第49話 大規模クエスト『八岐大蛇討伐』2
『彼目如赤加賀智而身一有八頭八尾亦其身生蘿及桧榲其長度谿八谷峽八尾而見其腹者悉常血爛也』
――古事記
ソレが自己を認識したのは、8つの首の1つが捕えた鹿を丸のみしていた時だった。
自己を認識した、とは言ってもそれはまだ靄がかかったような曖昧さで、人やあるいは一部のモンスターほどはっきりとしたものではない。
ただ漫然と自分がどういうものであるかを認識しただけだった。
それでソレの行動が何か変わったわけではなかった。
山々を巡り腹が減れば獲物を捕り、疲れれば眠る。そこいらの野生動物と何ら変わらない行動だ。
違いと言えば、ソレの他に同類がいなかったため繁殖に繋がる行為が一切なかったことだろうか。
もっとも、番いとなる相手がいたとしても季節は夏。繁殖の季節ではなかったが。
山々を巡る内に、気づくとソレには付き従う者たちが現れだした。
小型モンスターと称される存在である。
多くはソレと姿を近くする蛇のモンスターであった。
そのほとんどは北の地からここまで来たモンスターやその子孫であるが、ぽつぽつとこの地で発生した存在もいる。
ソレにその区別はつかなかったが、つける気もなかった。
この小さな存在たちに付き従われるのはひどく気分が良かったからだ。
心なしか、ソレの思考にかかる靄も晴れてきたような気がしていた。
そうすると今度は、蛇以外のモンスターもソレの下へ集まり出してきたのである。
ゴブリンやコボルトと呼ばれる二足歩行のモンスターや、獣・鳥・虫の姿をしたモンスター。
思考が明確になる前は、同類以外の者は襲い、或いは追い払っていたのだが、思考が明確になるにつれそうはしなくなっていった。
この小さな存在が集うほど力が強くなると感じていたからだ。
実を言えば、ソレの力が強くなっていったわけではない。
ソレは元々強大な力を持っており、思考が明確になるにつれ自分の力を正確に認識できるようになっていっただけのことである。
この小さな存在。他者が集うことでソレが得たのは、思考力であった。
やがて、この地で誕生した他の小さな存在よりは少し強い力を持った存在――中型モンスターがソレに従う段になり、いよいよ自分がどういう存在であるかと確信する。
『自分はこのモノたちを従える存在なのだ』と。
人間に当てはめるならこの瞬間、ソレは自らを王であると定義したのだろう。
あいにく、ソレは王という概念を知らなかった。
わずか数か月で内面的に大きく成長したソレは、ある山間に落ち着くと思索にふけり出した。
自己を認識するまでは浮かびもしなかったこと。
思考が明確になるまでは気にもしなかったこと。
『自分は何をするためにいるのか』
自己の存在理由をソレは求め出したのだ。
人の学者がこれを知れば、この瞬間にソレの本能は狂った或いは壊れたと表現したかもしれない。
人がそうであるように、どれだけ知能が高くとも本能に従い生きている以上こんな考えは出てこないからだ。
懐かしい見知らぬ場所を叢雲で閉ざしながらソレは思索にふけった。
8つの頭で自らが何をすべきかを。
そして、10日ほど経った頃――轟音と共に8つの頭の内3つが吹き飛ばされた。
「――撃て!」
分隊長の命令に、砲弾を半装填で保持していた装填手は「発射!」と声を上げながら手を放すと素早く耳を塞ぎ衝撃に備える。
分隊長と弾薬手も同じく。照準器を抱えた砲手のみ、片手で耳を抑えている。
装填手の手を離れた砲弾が、迫撃砲の砲身に落ち、
「ッ!!?」
「うおお!?」
砲から爆炎の後に飛び出す砲弾。その音と衝撃に、カレルは小さく、コジモは大きく驚きの声をあげる。
この世界にも既に大砲は存在しており2人も砲そのものへの驚きはない。
だが、この小さな砲の生み出した衝撃が予想よりも大きかったのだ。
この地点から目標であるヤマタノオロチまでは、小さな尾根を越えた反対側。距離にして700mほどである。
発射から数秒後、砲弾の着弾音が山を越え響く。
『着弾確認。目標の頭部に命中!』
前進観測者からの報告に、コジモたち冒険者と自衛隊員ら双方に驚きの声があがる。
