第95話 Move!Move!
人は1日に歩いてどの程度移動することができるのか。
歩く人間の体力、装備、移動に使える時間、道の状況等々の要因が絡むが、一般的に人の歩行速度は時速4~5kmとされる。
走らずとも、丸1日歩き続ければ計算上は100km程度移動できることになるが、言うまでもなく実際にはそんなことはできない。
かつて日本において、徒歩で旅をする者は1日の移動時間の目安を7~8時間とし、天候や体力や目的地への距離を考慮しながら歩いたという。
そうすると平均的な1日の移動距離は30数kmといったところであろうか。
もちろんこれは地球時代の日本が前提条件の話だ。
この世界ではまた状況が異なる。
大陸における主要な街道では、敷石舗装された道もあるが大部分は土を固めただけという簡素な道が多い。
辺境へと向かう道ともなれば、長年人が行き交った結果踏み固められただけの踏み分け道という場所もある。
その為、ちょっとした雨や災害そして事故で道が閉ざされ、復旧まで足止めを食らったり遠回りしたり移動が制限されることは珍しくない。
こんな道路事情では、想定通り移動が順調に進まないということは想像に難くないだろう。
また野盗・追いはぎの類は言うまでもなく、山野に生息し人を襲うモンスターのこともある。
転移前の日本でも、事件や事故に巻き込まれる危険性はあったがそれは無視できる範囲での危険性だ。
こちらの世界では危険との遭遇確率ははるかに高い。
外れ道はもちろんだが、主要な街道であっても遭遇する可能性がある。
その対策として長距離を移動する者たちは隊を組んで道を進む。
人数が多いほど当然安全性は増すが、人数に比例し移動速度は遅くなってしまう。
腕に自信のある冒険者などは比較的少人数で移動するが、それでもいざとなれば戦える状態を維持しなければいけないため、疲れるまで一日歩き続けるなどということはできない。
どうしても移動距離はその制限を受けてしまう。
さらに、日本では1日歩いても人里にたどり着かないということは、山中で遭難でもしない限りまず経験することはできないが、ラグーザ大陸では数日歩いても人里にたどり着かないという地方も珍しくない。
その為野宿をすることになるのだが、夜営に適した場所探しやその準備を考慮するとまだ進めそうな状況でも留まる必要が出ることもある。
旅に不慣れな者が、まだ陽が高いからとギリギリまで移動を続け辺鄙な場所で夜営し、翌朝骸になっていたというのはままある話だ。
他にも原因は様々あるが、ともあれ転移前の世界や国内の安全な地域を基準に日本人が考える徒歩での移動と、この世界における徒歩での移動には大きな隔たりがある。
例外は大陸でもっとも進んだ国家である連合王国であろう。
首都ルマジャン市内では多くが敷石舗装され一部ではアスファルト舗装もされており、国内の主要道路もほぼ敷石舗装され定期的に整備補修が行われているのだ。
その主要街道では一定距離ごとに駅家が設けられ旅人もそこで休むことができるようなっており、各地にある軍の駐屯地が一定の駅を管理しその管轄内で出現した野党やモンスターを素早く排除し治安を維持している。
さすがに主要街道以外ではここまでの体制は用意されていないが、少なくとも辺境であっても村規模の集落へ踏み分け道を辿るしかないなどということはない。
国策として流通の大動脈の確保がされているのだ。
そのため連合王国内では人や物資の移動が非常に活発であり、軍事面でも経済面でも計り知れない効果を出している。
だがそれは連合王国内だけ。大陸全土でみれば例外的な話だ。
連合王国の本拠である大陸西部から東に移動するほど、道の移動というものは安全ではなくなっていく。
東の国々が道路整備、流通というものを軽視している訳ではない。
これは技術力と経済力の差や、大陸西部よりも長く続いた――そして今再び起こり始めた――戦乱により、継続的に維持が出来なかったことによるものだ。
道が整備されていない方が敵の行軍も円滑にいかず防衛に有利だ、という考えもある。
兎にも角にも、今やこの世界の一部となった日本を訪れる冒険者の多くは大陸東部の者であり、その常識に従い行動している。
