第106話 龍
『なぜここにいる、忌まわしき者どもよ』
声――ではない。いや、確かに声は発しているのだが、その巨体故に音がまともに聞こえない。しかしはっきり分かるのだ。脳内に直接声が届いている。
(念話ってやつか)
知識としては知っているフリオだったが、体験するのは初めてだった。
『なぜここにいる』
再び、龍から問いが投げかけられる。
ギシリと音を立て龍の顔が動く。だが、それ以上龍が動くことはない。いや、動くことが出来なかった。その口だけで人を丸呑み出来そうな龍の巨躯は、さらに巨大な大樹とその大半が絡まり一体化している。顔とわずかな首だけが大樹の根元から突き出している状態であった。
その龍を見上げながら、佐保は今日何度目かになる驚愕に呑まれていた。
東京の様にも驚かされたが、その上まさか昨日に続いてこんな巨大龍に遭遇するとは考えていなかった。
(フリオ。龍ってそうそう何匹もいるものなの?)
(んなわけないだろ。一生に一度出会う事すらまずないよ)
龍から視線をそらさず――或いはそらせず、小声で尋ねる佐保にフリオも小声で答えた。
フリオのう通り、大陸の人間それも冒険者であっても、龍に遭遇することなどまずない。ましてや、伝説級の存在となればなおさらである。
(なら間違いないわね)
そんな稀な存在に、日本はかつて2体遭遇している。そのうち1体は先日富士市で見た赤い龍。東の人々の言うところの龍神だ。ならばこの目の前の龍は、あの龍と戦い、龍神を崇める者から邪龍と呼ばれた存在。13年前のモンスター大侵攻を率いたと目される龍に違いない。佐保はそう理解した。
同時に、この龍こそ先ほど出会った男が言っていたこの地――東京森林とでも言うべき森の主であろう。
(コイツがここを支配していたから、赤い龍はここを禁足地にした?)
辻褄は合う。しかし疑問も生まれた。
(じゃあなぜ、この龍はまだ生きてるの)
佐保の見る限り、目の前の龍は世界樹と一体化してもはや動くことは出来そうには見えない。龍神と名乗る赤い龍が、この龍を邪龍と呼び敵対していたのならなぜとどめを刺していないのか。
(単純な敵対関係じゃない?)
龍同士の関係は気になる。だが、今はそれより優先すべきことがあった。
佐保は一歩踏み出し大きく息を吸うと、龍にもハッキリ聞こえるよう大きな声で呼びかけた。
「すいませーん! 私たちは貴方に聞きたいことがあってきましたー!」
いきなり失礼だったか、と佐保は少し思ったが、そもそも龍との交渉などどうやっていいか分からない。それにここまで来て、ましてや誰何を受けておきながら退散するというのも何が起こるか分からず怖い。当たって砕けろの精神でそう答えてみたのだが、
『なぜここにいる!』
龍の言葉は変わらなかった。
「聞こえて無い?」
「いや、声はさすがに届いてると思うんだけど……」
「なんか、相手にされてない感じよ」
リタの言う通りだった。
最初こそ3人を捉えた龍の目だが、よく見れば今は別の方へ視線を向けている。まるで何かを探しているようだ。
『ギリー! ギリーよ!』
やはりだ。龍が誰かを呼んでいた。
やがて、その呼びかけに応える様に、
『お呼びでしょうか』
1体の人影が、3人の後ろから現れた。
全身を鱗で覆われ、鋭い爪と牙、そして赤い瞳を持つ全長2m近い身長。背には翼が生え、その頭部には2本の角が生えていた。
「龍人!?」
同レベルの冒険者と比較して、知識だけは豊富なフリオは一目でその正体を看破する。
龍人は一見リザードマンと似た特徴を持つが、鱗の性質や角・翼の有無など違いがある。なにより決定的な違いは能力だ。純粋な腕力も生まれ持った神霊力も人とは桁が違う。そう、リザードマンが人であるのに対し、龍人はモンスターの一種とされている。
そしてその龍人は、伝説級のモンスターである古龍の眷属とされていた。
『おお、ギリーよ。なぜこの無明の者がここにおる!』
『申し訳ありませぬ。おそらくこやつらは、他所から来たのでしょう。ここに踏み入るなという命を知らなかったのかと』
(あーいーつー!)
