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冒険者日本へゆく  作者: 水無月
第2章 冒険者ギルド開設編
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第29話 想定外

 ラグーザ大陸にあるトラン王国は、大陸からの船が出入りする博多港から見て南西約2千kmに位置する。地球ではちょうどフィリピン辺りである。

 トラン王国がラグーザ大陸最北端であるということから分かる通り、ラグーザ大陸は赤道を中心に広がる大陸である。

 そのため大陸諸国は全体的に熱帯に属する気候帯になるはずなのだが、この世界は地球と異なる自然法則が存在するのか、それとも単に地形などが違うためか、場所によってその気候は大きく違っていた。

 もっとも、地球で比較するならば東はフィリピンから西はアフリカ大陸、南はオーストラリア大陸まで及ぶこの世界で確認されている3大陸で2番目の大きさを持つラグーザ大陸だ。場所により気候が違うのは当然と言えば当然である。


 11月のこの時期、トラン王国は秋の終わりに近づく。

 まもなく冬になるが、冬と言っても気候は穏やかであり、農家などは裏作に追われる時期である。

 数年振りにラグーザ大陸に戻ったノルテ子爵は、懐かしいタンゲランの港町の匂いを胸いっぱいに吸いながら、自らの領地のことを考えていた。

 大使として日本に居る間、彼の領地は一族の男を領主代行としその経営を任せていた。

 交易船に書簡を託し細かに指示することも可能かもしれないが、往復だけで1月はかかってしまう。タンゲランから日本へは、行きは南からの風で10日ほど。帰りは向かい風になるため20日ほどかかるためだ。

 それでは急ぎの案件をこなすことができない。その為に経営を一任したのだ。

 時折くる報告では、領国経営は滞りなく行われているようである。

 妻子に先立たれ跡継ぎのいないノルテ子爵は、そのまま彼に跡を譲ろうと考えていた。

 勿論、子爵がその気になれば今からでも後添えを持つことはできるし、年齢を考えれば子を産ませることもできるだろう。しかし、子爵に後添えを得る気も、子を持つ気ももはやなかった。

 娼婦や召使を抱くこともあるが、その際も日本製の避妊具を使用するなどしてうっかり子が出来ないように気を付けている。


「閣下。馬車を用意しております。どうぞこちらへ」

「いや、久々のタンゲランだ。少し街中を歩いてみたい」


 子爵はこの数日、いつ寄港しても構わないように待ち構えていたであろう、領地からの出迎えの家臣にそう告げる。


「承知しました。馬車は門へ回しておきます」

「うむ」


 主のわがままにも遅疑することなく、護衛を子爵と共に帰国した者に任せ彼は馬車を移動させるために走っていった。


 港から市壁の門までの目抜き通りを歩きながら、子爵は数年振りの街並みを興味深そうに見歩いた。

 日本の街並みと比べれば高さ大きさ共に貧相と言えるかもしれないが、大陸随一の港まである。日本のそれとはまた違う趣があり、また彼にとってもこの石造りの街並みの方が馴染みあるものであった。

 元々活気ある港町であったタンゲランだが、子爵の見るところ更に活気づいているように見える。

 おそらく日本との交易が盛んになるに従い、この街も大きくなっているのであろう。

 日本と取引のある商会は今後更にその規模を大きくするであろうし、その品々を求めて各地から商人が集まる。内陸の商会の支店も進出してくるであろう。人が増えれば日常品を取り扱う者や、娯楽を提供する者も増える。


(ゆくゆくは、王都を凌ぐやもしれんな)


 まだ比較的新しい建物が取り壊され、より大きく豪華な建物がいたるところで建築されている様を目の当たりにしそんな感想が子爵に浮かんだ。


「しかし、冒険者の数も多いの……」

「はっ。何者が居るか分かりません。護衛には万全を期しておりますが、閣下もご注意ください」


 子爵の呟きを拾った護衛の1人がそう注意を促す。

 何でも屋である冒険者が間諜を頼まれることはあるし、暗殺を請け負った例も過去にある。そうでなくとも、国が自国の間諜を冒険者として活動させているなど常識であった。

 護衛の言葉に頷きながら、子爵は冒険者たちの動きを見ていた。

 様々な人種・性別の冒険者が大通りを歩いているが、やけに辺りを珍しそうにキョロキョロと見ている者が何人・何組も目に留まる。


(ここを拠点にしておる者ではないな……仕事で来たにしては数が多いな)


