第40話 一段落
下関市市役所。
同じ市内にある下関駐屯地から南東へ600mほどの位置に、下関市の行政の中心はあった。
昨年の国会で成立した通称「冒険者法」と呼ばれる各種法令により、下関市を含む中国地方は第一種特別地域とされたが、市民生活に劇的な変化があるわけでもなく、またこの辺りはモンスターの脅威がほぼないことから一見すると転移前と変わらぬ姿がそこにはあった。
人口が大幅に減少し、また市役所で働く職員の数も減ってはいるが、今日も様々な手続きのために市民が窓口を訪れている。
そんな下関市市役所の大きな変化といえば、建物内に中央省庁の出先機関がいくつか入ったことであろうか。
完全に日本国政府の力が及ばない近畿以東ほどではないが、中国地方も危険地域と見なされ現在も九州・四国の民間人は手続きなしに渡ることはできない。
政府も、モンスター侵攻の避難の際には中国地方各県にあった出先機関を一度畳んでいたのだが、やはり人が住んでいる以上出先機関の再設置は不可欠であった。
その為、中国地方の現在の人口分布を鑑み改めて各地に国の出先機関が設けられている。
下関市役所にそれが設置されているのは、現在ここが中国地方では最も安全であり且つ一定以上の人口があるためであった。
さて、その出先機関に派遣されている経済産業省の役員が1人。彼は現在、市役所内でとある人物と会っていた。
フェルナンド・パパル・コルテスである。
「やはり心当たりがないのう」
出されたお茶を飲みながら自らの記憶を探っていたフェルナンドの言葉に、役員はがっくりと肩を落とす。
「そうですか……コルテスさんでも聞いたことがないとなると、この世界にはないのでしょうか」
「石炭はあるのだから、あるとは思うのじゃがな」
彼がフェルナンドに尋ねていたのは石油や天然ガス等のこの世界では今のところ利用のない地下資源。特に石油についてであった。
現代社会を支える重要な燃料である石油だが地球において日本はそのほぼ全てを輸入に頼っていた。
しかし転移により石油の輸入は途絶え日本は危機に瀕する。
食料問題と同じく大幅な人口減はエネルギー資源に関しても消費の面で余裕をもたらしていたが、備蓄分では到底足りなかった。
日本はこの世界での石油確保に乗り出さなければならなかったのだが、モンスター侵攻とそれに続く国内混乱。そして人々に漠然とあった「また地球に帰れるのでは」という想いが重なり、積極的に人を派遣し調査するということは行われていない。
もちろん大陸の政情も大きく影響している。
ともあれ、現在日本が得ている石油は、新潟近海や旧東シナ海の海底油田から採掘された分のみである。
新潟は危険な本州を避け、佐渡を拠点とし海底油田の開発が進められている。旧東シナ海では、隣国が消え去ったことから遠慮なく調査・開発がすすめられた。ただし、有望な海域が転移してきていないため思ったほどの成果はなかったのだが。
これらから得られる石油は大した量ではないが、それでも今の日本にとっては重要な供給源である。しかし、規模が縮小した今の日本にとってですら、到底満足いく量ではなかった。
「炭鉱の再発掘や代替エネルギーの開発は進めていますし、国内油田の捜索も進めています。ただ、現在近海で採掘できている石油は、陸地と共に海底の地層ごと転移して来た分だと推測されていますから、新たな物が見つかるかどうか。やはり大規模油田を見つけないことには」
「わしは生まれも育ちも東部だからな。西域のことは少し疎い。そちらに期待をかけるしかないじゃろう」
「西域ですか。あちらは連合王国の影響が強いですから調査団を送るにしても難航しそうですね」
「まったく、逆恨みもよいところじゃ」
かつて大陸の支配者であったジャンビ=パダン連合王国は、衰退したとはいえ未だに大陸西側に強い影響力を持つ大国である。
その大国は、日本に対して好感情は抱いていない――といより、恨みを抱いていた。
