第42話 あやしいあやしいもの
完全に油断していた。コジモは歯が砕けそうなほど口を噛みしめ前方を睨みつける。
真っ暗な洞窟の中、彼らの持つランプと日本で手に入れた懐中電灯の明かりに、うつ伏せに倒れる少女が照らし出されていた。
遠目に、かすかに動きがあることが分かる。
頬っておけば危ないが、いま連れ出し手当をすれば間に合うだろう。
しかし、コジモたちと倒れる少女との間、わずか5mに満たない距離を駆け寄ることができないでいた。
「くそっ!」
少女の背を踏みつけるソレが助けを邪魔しているのだ。
身長2mを優に超え、腕は木の幹のように太く鋭くとがった爪が目につく。
目は爛々と輝き、4本の牙が口から上下へ飛び出している。
全身赤銅色をした中型のモンスター。
「オーガがいやがるとはよ」
「ジゼル!」
倒れたジゼルへジャンが呼びかけるが返事はない。
オーガの拳を正面から散々に受けたのだ、意識もないのだろう。
(しくじっちまったぜ。中型モンスターがここにはいないって話を鵜呑みにしていたつもりはなかったんだが)
仲間の若手4人にそろそろダンジョンでも体験させようと引き受けたのが、今回の『満奇洞の調査』というクエストであった。
岡山市中心から北西にある鍾乳洞ダンジョンで、どうやらゴブリンが住み着いている可能性があると事前情報があり、内部調査とゴブリン討伐を兼ねたクエストだ。
コジモたちのパーティーなら危険度は低いクエストであった。
それがこの様である。
(小型モンスターの集団には中型モンスターがボスとして君臨することがある……こんな初歩を忘れるとはざまぁないぜ)
もちろんこの結果を生んだ最大の原因はコジモの油断であるが、ジャンたち4人にも原因はあった。
冒険者として活動を初め1年半。先日はグーロというそれなりに強いモンスターも倒し、自分たちの力に過信が出てきていた頃合いだった。
今回、ジゼルが先走ってしまい、洞窟最奥に待ち構えていたオーガに単身で相対する形となったのだ。己の力を過信したつけが最悪の形で返ってきたのである。
「ジャン……俺があいつを抑える。その間にジゼルを拾って後方にいるカレルたちに合流しろ」
「リ、リーダー。で――」
「口答えするな! 行くぞ!! うおおおおお!!!」
ジャンの返事も聞かず、コジモはサブの武器であるバスタードソードを振りかざし駆け出す。
コジモのその様子にオーガはニヤリと笑みを浮かべると、足蹴にしていたジゼルを蹴飛ばし後ろへと飛び下がった。
「今だジャン!」
「はい!」
駆け出したジャンがジゼルと確保する様子を確かめ、コジモは奥へと下がったオーガを追う。
人型の中型モンスターであるオーガだが、戦えない相手ではない。
1人で倒すのは難しいかもしれないが、時間を稼ぐくらいなら問題ないはずだった。
そう、例えこの赤銅色のオーガが今まで見たこともない新種だったとしても。
「ゴオオオオ!」
雄叫びを上げ奥へと下がっていたオーガが何かを手にコジモへと襲い掛かる。
「武器かこの野郎が!」
オーガが手にしていたのは、巨大な鉄の棍棒であった。
あれを喰らえばひとたまりもないだろうと予感しつつも、コジモはひるむことなくオーガへと挑んだ。
「はぁ、はぁ、はぁ!」
ジゼルを背負いながら懐中電灯を手にジャンは走る。
元は観光地であったため足元は整備されているが、やたら段差が多い。油断すれば簡単に躓いてしまう。電灯の明かりで足元を照らしながらジャンは出来る限りの全力で走った。
この向うには、先に後退したカレルたちが出口を確保し待ってくれているはずだ。
背負うジゼルの息は弱く、一刻も早く彼らと合流しジゼルを病院へと連れて行かねばならないことが感じられる。
(でも、リーダーへの手助けは)
そう思いながら一瞬だけ後ろを振り返った。
洞窟の奥に置かれたランプの灯りに、剣を振りかざすコジモとそれに対するオーガの姿が見えた。
ほんの一瞬であったが、ジャンは自分たちをボロボロにした敵の姿をしっかりと目に焼き付ける。
足の先から顔まで赤銅色した、2本の角を生やしたオーガの姿を。
時間は少し飛ぶ。
岡山にある情報本部冒険者対応室へ久々に戻っていた佐保は、室長から呼び出しを受けていた。
