第99話 降臨
「喝っ!! 何をしておるかおぬしら!!」
道路からの大音声に皆の動きが一斉に止まる。
(たす、かった?)
そう思う佐保であったが、フリオとリタは剣を構えたまま動かない。
「おぬしら出てこい!」
再びの大音声に、襲い掛かってきた者たちはさっきまでの勢いはどこへやら。相変わらず憎しみの目で見てはいるが、それでも声に従いぞろぞろと家を出ていく。
「……」
警戒しながら、住民全員が家を出た後3人も靴を履いて玄関から外に出た。
「まったく、何をしておる! いくら何でもやり過ぎじゃ!――おう、おぬしらがそうか。こっちへ来るがよい」
そう言って3人を手招きしているのは、筋骨隆々とした体躯に黒い法衣に袈裟を纏ったスキンヘッド。見るからに僧侶といった50歳くらいの男であった。
その後ろには、同じく法衣と袈裟を着て編笠を被った者が10人ほどひかえている。
「ほれ、皆道を開けてやれ。手を出すことまかりならんぞ!」
「でも和尚よぉ」
「デモもストもないわ! 早うせい!」
和尚と呼ばれる男に反論しようとした者がいたが、和尚がギロリと大きな目でにらむと皆そそくさと道を開いた。
(一体どういう関係だ?)
あれほど殺気立っていた人々を抑えてここまで従わせるのだ、ただ者じゃないと考えつつ、フリオはリタと2人で佐保を挟む形で人々の間を進んで行く。
和尚の静止を聞いてか手を出してくる者はいないが、棒や農具など武器になる物を持ち殺気を孕んだ人間の間を抜けるのはなかなかにスリルがあった。
(俺とリタなら逃げるだけならなんとかなると思うけど)
2人なら神霊力の守りのおかげで、棒で殴られても少しなら耐えられるだろう。その間に数人を斬り捨て動揺したところを突破すればいい。
だが、佐保はそうはいかない。純粋な体の鍛錬なら自分よりも鍛えているかもしれないフリオはみているが、神霊力を持たない身で複数人に殴り掛かられてひとたまりもないだろう。
ここは大人しく正面で待ち構える男の言うことに従うのが賢明だと考えていた。
(それにこの人たち神霊力を持ちだ)
和尚を中心に10数人の付き従う者全員、フリオの目にはハッキリと神霊力を持っていることが分かった。
特に和尚。彼の持つ神霊力は、
(なんだこの神霊力!?)
思わず瞠目する神霊力の強さだった。
神霊力が見れるフリオの目には、今にも吹き出そうなほどの神霊力が和尚の体に漲っているのが分かる。
神官――神に仕え神に見いだされた人々の中でもここまでの神霊力はなかなかない。
神霊力の過多は本人の生まれながらの性質と鍛錬で大きく変わる。
どれだけ生まれ持った性質に恵まれ、どれほど修行を積めばこうなるのだろうか。
「ふむ……」
3人が無事和尚の前までたどり着くと、和尚は腕を組みつつ片手を顎に当て3人の様子を見た。
周囲の武器を手にした人々は、和尚がいる前で襲ってくることはなさそうだ。ジロジロみられることは嫌だが、同時に安堵する3人であった。
「おぬしら。西から来たというのは本当なのか?」
「はい。私は……陸上自衛隊3等陸尉佐保登紀子といいます。こちらの2人は日本の南にあるラグーザ大陸から来たフリオ・マラン・ベルナスとリタ・サンピト・メラス。ともに冒険者です」
「自衛隊のやつだとよ」
「けっ、嘘つきが!」
「ふむ……そちらの2人はともかく、お主嘘はいかんのう。隠そうとしたのは正しいが、そもそも来たことが間違いじゃったな。東の人間の心情を分かっておらん。わしがいなければ殺されておったぞ」
「あの、どうしてこうなっている事が分かったのですか?」
「元々、今日ここに来る予定だったのだが迎えの者がおらんかった。人を探して聞いてみれば、西からやってきた奴らがー!と血走った眼で言っておっての。これはいかんと駆け付けたのじゃ」
なるほど、とフリオは合点がいった。
この町に来た時、男たちが仕事もせずたむろしていたのはこの人を待っていたのだと気づいたのだ。
おそらく、西村という老婆が他の者と料理をしていたのもこの和尚たちにふるまう食事を準備していたのだろう。
「それは……ありがとうございます。おかげで命拾いをしました」
佐保としては、東日本の人間――特に独立を主張している地方の者が西日本の人間に隔意を抱いていることは想像できていた。
だが、まさか命を狙ってくるほどとは思っていない。
直前に接触していた名古屋やその周辺の人々にも多少西日本に対して思う所はあったようだが、それでもそれを表面化しない分別があった。なかには、ユナの様な友好的な人物もいる。