タンゲラン沖海戦で連合王国は、王国の有能な指揮官・中核戦力・膨大な物資・10年をかけた計画・そして国の威信をアメリカ第7艦隊により木端微塵に打ち砕かれ全ては海の藻屑と消えた。
当然連合王国の怒りは第7艦隊そしてその所属国家へ向くのだが、11年前に転移して来たのは在日アメリカ軍のみ。いわば根無し草の軍隊だ。
その連合王国の行き場のない怒りをアメリカに代わって向けられたのが、日本であった。
日本さえ転移してこなければ、というのが彼らの怒りの根拠である。
日本とて転移したくて転移して来たわけでなく、ましてやタンゲラン沖海戦にはまったく関わりがない。まさに逆恨みであった。
「まあ東部に無いと決まったわけではあるまい。自然と沸き出ている物がないだけで採掘すれば出て来るかもしれん。今は近隣諸国の信頼を勝ち取り、そちらに調査団を派遣するのが良いであろう」
「はい。現在、外務省などと協力して医療・農業技術の供与を計画していまして――」
「医療技術に農業技術か……どちらも、巡り巡って日本の益となる、か」
フェルナンドの言葉に、経産省の役人は「さすがです」と言いニヤリと笑みを浮かべる。
その特殊な立場からこの彼のように色々と官僚の相談を受けるフェルナンドであるが、日本の者が彼に相談を持ちかけるのはそれだけが理由ではない。
端的に言えば彼は頭がいいのだ。知識が豊富というだけでなく、理解力が高いのである。
冒険者ギルドの職員ですら、日本の者が何か話を通そうとすると、相手に話を理解させるのに余計な労力が必要となる。その点フェルナンドは、「1を聞いて10を知る」の典型であり話がスムーズに進む。ここが日本側に重宝がられている最大の理由である。
今の話からも、医療技術が発達すれば日本人が大陸に渡った際の安全性の向上が見込めたり危険な病気の撲滅が出来たりすることや、農業技術の向上により生産力が上がれば日本の輸入にも影響することが目的にあると理解したのだ。
「もっとも、その2つがセットなのは他にも理由があります」
「と言うと?」
「当初は「人道的支援」という名目が立てやすい医療技術支援を考えていたのですが、技術支援に関する検討会で外部から参加した学者から「医療技術だけ発達した場合、そこで発生する人口増加で今の大陸の許容を超える可能性が高い」と意見が出まして」
「賢者ルーカス曰く『物事はすべてつながっており、子どもが掘った穴が巡り巡って国を滅ぼすこともある』」
「バタフライエフェクトというやつですね」
「ほう。そんな言葉があるのか……それで、農業技術というわけじゃな」
「ええ。ですから、先を見越してこの2つをセットで支援しようと。まあ無償で供与できる技術はごく一部だけですが」
「それで十分なはずじゃ。国や領主たちも国内資源の開発はありがたい話じゃ。日本が互いの利益を以て交渉出来る相手だと信頼されれば受け入れてくれよう」
何も親日国家になってくれる必要などないのだ。
「その際は冒険者ギルドも利用するとよかろう」
「ギルドですか? あそこには何度も情報の提供や買い取りを持ちかけたのですが、断られてばかりですよ?」
「冒険者ギルドの使い方を間違っておる。ギルドはどの国にも与しないからこそ、各国からの信頼があるのだ。一方的な情報提供などは応じぬよ。こういう場合は、お主らからクエスト依頼という形で情報収集や資源調査、あるいは護衛を頼むと良い」
大陸諸国はそうやってギルドを使っておるのさ、とフェルナンドは付け加えた。
広島市中心部から北西へ40kmほどの地点に、その集落は存在した。
山間の小さな集落――とは言え県道が通り、北に山1つ超えれば中国自動車道も通っている。この集落が所属する安芸太田町の中心もその辺りにあった。
僻地というほどではないが、現在この集落に暮らす者は誰もいない。
転移前から続く人口減少。転移による大量死。そして中国地方へのモンスター侵入により多くの住民が九州・四国へと移住した結果である。
