第112話 日本渡航禁止令
「おい! どうなってんだ!」
「なんで日本に行けねぇんだよ!」
「ちょっと、受けたクエストはどうすりゃいいの!?」
トラン王国から冒険者に下された突然の日本渡航禁止令。
この知らせを受け、タンゲランの冒険者ギルドには日本行きを望んでいた冒険者たちが詰めかけていた。
今回の通告された命令は直接冒険者に出された命令ではない。そもそも、一種の根無し草である冒険者は国に帰属した存在ではないため、こういった法や命令で縛ることができない。今回の渡航禁止令が出されたのも、冒険者に直接出されたのではなく、ルマジャンの冒険者ギルドに対して出されたものであった。
今までであれば冒険者ギルドはこんな命令には毅然と反抗し従うことなどなかったであろう。しかし、今の冒険者ギルド――このルマジャン北東方面支部にはそんな気概など残されていなかった。
国に帰属しない冒険者たちにとっての後ろ盾が冒険者ギルドだ。その冒険者ギルドのこの体たらくに、日本行きを希望していた冒険者だけでなく、それ以外の冒険者からも怒り、失望、不満といった声が上がっていた。
「ふむ……困ったことになったのう」
冒険者ギルド内の一角。喧噪をやや離れた席で見ていたフェルナンドはどうしたものかと悩んでいた。
知恵の神の神託を受け日本へと向かうためタンゲランまで来たものの、日本行きの船を待っている間に起こったのが今回の件である。
国からの通告を受け冒険者ギルドが冒険者に対し渡航禁止を出したのは昨日のこと。何か情報やギルドからの説明がないかと朝からギルドに居るが、騒ぐ冒険者たちの姿が目に入るばかりで何も有益なことはなかった。
「うわぁ~まだまだ荒れてるね」
「おお、キリル。港の方はどうじゃった?」
自分と同じく日本行きの使命を帯びたエルフであるキリルは、港の様子を見に行くとしばらく前に冒険者ギルドを後にしていた。
「港はさっそく兵士の警備が強化されていたよ。ま、今は日本行きの船はないからそこまで剣呑な雰囲気じゃなかったけどね」
「日本行きの船が入港するのは予定通りなら明後日じゃが……さて」
果たしてそれまでに騒動が納まるか――とフェルナンドは思考する。
勿論答えは否、だ。その程度でこの騒動が納まるとは到底思えない。よほどギルド側が上手くいなすか、納得のいく説明でも出来れば分からないがまず無理だろう。
「さてさて……支部長殿はどう考えられておられるのかのう」
そう言って上を向き、この建物の上階に居るであろう支部長のことを思いやった。
「支部長。下の様子ですが――」
「分かってる。しっかり聞こえているわ」
タンゲラン冒険者ギルドの上階に位置する支部長室では、冒険者ギルド北東方面支部長にしてこのタンゲラン冒険者ギルドの長でもあるフリダは机に肘をつき頭を抱えていた。
「どうしたらいいかしらね……」
フリダの率直な言葉に、ロベルトは相当追い詰められているなと感じた。
今回のトラン王国からの通告に従う事にロベルトは反対だった。いや、目の前のフリダを含め賛成だったギルド職員などいないであろう。参事会でも賛成したのはトラン王国から送り込まれた参事だけであった。
しかし、それでも、冒険者ギルドは――最終決定権を持つフリダは、従わざるを得なかった。
――従わない場合、今後冒険者の活動に制限をかける。今後国内における移動、安全、それらを保証しない。
今まで飴と鞭を使い分けながらギルド側がギリギリ飲める条件を突き付け続けてきたトラン王国が、ここに来て突然態度を強硬にしてきたのだ。
こんなことが実行に移されてしまえば、トラン王国を中心としている北東方面支部は大混乱に陥る。さらに、もし周辺国が同調などすれば多くの冒険者たちが路頭に迷うこととなるだろう。
その為、フリダはこの通告を受けざるをえなかった。
「取り敢えず、なんとかなだめてみましょう。冒険者たちもそれ以外も」
フリダがいかに苦渋の決断を下したか。それをロベルトも承知しているからこそ、反対する内心を抑えその決断に従っている。そして、荒れる冒険者たちや不満を抱くギルド職員をなだめるのは、このギルド最ベテランの彼の役目だった。
「頼むわ。お願いね」
かつて、熟女と言っていい年齢ながら齢を感じさせない色香を持ち合わせたフリダの美貌はこの数ヶ月ですっかり色あせ、顔には深い疲労の色が浮かんでいた。
「それにしても……」
ふぅ、と深い疲労のため息をつきながらフリダは言った。
「あの女どういうつもりかしらね」
フリダの脳裏に、いつもフードを目深に被るトラン王国の軍師と名乗る女が浮かぶ。
「鞭役は宰相の役割だと思ってたんですがね」
「そうなのよ。それが突然こんな通告をしてくるなんて」
「あの女と宰相の間に何かあったんですかね?」
「どうかしら……権力闘争だとしても、こんな冒険者の扱いが関係するとは思えないわ」
「そもそも、今回の通告の名目は――『冒険者の日本への多数の流出によって、国内の冒険者数が低下している。その為、国民生活に支障が出ることを避けるための措置』である。でしたか」
「完全に違うとは言い切れない内容なのだけど……」
国内の主要な地域以外の治安維持や国が関わるには雑多な問題を冒険者に丸投げしている国は多い。トラン王国は国での治安維持が出来ている方であるが、冒険者がごっそりいなくなると国民生活に影響が出るのは事実だ。
「となると、純粋にこの問題を重視したってことですかい」