 その冒険者たちの流れを追うと、子爵たちのある先にある大通りでもひときわ大きな建物へと続いていた。

 冒険者ギルドが大陸に5つ持つ方面支部の1つ。北東方面支部タンゲラン冒険者ギルド会館であった。




「支部長ー! ロベルトさんからこれ以上は捌き切れないとのことです! もう下はしっちゃかめっちゃかですよ!」

「どうしたものかしらね……」


 涙目になりながら支部長室へと駆け込んできた女性事務員の報告に、ギルド長のフリダは思わず親指の爪を噛む。

 ギルドに殺到する冒険者たちの対処を、このギルド随一のベテランであるロベルトに任せたのだが、その彼をもってしても対処しきれないほど事態は深刻なようだ。

 とは言え人手を増やせばどうにかなる類の問題でもない。

 フリダはしばし黙考した後、事務員に指示を出す。


「今日来ている冒険者には、申込みの申請だけ受け付けてこっちから呼び出しが来るまで待つように伝えなさい。宿が決まってない者たちは後から連絡先を伝えれば良いと、忘れずに伝える様に」

「そ、それで収まりる……っ、収まるんですか!?」

「ロベルトなら上手くやるよ。ほら、急いで!」

「は、はい!」


 女性事務員はそう急き立てられ慌てて部屋を飛び出していく。


「誰か、誰かいない?」

「お呼びですか長」


 フリダの声に室外にいた別の事務員が顔を見せる。


「急いで、支部傘下のギルドに通達を出して。各ギルドで抱えているクエストを全部こっちに寄越すようにと」

「もう間もなく定期連絡の日ですので、それまで待てば良いのでは?」

「それじゃ上がってこない小規模クエストもこっちに回させるのよ。それから、各方面支部にも特急で連絡。北東方面に関わるクエストがあったらそのクエストをこっちに移譲してもらうわ。ああ、当地で依頼主に会う必要のないクエストだけをね」

「分かりました」

「それから! 併せてあまり冒険者がこちらへ来ないよう対策を打つように伝えて。このままじゃ他の地方で冒険者薄になってしまうわ」

「了解です。ではさっそく」


 そう言って事務員は部屋を後にする。

 フリダ1人となった支部長室だが、外から聞こえる喧噪に室内は静寂とは言い難い状態であった。

 席を立ち窓から外を覗くと、ギルド会館入り口には館内に入りきれない冒険者があふれかえっていた。

 中にいる者たちを合わせれば100や200では済まない人数だ。しかもここにはいない者もいる上にこれから更に増える可能性がある。


「嬉しい悲鳴ってと言うのはこういうことか……商売繁盛願ったり、とはいえ。取りあえず街の商会や近隣の村、貴族連中に当たってクエストの掘り出しもしないといけないわね」



 今このタンゲラン支部では、前例のないクエストの供給不足に陥っていた。

 殺到する冒険者たちに提示するクエストの数が足りず、クエストを求める冒険者たちの不満が爆発寸前にまで高まっている。

 常に何百というクエストを抱えるタンゲラン支部だ。単純にクエストを紹介するだけならなんとかならないこともない。

 だが、クエストには難易度による制限があり、それ以外にも冒険者のスキルに合ったクエストを紹介する必要がある。また、実力のある冒険者に下級クエストを任せてしまっては、駆け出し冒険者たちが行えるクエストがなくなってしまう。

