第89話 京都にて
京都――かつて、平安楽土の願いを込め生まれた、日本の古き都。
長らく日本の中心であったが故に、その願いとは裏腹に多くの血が流れた街である。
だがそんな血なまぐささも、もはや昔の話。
現代において京都は、古き良き面影を残す観光都市となっていた。
日本という国がこの世界に来て13年目。
再び京の都は血で穢されることとなる。
ただ、過去のそれとは決定的に違うことが1つある。
その血の中に、「人」の血は一滴たりともないという違いが。
未だ戦闘の余韻の残る京都の街を、銃を手にした自衛隊が班に分かれ散らばり市内の探索にあたっている。
昨日の戦闘で大方の敵は討ち取られているはずだが、市内に隠れ家となる場所は無数にあった。
ここに人が戻ってくるのは当分先であろうが、せめて市中だけでも完全に危険を排除していなければおちおち復興も出来ない。
それでなくとも、この地で活動する自衛隊の安全のためにも早急な排除は必要なことである。
この市中の残敵の掃討を終えて京都奪還作戦は一段落となるのだ。
京都駅の北。東西に走る七条通りを、周囲を警戒しつつ歩いていた自衛隊の1人が、不意に視線を高く上げ立ち止まった。
「どうした?」
同僚がそれに気づき、視線の先を追う。
視線の方向は南西。そちらには京都駅があるはずだが、目に入るのはマンションとビルばかりで駅ビルの姿は見えない。
「本当は、ここから見えてたんだよな。京都タワー。あの辺りに」
そう言って、前方を指さしながら尋ねられた隊員が答えた。
「ああ、確かに。方向的にそうだな……」
京都駅の北に建っていた京都タワーは、昨日の鵺と自衛隊との交戦の折に破壊されている。
しかしなぜ今そんなことを、と思い同僚は質問を重ねた。
「あれ? お前、京都出身だったか」
「いや、埼玉」
「……じゃあ、なんでタワーのこと気にしているんだ?」
「ちょうど、転移の前の年に修学旅行で京都に来たことがあって、この場所から京都タワーが見えてことを思い出したんだよ」
「なるほどね」
そう言いながら、自分も転移より前に、家族旅行で親に連れられて来たことがあったなと思い出しつつ、周囲に目をやるが、記憶に引っかかる物はない。
何しろ転移よりも更に前だからかれこれ20年ほど前の小学生のことだ。
清水寺や金閣寺などであれば記憶にも残っているだろうが、単なる街中の風景までは流石に残っていない。
それに、転移までの10年ほどで街は様変わりしているはずであるし、何より今のこの光景ではなかなか記憶と一致はしないだろう。
10年もの間、一切人の手が入らず放置された街は廃墟と化している。
ビルのガラスは割れ、壁にはヒビと染みが出来、道路はそこかしこで舗装を破って雑草が生えてきている。
建物には蔦が生えており、内部の床や棚は土と埃で汚れきっていた。
(まあでも、想像よりはずっとマシだったんだが)
道路の舗装がめくれているといったところで、普通車でも通れないことはない程度でしかない。
ビルを覆う蔦も、ビルが見えないほどと言うには程遠い。
雑草も冬場ということもあり大半が枯れている。
もしや京都全体が緑に覆われているのでは、と想像していた者もいたが、思った以上に人の生み出した街という物は自然を強固に拒むようである。
「意外と町は残っていたが、しかし――」
「本当に大丈夫なのかね、これ」
自然の侵食は思ったほどではなかった。
範囲を限れば、むしろこの24時間で受けた損害の方が大きく京都の姿を変えているかもしれない。
この地に巣食う大型モンスター=大妖怪を排除し京都を奪還する今回の作戦。
東日本全体を取り戻す計画の中の最初の作戦であるが、これをクーデター騒動後の直接交渉で、政府から実行許可を勝ち取った新第4師団――岡山師団の上層部は、その中で街への損害を一切考慮に入れなかった。
町に被害が出た場合、それを知った市民から批判の声が上がることは師団内でも予想されている。
だが、被害を最小限に抑えようとしながら奪還作戦を進めるとなると、大型火器の使用が制限される。
その場合、大型モンスターに対しある程度の接近戦を挑まねばならず、隊員の被害が大きくなることが予想された。
