第39話 気づかないこと クエスト『男爵の求める華』5
クロードと観鈴が九州へと渡って3日目。
近くにある町立図書館で借りた本を見ながら、2人は園芸店からの連絡を待っていた。
借りてきた本は植物図鑑や園芸の本である。
観鈴にとって久々に訪れた図書館は、転移後の出版状況や自治体の財政状況を色濃く反映させていた。
この10年で何度も借りられたであろう本は、何か所も修理の跡があり、新しく買い直す余裕もないことが見て取れる。
或いは在庫がないのか、出版社が既に倒産してしまっているのか。
そんな図書館であるが、大陸の人間であるクロードにとっては目を見張る物であった。
これだけの本が収取され、しかも無料で貸し出されているというのだから無理もない。
その本も、どれも綺麗な表装が施され無数の精巧な絵――写真が載せてあるのだ。その上様々な色が惜しげもなく使われている。
活版印刷技術が発明され既に100年以上が経つが、このような美本はきっと大陸でも高額な値がつくだろう。
クロードの知らぬことであるが、事実日本の出版物の一部は大陸へと輸出され愛本家の間で高額で取引されている。もちろん、不用意に技術が漏れないように日本側のチェックを通り抜けたものだけであるが。
日本語の分からないクロードであったが、図鑑などは字が読めなくても問題がない。
朝食を取った2人は、大陸に無い種を調べるため朝から本を読み続けているのだった。
「胸が痛いの?」
ふと、居間の机でクロード向かい合い借りてきた本を読んでいた観鈴が顔を上げると、クロードが何やら顔をしかめ胸を押さえていた。
「いや……胸焼けがする」
そう言いながら自分の胸を擦るクロードに観鈴は首をかしげる。
ここしばらく観鈴はクロードと共に食事をしている。そんなに変な物を食べた記憶はないのであるが、と思ったのだ。
そんな観鈴の考えを見抜いたのだろう。
「どうも日本に来てからな……」
日本の食事が合わないようだと言った。
その言葉に、観鈴は更に首をかしげることとなる。
日本に来て5日。クロードの食べた料理はだいたい覚えているがどうも腑に落ちない。
この間に食べた料理はそこまで日本独特の料理ばかりというわけでもない。
例えば彦島でクロードが食べていた焼き飯とから揚げ。米を食べる習慣は大陸では主流ではないが珍しいというほど奇異な物ではなく、香辛料で味付けをしながら炒める米はよくある部類の料理だ。
から揚げも同じ料理はないが、鶏肉を揚げた料理はそこかしこにある。
日本に渡ってからも、実は密かに食には注意をしていた。揚げ物炒め物ばかりでは悪かろうと、小倉で食べた料理はパスタとサラダ。実家に来る前に取った食事はオムライスだった。一昨日の夜は盛り鉢で色々な料理があったが、クロードは観鈴の叔父と酒ばかり飲んでいてあまりたべていない。
その後食べた物は今朝のパン食を覗けば純和風のメニューばかりだった。
ジャンクフードは避けていたし、化学調味料の類は観鈴の感じた限りあまり使われていなかったはずだ。合わなかったとしたら、やはり日本の味付けその物であろうか。
「いや、味付けその物は問題ない。日本の味に近い料理は大陸の西部にある」
しかしクロードは観鈴の言葉にそう返す。
そうなるともう理由が思い浮かばない。
「まあ、昼は素麺にでもしてもらおうか……取りあえず胃薬でも飲んでおく?」
「薬か。もったいないな」
その言葉に一瞬キョトンとした表情をした観鈴だったが、すぐに納得顔になる。
「大丈夫よ。日本のこの手の薬は大陸みたいに高価じゃないから。待っていて、もらってくるから」
そう言って居間を出て行く観鈴の後姿を見ながらクロードは、この本といい薬といいこの国は一体どうなっているのだと考え込むのだった。
『おそらく、味が濃すぎたのでしょうね』
その日の午後、連絡を受け再び園芸店を尋ねた2人を出迎えた店長は、顔色の悪いクロードの様子に理由を尋ねると、観鈴の説明に対してそう答えた。
ちなみに今日は先日の事務室ではなく、商品が並ぶ店内だ。すぐにでも物を見せることができるようにという配慮だろう。
『濃すぎる?』
『私も同業者に色々話を聞いて調べたんですが、大陸の品種改良は地球ほど進んでいないようです』
店長の推測はこうだ。
現在日本で食べられている様々な食品、つまり野菜や肉は地球で長い間品種改良を続けられた成果である。
その味は原種や品種改良がそこまで進んでいない種に比べれば格段に人の口に合い、また味も濃い。