 そういった諸々の事情を考慮しつつクエストを提示しなければいけないため、必要なクエストが足りないという事態に陥っているのだった。


 この混乱の原因。冒険者の殺到の原因は何か。

 やはり原因は日本であった。


 日本に冒険者支部が建てられるという決定は、瞬く間に大陸全土の冒険者ギルドに伝わった。

 冒険者ギルドは、方面支部間の定期便とは別に少しでも重要度の高い情報は、採算を度外視した早馬・早鳥・快速船の利用でいち早く届けられる。

 その速度は世界で最も大きな商会の情報網や、各国の伝令より速く、地球のアジア地域に等しい大きさであるラグーザ大陸中に1月強で情報が行き渡るのだから凄まじい。大陸全土にまたがる最大組織の強みが十二分に発揮されている事例だ。

 しかもその情報は、冒険者ギルドの立ち位置を反映し国や商会の情報と違い中立で信憑性が高く、その上無料で公開されるため、最新の大陸情勢を知りたければ冒険者ギルドに行けば良い、とまで言われるほどであった。

 ――閑話休題。

 こうして全土に伝わった日本支部設置の話に、多くの者が興味を示した。

 日本の動きを注視する国々。そこに商機を見出す商人たち。そして何より冒険者たちである。

 未だ大陸の人間が碌に足も踏み入れたことのない国、日本。そこへの門が開かれたとなれば、やる気のある冒険者にとってこれほど気になる物はない。

 そうした大陸各地の冒険者たちが現在続々とタンゲランの街に集まってきているのだ。

 日本支部が開設されれば、その所属は北東方面支部になるため当然の成り行きであった。

 北東方面支部では、日本支部開設後に多数冒険者が必要となるギルドからのクエストを用意しているため人手は多いに越したことはない。

 最初は喜んでいたフリダたちだったが、やがて事態は急変する。

 日本支部の開設は年明け。当然それまで冒険者は日本へはゆけず、それまでの間はこのタンゲラン周辺で過ごすこととなる。

 生活には金がかかり、冒険者にとって金を稼ぐ方法はクエストをこなすことである。

 彼らは当たり前にタンゲラン支部へと顔を出しクエストの斡旋を受ける。

 それが日を追うごとに、10人、50人、100人と増えていき――今日などは間が悪いことに、天候が悪く予定が遅れた客船が数隻重なった上に、駅馬車の到着日も重なってしまったのだ。

