閑話 異世界で内政チートはもはや義務だよね
トラン王国首都シンパン。
その王城の一室にて。
「首尾はどうだったかね、我が軍師殿?」
「上々にて」
トラン王国の支配者であるガルシアの問いに、軍師と呼ばれたフード姿の女は深々と頭を下げながらそう答えた。
「そうか」
女の返答にガルシア王は一言そう言って頷く。
そっけなくも感じられるが、その表情を見ればこの結果に満足していることが分かるだろう。
「これで、冒険者ギルドは実質膝下に置いたも同然か」
「いえ、まだまだ序の口。これから影響力を浸透させていく必要があります。幸運にも、ギルドの参事会役員の大量の入れ替えがありますので、王国の息のかかった人物を送り込みましょう」
「ふむ……」
ガルシア王は椅子の肘掛に肘着いたまま、顎に手を当て少しだけ考える様子を見せた。
誰を送り込むべきか、と考えようとしたが思い直し、室内にいた別の者の名を呼ぶ。
「ハッシント」
「はい」
「人選はそなたに一任する」
「承りました。慎重に候補の選定を行いましょう」
トラン王国宰相ハッシント・エルメラ・アルタムーラ=ドゥラスノ公爵。
王の命を受けた彼に、女軍師が意見を述べる。
「宰相様。人選は多少強気で行かれるべきと愚考いたしますわ」
「――なるほど、軍師殿。私が鞭。貴女が飴という役割分担ですか」
「お嫌かしら?」
「いやいや。精々日頃のうっぷんを八つ当たりさせていただくとしましょう」
「あら、そんなに不満がたまっていらっしゃって?」
「宰相ともなりますと、何かと気苦労が多ございましてなぁ」
「いったいどうしてでございましょう?」
いささかわざとらしい疲れた声色の宰相に、女軍師は目深にフードを被ったまま人差し指を顎先に当て小首をかしげる。
「お主ら……」
そんな芝居がかった2人のやり取りにガルシア王は頭を抱えた。
「余のせいだと言いたいのかー!」
「まあ! 御自覚がおありでしたか?」
「これは重畳」
「ぬぅ……」
苦りきった顔をする王だがそこまで嫌がっているわけではない。
本来ならば不敬もよいところであるこの光景も、最近は度々みられる風物詩となっている。
流石に、他の貴族の前では見せることはないが。
「まぁ戯れはここまでだ。さっそく選定に取り掛かるがよい」
「ははっ」
「軍師もご苦労であった。下がって良いぞ」
「はい。失礼いたします」
城内の廊下で、すれ違う者へ身分の貴賤を問わず会釈しながら歩くフード姿の女。
国王の信頼厚い軍師でありながらその腰の低い態度に、ある者は好感を抱き、ある者は軽蔑の念を抱くが、彼女は気にもせずそそくさと自室へと向かう。
王城でも外辺
城内に与えられた執務室に入り、後ろ手に戸を閉めた女は、一呼吸つくと、
「あっ―――ちぃぃぃぃぃ!!」
その身に纏うフードの付いたローブを脱ぎ、その辺りに放り投げた。
ローブを脱ぎ捨てた女軍師――グレーのTシャツワンピースを着た黒髪の女性は、首元の生地を引っ張り伸ばし片手で風を送り込み少しでも涼を取ろうとする。
「このローブ通気性悪すぎ! 真冬だっていっても赤道近くよここ!」
先ほどまで、王たちの前とは打って変わった口調で、暑さへの愚痴を口にしつつ、自分の机に向かい置いてあった清潔なタオルで汗を拭く。
ふと、汗を拭きながら、机の上に水差しが置かれていることに気付く。
自分が戻ってくる時間を見計らって用意されていたのだと気付き、さっそく備えてあったコップにたっぷりと水を注ぐと一気に飲み干す。
「ぬるい!!」
当たり前であるが水は常温である。
それでも、暑さで限界となっている身体には甘露である。
ぬるいと繰返しながらも、2杯目3杯目と重ねていく。
「あーもう! 冷蔵庫! クーラー欲しい!! 誰か電力導入してよ! って、私がやるしかないのかー!」
