
そう思いながらカップに口づけ、一口流し込む。
「え!?」
「な、なんだこれ?」
フリオともども思わず声を上げてしまう。想像していたコーヒーとは味が違う。あの砂糖たっぷりの甘い味だと思ったが、強いコーヒーの苦みとそして酸味。砂糖は入っているが思ったほどではない。
苦さに顔をしかめるが、その苦みと酸味が引くと口には砂糖とは違うなんとも言えないかすかな甘味が残った。
「今年仕入れた新しいコーヒー豆だ。日本から購入した栽培技術で栽培させている」
「日本の!?」
思わぬところから出た日本の名に、フリオは目を見開く。
「それだけではない。このコーヒーは、サイフォンという道具で入れた新しい飲み方だ。これも、道具は日本から購入したものだ」
先ほど女中が持っていた道具がそうなのだろう。
そう思いながらいつも通り、少しコーヒーを残しカップを置こうとすると、それをロレンソが止めた。
「フリオ。そのカップにコーヒーの粉はない。この淹れ方だと粉がコーヒーには入らないのだよ」
そう笑いながら自らもコーヒーを口にする。
「あの国には輸出出来る物がそれほど多くない」
「そうなんですか?」
「お前は商いに関わってなかったから知らんだろうが、あの国は資源に乏しくてな。こちらから輸入した物を加工して輸出しているのだ。もっとも、輸入した物のほとんどは国内で消費しているので、加工品の輸出量は輸入量よりずっと少ない。その他は高額な嗜好品ばかりだ、技術の切り売りでもせんことには交易が成り立たんのだろう」
「しかし技術なんて渡してしまえばそれっきりです。その内行き詰るでしょう」
「確かに。故に、技術に応じて数年契約で毎年使用料を求められたよ。ご丁寧に指導員という名の監視員まで寄越して、技術の流出がないかまで見張っておる。まあ、あの国にしてみればこちらの生産量が増えてくれねば困るという事情があるようだがな」
若干冷めたコーヒーを一気に飲み干したロレンソは、壁にかかる1枚の額縁に目をやる。
そこには日本からプレゼントされた、博多の港の写真が飾られていた。
「日本としては、我々の取り扱う交易品の量では物足りないらしい。船の積載量の問題もあるが、根本的なところでは生産量が絶対的に不足しているということだ。何度か日本の船が港に来たことがあるが、見たことはあるだろう?」
「はい」
「……」
ロレンソの問いにフリオは声をだし、リタは無言で頷く。
1年にほんの1~2回ではあるが日本からの船がこの街にはやってくる。それは帆もなく進む鉄製の巨大な船であった。おおよそフリオたちの持つ船という概念からは大きく外れる化け物のような船。
「日本側としてはもう少しあの船の寄港回数を上げたいそうなのだが、問題は積み込む物を集めることが出来なくなるという事らしい。あの船にある程度品々を積み込まねば、航海にかかる費用の方が高くつくそうだ。かといって今頻繁に来られては国内からあらゆる品々が消えてしまうことになる」
ギルド長の言うところの「神秘のベール」の向こう側、その一端が垣間見れた。
フリオの中には漠然とであるが、日本というのは自分たちとは違う文化を持つ強大な国というイメージがあったのだが、必ずしもそうではないという現実の一端でもあった。
「さて、そろそろお前たちとの用件について話そうか」
そう言って、机の上にあった呼び鈴を鳴らす。
「ご用でしょうか旦那様」
「あの2人を呼んでくれ。体を空けておくように言いつけているので、1階にいるだろう」
「畏まりました」
現れた女中にそう指示するとプルンとした表情を引き締める。
そんな兄の姿にフリオも表情を引き締めた。ここからは兄弟としての話ではなく、冒険者として相対する心構えでいかないといけない。そう気を引き締める。
「さて、既にギルドからの話は聞いている。船の件は安心しろ、うちの交易船に便乗すれば問題はない」
「ありがとうございます」
「ただし、入国に関しては向こう次第だ。そして向こうについての交渉もな。あの地では我が商会の力は及ばん」