 その結果がご覧の有様である。


 想定外の問題に頭が痛いフリダだが、放置するわけにもいかない。

 冒険者の面倒を極力看ることはギルドの責務であるし、彼らを放置して金に困った冒険者が犯罪に走ればギルドの信用が傷つく。

 そしてフリダの評価も下がることは間違いない。


「エドモンドが居ればもう少し楽だったかしらね……」


 窓の外。遠くに見える海原の先を見つめながら、彼女は日本に送り出した部下のことを考えていた。

 急ぎだった上に何があるか分からない日本だ。先を見越して日本語を習得させた部下は何人もいるが、その中から将来は自分の片腕にと見込んでいるエドモンドを送り込んだ。

 その判断は間違っていないと思っているが、この状況では優秀な人間は1人でもここに居てほしいと思ってしまうのも無理はなかった。


「あっちはあっちで大変でしょうけどね」


 そう呟いたフリダは、気を取り直し各所へのクエスト募集依頼のための手紙を書くことにした。




「……まずい」


 一口飲んだ後、エドモンドの吐いた言葉に向かい合った男の顔が青ざめる。


「そ、そんな……マルデーラさん。これはわが社で1番人気の」

「じゃあ言い方を変えましょう。これはビールじゃないですね」

「え、ええ。これは第三のビールと言いまして――」

「だから、ビールじゃありませんね」


 そんな2人のやりとりを、後ろで順番待ちをしている者たちがにやにやと嬉しそうに見ている。

 彼らは皆、ビール会社の営業である。

 今先陣を切ってエドに第三のビールが注がれたグラスを差し出したのは、この業界でシェアナンバー1のビール会社の者であった。

 国内シェアトップの誇りからか、自信満々に人気ナンバー1の商品を差し出し撃沈する様は、ライバル企業からみると溜飲が下がる想いである。


「ではマルデーラさん。次はわが社のこちらをお試しください」

「では…………ん? これは確かにビールですね。しかし……」

「麦100%まじりっけなしの本物のビールです。そして、生ビールというは大陸にはないとうかがっています」

「生、ですか?」

「はい。これはビールの熱処理を――」


 項垂れるナンバー1企業の営業を尻目に、自社製品の説明を始める別会社営業の姿に、順番を待つ者は先を越されたかという顔をする。

 大陸にもビールは存在し人々や冒険者にも飲まれている。

 少し想像を働かせれば分かることだが、彼らが飲んでいるのはいわゆる純粋なビールである。間違ってもドライや第三のビールなどと呼ばれるものではない。

 日本人の酒飲みの中でも、本物のビールには及ばないとする者がいるそれを、本物のビール飲みに勧めればどうなるか。或いは最初からそういう飲み物だとしていれば結果は違ったかもしれないが、その努力を怠った結果がこれである。

 地位に胡坐をかいた者の末路がそこにあった。



「お疲れさま。はい、水どうぞ」

「ありがとうございます」


 試飲を終えたエドに、佐保は用意していた水を差しだす。

 酒は普通に飲めるエドだが、この後も仕事がある身としてはこの水が何よりありがたい。


「この後は日本酒と焼酎の試飲です。ついでに、肴も合わせて出されます。食べ合わせを確認してみてください」

「……毎週この日は腹の調子が悪くなるんですけどね」

「胃薬を用意しておきます。安心してください」


 げっそりとした顔を見せるエドに、塩見は何事でもないかのように答える。


 ここ数週間。毎週同じ日になると、エドは食の地獄を文字通り味わっていた。

 冒険者の来日を前に、飲食業界が冒険者向けの飲食の調査をエドにお願いしているのだ。

 当然だが大陸と日本とでは食文化が違う。何が大陸の人間に好まれ、何が倦厭されるかを事前に調査することは必要不可欠であった、

 「冒険者は何でも食べますよ」と返答したエドだったが、業界からの強い要望に押されこうして週に1度、試食・試飲会を行っている。

 エドの言う通り、各地を旅する冒険者にとって何でも食べるというのは1つの必須条件ともいえる。初めての土地で手に入る物が食べられないとなっては、まともに旅などできはしない。

 とは言え、やはり好みはあるのだから業界側の要求は正しいと言えた。

 またこの試食会を通じて判明した大陸の食文化もある。


 日本の知る大陸の文化というと、主にトラン王国を中心とした大陸北東部のものである。

 細かなところで差異はあるが、基本的に地球でいうヨーロッパに似通った風俗であり、食文化もそれに類する。

 そのため、最初は西洋料理や洋食が試食会に出されていたのだが、試食会2回目の時だ。参加していたとある料理屋が純和風の定食をエドに出すと――エドが泣き出したのである。

 同行していた佐保が慌てて理由を尋ねると、エドは一言「故郷を思い出した」と述べた。

 エドのミドルネーム「ルマジャン」が示す通り、エドの生まれはジャンビ=パダン連合王国首都ルマジャン。出身は大陸西部である。

 なんとその大陸の西側には、味噌や醤油と同じ或いは似た食材が広く使われていると言うのだ。

 エドが日本に来て以来、食事はレトルト。偶に一緒に食事をしても、洋風料理ばかりで和食はなかったことを佐保は思い返すと共に、意外な大陸の食文化に驚いた。


 そんな発見もありながら続けられているこの試食会だったが、基本1人でその試食をしなければいけないエドの負担は大きかった。

 完食する必要はないといえ、種類が多い分結果として食べる量も多くなる。その上、中には口に合わない料理もあるのだ。

 この日は胃を痛め、精神的にも激しく疲弊することとなってしまう。


(こんな様は同僚には見せられないな……)


 日本で忙しく働いているであろう、と思っているであろう同僚や自分を送り出した上司のことを思いながら、エドはのろのろと酒造メーカーの営業が待ち構える机へと歩を進めるのであった。


作者は下戸です。


次回か次々回。冒険者ギルド日本支部の開設を行います。

話を書いてみての展開次第ですので、どうなるか分かりません。

ただし第2章は開設して終わりでなく、もうしばらく続きます。

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