「……いや、ここで強硬な態度に出るほど問題化はしていないわ。それに宰相が窓口から外れた理由につながらないわね」
ロベルトと話すうちにフリダも段々と落ち着いてきたのだろう。苦悩から抱えていた頭を今度は思考の為に抱える。
「トラン王国の言い分は――こっちの都合を無視すれば――理解はできる。ただし、時期尚早の感は否めない。また窓口役が突然変更した理由は不明……」
「今回の通告を取り下げさせるきっかけはなさそうですな」
「……今は情報収集よ。仮に、将来冒険者の流出が問題になるとしても、その対処は絶対に自主的な物じゃないと!」
フリダがそう力強く言うとロベルトは笑みを浮かべうなずいた。
自主独立こそ冒険者ギルドのあるべき姿のはずだ――そう思いながら。
「ロベルトはさっき言っていた通り、冒険者たちの不満をなんとか抑えてちょうだい」
「承知しやした」
「私はその間に使える伝手を使って事情を探るわ」
「使える伝手を使って事情を探ってみました」
トラン王国の通告を受け、冒険者の日本渡航禁止を冒険者ギルドが出して2日後。
タンゲランにある日本政府事務所の一室に、マイラ、吉田、李の3人が集まっていた。
「それで、何か分かりましたの!?」
李の言葉にマイラがずずっと詰め寄る。
巨神の思惑とは裏腹に、日本行きをそこまで急いてなかったマイラだが、いざ行けないとなると流石に焦りが生まれて来ていた。
「落ち着いてください。たった2日です。それほどのことは分かっていません」
李の言う通り、事態が起きてまだ2日だ。日本ならともかく、通信技術も未発達、移動手段も限られるここではこのタンゲランと王都シンパンとのやり取りにも時間がかかる。現状、集めることの出来た情報はたいしたものがなかった。
「冒険者の過剰な流出を止めるための手段ですか……日本はよろしいのですか、冒険者がこなくなって」
「まぁ日本には元々冒険者はいなかったからな。いなくて困ることはない」
そう答える吉田だが、少しだけ現状認識が間違っていた。
確かに元々日本に冒険者はいなかったが、現在は中国地方を中心に活動をしており、そしてそれを積極的に活用したいと考えている組織がいる。自衛隊である。
現在進行中の東日本奪還作戦により第4師団を中心に戦力が東に向かった結果、中国地方西部を管轄している第3旅団と、四国地方の第5師団とで中国地方東部の治安維持をカバーしているのが現状だ。当然ながら元々の管轄地域もあるため負担が大きい。
そこで、小規模なモンスター退治などは冒険者に任せてしまう体制がとられていた。
元々、1~2匹のモンスター相手に自衛隊が出動するのは牛刀割鶏。対費効果面でも極めて効率が悪かったため、今後も冒険者に任せてしまう。民間でできることは民間に、の方向でいたのだ。
もっとも、日本を離れていた吉田が知らなかったのは無理もないことなのだが。
「それに、日本政府が内政干渉してまで冒険者のために動くとは思えませんねぇ」
「むむむ……では、なんとか日本の船に乗せてもらうとか出来ませんかしら?」
「無理だ。すでにトラン王国から冒険者を乗せないように依頼が来ている。あくまで依頼だが、お前さんの為に日本がトラン王国の機嫌を悪くする真似はしない」
「どうしましょう……このままでは使命が」
そう言って悩むマイラ。吉田もなんとかしてやりたい気持ちはあるが現状どうしようもない。
マイラの使命に日本が関わっているとはいえ、あくまでそれはマイラ――巨神側の問題だ。現状日本が特別に動いてやる理由にはならない。
「まぁ、日本も昨日連絡船を急遽出して本国の指示を仰いでいるところだ。もしかすると政府が何か動きを見せるかもしれん」
「そうですよ。今は待ちの時間です。情報収集を続けながら様子を見るべきですよ」
「そうですわね……では、私も実家の伝手を当たってみましょう」
吉田と李に慰められマイラも落ち着きを取り戻した。
「ご実家――イカライネン商会の?」
「ええ。本拠地はルマジャンですが、こちら大陸東部の商家や各国の実力者ともつながりがありますわ。当然このトラン王国にも」
「……最初からその伝手を使えば良かったんじゃないか?」
「他に手がなければそのつもりでしたわよ。ただ、おいそれと借りを作れる立場ではありませんの」
口には出さないが、実の証をどう立てるかという問題もあった。
「――それで、その伝手とは?」
「商家はこのルマジャンに本拠を持つベルナス商会。うちの取引相手ですわ」
「ほう。確かにこの街の有力商人だな」
「まあ今回の件に役立つかは分かりませんね。それで、有力者の方は?」
「トラン王国宰相ハッシント・エルメラ・アルタムーラ=ドゥラスノ公爵様」
「なっ!?」
「マジか……」
マイラの出した予想外の名に2人は驚愕する。と同時に、マイラが最初から伝手を使わなかった理由も納得する。こんな大物においそれと頼れるものではない。
「ですがなりふり構っている状況じゃありませんわ。何とか接触してみますわ」
「……吉田さん」
「ああ、分かってる」
意気込むマイラをよそに、李と吉田は頷き言葉なく意思を確認する。
王国宰相と縁を持つ好機を逃す手はなかった。2人の間ではマイラに全面協力することが規定事項となっていた。
それから、マイラたちがまずイカライネン商会と接触を取ろうと奔走し始めた時、タンゲランの港町に一つの知らせが王都より届く。
トラン王国宰相アルタムーラ、国王の命により幽閉。




