第24話 異邦者たち
タンゲランの街を港から市壁の門まで直線で貫く大通りの歴史は、実はそう古くない。
かの「タンゲラン沖海戦」の折の流れ弾で街の一部が破壊された際、誰の発案であるのか不明だがせっかくだからと大通りの拡張が行われ出来た物である。つまり10年も歴史はない。
そういった事情から、この通りに面する建物は全て大きな商会の店舗や本店、組織の本部ばかりであり、そうでない店もそれなりに大きな物ばかりである。
冒険者ギルドのはす向かいに立つレストラン「カマンド」も当然ながら他の食堂よりはいささか値の張る料理を出す店として知られている。
とは言え、王都にある貴族御用達の高級店と違い庶民でも手が出せる程度の店でしかない。
そもそも、いくらこの街が王都に次ぐ規模の街であるとは言えそんな貴族や大商人しか来店できないような店ではやっていけないのだ。
そんな「カマンド」の店内は、今日もちょっと豪華な昼を食べようという客で店は賑わっていた。
「――でだ。先日のギルドでの連絡会で通達されたのが、日本からの交易拡大の打診ってわけだ!」
「ほ~それはそれは。しかし良いんですかい旦那。大声で喋っちまって」
「はっ、俺が喋っちゃ不味いことをべらべら言うわきゃないだろうが。この街の耳ざとい連中はみーんな知ってることだよ」
「そうですかい。で、旦那のところはどうするんで?」
「そりゃ乗るしかない、この大波に!」
ワインの入った杯を手に昼間から酔っぱらった中年の男と、若い青年がテーブルで向かい合い食事を取りながら話し合っていた。
栄養失調を疑うほどガリガリに痩せた顔を真っ赤にしているのは、この街にあるブトラゲーニャ商会の主、ヘラルド・ブトラゲーニャその人である。
ブトラゲーニャ商会は主に食品関係を取り扱っており、こうして昼間から酔っている姿を見ると想像もつかないが、数多くの商会が存在するこの街では上位に入る規模の大きさだ。
赤茶色の髪は高価な油で整えられ、着ている服も金糸などを使った刺繍の見事な絹製の物、装飾品などからも彼がどれだけ裕福であるかが見て取れる。
対する若者は飾り気のない地味な色の服で、旅人がよく着る丈夫で実用的な物だ。装飾品などはいっさいない。決して粗末な恰好というわけではないが、相対する人物が派手な分みすぼらしく見えていた。
しかし当の本人たちはいささかも気にした様子はない。
ヘラルドの相手をしているのはフィルマンという旅の行商人である。
以前、ヘラルドが商用で旅をした際にフィルマンに助けられたことがあり、それ以来の付き合いであった。
今日は2年ぶりにタンゲランを訪れたフィルマンに、ヘラルドは仕事を放り出しこうして食事へと連れ出しているのだ。
「しかし日本ですか……」
「まあ前々からそういう話は出てたんだがな。タンゲランの商人ギルドとしちゃ、他の街のギルドに出し抜かれたくないもんで今まで大ぴらにはしてなかったのよ」
大陸全土で統一されている冒険者ギルドと違い、商人ギルドの規模はその町単位でしかない。
その街の中での商売だけならば余所のギルドはあまり関係ないのだが、タンゲランのように交易に依って成り立つ港町同士のギルドは、その凌ぎ合いが大変激しいものとなる。
「話をつけたのが、ベルナス商会だってのは多少気に食わないが……まあ俺たちは大人しくおこぼれを預かるとしようかね」
「そう言いながらも出し抜く気満々にみえますが?」
「そりゃ、当然だろうが」
フィルマンの指摘にヘラルドはニヤリと笑って返す。
「……」
「んお、来たか」
2人のテーブルにやってきた男が無言で皿を置くと、ヘラルドは嬉しそうな声を上げた。
こういう店の店員にしては愛想が無いなと、男の姿を確認したフィルマンは一瞬息を呑んだ。
短く刈り上げた黒い髪に白い四角の帽子を被り、来ている服も真っ白。何が気に食わないのか不機嫌そうな顔をした初老の男だった。
おそらくここの料理人なのだろう。ヘラルドは気にした様子もなく皿の薄切り肉に手を伸ばしていた。
「……今の話」
