第34話 あの日の日本
「ふむ……今のところはこんなところか」
手にした報告書から顔を上げたフェルナンドは、そう呟いた。
その言葉にはいささか落胆の色がある。
「お気に召しませんでしたか?」
「いや……調査から戻ってきたパーティーはまだ2~3組なのじゃろう?」
「ええ。正確には、先ほど4組目が戻ってきましたが報告はまだ上がってきていません」
「なに? そちらの報告書は――」
「まとまり次第お見せしますよ」
冒険者ギルド日本支部長クレメンテ・シンパン・アルカラスは、その苛立ちを笑顔の裏に押しこめそう答えた。
クレメンテにとって、このフェルナンド・パパル・コルテスという老人は実に扱いに困る人物であった。
元はブリタールという町にある知恵の神の神殿で神官を務めていた人物であるが、ここでの立場は単なる冒険者だ。この人物が好ましからざる人物だというわけではない。性質は善良であるし、不快な行動を取るわけでもない。
しかし、この冒険者ギルド日本支部の開設に関わる経緯が彼の立場を複雑なものにしていた。
日本にギルド設置を認めさせたのは、とある冒険者パーティーであるというのが一応の見解である。フェルナンドはその時、彼らが請け負ったクエストの同行人という立場だ。
しかしながら、彼の存在が――或いは彼の神霊術が、日本側がギルド設置を認めた直接の理由だとも言われている。そして彼もそれを否定しようとはしなかった。
実際にクエストを行った3人の冒険者たちが自らの功績を誇っていれば事態はもう少し違ったのだが、3人中2人はクエスト後冒険者稼業を休止し姿を消し、残る1人も自分は何もしていないと周囲には一貫して主張している。
結果、ただ一人噂される功績を否定しないフェルナンドの名は高まるばかりであった。
そんな彼が冒険者としてギルドに登録してきた際は、わざわざ方面支部長であるフリダが彼を迎え出たほどである。
立場的には駆け出しの冒険者であるはずの彼だが、実際の扱いはベテラン冒険者と同格というギルド内では異例の扱いだ。
(それだけなら前例がないわけじゃない……)
再び報告書を読み返すフェルナンドを見ながら、クレメンテは心の内で呟く。
新規に冒険者となった者が、前歴を加味した扱いを受けることは過去にも例はある。それだけならクレメンテもここまで彼の扱いに悩みはしない。
最初に日本に訪れた際に、この地の神殿と交遊を結んでいたフェルナンドは、その伝手によりギルド開設前から日本へと再入国を果たしていた。
更には日本駐在する各国大使にも、知恵の神の神官という肩書を使い関係を持つと、それを後ろ盾に自分の立ち位置を盤石な物としている。
彼と関係を持つのは大陸側の者だけではない。
神霊術により日本語を完璧に操り、その向学心から既にある程度の日本の事情を学び理解し、各国大使やギルドとも関係を持ち、その上余計な背後関係の無い彼は日本側にも重宝される存在らしい。
政府や自衛隊からの接触もあるということだ。
日本の軍隊の女軍人と何度か話している姿をクレメンテやギルド事務員も目にしている。
このような経緯から、この老人をどう扱うべきかクレメンテは頭を悩ませていた。
(腹立たしいのは自分のわがままが許される範囲を完全に弁えているところだ。弁えた上で、全力で好き勝手やってくれる……一体何が目的なのだ)
冒険者になりながらも、やっていることは色々な所に顔を出したり、こうしてギルドに現れてはギルドに入った情報を真っ先に求めたりだ。
「ところでコルテス老。そろそろ、クエストを受けられてみてはいかがですか? たしか、まだ冒険者になられて1度もクエストを受けられていないはず。今なら手ごろなクエストがありますし、不安でしたらどこか適当なパーティーを紹介しますが?」
扱いに困るのなら手元から遠くにやってしまえばいい。
そんな考えからの提案だが、冒険者ギルドの人間として間違ったことを言っているわけではない。
あくまでギルドからのありきたりな提案だという態を装いながら言ってみる。
「……」
「コルテス老?」
クレメンテの言葉に、再び報告書から顔を上げたフェルナンドだが何か考え込んでいるらしく、その眉間には深い皺が寄っていた。
「まだ……足りぬ」
「足りない、とは?」
フェルナンドは手にした報告書の束をテーブルに置くと、クレメンテを正面から見据え語り始めた。
「アルカラス支部長。支部長は私が何をしているか知っておられるかな?」