また撃ち漏らしも増えると考えられる。
隊員への危険性。作戦完了までの時間の伸長。
それらを想定される批判とで天秤にかけ、師団幹部たちは批判を受けることをよしとしたのであった。
そもそも、既にクーデター計画の件で岡山師団は悪評が立っている。
更に悪評が重なっても、それが日本のためになるのであれば――それが幹部たちの想いであった。
「やりすぎじゃないのか……」
「どうだろーな」
どこか不安そうな一方に対し、もう1人は投げやりに返答を返す。
日本のため悪評も敢えて受ける。
クーデター計画を知っていた幹部の殆どはそんな想いでいるが、一般隊員まで全てそうであるかと言えば、答えは否だ。
賛同している者もいれば、反感を持っている者や懐疑的な者もただ状況に流されている者まで様々である。
師団の上と下で微妙なズレを抱えたまま、自衛隊員による市内の掃討作戦は進んでいく。
京都市内に散開した自衛隊。
その中に混じって、自衛隊とは違った者の姿がぽつぽつとあった。
前時代的な鋼や革の鎧を身に着け、剣や槍、弓や弩を手にした者たち。
冒険者である。
今回の作戦にあたり、自衛隊が雇った者たちだった。
大陸において、傭兵として冒険者たちが雇われ戦場に赴くことは当たり前に行われている。
それ故に、自衛隊に雇われること自体は冒険者にも違和感はなかった。
だが、雇われた理由が戦力としてではないと知ったとき、冒険者たちは改めて日本は変わっているなという思いを抱くこととなる。
京都市内。市動物園の一角。
「そっちはどうだったコジモ?」
愛用のバスタードソードを背負った冒険者カレルが、そう声かけながら歩いてきた。
武器を鞘に収めたまま無警戒そうにしているが、猫系の獣人に稀に見られる特徴である洞毛がピンと張っており見た目と裏腹に周囲を警戒していることが分かる。
「ん、こっちは大丈夫そうだぞ」
カレルの呼び掛けにこたえたのは、無精髭を生やした中年男の冒険者。
日本に冒険者ギルドの支部が出来た最初期から所属する2人である。
以前、広島に本拠地を置く師団――転移前の第13旅団。その後第3師団となり更に旅団へと名称が変わったのだが、分かりにくいため広島師団とする――と冒険者ギルドが共同で行ったヤマタノオロチ討伐にも参加し、その後もギルドと日本とが関わる依頼をこなし、双方から信頼されているベテランであった。
今回もそういった経緯からこの作戦のために雇われ、同行している。
「じゃあこの辺りはこれでいいね」
そう言ってカレルは、近くに待機していた自衛隊員へと近づくと、報告を行う。
「確認できました。ここは問題ありませんね」
「了解しました」
カレルの言葉を受け、隊員は通信機を手に報告を始める。
『――はい。こちらでは「ファントム化現象」の恐れはないと――』
「なんとも慎重なこったな」
そんな自衛隊員の様子を見ながら、コジモはいささか呆れ気味のそう言った。
今回、彼ら冒険者が同行している理由は様々あるが、その中で最大のものは「ファントム化現象」対策であった。
神霊力を持つ生物が大量に死亡した際、稀に起こる「ファントム化現象」。
生物が死ねば、体内に残っていた神霊力はそのまま拡散し消えていくのだが、それが何らかの理由で留まり、近くの神霊力を持たない、或いは弱い生物に憑依してしまう現象だ。
憑依した神霊力には、死んだ生物の感情が焼き付いており、憑りつかれた生物はその感情に突き動かされることとなる。
大抵の場合は死へ恐怖から暴走するのだが。
「ファントム化なんざ、山歩いててドラゴンに襲われるよりあり得ないだろうが」
「ドラゴンの範疇次第じゃ、結構あり得そうな例えだねそれは」
コジモの例えに苦笑しながらカレルはそう言った。
とは言え、ファントム化現象が滅多に起きないという点に置いてはカレルも同意である。
「彼らは、私たちが進出する前にファントム化現象で痛い目にあったらしいからね。慎重になるのも仕方ないのじゃないかな」
かつて下関にある自衛隊の駐屯地で起きたファントム化現象によって引き起こされた下関事件。
この際、自衛隊は岡山に防衛線を設定して以来、初めて戦闘による死者を出している。