「ん?」
ポツリと言った男の言葉に、ヘラルドの手が止まる。
「日本がどうこうって話。本当か」
低く小さな声だがハッキリと耳に届く不思議な声である。
その問いに一瞬怪訝な表情を浮かべたヘラルドだったが、すぐにニヤリとした笑みを浮かべる。
「へへ……そういや、ゲン。お前さん日本の出だったな。ん? やっぱり気になるかい? そうだろうな。せっかく国を出て新天地で頑張って来たのに、こうやって日本が国を開けばこれからどんどん人がやってくるからな」
「……」
「今は料理が珍しいからって雇われているお前さんみたいな老いぼれはお払い箱だろうな」
「……」
「ほら、行った行った。飯が更に不味くなっちまうよ」
ヘラルドがシッシと手で追い払う仕草をすると、ゲンと呼ばれた料理人は不機嫌そうな表情のまま厨房へと姿を消した。
あんまりなヘラルドの言いぐさに唖然としているフィルマンを余所に、ヘラルドは今ゲンが持ってきた料理に再び手を伸ばすと今度こそ薄切り肉を取り口にした。
と、そこにゲンと入れ違うように厨房から1人の中年女性が現れる。
「ちょっと、旦那。またゲンさんに何か言ったんだろ?」
「なんだい女将。いいじゃねーか、あんな三流料理人のことなんざ。その内日本からわんさか料理人もやってくるだろうから、新しい料理人雇いな」
「何言ってんだい。うちじゃゲンさんの料理以外は手も付けないくせに」
「え?」
女将の言葉にフィルマンが間の抜けた声を上げる。
「この人はね。いつもゲンさんに悪態つくくせに、何かあるとこうやってゲンさんの料理ばっかり食べるんだよ。そしていつも、「この味がダメだ」「もっと材料の切り方を」だとか文句ばっかり。だったら余所で食べりゃいいのにさ」
「ふん。どこで何を食おうが俺の勝手だ。好んで不味い物食べたっていいだろうが」
そのヘラルドの様子にフィルマンは思わず顔がほころぶ。
女将の話と、今目の前でゲンという日本人が持ってきた料理を上手そうに食べるその姿を見れば、ヘラルドの真意など一目瞭然である。
「しかし今日はやりすぎだよ。ゲンさん、厨房出てったんだからね」
「ん……」
「あの人が戻らなかったらうちは商売あがったりだよ。そん時は旦那に賠償してもらうからね!」
タンゲランの街で職人街と呼ばれる区画は、街の南側にある。
そこは様々な生産者たちの工房が集中し、東の港や南の市壁門より運び込まれた材料を加工し、再び港や門から運び出されていく。
もちろん、街で消費される製品もここで生産されており、中には冒険者向け武器や防具の受注を受け製造する工房も存在している。
セリオ工房もそんな冒険者からの注文を受け武器を作っている鍛冶工房であった。
「タカさん。頼んでいた物が出来たって聞いたので、取りに来たぞ」
「おう、イゴールか。ちょっと待ってな」
工房の入り口から聞こえた大声に、タカと呼ばれた男は作業を中断すると立ち上がり背伸びをした。
高尾寛治45歳。このタンゲランの街でも老舗の工房であるセリオ工房で働き始めて早5年になる。
元々日本で刀工の資格を持ち日本刀を制作していた高尾は、セリオ工房でもたちまち実力を認められ、今では高名な冒険者からも名指しで武器の作成依頼が来るほどになっていた。
近くにいた徒弟に注文の品を取ってくるように指示をし、高尾は工房の表に出た。
イゴールの姿を探すと、彼は適当な丸椅子に腰かけ高尾を待っていた。
「しかし、宿に遣いを出したのはさっきだぞ。随分早かったな」
呆れた顔で言った高尾に、イゴールは照れ臭そうに笑いながら答える。
「そりゃ待ちに待ったタカさんの武器が手に入るんだ。俺ぁ嬉しくって嬉しくって」
「そう言ってもらえるのは、鍛冶屋冥利に尽きるがね。本音はこれでようやくクエストが受けられるってんじゃないだろうな?」
「へへ……まあそっちもあるかな。でも、嬉しいってのは嘘じゃないぜ」
そう言って邪気なく笑うイゴールに、高尾も調子の良いやつめと苦笑するしかなかった。
「それで、次のクエストはもう受けたのかい?」