その言葉に無言でうなずく。
「が、今回の件は成功してもらわねば困る。なにせ今回の依頼元にはうちも入っているのだからな」
そこは予想の範疇であった。
今回の依頼元は冒険者ギルドをはじめいくつかの組織が名を連ねていた。その中の1つが、商人ギルド。
個人が所属する冒険者ギルドに対して、商会という組織が所属する商人ギルドは本来ギルドとしてその傘下に対する力は弱い。だが加盟する商会が大きな分、結果として外部に対しては相応の影響力をもつ一大組織である。
そんな組織からの依頼だが、この街で一番の商会であるベルナス商会がそれに関わっていないはずがない。
「旦那様、参りました」
「入れ」
と、フリオの思考が中断させられる。
部屋に入ってきたのは1組の男女であった。
女の方はフリオも知っている顔だ。
「フリオ。ラトゥは知っているな? うちで商隊の護衛などをやっている」
「お久しぶりです。フリオ坊ちゃま、リタ様」
ラトゥは元冒険者で、数年前にベルナス商会引き抜かれ商隊の護衛の取りまとめ役をやっている。護衛の手配や配分、更には商隊の編成などにも関わっており、時には自ら護衛に参加し雇った冒険者たちを指揮している。
かくいうフリオたちも、引き受けたベルナス商会の護衛クエで何度か彼女と同行したことがあった。
とはいえ、顔見知りではあるが彼女について個人的なことはほとんど知らない。弓を使う凄腕の元冒険者であるということと、ラグーザ大陸外の出身であるということ。それ以外は姓もミドルネームも分からない。
「そして、こっちがアラン・クロス。うちの会計士見習いといったところだな」
「アラン・クロスです。よろしくお願いします」
そう言って頭を下げたのは、フリオの見覚えのない男であった。
茶髪の誠実そうな顔をした、歳はフリオより上だろうか。
「フリオ・マラン・ベルナスです」
「リタ・サンピト・メラスです。失礼ですけど、出身はどちらですか?」
「え?……ああ、そうかミドルネームがないせいですね」
突然のリタの質問に戸惑った黒須だったが、すぐにその理由に気づく。
「生地をミドルネームにするって習慣は、出身が分かりやすくていいですね」
「ん? どういう意味でしょうか」
「それはなリタさん。アランの出身に関係しているのだ。彼は、日本人だ」
「それで、ミドルネームがないんですね」
「さて、フリオ。今回この2人を商会から同行させよう。ラトゥは交渉の補佐、アランは案内と通訳だ。この交渉は我が商会としても必ず成功させて欲しいのだ。頼むぞ!」
「ご厚情に感謝します、兄さん」
(商会としてって言ってるけど、結局弟が心配なだけなんじゃないかしら?)
弟の肩に手をかけ言い聞かせるその姿を見て、リタはそんな事を考えた。
「では、部屋の説明は以上です。明日の朝10時に迎えに参りますのでそれまではホテルで待機していてください。それと、申し訳ありませんが今夜はホテルからは出られないようにしてください。夕食はホテル内のレストランで取っていただくことになります」
「田染さんよ、酒飲みたい場合はどうすりゃいいんだ? こっちの金はもっちゃいないんだが」
「1階にバーがありますのでそちらをご利用ください。費用は私どもが持ちますので」
「おお! そりゃ気前がいい話だな」
「では皆さん。今夜は旅の疲れをゆっくり癒してください」
そう言って、田染たちはエレベーターに乗り降りていく。
「……ええっと、それでは皆さん何かありましたら私を呼んでください。夕飯は18時に。ああ! 何度も言いますがドアは勝手に鍵がかかりますので、必ずカードキーを忘れないように。では、後ほど」
全員が部屋に入ったことを確認し、ようやく黒須も自分の部屋に入る。
荷物を下ろすとこれまでの旅の疲れが一気に出た。
「いや、主に今日一日での疲れだな」
このままベッドに横になればそのまま眠りこけてしまいそうだった。
今眠ると色々と支障が出る。しょうがなく備え付けの椅子に腰を下ろした。
このホテルについてからもまた色々と大変だったと振り返る。