それだけでも大陸の物とは差があるのに、味付けの技術や使われている調味料も同じ種類でもだいぶん差がある筈だという。
きっとそれが積み重なって胸焼けを起こしたのだろうというのだ。
『こういうことには個人差もありますから、オベールさんは味に敏感だったのでしょう』
『そう言えば、さっき食べた素麺もつゆをかなり薄めていたわね』
店長の話に、昼に食べた素麺を思い出す。
『素麺ですか。まだ暑い日もありますから良いですね』
『でも大変でしたよ。お箸使えないからフォークで食べたり。それにほら、素麺って色つきの麺がありますよね? 「これは何だ!?」って』
『あれは確か彩り用でしたか。昔は冷麦と区別するための物でしたが、白い素麺に色つきの麺があると映えますから』
『へ~豆知識ですね』
「……ゴホン!」
クロードそっちのけで話に盛り上がる2人に、たまりかねたクロードがわざとらしく咳払いをする。
あっ、と気づいた2人は日本語が分からないクロードが話に入れずにいることに気づき、観鈴はばつが悪そうに、店長は慌ててクロードへと頭を下げた。
『えっと、では昨日の件ですが』
『ええ、お願いします』
『名前の分からなかった物については、大方調べがつきました。ただ、どうも日本というより地球にはなかった種もあるようですが』
出来れば実物を見てみたいものです、と言いながら店長はカタログを取り出し2人に差し出す。
『こちらのカタログに印をつけておきました。どれも、目録にはない園芸植物です。赤い付箋は私どもですぐにでも用意できる物。黄色い付箋は今の時期は手に入らない物。青い付箋はお時間をいただければ用意できるものです』
観鈴の通訳を受け、差し出されたカタログを開いてみると、いくつかの園芸植物の載ったページに、店長が言った通りに小さな紙が貼りつけられていた。
しかし、カタログの分厚さの割に付箋の数が少ない。
「思ったより数が少ないな……」
『意外と数がありませんがどうしてなのですか?』
『私の方で、目録にあった植物との兼ね合いをみてみました。後は屋外で育てることの出来る種や、入手不可能な種類もかなりあります』
『なるほど……』
その話を通訳しつつ、クロードの横から彼がめくるページを一緒に覗き込む。
パッと見たところではやはり日本固有の種や地球の東アジア原産種が多い。
フジ、ツバキ、エビネ、アジサイ、サクラ、意外なところでスギやヒノキなどの名が枠外に手書きでくわえられている。もちろん、そうでない物もあるのだが。
『実は、昨日同業者に連絡して知ったのですが。どうやらオベールさんの同業者の方も、同じように日本で園芸植物をお探しの様です』
『え!?』
驚く観鈴に何事かとクロードが問いかけると、観鈴は今の話を通訳して伝える。
「なるほど。日本に渡った冒険者の情報は聞いていたが、まさか同じクエストの奴もいたのか」
「考えることは同じってわけね」
「しかしまずいな。そいつらは俺と違いって早くから日本に目をつけていたはずだ。何を探していたのか……」
『その冒険者が何を選んだのか分かりますか?』
『ええ。バラだそうです』
『え? バラですか』
観鈴とその言葉を通訳されたクロードはそろって不審げな顔をした。
なぜならば男爵家からの目録にバラはあるからだ。
既知の物でも構わないとは言われているが、屋敷にある物はダメだという条件をその冒険者は忘れているのだろうか。
『冒険者が選んだのはモダンローズ。それも黄色のバラです』
『黄色の?』
『ええ。モダンローズはバラの原種であるオールドローズ、いわゆるつるバラから品種改良された物です。花屋などでよく見るのはこっちですね。その中でも黄色は更に品種改良されて出来た種です』
正確にではないがあまり細かいことを言っても仕方ないと思ったのだろう。店長は大まかに概要だけを説明した。
『男爵がバラ好きでしたら、そこいらのちょっと珍しい物をもっていくより、こういう物の方がインパクトがあるかもしれませんね』
『インパクトか……』
確かに、全く知らない物もインパクトがあるだろうが、知識がある分だけかえってこういう物の方が受けも良いかもしれない。
せっかく情報を手に入れたのだからこれを活かして出し抜きたいところだが――そう考えながらクロードはカタログに再び目を通す。
冒険者として色々回っているクロードだから、その際に珍しい植物を目にする機会は度々ある。園芸に興味がないクロードから見ても、ここに店長が上げてくれている種はどれもその珍しい植物と比較して遜色ないものであろう。