ひとしきり水を飲み、コップを置くと、ワンピースの裾を持ち上げ風を中に送りながら考える。
「基礎技術が全然育ってないから今電力って言ってもねぇ。ああそっか、いっそ日本に丸投げ……は、無理か。設置する場所の選定も難しいわ、送電設備の維持が厳しいわね。そもそも国が開発途上国ってレベルですらないから、電化を活かせる下地を最低限用意しないと……せめて小型発電機だけでも買えないかしら」
「――あの、よろしいでしょうか?」
「ひぃう!?」
突然、不意打ちに声をかけられ思わず奇妙な声が上がる。
裾を持ち上げたまま首だけそちらの方に向ければ、部屋の隅に1人の若い男が立っていた。
「何時からそこに……」
「そろそろ陛下との会議が終わるだろうと思いまして、そちらの水を用意して待っていました」
「……」
つまり、部屋に入ってからずっと見ていたわけである。
「さっそくですが報告を」
「見られたーーー!! って、何かいう事あるでしょう!?」
「――見えますよ?」
「見せてんのよ」
「はい。ええ、では――」
「いや、冗談! 見られても良いインナーだからこれ!」
「はい。それで報告ですが」
「なんつーセメント対応……」
揺るぎもしない男の態度に、嘆息しながら裾をおろし椅子に座る。
恥ずかしさから動転したが、この男がこういう態度を取るのは分かりきっていたことだった。
「で、まずは何の報告かしら秘書官君?」
「イングヴェです。まずは試験場からの報告書をお持ちしました」
農業試験所、化学研究員、王立造船所、天文庁、軍、諜報機関――様々な機関からの報告書に目を通し、彼女が進める事業の進捗状況を確認する。
「お、無煙火薬は目途が付いたんだ」
「理論は軍師が持ち込まれましたので、薬品さえ用意出来れば難しくはなかったのでしょう」
「まあそっちを用意するのに苦労してるみたいね。でも、そいつら薬や肥料にも転用出来るから研究はどんどん進めさせるわ。あ、それでも思い出したけど南部に硝石鉱山があったわよね」
「ええ。数年前にプログ山で発見されています」
「使い道が多いから出来れば抑えたいけど……」
「問題が2つ。1つはプログ山がタラグタグ国との国境線にあたるため、あちらも所有権を主張していること。もう1つは大型モンスターが近隣に生息していることです」
「そのせいで、どっちも開発が出来なかったわけだけど――」
と言いながら、女軍師は笑みを浮かべる。
「タラグタグ王国には交渉で片を付けるわ。幸い、タラグタグ王国の南にあるタルラク王国とシンカワン公国は我が国に借りがある。しかも、タルラク王家とタラグタグ王家は親族関係だったわよね?」
「タルラク王はタラグタグ王の大叔父です」
「国力差から言っても十分交渉で勝ち取る目はあるわ。モンスターに関しても当てが出来たからなんとかなりそうね」
「なるほど、そのために冒険者ギルドを抑えられたのですか」
この女軍師が、先日タンゲランまで赴き何をしてきたのかを思い出し、秘書官は得心する。
ギルドの精鋭ならば伝説に出てくるような大型モンスターでもなければ討伐は叶うだろう。
「手が他にない訳じゃないんだけどね~」
「軍を送れば勝てるでしょうが被害が大きすぎますからね」
「ん。う、うん。まあそうね」
「では、さっそくギルドに討伐隊の編成を命じましょう」
そう進言する秘書官であったが、
「チッチッチ。違うよ~インベー君」
と、黒髪の軍師は指振り却下する。
「あくまで、普通に討伐を依頼するよ。向こうが出す正規の料金を払うし精鋭を出せなんて命令もしない」
「イングヴェです――では何のために、軍師は我が国がギルドの後ろ盾となることを申し出たのですか?」
トラン王国が冒険者ギルドの後ろ盾となる――先日、この軍師がタンゲランにてギルド長のフリダに申し出た話がこれである。
現在各地で起きている冒険者ギルドの権威の失落。
