第104話 上野にて
東京都台東区上野。同じ台東区の浅草と共に副都心と位置付けられる。
江戸時代には徳川将軍家の菩提寺・寛永寺が建立され門前町として栄え、明治になると上野恩賜公園が造られ、繁華街として発展してきた。
空自の蜷川パイロットからの無線によると、彼はここに居るということであった。
佐保たちが車を降りた中央区銀座は、隣接する千代田区、港区と共に都心とされ、上野のある台東区とは隣り合っており指呼の間としってよい距離だ。
土地勘がなく周囲の状況も不明なことから、佐保は2時間程度かかると言っていたが、何もない状態で昭和通りをまっすぐ進めば一般人でも1時間程度で着くだろう。
「やっぱり東京には住人がいるのは間違いないわね」
「ああ、所々枝を払った痕跡があるな。昨日今日じゃなさそうだけど、何日も前って訳じゃない」
大樹に端を発すると思われるビルを飲み込む木々。
枝や幹、根の様なものが建物を飲み込み道路にまで張り出しているが道を塞ぐほどではない。それでも、アスファルトを破り根の様な物が張り出し歩きにくい箇所もあった。そこを避けると、邪魔な枝などが何者かによって折られているのだ。
「探している蜷川さんじゃないの?」
「可能性はあるけど、さっきの件もあるしね」
「それに、モンスターもいるようだしな。武器もない日本人ならむやみに出歩かないんじゃないかな」
そう言ってフリオが見る視線の先には、白骨化した中型動物らしき骨が落ちていた。
「野生動物の可能性は?」
「見ろよ。骨の一部が鋭利に斬れてるだろ? 冒険者でもいるなら話は別だけど、そうじゃないならモンスター同士で争ったんだろうな」
「……東日本の人たち、よくこんな中で生活出来るわね」
「大陸じゃ当たり前だよ。モンスターは狂暴だけど、常に襲ってくる訳じゃないしさ」
フリオは言う。
「モンスターは神霊力を操って狂暴ではあるが動物だ。積極的に刺激したならともかく、そうじゃなければ腹が減らない限り襲ってはこない。人間側が警戒していれば襲うにしてももっと襲いやすい動物を狙うしね」
「そこがちょっと信じられないのよねぇ……」
過去、冒険者たちから似たような話を聞くたびに、佐保は同じ感想を持っていた。
以前のモンスターの大襲来もそうだが、その後も何度も岡山を襲っていたモンスターの事を知っていると、フリオや他の冒険者の語るモンスター像とにズレを感じるのだ。
日本で起きている現象は、とても腹が減ったからの襲来とは思えない。
第4師団内では、岡山でモンスターの襲来を直に見たフェルナンドの感想から、生存競争によるものだと推測を立てているが、椎木を中心とした一部の推測に過ぎない。
佐保が知る由もなかった。
「まあ今はいいわ。もうすぐよ、油断しないで行きましょう」
肩に下げた自動小銃を確かめるように手をやりながら、佐保はそう言って歩き始めた。
上野地区に着いた佐保は地図とメモを取り出し、街区表示板を探し目的地を探す。
1本、2本と横道を見ながら目的の道を見つけると、表通りから横にそれる。表通りと違い横道に入ると、表通りのビルよりは少し低い建物がいくつも建っていた。
多くの建物は窓から枝が飛び出ており、表面は太い幹の様な蔦が絡まっている。
「左に曲がって2つ目の十字路を……うん、ここね」
そう言ってたどり着いたのは、3階建ての建物。元は一階がテナントで、2階以上は住居という作りだったようだ。
1階部の窓は板が打ち付けられ、入口の扉も補強がしてある。2階3階の窓は無事で、表面も細い蔦こそ覆っているが太い物は見受けられない。
「入口、人が出入りしてる気配があるわね」
「ええ。ここで間違いないと思うわ」
「中にいるかな?」
3人が入口の前に立ちそう話し合っていると。
ガタッ! ガタタタ! ガッ!――中で激しい物音がする。上の階だ。
「!?」
「佐保とリタはここに!」
そう言ってフリオは抜剣すると入口から中へ飛び込む。
一瞬遅れてリタも剣を抜き、佐保は銃を構え安全装置を解除した。
ダッダッダッダッダ――とフリオが駆ける足音。そして、
「待て!」