中国地方内での活動に終始していた時期からその後近畿へと行動範囲が広がった時期。彼らの移動速度が日本人から見ると亀のようにゆっくりしたものであったのは、冒険者にとってここが未踏の地であるため慎重であったという事情と、この世界における移動の常識に沿ったからであったのだ。
「――今更だけど早いよな」
日本を訪れた冒険者の多くがそうであるように、フリオもまた1つ常識が覆されていた。
岡山を経って2日目。フリオとリタそして佐保の3人は東日本のある自衛隊駐屯地にいた。
事前にギルドで収集した情報では、最初にここを訪れたある女冒険者はその移動に半月以上の日数を要したという。
土地の知識のある日本人が同行してなおそれだけの日数がかかる行程。一度行程が安定すれば日数は短縮されるとはいえ2日というのは以前フリオの常識ではありえない速さだ。
「凄いわよね、ジドウシャ」
「ヒコシマからオカヤマまでも1日かからなかったしなぁ」
そう、日本においてこんなことは今更である。
既に多くの冒険者が日本において自動車に触れ、移動という概念そして常識を塗り替えられてしまっている。
「あれって買えないのかしら?」
「無理無理。兄さんの商会が交渉したけど断られたんだってさ」
既に大陸にも少数もちこまれた自動車は、多くの一般人には珍しい日本の乗り物という以上の存在ではないが、目ざとい者はその価値に気付きなんとか入手しようとしている。
ただし、今のところ日本が交渉に応じないため入手できた者はいない。
今後の日本が大陸に対してどういう対応に出るかで状況は変わっていくだろうが、それはまだ何も分からない先の話であった。
手持無沙汰のままそんな会話を続ける2人。
岡山から自衛隊の車でこの場所に到着すると、佐保は2人に待つようにいって近場の建物へと行ってしまった。
3人を乗せてきた車もどこかに行ってしまい、やることなく待つしかなかった。
「ここは、日本の砦だろ? 自衛隊の基地ってやつ」
時々通りかかるすっかり見慣れた緑色の服を着た日本人や、周囲の建物に目を向けながらフリオがそう言うと、指先で髪を弄っていたリタが「そうね」と相槌を打つ。
「前に行ったシモノセキに似ているわね……使われてなかったからボロボロだけど」
「話に聞いてた10年前西に逃げるときに放棄された場所か」
愛知県春日井市陸上自衛隊春日井駐屯地。
佐保の依頼を受け共に岡山を出発したフリオたちが今いる場所がこの自衛隊の駐屯地であった。
政府より承認された東日本奪還作戦の計画に沿い、自衛隊は京都奪還を経て名古屋の確保に至り、以後は名古屋を拠点とし残留者の保護と名古屋以西の安定が作戦目的となっている。
その自衛隊の一部がこの駐屯地にいた。
特に隠されている情報でもないため、フリオたちも佐保から作戦の概要は聞いている。
基地内のあちこちで活動する自衛隊員を、フリオがざっと目算したところ、その人数は1000人を超えてないだろう。
「全体でどれくらいの軍勢が動いてるんだろうな」
生まれてこの方、フリオは大規模な軍事行動というものを見たことがない。
物心ついた頃には故郷のトラン王国は連合王国の属国となっていた。
その後タンゲラン沖海戦で連合王国が大打撃を受け国威が衰退しトラン王国は従属を脱したが、その際の戦争も多くが国境付近や国外であり、タンゲラン周辺は比較的平和だったのだ。
冒険者として各地をまわっている時、行軍している軍をみかけたことはあったが大規模な軍事行動というものはなかなか想像が出来ないものだった。
「まあ、どうせ日本の軍でしょ? こっちの常識は当てはまらないんじゃないかしら」
「――そりゃそうだよな」
興味深く自衛隊を見るフリオに対し、リタの感想はそんな身もふたもないものであった。
ただ、先ほど話していた自動車による移動のことを思い返せば同意するしかない。
「それよりもさ。ここ、シモノセキに似ているけどやっぱり違うところも多いわね」
「うーん……ああ、壁?」
「そう壁。というか、柵よね。あっちは城壁って感じの高い壁だったけどこっちはそれがないじゃない?」
「簡単に乗り越えられそうだよな」