コジモたちにとっては、山を越えての曲射というもの自体が初めて見るものであり、なおかつそれを目標に当てるという技量への驚き。
一方隊員たちは、最初の射撃で目標頭部へ命中した僥倖への驚きだ。
迫撃砲などの間接射撃は、直接射撃に比べ命中精度で劣る。通常は観測者からの情報をもとに照準を修正していくのだが、今回はいきなりの大当たり。
的がデカイ分当たることは分かっていたが、いきなり頭部に命中したのは幸先が良かった。
照準を修正する必要がないと分かるや、分隊長は続けて砲撃の指示を出す。
彼の指示する物だけではない。この場には、3門の81mm迫撃砲が用意され、たった今コジモの目の前のソレと同じく火を噴いたばかりだ。
それぞれの分隊長の指示で、次々と砲撃が行われる。
迫撃砲は対象に移動されてはその都度照準を修正しなくてはいけない。ヤマタノオロチが動き出す前に出来る限り砲弾を叩き込む必要がある。
砲弾は人力で運んできた分しかない。そうでなくても数に余裕はないのだ。無駄玉は撃てなかった。
山の向こうから聞こえる爆音に別の音が混じり出した。
ヤマタノオロチを取り囲むように展開した部隊が、無反動砲や携帯対戦車弾での攻撃を始めたのだ。
もっとも、これは多方向からの攻撃によりヤマタノオロチの注意をひきつけ、その場に留めるための攻撃である。
本命はこの迫撃砲であった。
「こりゃ確かに俺らの出番はねえな」
下関駐屯地での自衛隊とのやり取りを思い出し、コジモは顎をかきながら言った。
「そうだね。――まあ予定通りの仕事はありそうだ」
コジモに同意しながら、カレルは剣を構え山の方を見据えた。
山からはヤマタノオロチに従うモンスターがこちらへと駆け下ってきている。
動けぬ主に代わってやってきたのだろう。
楽には終わらねーか、と言いながらコジモはハルバードを構えた。
「雑魚はあちらさんに任せて、俺らの相手はデカブツだ。さしあたっては、あの鬼ってのだな。さすがに、中型は1人じゃ無理だ。カレル、あいつの後ろの回り込んでくれ!」
「分かった。彼らが雑魚を倒したらすぐに」
「射撃開始!」
打ち合わせする2人の目の前。小銃を構えた自衛隊員による射撃が始まった。
岡山県備前市大内。
田園地帯にかつてこの地では聞かれたことのないほどの轟音が響く。
155mmりゅう弾砲、106mm無反動砲、120mm迫撃砲、155mmりゅう弾砲などの自走砲による砲撃。多連装ロケットシステムによる各種ロケット弾の攻撃。
そして、74式戦車・90式戦車による砲撃。
その他にも、迫撃砲や無反動砲や携帯対戦車弾なども使用されている。
現在の陸上自衛隊第4師団が用意できる火力としては最大級であった。
「砲撃止め!」
戦車連隊を指揮する1佐の指示に戦車の砲撃が止む。
彼の指揮する戦車連隊だけではない。他の部隊の砲撃も次々と止んでいく。
半月状に囲んでの一斉攻撃により生まれた煙幕が対象を包み込んでいた。
「全弾命中!」
「……」
1佐を初め各隊員たちが息を呑む。
煙幕が晴れるまでの僅かな時間。隊員たちにはそれがとても長く感じられた。
やがて煙幕が薄くなるにつれ、その向こうに巨大な影が見えてきた。
大型モンスター・ベヒモス。
過去自衛隊が東日本で遭遇した個体は推定で全長50m。
今回岡山に現れたベヒモスはそれには及ばないまでも、30mほどはあった。
日本が転移前にあった地球において、最大の動物であるシロナガスクジラの最大個体が30m級である。
それと比較すればいかにこの生物――モンスターが巨大であるかが分かる。
とは言え、これがただの生き物であれば、いかに巨大とはいえこの攻撃を受けて無事であるはずがない。骨肉諸共吹き飛んで然るべきである。
しかし、
「こ、効果ありません!」
隊員の言葉を裏付けるかのように、ベヒモスの足が生み出す地響きが田園に響く。
煙幕が完全に晴れると、そこには依然健在なベヒモスの姿があった。
「……いや、効果はあった」
双眼鏡を手にベヒモスを観察した1佐は、部下の報告に対してそう返す。
そう、確かに効いてはいた。