「佐保です。お呼びでしょうか室長」
「ああ、入ってくれ」
何か書類を読んでいた室長は、佐保がやってくると入室を促し手にした書類を机の上に置いた。
「失礼します」
恐る恐るといった風で入室する佐保に苦笑しながら手招きをする。
「どうかね。久々の岡山は?」
「そうですね……殆どこっちにはいませんから慣れません」
「ふむ。しかし慣れてもらわないと困る。ここが今の君の職場なのだから」
「とは言ってここに配属されてからもずっと山口でしたから。それに、どうも自分だけ場違いな感じがして」
「その辺りはおいおい解消されるだろう。君が士官に昇進するのは規定だからな」
その言葉に佐保は顔をしかめる。
「今日ここに呼んだのはそういう話でしょうか?」
「おいおい、そう警戒しなくてもいいだろう」
「ここに入るのは3度目です。1回目は着任時。2回目……前回はいきなりあの指示でしたから警戒もします」
「なるほど……まあ今日はそう面倒な話ではない。その前回の指示絡みだ」
こんな口を叩けるということは、警戒はしても緊張はしていないなと判断し室長はさっさと本題に入ることにした。
机の上に置かれた書類やファイルの中から、1つのファイルを取り出す。
「昨日君が提出してくれた、冒険者のクエストに関するレポートだ」
「え!? えっと、何か不備が? 決裁はいただいたと思うのですが」
「安心したまえ。そういう話ではない」
書類作成が苦手なのだろう。
ようやく素の反応を見せた佐保に、冒険者対応室長――名畑文雄は再び苦笑を浮かべる。
「この冒険者のクエストに同行して作成してもらったレポートはよくできている。冒険者の戦闘が見られたのも良かった」
「まあ養鶏所を荒らす角ウサギ、アルミラージの退治でしたからそう大した戦闘じゃありません。むしろ、住処を探す方が大変でしたよ」
実際は訓練で鍛えているため肉体労働はさほど苦ではない佐保である。
しかし背広組である名畑は、さもありなんとばかりに頷いてくれていた。
或いはてきとうに流しているだけかもしれない。
「大変だったな。しかしそういう細かい仕事内容がわれわれも知りたいことなのだ。それで、そのウサギとの戦闘の際、君はずっと――」
「ええ。撮影していましたよ。撮影した動画から画像をプリントアウトしてレポートに使いましたから」
自衛官でありながら、人々を守る仕事を冒険者に任せきりなのは心苦しかったですけど、と付け加える。
「さきほど、陸自の研究本部の例のところから今回のレポートと併せてその動画も提出してほしいとの連絡があった」
「……神霊研ですか」
「そう嫌そうな顔をするものじゃない」
内心が露骨に顔に出た佐保を名畑室長がたしなめる。
陸上自衛隊研究本部総合研究部第6研究課――通称「神霊研」とは、神霊術・神霊力及び対モンスター戦術の研究を行う部署である。
部署が出来たのは約半年前。正式には、だが。
この部署の前身こそ、第4師団で密かに神霊術・神霊力の研究を行っていた機関である。
現在は防衛大臣直轄の研究本部の正式な部署となっていた。
公安の2人から散々脅されていた佐保としては、良いイメージのない部署だ。
「君の気持も分かるがね。確かにあそこは色々と問題もある」
佐保の気持ちを斟酌する名畑だったが少し勘違いをしていた。
「設立時の強引な経緯や、未だに第4師団の影響が強い――というより、実質第4師団のお抱えのような扱いは、確かに憂慮するべき問題だ。しかしやっていることは至極真っ当なことばかりだ。あまり色眼鏡で見るものじゃない」
「はぁ……」
的外れな名畑の言葉に思わず気のない返事が漏れる。
その態度に、佐保が納得していないと考えた名畑は更に話を続けた。
「ここは冒険者の相手をする関係上、神霊力に関して研究するあそことは深く関わっていかなくてはいけない。実際、今進めている計画も」
「計画?」
「むっ……」
(しまった! なんで尋ねたのよ私!?)
名畑の顔色が変わったことに、何やら余計なことに首を突っ込んでしまったことを悟る佐保。
このまま誤魔化してくださいと内心で室長に祈るのだが――
「まあいいだろう。君も無関係ではないし、対応室内では機密というわけでもない」
(いやー! 無関係にしててー!)