「ひぃっ!?」
「あ、これは――お前か!」
「ち、違う! 俺じゃねぇ、違う!!」
何者かをフリオが追いかけ、やがて追い詰めたようだ。
バタバタとしていた物音が収まった。
「リタ、佐保! こっちに来てくれ」
やがてフリオに呼ばれ佐保とリタは建物の中に入る。
1階は元々飲食店だったようだ。椅子とテーブル、それにカウンター席があり荷物が色々と置いてある。
奥に進むと扉があり、その中に階段があった。どうやらフリオは2階にいるらしい。
「フリオ……大丈夫?」
「ああ問題ない。ここに来る途中に部屋があるからその中を見てくれ」
慎重に階段を登りながらリタが声をかけるとフリオがそう返事を返してきた。
2人が2階に上がると、廊下の先にフリオと彼に剣を突き付けられている何者かがいた。
探していた蜷川1尉かと佐保は一瞬考えたが、それならば慌てる必要はないはずだ。
取り合えずフリオの言う通り階段とフリオたちの間にある一番手前の部屋の中を覗いてみた。
「ひっ!」
「うっ……」
そこには1人の男が血を流し倒れていた。
「だからよ、俺が殺したんじゃねーよ! テメーらこそ、ヒィ!」
フリオに追い詰められたのは、ぼさぼさの髪に髭面の初老の男だった。男は一部歯の抜けた口でわめいていたが、フリオが剣を近づけると情けない声を上げた。
刃物を突き付けられる経験などなかったのだろう。一度黙るとガタガタと震えながらその場に座り込みフリオの突き付ける剣先を見続けていた。
フリオが男を見張っている間、佐保は死んでいる方の男の様子を見ていた。
死体鑑定技術などない佐保であるが、血は乾いているが死体の様子からさほど時間が経っていないことは想像が出来た。
また死因も明白であった。仰向けに倒れた男の首から胸にかけて鋭く切り裂かれた傷が付いている。ショック死か、それとも出血多量か判断はつかないがこれが原因だなと佐保は判断した。
同時に、フリオに剣を突き付けられ震える男が犯人である可能性は低いと考える。
殺した後、わざわざ戻ってきたのなら不自然であるし、なにより剣を突き付けられ震えるこの男がこれほどの傷をつけるほど刃物の扱いに長けているとは思えなかった。
それでは一体ここで何をしていたのか。
「あなた、犯人じゃないならここで何してたのよ」
「お、俺ぁその人の知り合いでよ。こ、この近くの学校に他の仲間と住んでんだけどよ。この人は独りで暮らしてるもんだからさ、時々様子見にきてたんだよ」
「で、今日も来たってわけ?」
「そう! でよ、呼んでも返事がねーもんでよ。最近は籠って他所に出歩く事も少ないから中入ってみたら死んでたんだよ。で、俺ぁすっかり動転しちまって。そしたらちょうど――」
「私たちが来たって訳ね。ふーん……」
男の話しに佐保は胡散臭い目を向ける。一緒に聞いているフリオとリタの目から見ても、男は胡散臭かった。
「じゃあ、その缶詰は何? 死体を発見して慌てたにしちゃねぇ」
「こ、これは――」
言葉に詰まる男の足元には、数個の缶詰が転がっていた。
手に持っていた物をフリオに追い詰められた時に落としたようだ。
「これはさ、約束してたんだよ! お互い何かあったら、残された物を譲るって。ほんとだ!」
「――この人のフルネームは?」
「へ?」
「本当にそんな約束までする仲か確かめるのよ。な・ま・え、は?」
「に、蜷川……ええっと、そう、真也! 蜷川真也!」
「職業は?」
「自衛隊のパイロットだ。どうだ!?」
「ここに来たのは何年前? どうやって来たの?」
「ご、5年前。い、いやもっと前か。もう何年も暦なんて気にしちゃいねーから分かんねえよ! あ、でもどうして来たかは知ってるぜ! 戦闘機に乗って中国地方から関東まで飛んできたけど、モンスターに撃墜されて脱出したんだ! 俺は最初にあの人に会ったんだ、間違いねぇよ!」
フリオの剣だけでなく、佐保が持つ銃も気になるのか、2つを交互に見ながら男は早口でまくし立てた。
(やっぱりこの死体は蜷川1尉か。言ってる話に間違いはないわね。無関係ではなさそうだけど、本当にそこまでの仲だったのかな?)