「いや、これからギルドでクエストを探すつもり。高い武器買っちまったからな、また頑張って稼がないといけないわ」
「ま、せいぜい実入りの良いクエこなしてまたうちで買い物してくれや」
「実入りねぇ……そういや、もうしばらくすりゃ日本でのクエストが解禁されるそうだが、実入りの方はどんなものかね」
「日本だと?」
イゴールの言葉に高尾は首をかしげる。
「知らないのか? 今度日本にも冒険者ギルドが置かれることになるんだと。今冒険者の間じゃその話でもちきりだぜ」
「そうかい……俺はここしばらく籠って仕事してたからな、知らなかった……」
「それでな。日本にいける様になったら行ってみたいと思ってんだが。タカさん。あんた確か日本から来たんだろう。何か伝手とかあったら、そん時は紹介してくれよな」
「お前さんがねぇ……どうだろうな」
「ん? そりゃどういう――おお!」
何やら言いたそうな高尾に、怪訝そうな顔をしたイゴールだったが突然喜びの声を上げる。
高尾の指示を受けた徒弟が、イゴールの剣を持ってきたのだ。
待ちに待った剣の登場に、イゴールの頭からは今の話などすっ飛んでしまう。
「ご苦労さん。お前は作業の準備を続けておいてくれ」
剣を受け取りながら高尾はそう言った。
「さて、お待ちかねだ」
そう言って高尾は、もったいぶらずに手にした剣を鞘から抜き放って見せた。
それは刃渡りだけで1m以上もあるロングソードであった。
重量のある両刃の両手剣で、クレイモアなどと呼ばれる剣に近い。
こういった大剣は、その重みで対象を叩き斬る使われ方をするのだが、この剣の刀身は磨きこまれておりそれだけで十分な切れ味があると見るだけで分かる逸品だった。
高尾から剣を手渡されたイゴールは、ジッとその剣を見ていたが、やがておもむろに柄を握りしめると高尾から離れその場で剣を振るってみた。
優に3kgはある剣だが、身長2mを超えるイゴールはそれを軽々と振り回して見せる。
剣を振るう度に刃が風を切る音がする。
「ほおおお……」
しばらく縦に横にと剣を振り回していたイゴールだったが、その出来栄えに満足したのか深い吐息を漏らすとその剣を鞘に収めた。
「どうだい気に入ったか? あと室内で剣振り回すんじゃねーよ」
「悪かったな。いや、良い剣だ」
「んじゃ、残りの代金払ってもらおうか」
その言葉に、イゴールは懐から取り出した袋を高尾へと手渡した。
ずっしりと重みの感じる皮袋。量から考えて中身は銀貨であろう。
「ん。確かに。まいど」
「……中身確認しなくていいのか?」
中を見ようともしない高尾にイゴールは不審になり尋ねる。
「後で確認はするさ。まあ誤魔化すような奴には二度と売ってやらんだけだ」
「なるほど。それじゃ、俺はこれでいくぜ。また武器を新調する時はよろしくな」
「おう。せいぜい長生きしてまたこいや!」
その言葉を背に受けながらイゴールは工房を後にしていく。
去りゆくイゴールのブンブン振られる尻尾をを見ながら、高尾はポツリと呟いた。
「リザードマンじゃなぁ……いきなり日本に入ったらパニックじゃねーかな」
「高尾。引き渡しは終わったようだな」
「ああ、工房長。今しがた」
イゴールが去った後をぼうっと見ていた高尾に声をかけたのは、このセリオ工房の長であるバーナードであった。
工房の名にもなっている初代工房長のセリオの子孫で、この工房6代目の主。
歳は60を超えており、近々息子へ工房長を譲る予定である。
「というのに、どうした。ぼーっとして」
厳しい人物であるがその分人を良く見ており、所属する鍛冶や徒弟たちの心のケアのようなものをそれとなく行える人物である。
その彼の見るところ、何やら高尾にあったようだと見て取れた。
「……工房長。日本の話は聞いていますか?」
「ん? ……ああ、冒険者ギルドの話か。そうか、お前にはまだ話しておらなんだな。すまん」
「いえ、それは良いんです……」
「それがどうかしたのかね?」
その問い掛けに、高尾がどう言ったものかとしばし戸惑う。
