第108話 そして彼らは西へ帰る
「うっ……うぅ」
「フリオ!?」
自分の名を呼ぶ声に意識が揺さぶられる。フリオは最初目覚めて、今どこで何をしているのか記憶が覚束なかった。
自分は確か、タンゲランの自宅でリタとのんびりと――ズキッ。
「くっあ!」
腹部の痛みでようやく意識が覚醒する。
(そうだ。ここは日本で、俺はあの龍人と……)
そう思い、拳銃を握っていたはずの右手を上げてみる。
ズキッと、腹とは違う痛みが走った。見ると、手には拳銃はすでになく、包帯が巻かれていた。龍人の口に銃ごと手を突っ込んだ際にその鋭い牙で傷ついたのだろう。
左手を腹部にやると、そちらにも包帯が巻かれている。出血はどうやら止まっているようだ。
「大丈夫、フリオ?」
再び声がした。心配そうな顔でフリオを覗き込むのは佐保だった。
「佐保……ああ、だいじょう、ぶ。あちこち痛いけど」
「そう。良かったわ――あ! あんたの持ってた薬、ありったけ使わせてもらったわよ」
フリオ達の持っている道具についてはあらかじめ佐保に説明してあった。その中の傷薬を全て使い切ったのだろう。安い物ではないが命には代えられない。
「リタは……?」
そう言ってフリオが顔を横に向けると仰向けに寝かされたリタの姿が目に入った。
「フリオがすぐに手当てしてたからね。ただ、早く医者に見せないと……リタも、私たちも」
「?」
佐保の言葉にフリオは首をかしげる。
リタの傷は、霊薬を使ったとはいえ、到底完治できる傷ではなかった。急いで医者に見せなければというのは分かる。自分たちも医者にかかれるなら早めにかかった方が良いのは確かだ。しかし、佐保の言葉には別の意図が感じられた。
「あ~……実はね」
視線でフリオの疑問に気付いた佐保は言い辛そうに頬をかき、やがて視線をある方向へと向けた。
その視線を追った先には、
『見事だ――勇気ある者よ』
巨大な龍の顔がこちらを見ていた。
すっかり忘れていたこの森の主――龍の存在に、
「うわっ!? いたっ!――ん、あれ?」
フリオは驚き思わず立ち上がると、傷口から鋭い痛みが走る。だが、思ったほどではない。
腹に深く爪が食い込んだ時の痛みは記憶に生々しく残っている。いくら高価な薬を使ったとはいえ、あの傷がこの程度の痛みに治まるほどとは思えなかった。
「これは一体……」
『見事だ、勇気ある者よ』
困惑するフリオをよそに、再び龍の声が聞こえる。相変わらず物理的な音ではなく、脳内に届く声だ。
『我らが眷属、おぬしら小さき者では勝つことなど遠いことであった。しかし、お主は自ら傷を負うことも厭わず立ち向かい見事打倒した。これぞまさに勇者の行いである』
「はぁ……まあ武器のおかげですけど」
『道具は使う者あってこそ。そなたが勇気ある者であることは厳とした事実』
思わず謙遜するフリオに、龍はわずかに動く首を横に振り否定する。
『我が長き生の内で、汝ら人と呼ぶものには幾人か出会った。その中で、勇を示して見せたのは汝のみ。まさか、この様な地でこの様に成り果てた身で出会うとは想像だにせなんだ』
何か龍自身にしか分からない感慨があるのだろう。
そう言った龍の顔は心なしか震えていた。
『だがすまない。本来であれば、勇者に相応しい扱いをしてやれたものを……今の我が身ではこれが精いっぱいなのだ』
「それは一体?」
「私が説明するわ」
「佐保?」
と、龍に代わって佐保が説明を始める。
「私たちの傷は、フリオの持っていた薬でも完治できるものじゃなかったの。かろうじて出血は止まったけど動くことなんて無理だったのよ。あんたも、私もね」
「え? でも、今……まさか!?」
「そうよ。今はこの龍の力で一時的に傷を抑えてもらってるの」
『口惜しや。本来であれば、お主らの傷を癒すことなど造作もないのだが……今はそれすら叶わぬ』
悔しそうに龍が言った。
「だから、この効果が切れる前に西に戻って医者にかかる必要があるの。分かった?」
「ああ。じゃあ、急がないといけないな」
「高速を徹夜でつっぱしるわよ。取り敢えず名古屋までもてばいいわ」
そう言って佐保は、フリオが起きるまでに纏めておいた荷物を背負う。
「フリオはリタを背負って。車まで。私は運転するから少しでも体力を残しておきたいの」
「分かった」
車の運転は佐保にしかできない。フリオは佐保の言葉に迷う無くうなずいた。
『ゆくのか、勇者よ』
「はい」
「色々聞きたいこともあるけど……時間もないし。それに簡単には教えてくれないわよね」
『聞きたいことか……』
佐保の言葉に龍は少しだけ黙考する。
『ならば、我が同胞をここへ連れて来るがよい』
「同胞って……?」
『よいな……同胞を、我らが古き新しき同胞を連れて来るのだ……さすれば、我の知る全てを伝えよう』
龍はそう言うと深く目を閉じ黙ってしまった。
フリオはどうするのかと佐保に目で問いかける。
フリオにとっては龍に聞きたいことなどない。何か聞きたいことがあるのは佐保なのだから。
「……今は帰ることを優先するわ。正直私の手に余るってのもあるし」
「そうだな。どの道ここじゃ何もできない」
そう言って手の痛みを堪えながら、リタが落ちないようにしっかり背負い歩き出す。
佐保も自分の荷物の他、フリオたちの荷物の内最低限の物を背負うと歩き始めた。
「一気に車まで戻って、そのまま名古屋まで。途中の休憩は最低限! 明日には着くわよ!」
その後の一行は、銀座に停めていた車まで戻ると、東名高速道路を一路西に向かう。
途中一度だけ小休憩を取り、翌日には名古屋の部隊に到着。その直後、龍による術の効果が切れ3人はまとめて後方へと搬送されることとなる。
佐保、フリオ、リタの怪我は重く、3人が東で見聞きした出来事の詳細が自衛隊ひいては日本政府に伝わるにはもう少し時間が必要となった。
それでも、佐保の口頭による説明で最低限の情報は伝えることが出来た。
今東では、何かが起きつつあると。
3人の容体が安定し、冒険者ギルド・冒対室それぞれに詳細な報告がなされるまで数週間。日本で、そして大陸で、それぞれに動きが起きつつあった。