「なぁもういいだろ。缶詰は返すからよ、解放してくれよ~」
「ちょっと待ちなさい。少し調べものするから、それまでね」
「あ、あんた自衛隊だろ!? し、市民にこんな横暴していいのかよ!!」
(今この状況でそれを言うか……)
あんた以外目撃者はいないんだけど――とよほど言おうかと思ったが、そこまで露悪的にはなれなかった。
「なあ。もし、この剣が刺さったとして、誰がそれを知るんだろうな?」
「ひぃぃ!」
佐保の内心を読んだ訳ではないだろうが、代わってフリオがそう言って男を黙らせた。
フリオが男を見張っている間、佐保とリタは建物の中を調査して回った。
と言っても殆どは生活品が置いてあるくらいで、収穫と言えば3階に蜷川1尉が使ったとみられる無線機とバッテリーや電池が置かれた部屋を見つけたこと。また図書館から持ち出したらしい無線に関する本が大量にあったくらいであった。
(なるほど。これで無線を飛ばしたのね。出歩かなくなったのも連絡がついたからか)
無線の使い方は自衛隊でも習う。
だが、この状況で無線について学びなおし機材を集め動かし、そしてつながるまで根気よく続ける。どれだけの労力が必要であったのだろうか。
そこまでして西に連絡を取りたかったのは何としても戻りたかったのか、あるいは伝えたいことがあったのか――今となっては知る術はない。
「なあ、あんちゃんよ。逃げねぇから剣をどかしてくれよ」
「大人しくしてろ」
「けっ!」
この状況に慣れてきた――そして3人に害意がないことに気づいてきたのか、男の態度はだんだんとふてぶてしくなってきていた。
「フリオ終わったわ。もういいわよ」
「いいのか?」
「ええ、いいわ」
佐保の言葉に、フリオは突き付けていた剣を下げる。が、鞘には納めず抜き身のままだ。
男の態度が豹変するかもしれないからだ。
「へへっ、ようやくか。あ~体が痛てぇなー!」
「わざとらしいわね。悪かったわ、はいこれはお詫びよ」
そう言って佐保は持ってきたいたレーションを1つ男へ差し出した。
「1つかよ! ケチが!」
「こっちも余裕はないのよ! しっかしあんた――」
「あん?」
レーションを渡す際、その体臭に顔をしかめながら佐保は男の着ている服を見る。
「髪や髭はその様なのに、意外と服はキレイね」
「はっ、服はそこらじゅうの店にあるからな! 洗濯の必要もねぇ!」
「窃盗よそれ」
「緊急避難だって蜷川のやつが言ってたぜ」
そんな話しをする程度には親しかったのは本当らしい。
そしておそらく蜷川自身もそうやって衣と食を賄っていたのだろう。
物資面だけならサバイバルも可能という予想は当たっていたようだ。
「それより、あんた誰が蜷川さんを殺したのか心当たりないの?」
蜷川と接触することが任務であったが、彼が死んでしまった以上任務の継続は不可能になった。だがせめて、彼がなぜ殺されたかくらいは可能ならば突き止めておきたい。
「知るかよ。この人は人の世話を焼いてくれてたから、感謝する人はいても恨む奴は思いつかねぇな」
「西日本の人間だから――とかは?」
ここに来る前。富士市での一件を思い出し佐保は尋ねてみた。
その問いに、男は一瞬ぽかんとして、
「ぎゃはははははは!!」
心の底から馬鹿笑いした。
「おめー頭おかしいのか? なんで西日本の人間だったら殺すんだよ」
「東京に取り残された恨み、とか?」
「はぁ? 俺らぁ自分で残ったんだぜ。なんでそれを恨むんだよ?」
本当に、心底理解できないといった感じで男は答えた。
(和尚が言ってた事と違う。それとも、独立を謳ってる甲信地方の人とここじゃ別なの?)