自分の中にあるものが言葉に出来ないのだ。
そんな高尾を急かすこともなく、バーナード工房長はじっと返事を待つ。
――やがて、高尾の心の整理がついたのか、口を開いた。
「冒険者ギルドを日本が受け入れるってことは、きっと最初の一歩なんですよ。これからはだんだんと他の者も受け入れていくのでしょう」
「その様だな。既に商人ギルドでは動きがあるようだ」
「日本は今まで鎖国してたも同然ですから……良いこと、なんだと思います」
「ふむ……」
口は開いたがどうも要点が分からない会話だ。
一体高尾は何を感じたのか。
「私はてっきり、お前は日本が嫌いなのだと思っていたのだがね」
「俺がですかい?」
思わぬ言葉に高尾は面喰う。
「うむ。お前がここに来てから、日本の話は殆どしなかったからな。鍛冶に関する技術の話はするが、向こうでの生活や日本がどういう国かなど酒の席ですら聞いた覚えがない」
「あー……そう言えば」
「じゃからてっきり、日本を嫌って口にしないのだと思っていたのだが」
「……」
工房長の言葉に考え込む。
はたして自分は日本を嫌っていたのだろうかと。
「……今、大陸にいる日本人は大なり小なり日本に嫌気が差した連中ばかりだと思います。俺も、まあ、その類ですな」
「ほう?」
「もともと俺たちは、日本のある商社が政府の支援を受け始めた事業できたんですよ。こっちとの交流促進だとかそんな名目で。ところが、やってきた奴の何人かがモンスターに襲われ命を落とした途端、政府は及び腰になりましてね。その上肝心の商社が倒産ですわ」
そう言いながら握った拳をパッと開いてみせる。
「その後は第二陣の話もなくなり、俺たちも帰国するか留まるかの選択を迫られましてね。帰った奴も大勢いましたが、俺みたいに残った連中もそれなりにいました。残った連中にもそれぞれ考えがあるんでしょうが、おおよそ共通していたのが日本への嫌悪感ですよ」
「及び腰になったことがかね?」
「いいえ。転移により状況が変わったというのに、外に目を向けず内に籠って必死に以前の生活を続けようとする日本全体への嫌悪感……あるいは、そこに交じれない俺自身の違和感ですかね」
「なるほどな」
そううなずいてみせるバーナード工房長だったが、実のところ話を全て理解したわけではない。
そもそも日本の内情など彼は何も知らないのだから当然である。
それでも、彼は高尾の独白を遮ることなど聞き役に徹する。
「今回の件は、日本が変わり出した証なんだと思います。ようやく現実に向かい始めたんだろうなという」
「ふむ……」
「それを考えた時、何とも言えない気持ちになりましてね……なんでしょうね、この気持ちは」
「それは――嬉しい、のじゃないかね?」
その言葉に、高尾はキョトンとした表情を見せる。
「私はそう感じているように見えたが……」
「……ああ。確かにそうなのかもしれません」
そう言って、高尾は歯をむき出しにして笑みを浮かべた。
ヘラルドとフェイルマンのテーブルに、ドンと置かれたのはこの街でも滅多にお目にかからないガラス製のビンであった。
「……これはなんだゲン」
ヘラルドは怪訝な顔をしながら、ビンを置いたゲンに尋ねる。
厨房から出て行ったと思われたゲンだったが、しばらくして戻ってきたかと思うと、この手にしたビンを持ってヘラルドたちの元へ舞い戻ってきた。
ゲンは相変わらず不機嫌そうな顔のまま、ヘラルドの問いに答えた。
「ワシの郷里の酒じゃ」
「……それで?」
「良い話を聞かせてもらった……祝い酒じゃ。飲んでくれ」
それだけ言って再び厨房へと姿を消す。
「な、なんだあいつ……?」
訳が分からないという顔のヘラルド。同じくフィルマンも困惑顔だった。
何が祝いなのかさっぱり分からないが、2人は確かに見ていた。
祝い酒だと言って去る間際、ほんの一瞬だったがゲンの眼元が嬉しそうにほころんでいたことに。
第2章冒険者ギルド開設編開始です。
最初の数話は前章の余波やギルド周辺の話になります。