この差は一体なんなのだろうか。
「和尚、そいつを引き渡してくれよ!」
「ダメじゃと言うておる。お主たちの気持ちも分かる。じゃが、憎しみにとらわれてはいかんぞ」
「でもよ! こいつらのせいで、娘は病気も治せず死んじまった!!」
久保と呼ばれた最初に3人に出会った男が叫ぶ。
「私は、夫が10年前西に逃げようとするやつらに突き飛ばされて足を折って動くことができなかった。結局夫も死んじまったんだよ!!」
3人を家に迎えた西村も叫ぶ。
「俺だって――」
「私も!」
久保や西村を皮切りに、人々が口々に己の過去を訴え始める。
内容は様々だが共通することは1つ。その矛先をすべて西に行った、西日本に住む人々へ向けていることだった。
「殺せ!」
ヒートアップした誰かが言った。
「かたき討ちだ!」
「西の者は出ていけ!」
「俺たちは俺たちでやっていくんだ!!」
和尚の一喝で一度は収まった人々の激情も再び火が付いた。
「やーめーぬーか! おぬしたち!」
興奮する人々と3人の間に立ち、和尚が再び止めようとするが収まらない。
しかし和尚は慌てようとせず言葉を続ける。
「御前を血で汚すつもりか!」
その言葉は効果てき面だった。
その一言であれほど興奮していた人々がグッと押し黙ったのだ。
「ほれ、もう時間じゃ。考えなしに行動するからこうなる」
「むっ……」
「あのー御前とはいったい?」
「あちらを見よ」
佐保の問いに和尚は、北を向く。
その方向を3人が見ると空の上を一匹の鳥が飛んでいた。
(いや、違う。遠い――デカい!)
鳥と思われたそれだが遠近感が狂っているだけだった。かなり遠い距離に巨大な物体が宙を舞っているのだ。
それはまっすぐ南――こちらへ向かって飛んできた。
近づいてくるほど細部が分かってくる。
全長100m近く。巨大な羽を背に持ち、全身は真っ赤な鱗に覆われ、4本の肢には5本の鋭い爪を持つ指。2本の角を持つ頭部には、黄金色の瞳が。
それはまぎれもなく――
「龍」
佐保が呆然とつぶやく。その姿を佐保は知っていた。
10年前、小田原でモンスターの西進を食い止める大規模な戦闘が行われた際に、モンスターを率いていたと推測されるもう1体の龍と戦かい、自衛隊を救ってくれた赤い龍。その姿に酷似している。
当時まだ学生であった佐保だが、その映像は民間にも出回っており、一部ではあれは救いの神だと言っている者もいたことを覚えている。
やがて龍は上空まで到達すると、人々の真上を二度三度と旋回し始めた。
「おぉ…龍神様だ!!」
「龍神様!」
「ありがたや、ありがたや……」
その姿に、集まっていた住人たちは手にしていた武器を放り出し、その場に跪くと手を合わせ熱心に拝み始めた。
「南無っ! 南無っ!」
和尚と付き従う僧侶たちも手を合わせ南無と唱え続けている。
場違いになったのは佐保たち3人だ。
10年前のあの龍なのかと呆然とする佐保。そしてフリオとリタは、
「で、伝説級のモンスターでも最上級じゃないか。こ、こんなのが人里まで出て来るなんて」
「レッドドラゴンなんてお話の中でしか知らないわよ……」
やがて上空を旋回していた龍であったが、やがて北西へと進路を向け数km先の街中に足を下した。
「……」
「さておぬしら。わしと一緒に来るがよかろう」
「……え? あ、ええっとでも」
佐保は困惑しつつも、先ほどまで自分を殺そうとしていた人々を見る。
皆まだ熱心に龍の方向を拝んでいる。
「安心せい。おぬしらも、そろそろ仕事に戻れい! 龍神様もしばらくすればまた帰られる」
和尚がそう呼びかけると、
「ああ、そうですね」
「それじゃ塩作りに戻ろうか」
「私は家を片付けてから戻りますよ」
「それじゃ和尚様。食事の用意もしてありますので、後でお越しください」
先ほどまであれほど殺気立っていた人々が、まるで何事もなかったかのように和尚たちに頭を下げ三々五々この場を去っていった。
もはや佐保のことなのどうでもいいといった感じだった。
「これは一体」
「龍神様のおかげよ。龍神様のお姿とお心に触れ、皆人心を取り戻したのじゃ」
「龍神様、ですか……」
「とはいえ、また何があるか分からん。一緒にここを離れるぞ」
龍神様、という言葉にどう反応していいのか困惑する佐保に構わず、和尚はそう声をかけ歩き始める。
「どこに行かれるんですか?」
「せっかくじゃ。お主に、いや西の人間にわしらの仕事を見せようと思ってのう」
何か考えがあるのだろう。
和尚は真剣なまなざしでそう言った。