しかしその流れを先読んでいた者はこの世界にいる。
例えば、社会情勢の分析能力に優れた国家――北の転移国日本。
そして、この不世出の軍師と王国内での呼び声高いこの女性。
今日のこの事態を予見していた彼女は、ギルドが事態に茫然とし対応する前に後ろ盾となる話を持ち込み、ギルド内部に足がかりを作ったのだ。
「飴役と鞭役は決まったからね」
「?」
「まあギルドは徐々に影響力を強めていく予定。それに、普通に依頼しても勝手に向こうが配慮してくれるわよ」
「それはそうでしょうが……しかし、それでは後ろ盾になってまでギルドに影響力を強めようとされた意味が――」
ギルドの力を利用するためではないのか、と秘書官は尋ねている。
「ギルドを抑えた最大の理由は首輪をつけるため。あんな武装集団を国から野放しにしておくとかないわー」
「……」
「冒険者が好き勝手やっているのが当たり前のあんた達にはピンとこないかな。他にも色々あるけど、ま、将来への仕込みね」
「仕込み、ですか。具体的にはどういう事への?」
「さあ? あ、ちょ、怒んないでよ! あのね、今後何かしようと思った時、色々と仕込みをしておくのとしてないのじゃ結果が違うでしょ? 策は二重三重に張って意味があるの! 張るだけ張った伏線が無駄になることもあるけど、まずはやらなきゃ!」
自分の返答に秘書官が怒ったことを察して慌てて弁明するが効果は薄い。
「その程度は常識です。ですが、それは予め目的を決めた上で、でしょう」
「だーいじょうぶ。さっきも言ったけど最大の目的は別にあるし。それに、冒険者ギルドならどう転んでも使い道はあるから! 私を信じて! トラストミー!」
その言葉に、胡乱な目をする秘書官だが、内心で「いや」と思い直す。
時々抜けた所もあるこの軍師だが、その進言は全て王国の発展に寄与している。
代々王国に仕えた人物だけあり、その忠誠に疑うところはない。
(まあほんとうは深遠な思慮がおありなのだろう)
そう考えることにした。
「うわやっば! 水こぼした! 報告書が!!?」
(大丈夫なハズだ……)
――そう考えることにした。
「えっと、これは試験所からの報告ね?」
「ええ。一部領主貴族からノウリンを寄越す様にと圧力がかかっているようです」
「ふーん……あんだけ胡散臭そうにしておいて、結果が出たらこれか」
「いきなり新種の小麦だ、と言われてもそれが普通かと。結果を出せばこそ人は信じるものです」
「ま、そーね」
「しかし、改めてこのノウリンは素晴らしいですな」
昨年秋のノウリンの収穫に関する報告書を手に取りながら秘書官は何度となく行った感嘆の念を口にする。
この軍師が国王へと献上した新種の小麦「ノウリン」。
従来種に比べ病に強く、収穫量も多いという触れ込みだったが、その話を聞いた貴族たちの反応は最初冷ややかな物であった。
しかし王の命により直轄地の一部で栽培されたノウリンの出した結果は、貴族たちの目の色を変えさせた。
「昨年の秋は特に気候が良かったわけでもありませんが、それでも収穫2倍、いや3倍に届きかけています。しかも、従来種より収穫が早い」
「ノウリンだけじゃなくて、農業全般の改善結果だけどね。そっちもまだ途中だから更に伸びるわよ。こっちの気候に合わせた改良もやっていかなきゃいけないし」
「なるほど。それで、領主貴族たちへの対応はどうしますか?」
「良いわよ。あげちゃいましょう」
「はぁ。いいのですか?」
太っ腹を通り越してバカとも思える言葉である。
小麦の収穫が増えるということはそれだけ収入も増やせ、また人口を増やすことも出来る。
それはそのまま領主の力を付けさせるということになるだろう。
国として歓迎すべきことではない。
が、軍師はその懸念を否定する。