「今後、自衛隊はその活動を抑えていくこととなる。具体的に言うと、中国地方でのモンスターの相手を冒険者に任せていくのだ」
「……え? いいのですか、そんな国内の治安維持を民間に委ねるような真似をして」
「先がある。自衛隊は活動を抑えている間に、対モンスター戦術構築と神霊力対応装備の充実を図り、しかる後に中国地方のモンスターを根絶する」
「!?」
その言葉に佐保は驚愕した。
中国地方限定とはいえ、モンスターを根絶するとは、
(出来るのかしらそんなこと)
実際に現場で戦っていたから分かる。
もう何年の自衛隊は中国地方でモンスターを見つけてはこれの駆除に当たっていたが、その数は減る気配がない。
体感で言えば増えている気さえする。
それを根絶させるなど俄かに想像もできない作戦だ。
「今現在、自衛隊では新たに生産される弾薬と消費する弾薬はほぼ同じだ。これでは備蓄が進まない上に、大規模作戦が取れない。モンスターの排除が進まないのはここに原因があると考えている。しかし、中国地方に人が住む以上モンスターは放置できなかった」
「……それが、冒険者が進出してきたことで事情が変わったわけですね」
「そうだ。神霊研からは国外の協力者を得たことで神霊力に関する研究が一気に進んだとの報告がある」
佐保の脳裏に、自分も親しいあの謎の人脈を持つ老神官の顔が浮かぶ。
「これを受け、東中国地方の第4師団と西中国地方の第3師団の共同でこの計画が検討されだしたのだ」
「発案は……第4師団ですか?」
「その通りだ」
内心溜息をつく。
冒険者ギルド設立の直前、公安の吉田と李は佐保に、下関の事件について神霊力を研究する機関が敢えて見逃した可能性を指摘した。
その機関は実際に在り、それが神霊研なのだが、結局なぜそんなことをしたのかは今まで分からないでいたのだが――
(考えすぎだと思いたいけど……これが狙いだったのかしら)
冒険者を国内に引き込み、彼らの協力で神霊力に関する研究を進めつつ同時に作戦のための時間稼ぎにする。
冒険者の仕事はモンスター退治だけではないが、日本としてはモンスターがいなくなればその価値は激減だ。彼らを引き込むことによる様々な問題は、モンスターがいなくなったことで徐々に縛りをかけて最終的に日本で活動出来なくしていけばいい。
実際、冒険者関連法でも特殊地域は危険度が下がるにつれ東日本などの第3種から現在の中国地方の第1種まで下げられることと、最終的には解除されることが決められている。
中国地方が終われば冒険者を近畿に送り出し、その次は中部、関東、東北――そして冒険者は日本ではまともに活動出来なくなるというわけだ。
(何の根拠もない陰謀論染みた推測だけど……)
そう確かに証拠はなにもない。
今の時点で佐保が持っている情報を無理やりくっつけただけの推測だ。
間に抜けたパーツが入ればまったく違う全体像が出てくる可能性もある。
しかし――もし、佐保の推測通りだったとすれば。
(下関で死んだ隊員や隊長たちは、そのための犠牲だったってわけかしらね)
冗談じゃない。
そのせいで、同じ隊の仲間は死に上官は自らの行いに耐え切れず自衛官を辞めた。
死んだ脇田は軽いところもあったが、この時勢に人々を守りたいと危険な職場となった自衛隊へ入ってきた意欲ある若者だった。
辞めた仁多は、野心的なところはあったが日本のことを真剣に考えていた。どの程度まで出世できたか今ではもう分からないが、あの出世欲は日本に対する想いの裏返しだったのだろう。
その他の死んだ自衛官たちも――
佐保は自分が熱い人間ではないと自覚していたが、それでも義憤じみた感情が湧き上がっていた。
まだ断定はできない。しかしながら、神霊研――そしてその親玉である第4師団に対する感情の針はマイナスに振れていた。
「室長!」
ノックもそこそこに、室長室に室員の1人が飛び込んできた。
ハッと我に返った佐保は、室長の机に駆け寄る室員に対し場所を譲る。
「どうした? 何があった」
「大変です。たった今、冒険者ギルドから連絡がありまして――」
興奮しているのだろう。
一度そこで言葉を区切り大きく息を吸い呼吸を整えると、一息に残りを言い放った。
「冒険者に初犠牲者、そして中型モンスターの出現が確認されました!」
「なんだと!!」
(一波乱ありそうね……)
報告に顔色を変える室長を見ながら、佐保はそう内心で忙しくなることを覚悟した。