さすがにあれだけの砲撃を受け無傷であるはずがない。いかにそれが大型モンスターだとはいえだ。
「だが致命傷には程遠い。くそ!」
いらだたしげに言いながらも、頭の中の冷静な部分がこれは当然の結果だと分析する。
10年前。確かに自衛隊は大型モンスターを討ち取った経験がある。
陸上では陸自と空自の共同で数匹の巨大混成生物――キメラや、ドラゴンを。海では海上自衛隊がシーサーペントを。
だが、その時と今では火力が違う。多くの兵器が西日本へと敗走する中で失われていた。
その上このベヒモスは、当時ですら討ち取るには労力が割に合わないと放置された相手である。
この火力では討ち取ることは難しいとの予測はどこかにあったのだ。
(あの巨体に強固な外皮。その上神霊力のせいでダメージが軽減されてしまっている。せめて、外皮を破るか神霊力を無効化出来れば)
自衛隊の兵器でも十分に撃破可能なはずである。
砲撃を受け一時足を止めたベヒモスだったが、攻撃が止むと再び前へと前進を始めた。
ベヒモスを包囲する自衛隊へ再び攻撃の指示が下る。
「攻撃開始!」
1佐も自分が指揮する戦車部隊へと攻撃命令を出す。
致命傷には遠いとは言え、先ほどの攻撃も効かなかったわけではないのだ。
ベヒモスを放置できない以上、こうして攻撃し続けるしかない。
「後は、秘密兵器次第か」
「第二次攻撃も効果なし。ベヒモスが依然西進を続けています」
吉井川城壁指揮所の司令部に報告が入ると、師団長である百瀬陸将は表情を険しくした。
「あの火力でもダメなのか……」
「報告では攻撃の間は足を止めることは出来ています。時間稼ぎにはなっていますが――」
「何のための時間稼ぎなのか」
部下の言葉に百瀬は忌々しげに言った。
未だ政府からは岡山市民への避難指示は出ていない。
ベヒモスの移動速度から考え、この第4師団の攻撃結果を見てからの判断ということらしい。
もちろん百瀬とて、ベヒモスを倒すつもりで行動はしている。
しかし絶対に倒せる保障はないのだ。それを考慮して最善の行動を取るのが政治の仕事ではないのか。
なぜ自衛官である自分がそんな心配をしなければいけないのかと嘆きたくなった。
「……陸将、岡山市民の避難訓練は十分に積んでいます。いざとなれば、迅速に行動できます」
その為に我々は何度も避難訓練を行ったのですから。そう言ってくれる部下の言葉に百瀬は少しだけ表情を緩める。
「そうだな」
第4師団は岡山市の要請を受け、自衛隊参加の避難訓練を何度も実施している。
吉井川防衛線が突破された場合に、市民に犠牲を出すことなく避難させるためのものだ。
かつて北海道や東日本では想定外の事態に避難が上手くいかず多数の死傷者が出た。そこからの教訓である。
もっとも、正しい行動とは言え、市民の不安をあおるとして実施を渋る岡山市に行うよう圧力をかけたのは百瀬である。
自衛隊の在り方としては一線を越えてしまっているのだが、第4師団の大半は気にしていなかった。
「それに勝ち目がないわけではない。コルテス氏の方はどうなっているか?」
「はい。現在までに中距離多目的誘導弾9発分が用意出来たとのことです。時間的にこれ以上は間に合わないと連絡がありました」
「9発か……これをどう使う?」
「はい。神霊力の処理を施していない通常の物と合せてベヒモスを攻撃。試算ではこれで対象の外皮を破れます。その後再度の一斉攻撃を行います」
「それでも無理ならば、岡山放棄か……」
そう言って、百瀬は深く目を瞑る。
現時点で自分に出来ることはない。後は、フェルナンドの用意した物と現場の隊員たちを信じるのみであった。
自衛隊とベヒモスの交戦地点より西に1kmほどの香登本にある倉庫から、フェルナンドは神霊研の職員と共に東を見ていた。
ベヒモスの巨体はこの場所からでも遮蔽物さえなければ見ることが出来る。
「二次攻撃もダメだったようですね」
「ふむ……これがベヒモスでなければ、大抵の大型モンスターは討ち取れるじゃろうがな」
「神霊力なしでもですか?」