その始まりが逆恨みであれ正当な恨みであれ、現に東の人間は西の人間を恨んでいると和尚は言った。
だが、目の前の胡散臭い男から少なくともそういった恨みの感情は感じ取れない。
(そもそも、名古屋、濃尾地方の人もそういう恨みはほとんどないそうだし。そういえば、和尚たちはここに入れないってことは交流もないか)
となると、甲信地方の人々はその閉じたコミュニティの中で恨みを熟成させてしまったとでもいうのだろうか。
(判断材料がないわね……いや、そもそもこういう心理分析は専門じゃないし)
きっちり情報を持って帰って後は専門家に任せようと佐保は思い直した。
「あ、そうだ!」
何か思い出したのか男が声を上げた。
「なに?」
「もしかすると犯人が分かるかもしれねぇぜ。知ってるかもしれねーヤツを知ってる」
「なにそれ……」
胡散臭い男が話す胡散臭い話しだ。
「そもそも、あんた蜷川さんが殺されてたのさっき知ったんでしょ。なんで犯人を知ってるかもしれない人間を知ってるのよ?」
「いや、ちげぇよ! 人間じゃない、主だ主!」
「主ぃ?」
「そう。この森の主だ!」
「森! そう森よ!」
その森という言葉に佐保が反応した。
蜷川の死体を発見したことですっかり頭から飛んでいたが、彼が生きていればこの森とあの巨樹のことを聞きたかったのだ。
この男が蜷川よりも前からここにいたというなら、当然これについて知ってるはずだ。
「そもそもこの東京のありさまは何!? あの巨大な樹はなんなのよ!? その主って何!?」
「そりゃ、おめー……お、おお? うーん、へへっタダじゃなぁ」
「コイツ……今言おうとしたくせに。分かったわ、レーションもう1個追加!」
「へっ、このケチが! まあいいだろ。あの巨大な樹はよぉ、蜷川さんがやってくる2~3年前か突然現れたんだ」
「突然?」
「そう、突然一夜にして。ま、今ほどデカくはなかったけどよ。前の日まではツリーが見えてたんだが、朝見ると樹がツリーに巻き付く様に生えてたんだ。そっからはあっという間だった、すごい勢いで樹は成長するわ、辺りに木や根が生えるわで、この有様よ。ツリーの周辺なんざ、倒壊したビルもあるぜ」
「なんで?」
「たぶん、鉄骨や土台まで木や根が入り込んだんだろうさ」
俺は建築で働いていたんだから詳しいんだ――と全く信ぴょう性のないことを言う。
「ま、ここ1~2年は落ち着いてきたけどな。それでだ、そんな中でも俺たちゃなんとか暮らしてるわけだ」
「信じがたいけど、まぁこの世界じゃ今更だわ」
(いや、俺でも信じがたいぞこの話し)
内心で思わずツッコミを入れるフリオ。男の話しは、この世界の常識に照らしても非常識といってよい出来事である。
しかし、ここで話しの腰を折るわけにもいかない。
「それで、主ってのは?」
「ああ、その巨大な樹が出来てしばらくしてだ。その主ってやつの使いが現れてこう言ったんだ『これより、あの世界樹におわす我が主がこの地を治める。お主たちは今まで通り暮らすが良い』ってな」
「……何それ。まあ今はツッコミは置いておくわ。その主ってのが居て、その使いがそう言った。それで、何でそれが蜷川さん殺しの犯人につながるのよ」
「ここからよ。その使いってのはいくつか禁則事項も伝えてきてな。例えばこの樹を燃やすな、切るなだとか。少々の邪魔な枝とかなら良いんだが、鋸なんかで大きな木を切ってるとどっからともなく現れて罰を下すんだぜ。どんな罰かは、ま、想像に任せるぜ」
そう言って嫌な笑みを浮かべる。
「つまり、あんた達は監視されてる?」
「さぁ。もしくはこの辺り一帯がそうなんじゃねーかと俺はにらんでるがな」
「どのみち、蜷川さんの一件も知っているかもしれない、か」
余りに突拍子もない話しだが、事実だとすれば確かに蜷川1尉殺害について何か知っているかもしれない。
主の行動も、罰はともかく対応を見ると話しが全く通じない相手ではなさそうだ。
「どうする佐保。俺たちの仕事はあんたの護衛だ」
「……良いわ行ってみましょう。でも、危ないと思ったわ引き返すわ。どの道、あの世界樹は気になってた。調べれるなら調べたいわ」
そう言って、佐保はレーションを取り出したリュックを背負いなおす。
フリオも剣を鞘に納め階段へと向かった。
佐保もその後をついていこうとし、ふと気づいて振り返る。
「そうだ、蜷川さんの遺体だけど」
「わかってるよ。さっきも言っただろぉ。世話になった人は多いんだ、後で人集めてどっかに埋葬しておくよ」
「そう――色々悪かったわね。それじゃ」
そう言って佐保たちは建物を後にした。
「そういや――」
佐保たちが建物を完全に去ったのち、男がわざとらしくつぶやく。
「禁則事項にゃ、『世界樹には近づくな』ってのもあったな。ま、いきなり殺されはしないだろうさ」
俺を脅した罰だ――と言って、男はもらったレーションや缶詰を手に建物を後にした。