ここで、3人はようやく先ほどの男に嵌められたことに気づいた。
『小さき者らしい……ウヨウヨウヨウヨと……』
『いかがいたしましょうか?』
どうやら龍は人間がここに来ることを快く思っていないようだ。
そもそも世界樹に近づく事を禁則事項にしていたのだから当然ではあるのだが。
ギリーと呼ばれた龍人の言葉に、龍がしばし考え込む。
(フリオ、リタ)
佐保が2人に目をやるとすでに2人ともいつでも剣を抜けるようにしていた。同じく、佐保も自動小銃の安全装置を解除する。
龍の返答次第では戦闘になる――そう覚悟した3人であったが、杞憂に終わった。
『うっとうしい。この理解し難き者どもを放り出せ』
『よろしいのですか!?』
龍の返答が意外だったのか、龍人が驚きの声を上げる。
3人にも意外だった。てっきり殺せと命じられると思っていたからだ。特に佐保は、この龍が13年前に日本を襲った龍だと考えている。それだけに驚きは尚の事だった。
『忌まわしき者どもの血など見たくも嗅ぎたくもない』
『ならば、私が――』
『二度言わせるな!』
『――はっ。御命、承りました』
龍の命に食い下がろうとした龍人であったが、龍の強い口調を受けるとそれ以上抗しようとはしなかった。
事の成り行きを見ていた3人に向き直ると、
『貴様ら! 私の後をついてこい!』
と、ロデ語で言って振り返り歩き始める。
「……行くしかなさそうね」
「そうね。結局聞きたいことは聞けなかったけど、そういう雰囲気じゃないわね」
そう言ってリタと佐保は龍人の後に続く。
フリオもその後に続こうとして、
(ん?)
違和感を覚えた。龍人が小さく笑った気がしたのだ。
(気のせいか?)
改めて見れば、龍人は口を閉め笑みなど浮かべてはいない。
見間違いだったかと流し、付いていこうとした時だった。
『待て』
突如、龍が呼び止める。
『ギリーよ――なぜお前から小さき者たちの血の臭いがする?』
その問いに、佐保、フリオ、リタ、そして龍人の足が止まる。
忌まわしき者、無明の者、小さき者、理解し難き者――先ほどから龍の言うそれは、人間を指していると思われる。
その血の臭いがこの龍人からはするという。
(……まさか!?)
「リタッ!」
佐保の中で何かがつながりかけたと同時に、フリオが叫んだ。
――ザクッ!
「きゃあああああああっ!」
鮮血が舞うと同時に、リタの悲鳴が響く。
突如振り返った龍人が。リタにその爪を振るったのだ。鋭い爪は、鎧も、神霊力の守りもまとめて切り裂きリタの胸元を深く傷をつける。
血を流すリタを追い打ちとばかりに龍人が蹴り飛ばした。
「てめえええっ!!」
剣を抜くフリオだが、佐保の方が近く早かった。
「死ね!」
日本人相手にはギリギリまで銃を向ける決断をしなかった佐保だったが、モンスターであれば話は別だ。中国地方でモンスター退治には何度か出撃経験のある佐保に、人間以外への遠慮などなかった。
すでに安全装置を解除していた自動小銃を構え躊躇なく引き金を引く。
タタタッ! タタタッ! タタタッ!――佐保の撃った弾は全弾が命中した。わずか数mの距離だ。外しようがない。
『ギャアアアアアアアアアアアッ!!』
叫び声をあげた龍人は大きく後ろへ飛び下がる。
「嘘でしょ!」
佐保が驚き声を上げた。
『おのれぇ! 痛いゾ! 痛かったぞーー!!』
叫び声の派手さとは裏腹に、龍人には傷付いたようには見えない。
だが、そうとうに痛かったのだろう。赤い目を光らせながら憎しみを込めた声を上げる。
「リタ! しっかりしろリタ!」
佐保が銃を構える横をすり抜け、フリオは倒れたリタに駆け寄る。
リタは肩から胸にかけて鋭く切り裂かれていた。今も血が流れ出ている。