富士市内を流れる潤井川にそって北西に進みながら、佐保・フリオ・リタの3人と和尚たち一行は市内中心の中央公園を目指していた。
公園には龍がいるのが建物の影から時折見えていたが、しばらくすると龍は再び北へと飛び去ってしまった。
「あ、行っちゃいましたけど良かったんですか――ええっと」
そういえば名前を聞いていなかったなと佐保は気付く。
声をかけられた和尚もそれに気づいた。
「わしらの仕事は龍神様の後を引き継いで行うので問題ない。それと、わしのことは和尚で構わん。皆にもそう呼ばれておるし、龍神様にお仕えした時から名前は捨てたも同然じゃ」
「龍神……様にお仕えしている?」
「そうじゃ。少し話してやろうかのう」
「10年前、魔物どもが現れた時龍神様が現れ我々を助けてくださってことは知っていよう。あの時龍神様は、悪龍を追っておられたのだ。悪龍は強く、龍神様も危ない所であったそうだ。しかし、自衛隊の力もあり見事悪龍は討ち果たされた」
(悪龍ってのは、あの東洋型の龍のことよね)
「その後、龍神様は北の大地に戻られたそうじゃ。しかし1年後戻ってきてみれば、人々の多くは土地を捨て西へと逃げ取り残された者たちは飢えと魔物の恐怖に怯えておった。哀れに思われた龍神様は、ともに戦ってくれた恩もあり人々を護ろうと考えられた。東日本や北の大地から食料を集め、人々の住まう場所から魔物を追い払い――西へ逃げられず、このままでは飢えで死ぬか魔物に殺されるか。そう考えていた人々にはまさに天恵であったわ」
話している内に感極まったのか、和尚の目は涙ぐんでいた。
「なるほど、それで龍神様というわけですね」
「そうじゃ。それからしばらく経った頃じゃ。当時わしは山籠もりし仏法の修行に励んでおった。そこに、龍神様が現れたのじゃ! 龍神様曰く、『我が手足となるべし』と。いかに龍神様といえども、この甲信地方だけでも人が住まう場所は広い。このすべてを護るには手が足りなんだ。そこでわしらが代わって各地を回り、龍神様の御心をお伝えしつつ魔物討伐をおこなっておる」
(魔物退治か。冒険者みたいね)
(仕える相手が神じゃないけど神官みたいだな)
「でも、和尚の仲間が何人くらいいるか分かりませんけど。それだけで甲信地方全域をカバーは出来ないんじゃないですか?」
佐保の問いに和尚は然りと頷く。
「確かにその通りじゃ。何人もの者がわしらの力が及ばず魔物の餌食となってしまった。じゃが! 龍神様のお知恵は広大無辺。その為の術をお授けくださった――それが、ここにある」
40分ほど話しながら歩いただろうか。一行は目的の中央公園に到着した。
もはや使われなくなって久しいはずの富士市中央公園だったが、ごく最近草刈りがされたらしく、道や広場には雑草がなく樹もきれいに剪定がされていた。
「うむ、立派なものじゃ。大変だったろうに皆よくやってくれておる」
公園の様子に満足そうな和尚。
どうやら和尚の指示で公園の草刈りが行われていたらしい。行ったのはここの住民たちであろうか。
園内に入って進むと元は芝生だったと思われる土の広場があった。
土には付いたばかりの巨大な足跡と長い尻尾の跡が残っている。先ほどまで、ここにあの龍がいたのだ。
「おおぉ! 龍神様の息吹を感じる――さあ、皆の者準備にかかれい!」
『はっ!』
和尚の号令に10数人の僧侶たちが、広場の中心に建つそれを取り囲むように散開していった。
「和尚、あれは――」
石組み造りと思われる高さ4~5mのそれ。
佐保の目には仏教建築の、
「塔、ですか?」
「さよう! これこそが龍神様のお知恵の結晶。『龍神塔』であーる!」
そうして和尚は、塔の正面に立ち取り囲む他の僧侶と同じ両掌を組むと高らかに声を上げた。
『オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン! カンジンザイボサツ・ギョウジハンニャハラミッタジ・ショウケンゴウンカイクウ オン! 南無釈迦! 南無釈迦! 八大竜王! 十王十三仏! 南無阿弥陀仏! 毘沙門天の加護ぞある!! 仏法を守護せし龍神、座我濤他の名の下に、魔を払わん! きえぇぇぇぇぇっーーーー!!!』
10数人による神霊力の全力放出。特に和尚の力は凄まじく、後ろで見ているフリオとリタの目は、巨大な力のうねりがしっかりと映っていた。
「す、すごい……」
今まで見たこともない力の奔流に気おされるフリオ。
一方――
「なにこの仏教チャンポン」
神霊力が感じられない佐保にはある種滑稽な姿にしか見えなかった。