「元々うちは国王の力が強い国だから、多少力を伸ばしてもねぇ。貴族たちを無力化するまでのロードマップは出来てるし、これでもその一環。せいぜいこっちのあげる技術に依存してもらいましょう」
そのまま資本家にでもシフトしてくれればね、と不敵に笑いを浮かべる。
「とは言え、無償でというのは――」
「え? やーねー。そりゃ代価はいただくわよ。その辺りはアルタムーラさんに任せてるけど」
「宰相閣下にですか」
アルタムーラ宰相の名を聞き、秘書官は表情を硬くした。
彼の上司にあたり王国の文官を束ねる宰相であるが、ドウラスノ公爵という王国最大の貴族でもあるのがアルタムーラである。
貴族とのやり取りは慣れたものだが、手心を加える可能性があると思ったのだ。
その秘書官の表情に軍師は溜息をつく。
「部下にまで、これか。ま、陛下が信用してないから下が信用しないのも当然よね」
「といいますと?」
「あの人が王族の血を引いているのは知っているわね?」
その言葉に秘書官は頷く。
そもそも公爵とはそういうものである。
「あの人のアイデンティティは王族ということにあるの。貴族であるというより、王家の者だって意識が強い。だから貴族に手心加えたりしないから安心しなさい」
「はぁ……」
「まあ、だからこそ陛下も警戒してるのか。だから私が一緒にバカやって警戒を解こうとしてるんだけど……人の心は難しいわ」
いまいち軍師の言を理解出来なかった秘書官であったが、取りあえず軍師が問題にしていないことだけは理解することは出来た。
「ならばそちらは置いておくとして。1つ進言です。来年の作付けですが、ヤモックの面積を減らし小麦、ノウリンの増産を図ってはいかがでしょうか?」
「却下」
ヤモック――大陸東部で小麦と並んで広く栽培されているイモ類である。
一度粉にしたあと様々な加工品にされる主食であり、それ自体が保存性にすぐれ加工品もまた日持ちするため重宝されている。
反面、味では小麦には及ばないため人気では小麦に軍配が上がる。
生産性の問題から小麦とヤモックが共に広く栽培されているが、小麦がノウリンと農業改善により生産力を飛躍的に高めるならばヤモックは要らないのではないか。そう考えるのは当然と言える。
が、軍師はそれは言下に否定した。
「ノウリンはまだ1年目よ。この先どうなるか分からない。ここでヤモックの作付を減らすのは賭けの類だわ。それに、上手くいってもヤモックは一年中栽培できるから裏作で今後も続けるわよ」
言われてみれば当然の話しである。
どうやら、ノウリンの成果に冷静さを失っていたらしいと秘書官は自省した。
「愚見でした」
「良いわよ。思いついたことはどんどんいってちょうだい」
その後も、各部所からの報告書に目を通す作業は続いた。
兵器工廠からは軍師がもたらした本による火器の開発。
諜報機関から各国及び国内情勢。
王国高等法院からは法制度改革に関する進捗状況。
王都で始めた新しい治安維持活動「コーバン」の状況。
生産現場における「カイゼン」の報告。
1つ1つを確認しながら修正や新たな指示を出して良く。
時間も忘れ没頭していた2人であったが、気づくと既に陽が落ち始めていた。
「うーん……今日はこの辺りで切り上げよっか」
「はい。では明日これらの指示を各所に出しておきます」
「頼むわインプ君」
「イングヴェです――では、失礼します」
持ち帰る書類をまとめ、そう言って部屋を後にしようとする秘書官であったが、
「あ、待って」
戸に手をかけようとしたことで呼び止められる。
「はい。何でしょうか?」
そう言って振り返った彼に、
「あんた、ここではスミスね。覚えにくいし、なんかそれっぽいから」
「――――は? 何を仰っているのですか、私はスミスですよ」
「ん。それじゃーね」
「はい。お疲れ様でした」
いつか転生チート物を書きたい。