「待ってろ! いま霊薬を!」
そう言って荷物を下したフリオは液状の薬を取り出す。
大陸でも最高位の神官がその術で生み出す薬だ。これ1つでちょっとした家くらい買える値段だが、フリオは惜しげもなくリタの傷に振りかけた。
「うっ……」
気絶しているリタが小さくうめいた。
薬の効果で出血は止まったが傷は完全にはふさがっていない。それにどうやら、蹴られた時に骨も折れたらしい。
「この傷――」
ちらり、と横目でリタの様子を見た佐保はその傷口を見て先ほどの思い付きを確信に変える。リタにつけられた鋭利な傷口は、先ほど見た蜷川1尉の遺体を思い起こさせたのだ。
「あんたね! 蜷川1尉を殺したのは!?」
だが佐保の問いに龍人――ギリーは何も答えずただにらみつけるだけである。
『ギリー! 貴様どういうつもりだ! なぜこやつらを襲う!? なぜ我が命もなく血を流した!!』
代わって、とう訳ではないだろうが龍が問いを発する。
佐保の問いには反応しなかったギリーだったが、龍の問いを受けその視線を龍へと向けた。
『五月蠅い』
『な、なにぃ!?』
『我はとうに貴様の眷属に非ず。貴様の命など聞いてはおらぬわ!』
『何を言っている! 貴様は――』
『もはや! 命落とす程の深手を、その身に樹に接がれて生き長らえる貴様は龍に非ず! 我が主にあらず!』
『おのれ……』
ギリーの言葉に、世界樹に接がれた龍が怒りで身を震わす。
或いは動こうとしたのかもしれない。しかし、世界樹と一体化したその身は動こうとはせず、わずかに顔がフルフルと動くのみであった。
『フェイフ……そうだフェイフはどこだ!? フェイフよ、この裏切者を処せ!』
龍が何者かを呼ぶ。しかし、龍が何度呼びかけてもそれに応じる者は現れなかった。
『クハハハハハッ! 奴なら貴様の命で西に向かい死んだわ!』
『なんだと!?』
『同じ龍人とはいえ、あの頑固者の馬鹿めが! 自らの眷属の生死にすら気付かぬくたばり損ないに忠誠を誓い続けた結果だ!』
『くぅ……貴様は……貴様は、一体いつから裏切りおった』
『貴様が樹に接がれた時からよ! さあ、貴様の事はもういいわ! 予定と違ってしまうが――』
そう言って、再び佐保の方を見る。
佐保は銃床を肩に当て照準を付けていつでも撃てる体制を取っている。だが、先ほどの直撃が痛がらせる以上の効果が見られなかったことから、どうするべきか迷っていた。このままだと無駄弾になる可能性が高い。
『あの男の様にコイツに気づかれず殺そうと思ったが致し方ない。もはやバレたところでなにもできぬわ。ならば、我が主の命を優先させるのみぞ!』
そう言い放つギリーの言葉に佐保の中ですべてが一本の線でつながった。
(龍人ってのは報告書にあった名古屋に出没したのと同じよね。龍の眷属ということだけど。たぶんそれがフェイフってやつか。そしてこのギリーってのはこの龍を裏切った)
裏切ったのなら、新たな主がいるはずである。
そして、今の日本にこの龍人が仕えるような龍が何匹もいるとは思えない。つまり――
(こいつの主は、あの『龍神様』しか考えられない。でも、そうならなぜ蜷川1尉は殺された? そして、なんで私たちまで狙われてるの? やっぱりここが禁足地だったせい?)
疑問は尽きない。
だが、そんなことよりも今は目の前の状況を切り抜けなければいけない。
(どうするか――ん?)
思考をめぐらす佐保の視線の端。龍人に背を向けリタの治療をしているはずのフリオの動きが目に入った。
治療をしながらも、こっそりと何かを取り出している。
(あれは確か)
フリオのしようとしている事に佐保は気付いた。