「さぁ……存じ上げません」
つい先ほど自分が抱いた疑問を見透かされたようで、ドキリと心臓が大きく脈打つが、どうにか顔に出さずに誤魔化しきる。
「わしは日本に再び戻ってから、様々な組織や人物と既知を得て交友を結んできたが、すべてはこの国で確実な情報を得ることが出来る様にするためじゃ」
「情報ですか……」
「特に欲しいのは、日本政府が、そして自衛隊が持っておるこの国に侵入したモンスターに関する情報じゃな」
「……!」
その答えに、クレメンテはハッとすると共に表情を引き締める。
彼もこの日本支部という重要な支部を任されるだけの人物だ。
そんな彼の直感が、この老人の話は冒険者ギルドにとっても重要な話であると告げている。
「支部長もご存じだろうが、この国が転移してきて11年。その際、この国の北の島はあの地に繋がってしまった」
「極北のモンスターアイランド、影の土地、雪菓子の島――あの場所ですか」
「うむ。日本はあの地より押し寄せたモンスターによって土地を追われ、今の生活圏へと逼塞する羽目になっておる。その経緯はどの程度知っておるかな?」
「あいにく、詳しくは」
フェルナンドの問いにクレメンテは首を振って答える。
先々は知る必要も出てくるだろうが、今のところ日本支部の体制を整えるのに精いっぱいでそこまで手が回らない。
そうでなくとも、転移後から今の状態に至るまでの日本に関する情報はあまり出回っていないのだ。
「そうか……ならば、わしが知りえたことを簡単に話そう」
「実はモンスターの侵攻は数回起こっておる。最初にして最大の侵攻は、転移後半年ほど経った頃。北の地からあふれ出たモンスターは、海底を繋ぐトンネルを抜け日本本土へとなだれ込んだ。日本も全力でこれに応戦したが、やがて海を越えた大型モンスターの襲撃を受け防衛線が崩壊し北東の地から東にあった都まで蹂躙されることとなる」
「大型モンスターですか。一体どんな種がいたのでしょうか?」
「日本側の記録を調べた限りでは、ベヒモス、スフィンクス、ロック鳥、サンダーバード、スキュラ、巨人種、竜種。海洋ではシーサーペントが確認されておる。他には、異常に巨大なキメラ種や狼、象などわしも知らぬ種がいたようだな」
フェルナンドの説明にクレメンテは言葉を失う。
どこ種も大型の中でも名だたるモンスターばかりではないか。それ1体ですらまともには戦えないというのに、これだけそろいもそろって現れてよくぞ国が亡びなかったなとの感想を抱く。
「だが恐るべきは日本。なんと、この内数体を仕留めておる。無論、大型の中での比較的弱い種ばかりだが、それでもあのシーサーペントを討ち果たことは感嘆するしかない」
「シーサーペントを!?」
シーサーペントは巨大な海蛇である。種としては竜に及ばないとはいえ、海という生息域の関係上いざ戦うとなると竜以上に苦戦させられるモンスターだ。
事実、竜を討ち果たした記録はあるがシーサーペントを討ったという記録はない。
「だが結局は大火に小水じゃな。大型モンスターとの戦いで戦力を大幅に失い、押し寄せたモンスターたちに逃げ遅れた人々は襲われた。こうして、モンスターどもが都のあった平野を蹂躙し最初の侵攻は終わる。第2の侵攻は続けて起こった。モンスターの一部が逃げる人々を追って西へ侵攻したのじゃ。この際は、大型モンスターが動かなかったことと、残る戦力を集中したおかげで、西へと向かう街道の途中で防ぐことに成功する」
東北防衛戦、首都撤退戦、そして東海道防衛戦。
フェルナンドの言葉をクレメンテはただジッと聞き続ける。
一体どんな戦をすれば、こんなモンスターの侵攻など防げるというのだろうか。
「ここでモンスターの動きは1年ほど止まる。じゃが、転移からこのかた数千万人を失い、生活圏を追われた日本人を今度は疫病が襲った。日本の医学は凄まじく発展しておるが、状況が悪い。疫病は避難していた人々へあっという間に広まった。それでも、疫病の薬を作り上げたのだが、そこで起きたのが3度目のモンスター侵攻じゃ」
ようやくワクチンが完成し、多数の死者を出した疫病が収束に向かったところへ、生息圏を拡大していたモンスターが北から襲い掛かる。
主力を東海道に張り付けていた自衛隊は近畿圏への中・小型モンスターの侵入を許してしまい、人々は更に西へと逃げる羽目になる。
燃料物資不足がたたり満足な機動力と戦力を維持できない自衛隊に、政府は近畿圏の放棄と自衛隊の中国地方までの撤退を決定。