現在は町全体でも人口1千人程度。町民の多くはモンスターから身を守るため、また生活の不便さから町中心部に集まり暮らしていた。
この集落の住民も町中心部へと移住したのである。
住居に関しては放棄された家を譲り受けるか買い取る、或いは権利者がいなくなり自治体が管理する家屋を安価で売却することで確保されていた。
食料は自給自足。手に入らない物資のみ、九州の商社に注文し月に1度配送してもらっている。
電力にも余裕はなく、陸にありながらまるで離島な様な生活。このような人々の生活が中国地方では各地にあるのだ。
「さて、まずは集落の中を回ってみるか」
トンネルを抜けその無人となった集落を見回しながらコジモが後に続く5人にそう言った。
コジモの後ろにはジャン、ラファエル、ジゼル、ミシェルの新米冒険者が続き、最後尾にはコジモと同じベテラン冒険者のカレルがいた。
それぞれ防具で身を固め、各々の得物が手に握られている。
「あてもなく回るんですか?」
コジモと同じように集落を見回しながらそう尋ねたのはジャンである。
「乾していた藁の回収に行ったまま戻ってこないという話だ。畑を中心に回ってみよう」
正しくは田であるがその点に関しては誰も気にかけない。
「幸い道なりに回れば全部確認出来そうだね。しかし……」
と、カレルも集落全体を見回しながら顔をしかめた。
棚田と呼ばれる独特の農地が見事な景観を成している。
昔は農作業にいそしむ人々が大勢いただろうと思われるここも、今見渡す限りでは人の気配などない。
生存報告は無理だろうなとカレルは心の内で思う。
彼らが受けたクエストは、稲刈りの後に乾していた稲わらの回収に向かった数人が帰ってこないため探してきてほしいというものであった。
転移前であれば地元消防団や警察などが行うことであるが、モンスターであった場合二次被害の発生が懸念される。
昨年までならば自衛隊に捜索依頼がいくのだが、現在この手の依頼はギルドへと回されていた。
日本支部開設から半年経ち、ようやく通常のクエストの受付が始まったのだ。
トンネルを通る県道から横道へと入り、集落を進む6人。
途中家の中や田んぼを確認するが人の姿はない。
「やっぱりゴブリンでしょうかぁ?」
「どうかしら。先月はここで収穫作業行っていたんでしょ。ゴブリンは拠点を定めて住み着くから、襲われるならもっと前に襲われていると思うけどね」
「ジゼルの言う通りだ、ミシェル。見てみろ、家の中は荒らされた形跡がない。ゴブリンなら中は必ず物色するはずだ」
「つまり、別のモンスターってことっすね」
「そうなるな……ん? あれは」
周囲を確認しながら歩く一行の目に入ったそれは、ボロボロに破壊された二輪の荷車リアカーであった。
ここに来た者が使っていたのだろう。
周囲には積み込んでいたと思われる藁が散乱しており、さらに――
「血……だなこりゃ」
藁に付着した赤黒いソレに触れコジモが言った。
藁には大量の赤黒い物――血が飛び散っている。
それが何の血であるかは考えるまでもないだろう。
「この荷車もそうとう強い力で壊されていますね。見てください、鉄製の金具がひしゃげていますよ」
「この木の板についてるのは爪痕ね」
「ふむ。どうやら獣型のモンスターのようだね。餌を求めて移動してきたかな」
ジャンとジゼルがリアカーを調べる横でカレルは顎に手を当て考える。
秋のこの時期は餌の豊富な時期ではあるが、動物型のモンスターには通常の動物と同じく冬眠に向け食いだめをする種がいる。
そう言った種が餌を求めて山々を放浪しているのかもしれない。
(まあそうでなくても、危険なことに変わりはないが)
「あらぁ? この血……向こうに続いていますわ」
周囲を確認していたミシェルがそう言って道の先を指さす。
リアカーの周辺に飛び散っていた血は、少し離れた先から道に点々と跡を残していた。