これらを持っていくだけでも十分に報酬はもらえるはずだ。
(だが、せっかくなら他をあっと言わせる物を持っていきたい)
その程度の功名心はクロードも持ち合わせている。
何かないか? そう考えながら顔を上げたクロードの目にある物が飛び込んだ。
「……そうか」
「どうしたの?」
クロードの呟きに観鈴が反応した。
「奇策には奇策ということだ」
いつもの様に表情を変えることもなくそう言ったクロードは、観鈴に自分の考えを説明し始めた。
それからしばらく後。
大陸へと戻ったクロードは、観鈴を連れてバム公国のプレア男爵領にある男爵の屋敷にいた。
1年前と同じく、屋敷には大勢の冒険者が詰めかけている。
人数が以前より多いが、おそらく観鈴と同じようにクエストの協力した者たちが同行しているのだろう。
観鈴の他に2人ほど日本人もいた。
やがて、プレア男爵が執事を連れ広間へと現れた。
相変わらず肥えた肉体を震わせながら咳払いをしつつ、男爵は口を開く。
「久しいな諸君。オッホン。では、さっそく諸君の、オッホン! 成果を見せてもらおうか」
そう言って椅子に座りこんだ男爵の後を受け、執事が口を開く。
「では、最初の方からお願いいたします」
冒険者たちによるクエスト成果の披露が始まった。
さすがにどの冒険者たちも色々と考えてクエストをこなしてきたようだ。少なくとも最初に男爵家側から出された条件に抵触するような者は1人たりともいなかった。
また、ほぼすべての冒険者が現物を用意してきている。
情報だけでも構わないということであるが、やはり物があるとないのでは印象が違う。
とは言え季節は秋。なかなか生きた植物を持参するのは難しく、特に生花を用意するのは非常に難しい。そういった物はドライフラワーや、或いは神霊術により特殊な処理をした花などを持参している。
自分の番がきた冒険者は、口上の限りをつくして用意した品がどれだけ珍しく素晴らしいかをプレア男爵に説明していく。
紹介される珍しい木や花に男爵は非常に満足げだ。
「うわ……名前違うけどツバキだわ」
「知らないだけで大陸にもあったというわけだ」
他の冒険者たちの品々を見つつ、クロードと観鈴は小声で話し合っていた。
今の冒険者が出してきたのは、ツバキの鉢植えであった。大陸西部の山にあるという木で、大陸では別の名で呼ばれている。
この分では、日本固有種と思っていたが実は大陸にも存在するという物はまだあるのかもしれない。
とはいえ、日本でしか手に入らない物は確かにあるはずだ。
例えば――
「こちらは、私どもがかの日本で手に入れた世にも珍しき花。『ゲッカビジン』でございます」
その言葉と共に男爵の前の台に差し出されたのは1つの鉢であった。
大きな葉を付けた植物であるが、肝心の花はどこにもない。
「花がございませんが?」
「そこがこのゲッカビジンの特徴なのです」
執事の言葉に、その冒険者は待っていましたとばかりに笑みを浮かべ説明を始める。
「この花は、1年に1度だけ月明かりの下でのみ花を咲かせるのです」
「ほほう!」
「なるほど」
「絵で確認いたしましたが、白いそれは美しい花でございます。想像してみてください。暗闇の中、月明かりに照らし出される白い花の姿を」
「……」
その言葉に、男爵は思わず目を瞑りその場面を想像する。
うまいやり方だった。実際に咲く花がどんなものかは分からないが、人間の想像力は時に本物を超える。
そこに判断を任せようというのだろう。
「花を咲かす時期は夏から秋の終わりにかけて、まだ開花はしておりませんのでこの秋の内にはご覧いただけるかと」
「オッホン! 素晴らしい、いや、ゴホン、これは楽しみだ」
男爵の言葉に確かな手ごたえを感じつつ、その冒険者は深く頭を下げ自分の席へと下がった。
「では次は、オベール殿。前へ」
いよいよクロードの番である。
ドキドキしながら見守る観鈴を残し、クロードは用意していた物を手に席を立った。
クロードが手にしているのは、布をかぶせ中が分からないようした鉢であった。
その様子を見た冒険者たちは、見せる直前まで姿を隠すことで、披露時の印象をより強いものにする小細工だと思った。
(その通りだ。だが)
前に進み出たクロードは男爵の前に置かれた台に鉢を――置かずに素通りし、窓の方へと向かう。
「オベール殿! 何をされているのですかな?」
「失礼。私の品はこちらで披露したい」
「勝手な真似は」
「まあよい。ゴホン! 好きにさせよ」