それだけにこの現象に対して神経質になっていてもおかしくはなかった。
「そうだな。それにどうやら、ジエイタイさんは神霊術関係、相変わらず不得手みたいだしな」
物理的な解決手段がない――憑依された者を見殺しにするのなら解決は出来るのだが――ファントム化現象のような事態に自衛隊は弱い。
これはこの2年、特に自衛隊絡みのクエストが多かったコジモたちが気づいた事実だ。
神霊術による特殊攻撃など、神霊力を持つ冒険者などなら簡単に防げる物すら、神霊力を持たない彼らは苦労しているようだ。
研究自体は進んでおり、また大陸兵士が持つ護符などの輸入や開発も進められているため、早晩対処してくるだろうが、それでも純神霊力絡みの案件に弱いということは変わらない。
もっとも――
「自衛隊にはそこまで問題じゃないと思うね」
「まあな」
カレルの言葉に同意し、コジモは周囲の光景に改めて目をやる。
自衛隊の攻撃により破壊された建物や木々。
そして砲撃により吹き飛ばされ辺りに散乱するモンスターたちの死骸。
コジモも初めて見る種――カラステングというらしい――も混じっているが、一様に無残な姿となっていた。
神霊力がどうした。全て鉄火を以て吹き飛ばす――そんな自衛隊の意志を感じたのはコジモの考えすぎだろうか。
「知っちゃいたけど……もうちょっとした大型モンスター程度じゃ問題になりそうもないよこれは」
「俺たち要るのか?」
「さあ」
そう言ってカレルは首をすくめる。
この地に、冒険者が必要であるか、必要でないか。それを自分たちが決めることではない。
冒険者の力が必要ないと言われれば、必要とされる所で力を振るうだけのことである。
圧倒的火力で不得手など物ともしない自衛隊が、今回冒険者を雇ったのはあくまで念を入れただけだろう。
それでも、必要とされたからには相応の働きをするだけだ。
「ただ、まあ……」
(色々変わりそうだね。どうなるかは分からないけど)
そんな予感だけはしていた。
「もはや! この世界におけるモンスターの区別は、我々には意味がありません!」
京都市内嵯峨野にある、とある高校のグラウンド。
討取られた大妖怪・酒呑童子の死体を前に、芝居がかった仕草で両手を大きく広げながら白衣の男がそう言い放った。
「今回対峙した4体の大妖怪。土蜘蛛、鞍馬天狗、鵺、そしてこの酒呑童子。どれもがこの世界においては大型モンスターにカテゴライズされます。ですが今回、問題なく対処出来ています!」
「つまり、単純にモンスターのカテゴリーが、我々にとっての脅威度ではない。そういうことだな、中尾主任」
「その通りです、椎木さん!」
理解してくれている合いの手を入れる目の前の佐官に、中尾と言われた男は嬉しそうに頷く。
「確かに。単純に神霊力が強いだけの大型モンスターならば、我々の火力で問題なく対処できる。逆に小型の獣や虫型のモンスターの方が対処は難しいな」
「銃で蜂を狙い撃つなど無駄の極みです。そう言った手合いには、火炎放射器かガスなどが良いのですが」
「住宅地に近い場所では……それが出来れば苦労はしない。ふむ、しかし――」
椎木一佐。彼は岡山師団の師団長である百瀬陸将の腹心の部下とも言える人物である。
百瀬以前から続く岡山師団の独自路線にも熟知しており、目の前の中尾が主任を務める神霊研の前身である研究チームにも深く関わっている。
その繋がりから、今回も倒したモンスター・妖怪の調査のため作戦に同行した中尾たち神霊研の面々の護衛を務めている。
(戦力として冒険者は当てにできん。正直邪魔だと思っていたが……自衛隊では対処しにくいモンスターについては、冒険者に任せるのは適当なのだろうな)
それ故に、冒険者という存在に関心を持ち――と言うよりも、大陸の商会と日本の商社のミスから発生し、冒険者ギルドの日本進出の契機となった下関事件。
あのお膳立てに、彼らとは無関係の立場で関わっていたのが当時の研究チームであり、そして椎木である。
ある意味、冒険者が日本へと来ることになった恩人と言える人物だ。
それ故に、冒険者をよく知り、故に期待していなかったのだが、ここに来てその認識を少々改めて来ていた。