何せ日本の文明社会初体験な者たちを案内するのだ。電気の付け方、水の出し方、エレベーターの使い方、オートロックの説明。1から10まで説明が必要なことだらけであり、しかも好奇心旺盛な人がその都度これは何だどういう仕組みだと尋ねてくるのだ。田染とマイクがいなければ投げ出していたかもしれない。
その点田染とマイクは上手かった。フリオたちほどではないが、自国に外国人を案内する要領の応用だとかで、説明のポイントを心得ていた。
「さすがエリートさんだよな。俺なんかとは出来が違うよ」
高卒の僻み半分感謝半分にそう口にする。
(でも、おかしな点もあるんだよなぁ)
数年前に日本を飛び出し、見知らぬ土地、見知らぬ世界でそれなりに揉まれてきた黒須だ。人を見る目も相応に培われている。
そんな黒須の見るところ、あの2人は何か隠していることがある。
(厄介ごとじゃなけりゃいいけど……)
もう明日以降、面倒なことはあの2人に任せて自分は実家に帰れないだろうか、などと考えていると、不意に部屋の電話が鳴った。
フロントからだろうか、などと考えながら受話器を取る。
「黒須さん。申し訳ありませんが、下のラウンジまでご足労願えないでしょうか」
「……」
電話の主は田染健一であった。
「どうしたもんかな~」
部屋に1人。フリオはベッドに横たわりなら手にした紙を見ていた。
「うわ、すっげーやわらけーなこのベッド。蚤もいないし、綺麗だし……って、そんなのはいいよ!」
1人ボケツッコミになっているが気にもせずフリオは独り言を続ける。
「なんだよこの日程表って。7日目までびっしり予定入ってるじゃないか」
フリオが手にしているのは、田染より渡された滞在中の日程表であった。
ご丁寧にロデ語で書かれたそれは、分刻みのスケジュールで埋まっていた。一応時刻というものがこの世界にもあるが、時計が広まっていない故にその感覚は非常に大雑把なものである。
こんなスケジュールなどフリオから見れば正気の沙汰ではなかった。
「しかも、これだと交渉のための時間がないじゃないか。この訪問地のどっかでやってくれるのか? それとも、この自由時間ってやつでやれってのかね。だいたい、ここまで過密に予定いれるんなら、なんで今日はもう何もなしなんだよ。疲れてると思ったのかね? 余計なお世話だ!」
ぐちぐち不平を零しながらもどうするべきか考える。
「取りあえず、明日予定の変更を頼んでみるか。ダメだったらこっそり抜け出して……いや、言葉も分からない金もないどこに交渉すればいいかも分からないじゃどうしようもないな」
(ほんと、面倒なクエストになっちまったなぁ)
ベッドに横たわったまま天井を見つめる。
「前途多難だ……」
田染、マイク、吉田、李の4人が車で去ったのを確認し、黒須はエレベーターに乗り込む。
エレベーター内の鏡を見るとそこには青い顔の自分が映っていた。
(青ざめるって比喩じゃなくて本当にそうなるんだな)
どうしてこうなった、と先ほどの4人から聞かされた話に頭を抱える。
(やっぱり厄介ごとじゃないか~。危険はないっていうけど、厄介この上ない話だよな……俺に言わずにそっとしておいてくれれば良いのに)
明日からどうしたものか。それを考えてくると胃が痛くなりそうである。
晩御飯は食べないでおこうかな、などと考えている内にエレベーターは部屋のある階に到着した。
「クロス・アラン」
「げぇっ!」
エレベーターの前で待ち構えていた人物に、思わず悲鳴を上げてしまう。
「お話があります」
しかし、そんな黒須の態度にも眉1つ動かさず、ラトゥは黒須を再びエレベーターへ押し込めた。
その晩。レストラン自慢のシェフの料理は、一口たりとも黒須の喉を通ることはなかった。
この手の転移物でよくある、異世界の住人が日本の技術に触れ「なにこれ凄い!」的な描写はあまり書かない方針です。
書いてもテンプレな物になるのは目に見えていますし、書きたいのものはそこではありませんので。
まあ全く書かないつもりはありません。所々入るかと思います。