男爵がそう言った以上、執事に異論など唱えようがない。
認められたクロードは、その鉢を広間の広い窓の前に置いた。
ガラスのはめ込まれた窓の外を見ると、そこには男爵自慢の庭の姿あった。
しかし冬の近いこの時期、花の1輪もなく夏には青々としている草も全て枯れている。
庭は彩なく物悲しさが満ちていた。
クロードは園芸に興味がなかったため日本で初めて知ったのだが、バラは種類によってはこの時期に咲く種もあるという。1年前の曖昧な記憶ではバラが咲いていたか覚えていなかったため、それだけが懸念材料であった。
「では」
条件が整ったことを確認したクロードは、鉢にかかる布を取り払った。
「おおお!」
――そこに紅い華が咲いた。
「これは……木か」
窓辺に置かれた鉢――盆栽を目にして男爵が言った。
それはただの木であった。深く紅い特徴的な葉を付けた木である。
「モミジ、と申します。日本で手に入れてまいりました。この季節、この様に葉を真っ赤に染める木です」
「ゴホン!……モミジ」
男爵は食い入るように、窓辺に置かれたモミジの盆栽を見入っている。
葉を紅葉させる木々は大陸にもある。しかしここまで見事に紅くそまる木は滅多にない。
しかしそれでも、単にこれを見せられただけであればこうは引きつけられないだろう。
この寂しい秋の庭を背景にするからこそ、よりいっそう引き立つのだ。
「なるほど……オッホン! こういう美しさもあるか」
今まで色鮮やかな花や珍しい草ばかり集めていた男爵には新鮮な体験であった。
大陸すべての園芸家が、秋の紅葉の美しさを知らぬわけではないだろう。だが、少なくともこの男爵はそれを知らない。
1年前の庭を目にしていたクロードはそこに賭けたのである。
あの時、日本の園芸店で盆栽に引っかかったのは、脳裏に男爵邸の庭を浮かべながら見ていた時にちょうどそれが重なったからであった。だがその時点ではまだアイデアは形になっていなかった。
切っ掛けは、観鈴の家で食べた素麺である。
白い素麺の中に色つきの素麺を入れることで彩を作る。それが着想となりこれに繋がったのだ。
(男爵がこれにどう反応するかは本当に賭けだったが……)
(店長さんは、これだけの園芸家なら理解してくれるって言ってくれたけど。正直怖かったわ)
見ていた観鈴もホッと胸をなでおろす。
男爵の反応を見れば相当に好評のようだ。これならば報酬は――そんな想いが浮かぶ。
「以上です」
いまだ庭を背景にモミジを見続ける男爵に一礼し、クロードは席へと下がった。
残るはあと1組である。
(あいつらが、例のバラを手に入れた冒険者か)
席へと戻りながら、クロードは最後の冒険者たちを見た。
彼らも同じく、覆いで隠した何かを手に順番を待っている。隠す意図はクロードと同じであろう。
クロードが席に戻ると、ニッと笑みを浮かべた観鈴が出迎える。
いつもの様に表情を変えずクロードが席に座ると、最後の冒険者が執事に呼ばれた。
「俺たちが用意したのは、これです」
その若い冒険者がそう言って布をはぐると、中は予想通り黄色いバラであった。
「これは珍しい」
「さようですな」
男爵の反応は悪くない。が、それだけだ。
冒険者がバラに関する説明を始めると興味深そうに聞いているが、先ほどのモミジの時ほどの反応は見られない。
「――という品です」
「オッホン。なるほど、品種改良の物か。おい」
「はっ。では、ご苦労さまでした。席へとお戻りください」
執事が冒険者にそう促すが、その若い冒険者は動こうとしなかった。
「どうかされましかた?」
「はい。実は、もう1つこのバラに併せて収めていただきたいものがあります」
そう言って彼は、懐から取り出したそれを執事へと手渡した。
ニウリ川に面する川港町カンエル。
大鷹観鈴は久々の帰国と、大陸南部への旅を経て実に半年以上振りにここに戻ってきた。
その間、家の手入れは同僚に頼んであったため掃除は行き届いていた。
「本当に日本に帰らなくて良かったのか?」
「まあ、実家といっても両親もいないからね。大陸での生活も性に合ってるし」
「なら、日本人の多いタンゲランでもいいんじゃないか?」
その言葉に観鈴は少しだけ寂しそうな顔をして見せる。
「頑張っている同郷人を見ながら生活するのはキツイのよ。それに、娼婦なんかやってたって変な目で見られるのも嫌だし」
「そうか」
彼女がそう言うのであればクロードもこれ以上何かいう気はない。
しょせんはクエストの協力者でしかないのだから、あまり深入りする気はクロードにはなかった。