(国内に独自に武装した集団がいるというのは問題だが、日本の現状を考えるとそれも仕方ないな。師団内には冒険者を排斥しろという意見もあるが、まあ先の話しだ)
「どのみち。その頃には私は自衛隊にはいないだろうしな」
「はい? どうかされましたか?」
「いや、なんでもない。気にしないでくれ」
小声ではあったが思わず声に出たそれを、聞き取られるが、椎木はそう言って口を閉じる。
どのみち先に話しなのだ。
「それより、今回討伐した妖怪たちの死体だが、ラボへの運搬は明日以降だ。少なくとも京都奪還作戦が一段落してからだな」
「そうですか。出来れば――」
『グオオオオオオ!!!』
「!?」
「おや?」
突如上がった咆哮に、2人はその方へと顔を向ける。
そこには、驚きこそ浮かんでいるが焦りの色はない。
「ああ、目を覚ましたようですね」
「……」
嬉しそうな顔をしながら、中尾は声の主の方へと歩き出す。
その後ろを、椎木は表情を殺しついていく。
2人の向かう先には頑丈そうな檻がある。
その中に声の主はいた。
『くっ、殺せ!』
満身創痍の身体で、檻の中に横たわるのは、一匹の鬼であった。
赤銅色の肌は血に汚れ、乱れ髪から生える2本の角の片方は無残にも折れている。
「はっははははは! 何をおっしゃいます!」
檻から自分を殺せと叫ぶ鬼に、中尾は澱のそばまで近づき笑いながら言った。
「せっかく生きたまま捉えたのです。そう死に急がないでくださいよ」
『……ふざけるな貴様!』
「無駄ですよ~。吠えたところで何も出来ません。その檻は、貴方では破壊出来る代物ではありませんし、ましてや今の状態ではなおの事無理です。貴方たちに特殊な神霊術がないことは分かっていますし、念を入れてミスリルで加工もしてありますので悪しからず」
『ウゥググッ……』
実際、中尾に言われるまでもなく、鬼は自分がここを逃げ出せるとは思っていない。
仮に檻を破った所で、周囲の自衛隊員により即座に打ち取られるだろう。
だが、仲間や頭が見事に討死した中、自分だけが生き残ったこの様には耐え切れなかった。
「……」
そんな鬼の様子を少し離れて椎木がじっと観察していた。
古武士的な感情で生き恥を晒すことに耐え切れない鬼と、無自覚か自覚的にかその鬼を煽る研究者。
椎木としては、偶然とはいえ生きたまま鬼を捕獲し連れ帰ることには抵抗があった。
鬼を憐れと思うセンチメンタリズム――それも多少はあるが、危険性の問題が大きい。
映画や小説などで、未知の生物を捕獲し逃げ出すという展開がよくある。
実際そうそう起こることではないが、可能性はゼロではない。
(まあそれはまだ対処できるが……)
そうでない危険性もある。
この人と意思の疎通が出来るモンスターを連れ帰り実験に使う、それ自体がどう見られるかという危険性が。
モンスターは敵であるが、だからと言って何をやっても許されるという訳ではない。そう考える人間は少なくない。
現に、この場にいる隊員の中にも顔をしかめているものがちらほらいる。
(隠ぺいには念を入れ直す必要があるな)
新しい研究素材を前に知的好奇心を隠せず興奮する中尾の姿に、椎木はこの先の事を考え深いため息をついた。
「椎木一佐!」
鬼を輸送する手順を考えていた椎木に、部下の1人が駆け寄ってくる。
「どうした。何かあったか?」
「はい。一佐に面会したいという、その方? が」
「不明瞭な言い方はよせ。しかし、面会? ……ああ、なるほど」
こんな場所で、と思ったが心当たりがあった。
何より、振り向いた視線の先に相手の姿が見えた。
椎木は報告に来た部下を下がらせ、相手の元へと向かう。
「この度のご協力に感謝します。貴方の部下が敵の居場所を正確に報告してくださったおかげで、作戦がスムーズに進みました」
『いえいえ。お役に立てたのなら何よりです。私も、わざわざ骨を折った甲斐があったというもの』
感謝を述べる椎木に、そう慇懃な態度で応えたのは、九つの尾を持つ狐であった。
「黒須氏を通じあなた方から協力の申し出があったことには、驚きましたが。しかし――」
妖怪から日本へ対する京都奪還への協力の申し出。