「しっかりしてビアンカ!」
「――あ、ごめん。寒さでちょっと意識が」
「そんな恰好だからね……」
そう言ってエヴァルドはビアンカの装備を見る。
エヴァルドたちが日本に来て見たフィクション中に、俗にビキニアーマーと呼ばれる装備がある。
鎧としての実用性はない殆ど下着のようなものだ。
実際にそんな装備はないが、胸や腰回り他は腕や脛など最低限しか覆わない装備は存在する。ビアンカがまさにそれであった。
防御力は低いが動きやすく、また大陸は基本的に温暖なため快適だと好む女性冒険者は多い。もっとも、虫やダニに刺さる危険が高いので普通野外活動がメインである冒険者向きではないのだが。
「スケベ……全身鎧でも着れば良かった」
「そしたら今頃、金属が肌に張り付いて悲惨だよ、きっと」
「まあこれじゃね……」
そう言ったビアンカの目には、横殴りの風雪が映っていた。
まだ積るほどではないが、このままだとあっという間に積もってしまいそうだ。
「離れないでね。僕の神霊術じゃそう広い範囲まで防御術が広がらない」
「もう! あの女はどこよ!」
「いた……左手前方」
そう言ったのは黙って周囲をうかがっていたジャックであった。
ジャックが指さす方向。吹雪の先に何かいる。
「ホホホホホホホ―――」
「あのクソモンスター! 挑発しているの!?」
「見たことない種族だ。新種……妖精種かな? この雪があいつの神霊術なら、中型モンスターということになるけど――」
「そんな詮索は後回し。私とジャックで相手する。エヴァルドはこのまま術を維持して付いてきて!」
「分かった」
「やってみる」
2人の返事をもらい、ビアンカは腰から柄まで冷たくなったショートソードを抜き放つと構える。
「――行くわ!」
その声を合図に、3人は風雪の向こう。
日本の民族衣装の様な白い装束を纏った真っ白な女型モンスターへと突撃した。
「やーすいませんね。最近またゴブリンがこの辺りにも出だして、畑を荒らされてこまっとったんですよ」
「私たちが来たからには、ちゃちゃっとおっ払ーいますから。安心してーね、おっちゃん」
「こりゃ頼もしい嬢ちゃんだ」
自信満々に言い放つ赤毛の女冒険者に、依頼を出した農家の者は頼もしそうな目を向けた。
彼女の背負う抜身の剣を見ればきっと大言壮語ではないのだろうと思える。
仲間の男2人も逞しい体つきで見るからに屈強だ。
冒険者ギルドに依頼したのはつい先日。対応も早く、依頼して良かったと農家の男は感じていた。
「ところで……おっちゃんの持ってるそれって」
「お? ああ、この双眼鏡な。近所の者と交代で、ゴブリンが出てこないか見張っているんだよ。俺たちにはおっ払えないけど、誰か近づくと危ないから見かけたら近寄らないような」
そう言って、自分たちの立つ道路から田んぼの方へ双眼鏡を覗き込んで見せた。
「いいーな。高いんだー」
「こら、止めろみっともない」
「あははは……で、何かいますか?」
「こっちはもう稲刈り終わった田んぼだからな。盗られるような物は……ん? なんだありゃ?」
稲刈りが終わり何もないはずの田んぼを見ていた男が、何かを見つけたようだ。
「ゴブリンですか!?」
「いや、違う。何か白い……グェゴギョ!!」
突然男は奇妙なうめき声をあげると泡を吹きながらその場に倒れ込んだ。
「ちょ! おっさーん。大丈夫!?」
「おい、しっかりしろ!」
「くっ! 何があった!」
白目をむいてひっくり返った男から双眼鏡を奪った冒険者の1人が、男が見ていた方を見る。
次に瞬間――
「ぐおっ!」
「大丈夫?」
「な、なんとか……こりゃ、強力な神霊力だ」
そう言って双眼鏡を放り投げると今度は肉眼で田んぼを見る。
よく見ればそこには、ハッキリと分からないが白い何かが1匹揺らいでいた。
モンスターだ。
「お前はおっさんの介抱をしろ。俺の袋に気付けの薬がある!」
「分かった」
「よし、じゃあ行くぞ」
「了解! おっさんのかーたき!」
「勝手に殺してやるんじゃねー!」
そんな掛け合いをしつつ、2人は道路から稲刈りの終わった田んぼに飛び降りるとその白い揺らめくモンスターへと挑んでいく。
日本がこの世界に転移して11年。
初めて冒険者が日本へと足を踏み入れ1年。
冒険者ギルドが開設され8か月。
10月も末は迫った頃の出来事である。
日本と冒険者をめぐる状況は再び大きく動き始めた。