「ではこれが約束の報酬だ。特別報酬の分は少し割増しておいてやった」
「あら? 最後の最後で良いのかしら?」
「どう考えてもお前の役割が大きかったからな」
そう言いながらクロードは皮袋に入った金貨を手渡す。
袋を受け取りながら観鈴は頭を悩ます。
「さって、どうしようかしら。こんな大金持ってると物騒よね」
「そこまでは面倒を見きれない。自分で考えろ」
「そうするわ。しかし惜しかったわね。最後の最後であんな隠し玉出してくるなんて……ちょっと卑怯だと思うけど」
数週間前のプレア男爵家でのことを思い出しながら観鈴が言った。
「卑怯もなにもない」
「そう言っている割には悔しそうなのは気のせいかしら?」
相変わらず顔色を変えないクロードだが、観鈴はそう笑いながら言ってみる。
「品種改良方法の手引書かぁ……合わせ技って感じよね」
「実例を見せた上だからな。園芸家にはたまらなかったのだろう」
あのバラを持ってきた冒険者が、それと共に出したのが日本で手にしたバラの品種改良に関する情報であった。
彼らは日本で珍しいバラを探す過程において、バラの品種改良技術そのものに目を付けたのだ。
園芸家にとって自ら新種を生み出すと言う喜びは大きい。
そこで賭けに出――そして見事男爵の気を引いたのだった。
これが技術情報だけならばインパクトはそこまで大きくない上に、クエストの条件に合っていない。
しかし、実際にこの大陸にはない品種改良による新種を見せることで、インパクトを大きくしつつ条件を満たしたのである。
「品種改良に関しては話を聞いていたのに、見過ごしたのは俺のミスだ」
「まあ裏ワザみたいなものだしね。やっぱり正攻法じゃないわよ」
「……若いだけ柔軟な発想ができたのだろう」
そう言いながら、クロードは荷物を手に立ち上がった。
「もう行くの?」
「ああ。南へ帰るつもりだ」
「ふーん……日本は相変わらず人気みたいだけの、また行く気はないのかしら?」
「臭いからな。もう行きたくない」
そう言いながらも、言葉ほど嫌そうな気配はない。
おそらく軽口の類だと観鈴は判断した。
「それにだ。冒険者だからといって、誰もかれもが日本へ行きたがっているわけじゃない。まあだが、今回の件で知り合いも出来たからな。何かあればまた行くこともあるだろう」
じゃあな、といってクロードは家を出ようとしたところで足を止める。
「そう言えば……1つ忘れていたがここに来て思い出した」
「なに?」
「お前。病気はどうだったんだ?」
その言葉に思わず観鈴は吹き出してしまった。
確かにこの部屋でそんな話をした覚えはある。
実際に、日本に帰国したさいはせっかくだからと病院にも行ってきた。
しかしあの話をまだ覚えていたということは、それだけ気になっていたのだろうか。
「そうね……それをあなたにいう理由はあるかしら?」
「さすがにあるだろ」
半分本気なのか目を細め睨むような顔をする。
「まあまたその内来てよ。働いていたら、大丈夫だったってことだから」
「そう言う言い方なら問題なかったということだろうが」
最後に、少しだけ口元に笑みを浮かべクロードは今度こそ扉の向こうへと去って行った。
「随分あっさりした別れね」
半年以上一緒にいたというのに、未練もなく去って行ったクロードにそんな感想を抱く。
とは言え結局2人は仕事の協力者という関係でしかなかったのだ。
考えてみれば実家にまで連れて行きながら、自分の境遇や過去は何1つクロードには話していない。
そして、クロードのこれまでの人生についてなど何1つ聞いてもいないことに気づく。
「……」
しばらくクロードの去った後を見ていた観鈴だったが、やがて溜息1つつき立ち上がる。
「さて、お土産配って……お金はやっぱり銀行かしらね。小口って受け付けてくれるのかしら」
明日からはまた日常が始める。
所詮冒険者とのことなど非日常の中の出来事だ。考え過ぎても仕方ない。
そう思い、観鈴は荷ほどきを始めた。
クエスト『男爵の求める華』終了です。
観鈴の過去をあえて書いていないのは作中で触れていますが、クロードとはその程度の関係だからです。
冒険者がクエストに関わった相手の過去にそこまで踏み込んだり、逆に踏み込ませたりしないよ、ということ。
とは言えメタ視点的には知りたいという方もいるでしょうから、前に書いた通り閑話で触れるかもしれません。
36話後書きで書いたミスはごまかしました。
何をミスしていたかは活動報告に書いています。
次回は閑話の予定。