東日本からやって来た黒須柚那が持ってきた手紙には、そんな内容が記されてあった。
時期や方法などの意見が統一出来ていなかった日本側であったが、これを奇貨と見做す者は多かった。
だが、名義は宇迦之御魂神――稲荷大明神からとは言え、直接黒須に依頼したのは彼の九尾の狐。即ち妖怪=モンスターである。
信用出来るのかという議論も当然ながらあり、その後の東日本の独立宣言や自衛隊内のクーデター話など、日本を取り巻く事態の急変から、そのまま流されそうにもなった。
結局、すったもんだの挙句に岡山師団が「使えるものなら使う」という考えで協力を要請し、今回共闘したのである。
仮にこれが罠であったとしてもそれごと食い破れると言う目算あっての行動である。
(怪しい行動は見せなかったが、一体何が目的やら)
意図が読めないのは不安である。
直接害を及ぼすものでなくとも、大きな見返りを求められる可能性もある。
その辺りを探りたいと考え、どう話を持っていくべきかと考える椎木。
『フフ……』
そんな考えはお見通しだとでも言いたげに、九尾はかすかに笑う。
「どうされましたか?」
『なに。お気になさらずに。ともあれ、これで皆様方の帰還へ一歩前進というところでしょうか?』
「そうですな。さすがに、すぐには難しいでしょう。残るモンスターの対策や、街の調査などもありますから」
『なるほど、なるほど。それでこの後は琵琶湖方面ですかな?』
「それですが……」
琵琶湖、と言われ椎木が言葉を濁らせる。
現在琵琶湖周辺はモンスター溜まりとなっていることが、冒険者を通じた調査や黒須柚那からの情報、そして今回の作戦に当たっての偵察により確認されている。
おそらく、度々岡山を襲った大規模なモンスター群もここが大本の出所ではないかと推測されていた。
近畿・中京圏を奪還する上で、ここに巣食うモンスターの排除が一連の作戦の天王山となるべき物――であるのだが。
「我々はこのあと、奈良・三重方面の解放に向かいます」
『琵琶湖は放置されるのですか?』
ここまで、慇懃にそして穏やかな態度でいた九尾に少しの焦りが見えた。
「残念ながら琵琶湖には強力なモンスターが集結しています。これを確実に排除するには、戦力を整え多方面から包囲しなければいけません」
『そのために、奈良や三重……ああ、そのまま名古屋や岐阜にまで、ということでしょうか』
「察しが良くて助かります」
今の言葉に嘘はない。
今回の京都奪還作戦に参加している兵力では、琵琶湖に多数生息する大・中型モンスターを相手するには数が足りない。
負けることはないだろうが殲滅には届かないだろう。
だが戦略上の理由だけではなかった。
(政府との取引の条件だからな。それほど東が気になるか……)
クーデターと引き換えの岡山師団による東進作戦。
政府が師団へと出した条件の1つが、早期の東へのルートの確保であった。
政府としては、自衛隊が全力を出し時間さえかければ確実に出来るであろうモンスターの掃討と各地の奪還よりも、東日本の独立という事態の方が問題が大きいと考えているのだろう。
一方、椎木たちにしてみると、今の日本も独立を宣言した東日本も自分たちが守るべき日本人たちなのだ。
独立問題に気を取られモンスター掃討に影響が出て被害が出る方が、よほど問題である。
(結局、政治に手足を縛られる)
それが嫌で岡山師団は独自に動こうとしていたというのに、結局元の木阿弥だった。
『ふぅ……それでは仕方ありませんね。ですが、この京都の守りは』
「もちろん、ここは琵琶湖の目と鼻の先です。手は打っておきます」
(幸いここに残っている住民は、稲荷神社の周辺に僅か。大部隊を置く必要はないな。……そうか、ここで冒険者を使う手もあるな)
自衛隊の大部隊で守るとは言っていない。
今は手が足りなかった。
『……ありがとうございます。我が主も、皆様方日本人のご帰還を心より待っております。今後も協力は惜しみません』
「ええ。稲荷大明神様にもよろしくお伝えください」
『それでは、私はこれで』
その言葉と共に、九尾は一陣の風にかき消されるように姿を消す。
「……さて、どうなるか」
お待たせしました。