血の付いた藁が風にでも飛ばされたせいだろうか。
「――行くぞ」
表情を引きしめコジモがそう言うと、皆一様に真剣な表情でうなずき返す。
血の跡を追い道を進むと、300mほど進んだところに通常の家とは違う作りの建物があった。
この集落にある寺である。
血の跡はその境内そしてお堂へと続いていた。
「中に居るな」
「ああ。気配を感じるね」
ベテラン2人の言葉に、4人の新米は互いに顔を見合わせ頷く。
冒険者として出発して1年と半年。日本で活動して半年。モンスターとの戦闘は何度か経験してきており、自分たちがどうすべきか心得ている。
それぞれの手に位置取りを始める。
(分かってきやがったな)
言わずとも自ら動く新米の姿に成長を感じ何とも言えない感慨がコジモに沸いてくる。
隣を見ればカレルも同感なのだろう。嬉しそうな表情だ。
「よし。いつも通り先頭は俺とジャンにミシェル。ジゼルはカレルと後衛に。それからラファエル! 今度矢が霞めたら拳骨じゃすまないと思えよ!」
自らの得物であるハルバートを構えながら先頭に立つジゼルの言葉に、弓に矢をつがえたラファエルが「げ~」とゲンナリした声を上げる。
「大丈夫だよ。落ち着いて狙えば」
「カレルさんはラフィに甘すぎです!」
今の言葉が調子に乗る癖のあるラファエルへの釘刺しだと理解しているカレルのフォローにジゼルが顔をしかめる。
参ったねと言いながら、カレルはバスタードソードを手にするとロングソードを構えお堂を見据えるジゼルの隣に並んだ。
「よし、準備はいいな」
「はい!」
「大丈夫ですぅ」
優男な彼に似合わぬ戦鎚を手にしたジャンと、2mほどのショートスピアーを構えるミシェルが返事を返す。
準備が整ったことを確認したコジモは、足元から適当な大きさの石を拾うと狙いをお堂に定める。
木製の段の奥。お堂の戸は開け放たれているが暗く中は見えない。
が、今のコジモたちの声に反応したのだろう、中にいる何かが動く気配がする。
「いくぞ!」
そう叫んだコジモが石を投げ込むと、雄叫びと共に1匹の獣が飛び出してきた。
体長3mほどもあるそのモンスターは、一見ネコ科の動物のような顔つきをしているがよくよく体格を見ると犬や狼に近い。
全身を黒と白の毛に覆われ、鋭く光る牙と爪をむき出し駆けてくる。
「チッ、グーロか!」
ハルバートでその動きを牽制しながらコジモが舌打ちする。
このモンスターは神霊力や体格から一応小型モンスターとして扱われているが、実質的な危険度でいうなら中型モンスターと大差ない。
倒せない相手ではないが、新米4人を守りながらだと危ないかもしれない。
(って、何を考えてるんだ俺は)
と、そこで自分の考えのバカバカしさに気づく。
すっかり4人の師匠気取りになっていたが本来は対等な冒険者なのだ。護ってやるなどおこがましい。
それにどうせいつかはこういったモンスターとも戦わなければいけなかったのだ。これで死ぬならそれまでである。
「お前ら! 自分で自分のやるべきことを考えて戦え! 俺からの指示はなしだ!」
その言葉に4人は一瞬驚いた表情を見せるが、すぐに気持ちを切り替え行動に移る。
彼らの様子に満足を覚えながら、コジモはグーロとの戦いに意識を集中させた。
1時間の激闘の末にグーロを倒した彼らは、グーロが巣にしていたお堂の中から哀れな犠牲者の痕跡を発見することとなる。
報告を受けた安芸大田町では、遺族の悲しむ姿が見られたが、モンスターの住む今の中国地方では決して珍しい風景ではない。
モンスターを排除してくれたことへの礼を受けつつ、一行は彦島への帰路につく。
こうして彼らは無事クエストを終えた。
次回か次々回辺りから再び動きがあります。
2章終わりに向けての動きと日本の状況に関して。
また、閑話の過去編の頻度を少し上げる予定。
本編の展開に合わせて過去の話を進めないといけないと思いまして。