自衛隊主力は無事な民間人を保護しつつ、中国地方まで戦線を縮小することとなった。
「最初の侵攻以降、不思議と大型モンスターの動きはなかったようじゃ。おかげで、戦線を下げ戦力を集中できた自衛隊は、4度目の侵攻を防ぎきりこの中国地方を守り切った。まあ、小規模集団の侵入は止めきれずに中国地方の各地は小型モンスターが生息してしまっておるがな」
最後の点については、冒険者ギルドへこの国からもたされた情報によりクレメンテも知っている。現在冒険者からもたらされた報告でも、中型以上のモンスターを見かけたという知らせはない。
「今わしが知りたいのはこの時のモンスターたちの動きについてじゃ。支部長も、この話を聞いておかしいと思ったじゃろう?」
「ええ……」
「――モンスターが一斉に行動し、ここまで執拗に人間を狙うなど聞いたことがない」
フェルナンドの眼光が鋭くなる。
「モンスターはゴブリンなど一部に積極的に人間の生活圏を脅かす物はおるが、基本的には獣と変わらぬ。理由なく人を襲うことはない。ましてや、これほど多くの種類のモンスターが一斉に行動するなど前例のないことじゃ」
「なぜなんでしょうか?」
「それをわしは知りたいと言っておろう、支部長よ。あの地のモンスターが特別なのか、それともモンスターがこの様な行動を取る理由が日本にあったのか――」
そう言いながらフェルナンドは自らの思索に入り込んでしまった。
そんな彼の様子を見ながら、クレメンテもまた考え込む。
今の話の通りであるならば、この島国では東へ移動すればするほどその危険性は飛躍的に高くなる。
今は中国地方に活動範囲を限定させている冒険者だが、今後は徐々にその活動地域を広げていく予定なのだ。より慎重に情報を集めて行かなければいけんだろうと考えていた。
(とはいえ、我々は冒険者を支配しているわけではない。冒険者が東へいくことを止めることはできない)
冒険者ギルドはあくまでサポートのための組織だ。所属する冒険者にペナルティを科し或いは報奨を与えることで間接的に操ることは出来るが、彼らが行くと言った時強制的に止めることはできない。
となれば、早急に東の状況を把握していかなければいけないだろう。
(そのためにも、この地方の把握を急がなければ)
と、そこでフェルナンドが最初に言っていた言葉を思い出す。
「コルテス老。先ほどおっしゃられていた「足りぬ」とは結局何が足りぬのでしょうか?」
「情報も、時間もすべてが足りぬが――さしあたってはこの地の情報じゃな。この中国地方のモンスターの生態を把握出来れば、東のモンスターについても何か推察できるであろうと思っておる」
「なるほど」
「わしは、その情報を得た上で実際に確認する必要がある場所を訪れ調査するつもりなのじゃ」
「確かに、すべてを見て回るのは不可能……」
フェルナンドが冒険者となった理由がクレメンテにはようやく分かった。
彼はこの日本での行動の自由を得るためと、一番モンスターに関する情報があつまるここで情報を得るために冒険者になったのだ。
(なんともまあ、都合よく利用してくれるものだ)
いささかあきれ返るところであるが、フェルナンドがこの日本のモンスターに関する研究を進めれば冒険者ギルドにも利はある。
ならば、せいぜい利用されてやろうとクレメンテは腹をくくった。
「コルテス老。貴方のお考えは分かりました。今後必要な情報は全て貴方に届けさせましょう」
「おお! それは助かります」
「また調査が必要な場所については、何かのクエストで向かうことが出来る様に考えてみます。こちらは絶対とは約束できませんが」
「いや、それで十分です。ご配慮痛み入る」
そう嬉しそうに言いながら、フェルナンドが立ち上がり右手を差し出すと、クレメンテもまた立ち上がりその手を握り返す。
――厄介払いしようとした相手に全面協力することになった自分を皮肉に感じながら。
いささか説明くさい回でした。
モンスター侵攻に関しては、いつか閑話でもう少し触れたいと思います。
作中で自衛隊が大型モンスターを落としたとしていますが、神霊力なしでも態勢を整え補給が万全ならある程度は戦えますし倒せます。非常に効率悪いですけど。
ただ最上位の大型モンスターだとさらにキツイですが。
次回はまた冒険者のクエストの様子を書く予定。
自衛隊もそろそろ少し触れます。