「うむ、あれだけの攻撃ならばな。じゃが特殊能力や神霊術を使わないが、ベヒモスは大型モンスターの中でも最強の1種。耐久力という面ではドラゴン以上じゃ」
フェルナンドの言葉に職員はなるほどと納得する。
大型モンスターの中でも最大級の体格。鋼にも匹敵する外皮。そしてその体格に見合う膨大な神霊力による保護。
これらが相合わさりベヒモスは無敵の防御力を誇っていた。さながら動く城塞である。
もっとも、フェルナンドが言う通りベヒモスに特殊な攻撃手段はない。
その巨体を活かして対象を蹴散らすだけだ。しかもその動きは極めて遅い。
政府がこの時点になっても避難指示を出さないのはその辺りをよくよく理解しているからだ、という側面もある。
「しかしまあ、あのミサイルがあれば十分ベヒモスの防御を抜くことは出来るはず。そこに一斉攻撃を当てれば撃破可能だ」
「そうだな。現在の攻撃でもダメージは与えているんだ。大丈夫だろう」
「上手くいけば貴重な研究材料が手に入りそうだな」
そう口々に言い合う職員たちを余所に、フェルナンドはどこか浮かない顔をしたままベヒモスを見ていた。
「どうされましたかコルテスさん。体調がおもわしくありませんか?」
その様子に気づいた職員の1人がフェルナンドを気遣う。
ここに来て、ミサイルに神霊力を込め続けていた。かなり体に負担のかかる行為だ――とは本人の談である。
しかしその言葉にフェルナンドは首を横に振って答えた。
「いや、途中休みながらじゃったから大丈夫じゃ。それよりも気になっていな」
「ベヒモスですか? コルテスさんからの情報をもとに何度も計算しましたが、撃破は十分可能です。むしろ、ミサイルだけで片が付く可能性も――」
「そっちではないよ」
フェルナンドの言葉に職員たちは首をかしげる。
「西に出現したこの国固有のヒドラじゃ」
「ああ、ヤマタノオロチですか。まあ研究者としてはそちら気になりますよねぇ」
「それもあるが……あっちの方がベヒモスより危険かもしれん」
「うそ……」
「バカな!」
ビアンカの言葉と、自衛隊員の叫びが重なった。
山間に潜むヤマタノオロチに側面から近付いていたビアンカたちは、無反動砲や携帯対戦車弾でヤマタノオロチを攻撃する自衛隊員等を、周囲のモンスターから守りつつ自衛隊による攻撃を見ていた。
その見たこともない激しい砲撃に、ビアンカたちが度肝を抜かれる前で、対象を取り囲むように展開した隊員たちが次々と砲撃を撃ちこんでいく。
主力は迫撃砲であり、取り囲む彼らの目的はヤマタノオロチをその場に釘付けにすることであったが、彼らの持つ武器でもヤマタノオロチ――ヒドラには十分過ぎる威力がある。
攻撃開始から10分足らずで、ヤマタノオロチは8つの首の内7つまでを失い全身砲撃により肉を抉られ血まみれになっていた。
あと一息だ――誰もが勝利を確信したその時、事態が一変した。
「首が再生しただと!?」
「くっ、傷も治っていっている」
超速再生とでも言うべきか。
彼らの目の前で、たった今失われたその首が根本から再生し、抉られた傷も肉が盛り上がり再び鱗に覆われだしたのだ。
「さすがモンスターだなぁ」
「再生ってお約束過ぎるよ」
そんな自衛隊員であるが、そこまで事態は悲観していない。
何しろ攻撃は十分過ぎるほど効いたのである。再生する前に殺しきればいい。
まさか無限に再生するわけもないはずだ。
そんな考えがあったからだ。
「なによこれ……」
が、そんな自衛隊員たちとは対照的にビアンカやその仲間たちは驚愕の表情を浮かべている。
「こんな……いくらヒドラの特異種だって、こんな再生力ありえない!」
「え?」
混乱する冒険者たちを余所に、再生を終えようとするヒドラへと再び迫撃砲が降り注ぐ。
ビアンカの言葉が気になった隊員であったが、今それを問いただす時間はない。
用意したてき弾を小銃に装着すると、再びヤマタノオロチへの攻撃に参加する
『シィィィィィィィィィィッ!』
再生した8つの首が攻撃を受け上げる叫び声が山間に響き渡った。
どうも戦闘シーンはモチベーションが上がらない。
次回で戦闘終了予定。
その後エピローグで第2章は終了です。