全周を見たわけではないが、少なくともフリオ達から見える限り、この基地を囲んでいるのは大陸でも使われている混凝土と思しき基礎とその上の金属製の柵である。
そこを覆うように木が茂っているが、これは放置されたためであろう。
これでは人はおろか獣でも簡単に入り込めてしまう。
到底軍隊が使う軍事施設――砦の類には見えない。
その点、以前に訪れた下関駐屯地は周囲を見上げる程度に高い塀で覆われており、まだフリオたちの常識にある軍隊の施設という趣があった。
この違いは、下関駐屯地は日本がこの世界に転移したのちに作られた施設ということにある。
つまりはモンスター対策だ。
壁という単純な障害物であるが、その効果は馬鹿にできない。
そのため、下関駐屯地と同じように新規に作られた施設は強固な塀が作られている。吉井川沿いの防衛ラインなどその最たるものであろう。
また既存の駐屯地や基地も塀の新設や増設補強が行われている。
そんな駐屯地内の様子を見てあれこれと喋っていると、ようやく佐保が建物の中から戻ってきた。
「お待たせ。悪いどけまた移動するわよ。探してる部隊の場所が分かったわ」
「知らなかったの?」
「予定と場所が違ったのよ。こっちも移動中だったから連絡つかないし」
「よくある行き違いだな」
「ほんっと、電波が通じないって不便だわ。とにかく行きましょう」
そう言いながら佐保は荷物を背負うと歩き出す。
フリオとリタもその後ろに続くが、ふと気になって尋ねる。
「佐保。どこまで行くか知らないけど、歩くのか?」
ここまで乗ってきた車は既にない。
となると歩きなのだろうが――
「ん? ああ、トラック……車を1台用意してもらっているわ。東に行くときも基本はこれだから安心して」
「あ、そりゃ楽だ」
「楽だけど車で移動してればモンスターには襲われないんじゃないの? 私たちっているのかしら」
「何があるか分からないし一人でモンスターに囲まれちゃうとねぇ。それに、同行してもらう理由は別にあるわよ」
「ん?」
それは初耳だぞ――とフリオが眉をひそめる。
「別に隠してた訳じゃないわ。後でちゃんと説明するから」
「頼むよ~佐保。依頼主の情報不足で死ぬような目に遭う冒険者っているんだからさ」
「わかってるって。じゃあ行きましょ。目的地は南の名城公園――近くに日本のお城が見れるわよ」
春日井駐屯地より南西へ直線で約13km。
名古屋市中央区本丸、そこに1つの城がある。
尾張名古屋は城でもつ――古くから民謡にも歌われる名古屋の象徴『名古屋城』。
かつて日本を支配した徳川家の有力な分家である尾張徳川家の居城として建築され、その後時代を経て現在は公園となっている。
「まあ姫路城の天守閣を見てきたからインパクトは薄いでしょうけど金の鯱は一見の価値あるんなじゃいかしら。あれ? そういえば鯱ってどうなってるんだろ」
長年整備されずひび割れだらけの道路で車を走らせながら、佐保はフリオたちにこれから向かう場所について説明をする。
「『シャチホコ』?」
「屋根飾りの一種よ。鯱ってのは……えっと、忘れたけど確か架空の生き物だったわ。そう魚みたいな」
「確か佐保たちからみると、モンスターも架空の生き物だったんだよな。じゃあシャチホコもモンスターかな?」
「どうだろ。もしかするとどっかにいるのかも。ま、魚だからいても川とか海でしょ――あれ、もう公園だけど城が見えない!」
ダッシュボードの上に置いてあった地図と周囲を照らし合わせながら佐保が叫ぶ。
既に周囲にはちらほらと陸自の車両が走行しており、周囲の建物を調査中と思われる隊員たちの姿も見受けられる。
「高い建物ばっかりだからねぇ。しょうがないわよ」
「そんなに大きなビルはなかったんだけどな……」
名古屋城天守閣の高さは55.6m。
何も障害物のない開けた場所ならばともかく、障害物の多いこの地では高いところに上がらなければ見えないようだ。
「まぁ公園についたら見えるでしょ、しまらないなぁ」
見せたかったというより、実は自分が見たかった佐保は深いため息とともにアクセルを踏み込み車の速度を上げていった。
遅くなりました。
話しは活動報告にでも。




